電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
最中のこころ
川越の和菓子屋『亀屋』の最中。家人が自分の来客に出すため大宮駅前高島屋で買ってきたもの。
「行列ができるような店のものではありませんけど」
などと言って客に出しているので
「亀屋って天明三(1783)年創業の老舗で、 NHK 朝ドラ『つばさ』で中村梅雀があんこ玉を丸めてた店だぞ」
などと横から口を挟んでみる。そんなことで妙に気色ばんでしまうのも最中ならではで、たかが最中されど最中。銀座で「本日分は売り切れました」の張り紙が出る最中も、スーパーレジ脇に積み置かれている最中も、しょせん最中は最中だろうという気持ちと、職人が丹精込めた最中はやはり美味しいものだ、と認める気持ちのせめぎ合いだ。
|川越『亀屋』の最中|2012年3月2日|
食べ物に限らず、社会倫理とか一般常識とか、それはそれで大切なものだけれど、一定の支持を超えてしまうとそれらは悪しきものになる。倫理も常識も賞味期限があるから常に変わっていくのであり、行列のできる倫理とか、行列のできる常識の列を見たら近づかないに限る。
「行列に並んだことがないからあんたはそういうことを言う。あそこの最中を食べたらほかの最中は食べられないぞ」
などと言う嫌なやつの顔が思い浮かんでしまうのも、最中の皮のようにデリケートな人の心ならでは。
昔、12月9日障害者の日を国民の休日にしようという取り組みがあり、その会議に出席していた頃、川越方面からやってくる障害者団体の女性が、手土産にもって来られたのが亀屋の最中だった。小振りの最中がひどく美味しく感じられて以来、亀屋の最中に肩入れしたいという贔屓の気持ちも一皮かぶっている。
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コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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九里よりうまい十三里のサツマイモ納豆とか美味しいものがいっぱい。
櫻夫婦も確か神田明神もしくは明神脇のホテルで結婚式をされたのではなかったかな。
スバル最中のおすそ分け、もしかないそうなら面会に行きますのでお知らせください(笑)