◉ふたりの「みちこ」のこと

2019年2月10日(日)
◉ふたりの「みちこ」のこと

太宰治が井伏鱒二の仲人で甲府の女性と結婚したのは昭和 14 年で、妻になった石原家の娘は「みちこ」という名だった。「いしはらみちこ」はわが母と同じ名だが、太宰の妻は石原美知子で、わが母は石原通子(のちに改名)だった。

昭和 20 年、空襲で三鷹を焼け出された太宰夫婦は二人の子どもを連れて妻の実家がある甲府に疎開し、7 月 6 日深夜から 7 日にかけて行われた甲府空襲で再び焼け出されている。その様子は短編『薄明(はくめい)』に詳しい。

昭和 20 年 7 月 6 日、マリアナ基地より発進した B29 編隊が 23 時 30 分ごろ御前崎あたりから本土上空に侵入し、半数が甲府空爆、残り 50 機が 7 日零時半より清水を空爆した。清水空襲を体験したわが母は、高橋町にあった家から焼夷弾に焼かれないよう布団をかぶって飯田の田んぼに逃げたと言っていたが、太宰一家もその夜やはり布団をかぶって田んぼへと走っていた。甲府と清水を焼き尽くした B29 による「たなばた空襲」を、二人の「みちこ」が山を挟んで体験していた。

(2019/02/10)

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