老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 08 なんでなのおばばのTさん

老人ホーム寸描
旅路の果ての詩人たち 08
なんでなのおばばのTさん

Tさんが初めて義母のユニットに登場した時は、これはたいへんな人が現れたと驚いた。車いすにのせられて集会室へやって来た時からケアワーカーにからんでおり、

「なんでこんなことをするの?ちゃんと説明してちょうだい!」
と絶叫している。
「なんでなの?なんで車いすにのせたりするの?」
「それで、なんでまた立たなきゃいけないの?」
お昼ごはんを召し上がっていただくからだと説明すると、
「なんで椅子に移るの?ちゃんと説明してちょうだい!説明もしないでこういうことをするから嫌なのよ!ねえ、なんでなの?」
と質問責めにして介助を拒否するので、車椅子から食事用椅子への移乗すらケアワーカーはさせてもらえない。ケアワーカーたちが交互に声かけしてようやく着席させたものの、答えても答えても終わることのない質問責めが続く。

人間同士には相性というものがあって、それによって人は人に救われることもある。新人ケアワーカーのYくんは、ノートと鉛筆をもっていて、介護しながら先輩ケアワーカーの話をメモする熱心な若者である。まだまだぎこちないところも多いけれど、Tさんの相手をするのが上手で、たいしたものだと褒めたら
「ああいうお年寄りが好きなんです」
と言う。昼食介助中、TさんとY君の掛け合いが漫才のように面白いのでメモしておいた。

Tさん「どうするの」
Yくん「ご飯を食べていただくんです」
Tさん「ご飯ってなに」
Yくん「ご飯は白身魚のフライです」
Tさん「それをどうするの」
Yくん「食べていただくんです」
Tさん「あ、そう。だいじょうぶかなぁ」
Yくん「だいじょうぶですよ」
Tさん「あ、そう」
Yくん「ちゃんとお茶碗持って食べた方がこぼさないですよ」
Tさん「はい」

Tさんの視線が焦点を結ばないのでおかしいなとおもったら、Tさんは後天的にほとんど視力がないらしい。それでも時折ケアワーカーの名札が目の前をよぎると名前を呼んだりし、
「ああTさん、読んでくれたのね」
などとケアワーカーが喜んでいたりするので、特定の距離と角度によっては微かに視力があるらしい。

Tさん「なにか落ちたよ」
Yくん「スプーンが落ちたんです」
Tさん「どうして落ちたの」
Yくん「Tさんとテーブルの間に隙間があるじゃないですか、そこから落ちたんです」
Tさん「ふーん、それでだいじょうぶなの」
Yくん「だいじょうぶですよ」
Tさん「あ、そう」

Tさんは目が不自由なので、不安な世界を言葉で手探りしているのだ。忙しいベテランケアワーカーが、何とか手早く安心させようと要点を凝縮して返事をしても、点の反応では世界の手がかりになりにくい。素っ気ないようでも、ピンポンのラリーのように応じてくれる人がいることで、Tさんは自分と向き合っている壁を見つけて安心し、最後には
「あ、そう。だいじょうぶかなぁ」
が出て、Yくんの
「だいじょうぶですよ」
に安心し質問攻めが終息するのである。在宅介護で家族を苦しませた義父の偏執も、そういうことだったのかなぁとTさんとYくんを見ていて思うけれど、家族内でなかなかできることではない。

|特養ホームの行事食(ミキサー食)|

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