老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 06 ベランダのMちゃん(その3)

老人ホーム寸描
旅路の果ての詩人たち 06
ベランダのMちゃん(その3)

Mちゃんは特養ホームで暮らすようになった義母とその娘をよく励ましてくれる。
「私だってここに来たばかりの頃は大変だったよ。その頃のことはほとんど記憶にないくらい呆けていたけど、今はこうしてちゃんとしてる。大丈夫、きっと良くなる!」
そう言ってくれるMちゃんがどうしてここに来たのかはわからないけれど、記憶にない昔はずいぶんケアワーカーを困らせたらしい。

明るく暖かい窓ぎわの応接セットを占領して新聞を読む黒衣の歌人Sさんはよく入所者とけんかをしている。Sさんもまた自分のことをちゃんとしている人だと思っている人なので、
「あの人たちみんな変でしょう、変な声で叫んだり、なにを言ってるかわからなかったり。ああいう人たちと一緒にいると頭が変になっちゃうの」
と言って、ユニットの仲間たちと別行動をとっている。別行動をとっているといっても狭い老人ホーム内なので、新聞を広げて占領している窓際の特等席をめぐって、他の入所者と言い争いになる。

言い争いで他の入所者を頭の変な人と罵倒したので、たまりかねたMちゃんが間に割って入り、
「あんただって頭が変で言ってることがおかしいよ」
と言ったらSさんがすかさず反論する。
「私はこの人たちとは違う、頭がおかしくなんかないわよ!」
と言ったら、Mちゃんが
「おかしくない人はこんなところに来ない! 頭のおかしくない人なんてここには一人もいない!」
と怒鳴りつけ、Sさんは沈黙した。

これはすごい。もし頭のおかしい人がおかしいことしか言わなくて、Mちゃんが「頭のおかしくない人なんてここには一人もいない」と断言したのが本当である場合、Mちゃんはおかしなことを言っていないので頭のおかしくない人になってしまい、最初の「頭のおかしくない人なんてここには一人もいない」という断言と矛盾してしまう。こういうのを哲学や論理学の世界では自己言及のパラドクスという。

歳をとった人間というのは社会学者のようになるものらしい。自分も他人も含めたみんなが立っている場所を雲のように宙に浮かべておいて、公正な場所から観察評価しているように振る舞え、幼い頃おばあちゃんの小言に沈黙せざるを得なかったのもそういうことだったのだろう。


|特養ホーム、義母の居室にて|

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