老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 10 CさんとOさんの火花

老人ホーム寸描
旅路の果ての詩人たち 10
CさんとOさんの火花

おばばのCさんとOさんが喧嘩しているのを何度か見たことがある。厳密に言えば喧嘩ではなく、しきりに挑発するCさんに対して、悠然として取り合わないOさんの、テーブルをはさんだ対峙である。Oさんが相手をしなくても、Cさんは届けば手が出るし、届かなければ湯飲みのお茶を浴びせようとしたりする。ふたりの相性の悪さにケアワーカーたちも気づいているようで、日々の食事では上手いこと席の並びを調整しているが、行事などの場では運悪く鉢合わせしてしまうことがある。

人にはそれぞれ固有の目つきがあり、小柄なCさんは下から見上げるようになるせいか、目が合うと上目づかいで刺すような視線を感じる。一方のOさんは正面から人の目を見つめる人で、いつもうっすら笑みを浮かべているので、泰然自若、落ちつきはらって物事に動じず、安らかで懐の深い大物の風格すら感じさせる。

視線というのは不思議なもので、よく言われる例えを用いれば、視線と視線が真正面からぶつかって火花が散ることがある。と言っても視線は心理的に感じるものなので、人混みの中で実際に火花が飛び散っているわけではないし、熱い視線と言っても火傷するわけでもない。

感じる視線は心理的なものとはいえ人間同士が共有できる現象なので、経済活動の場では客の視線の取り扱い方がマニュアル化されているらしい。大きなスーパーマーケットに行くと、店内で働く店員が客と視線がぶつかった途端スイッチが入り、
「いらっしゃいませ・え」
と語尾上がりに言う。通路などで客の進路とぶつかりそうになった時も
「いらっしゃいませ・え」
と語尾上がりに言うので、視線が一種の軋轢であることをわかっていて社員教育しているのだろう。

CさんとOさんはうまく言葉が出なかったり、ほとんど発語がなかったりするので、視線と視線の衝突場面に吹き出しをつけるなら
Cさん「おうおうおうおう、文句あるのかてめー!」
Oさん「・・・・・・・・・・・・」
Cさん「なんだなんだなんだなんだ、人をバカにしてんのか、てめー!」
Oさん「・・・・・・・・・・・・」(はてしなく続く)
ということになる。

というわけでCさんとOさんは真正面から視線同士がぶつからないよう微妙に席が決められている。男女が相手に熱い視線を送っても、交差する軌跡の側面がぶつかるだけでは火花が散らないのと同じことだ。ピンポイントさえ外せば発火は回避できる。

|特養ホーム居室内より廊下への出口|

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