老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 05 ベランダのMちゃん(その2)

老人ホーム寸描
旅路の果ての詩人たち 05
ベランダのMちゃん(その2)

99歳になる最長老格の女性Nさんのお誕生会があり、花束贈呈役をしたMちゃんが大泣きしているので、
「どうして泣いたの?」
と聞いたら、
「だってここでまともな会話ができる相手はあの人しかいないもん」
と涙を拭きながら言う。たしかに義母が暮らすユニットで、認知症を意識せずに話せるお年寄りはNさんとMちゃんくらいのものなので、大切な話し相手同士なんだろうなと思った。

特養ホーム暮らしが始まったばかりの母親のことが心配で、しょっちゅう面会に通う家族のことを気にしてくれ、会うたびごとに義母の近況を報告してくれたのもMちゃんだった。首を横に振りながら
「だめだね、このところほとんどご飯が自分で食べられなくて、こぼしてばかりいるよ」
などと言う。Mちゃんのアドバイスがあったからこそ、食事介助を家族が手伝いにいく回数を増やし、病院の療法士に相談して食事方針を決め、誤嚥性肺炎に気をつけながらの暮らしが維持できているともいえ、日替わりで顔ぶれの変わるケアワーカーよりも、妻にとって母親の様子を聞くもっとも頼りになる人が入所者のMちゃんだった。

Mちゃんには抱きついたり膝に乗ったりして甘えるお気に入りのケアワーカーが何人もおり、人気者なのだなあと思っていたら
「じつはあの子、私の孫娘なの」
と言う。
「大好きなおばあちゃんが暮らす老人ホームで、お孫さんがケアワーカーとして働いているなんてすばらしいじゃない。Mさん幸せだね」
と言うと嬉しそうにしており、ケアワーカーも恥ずかしそうに笑っていた。そのうち、Mちゃんの孫はもう一人ここで働いているいることがわかり、三人の苗字が違う理由を尋ねたら複雑な家庭の事情も話してくれたという。

ケアワーカーとMちゃんが一緒にいるのを見かけるたびに
「Mさん、今日はお孫さんと一緒でよかったね」
と声かけしていたら、ある日ケアワーカーがこっそり近づいてきて耳元でささやき、
「本当はこういうことお話ししないんですけど、あまりに本気になさっているのでお話ししますが、わたしMさんの孫じゃないんです。ケアワーカーにもそう信じている人がいるくらいなんですけど」
とのことだった。すっかり信じ込んでいた妻はかなりショックを受けて
「あーーっ、Mさんには一本とられた。孫たちと自分の境遇なんて、すっごくよくできた話を聞かされたんだよー」
などと笑いながら憤慨していた。

呆けと正気などの区別は曖昧で、時と場所、相手によって呆れたり笑われたりしているのが人間なので、些末な虚実などの表層にとらわれずに人付き合いした方が、もっと根本的なことで得することが多いと、やっぱり頭が上がらないMちゃんを見ていて思う。


|特養ホーム寸景|

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