老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 03 新聞と歌をよむSさん

老人ホーム寸描
旅路の果ての詩人たち 03

新聞と歌をよむSさん

Sさんはいつも特養ホーム内の日当たりのよい通路におかれた応接セットに新聞を広げている。昼食食事介助に出かけると必ずそこにいるので
「こんにちは~」
と挨拶をすると、
「こんにちは~、今日は寒いですね~」
とその日の気候についてひとこと付け加えて気の利いた返事をする。Sさんは施設内で書いた短歌を新聞に投稿してときどき入選し掲載されたりする文化人入所者である。 気性が激しいためほとんど気の合う入所者がいないようにみえ、食事も皆と別れて食べることが多いようである。友だちがいないかわりに明るく暖かい場所奪い合いの喧嘩相手が何人かいたが、彼らも一人またひとりと消えていって、歌壇以外に敵もいなくなって淋しそうに見える。

「わたし、毎朝お宅のおかあさんの枕元に行って、おはようございますと声かけするの。そうすると、とても良い笑顔でおはようっておっしゃるのよ」
などと会うたびに言うので
「いつもいつも、ありがとうございます」
と礼を言うことにしているが、本当にそういう奇跡のようなことが起こっているのかはわからない。

きちっとした服装をしてインテリ夫人風に新聞を読んでいるのだけれど、いつも不思議に思うのが、新聞のページを丁寧にめくって折り目正しく読むことが出来ないことで、読み始めるとあっという間に鉄道駅のゴミ箱からつかみ出した古新聞の束のようになってしまう。年をとって出てくる苦手にもいろいろな現れ方があるのだろう。

いつも黒ずくめのパンタロンスーツを着て、黒いネックレスをじゃらりと首から下げ、髪を黒々と染めあげ、黒縁の眼鏡をかけて、ゴミの山のようになった新聞を舐めるように丹念に読んでいるSさんは、カラスの生まれ変わりのように見えるが、実は女性実業家で女社長だったという噂があるが本当かどうかは知らない。息子にもっとよい施設を探すように頼んであるので、もうすぐここを出ていくのだと言っていたが、そう聞いてからもう何年も経っている。息子も忙しいのだろう。

2011年3月11日に起こった震災の翌日、動いていた鉄道とバスを乗り継いで特養ホームを訪ねたら、いつもの場所にSさんがいるのでほっとして、
「無事で良かったですね」
と声をかけたら
「いっそ建物が倒壊してくれたら私はここを出てゆけたのに」
と言うので歌人とは凄いことを言うものだと驚き、瓦礫の中から何事もなかったようにすたすたと老人ホームを出て行く黒衣の女性を想像した。

最近は
「ここを出てよそへ移りたい」
という愚痴も聞かなくなり、ゴミ束のような新聞を持って歩く足取りもおぼつかなくなり、施設内に掲示される短歌も石川啄木パロディ風だったり文法がおかしくて意味不明だったりし、新たな境地を切り開かれつつあるように見える。

|日当たりのよい通路におかれた応接セット|


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