触ってみる

 特養ホームに義母を訪ねると、ベッドに横になってうとうととしていることが多い。声をかけに反応して目を覚まし、娘に目やにだらけの顔や手指を拭いてもらい、体位をかえて拘縮した足を伸ばしてもらい、ゆっくり時間をかけてマッサージしてもらったりしている。そうやって世話をされている義母はぼんやり天井を見ていることが多いけれど、かろうじて動く方の左手を動かして見つめたり、手の届く範囲にあるものに触ったり、自分の顔に触れてみたりしている。
 自分もまた義母になったようなつもりで目を閉じて横になり、よく触った記憶のある物を、次々に思い浮かべてみる。そうすると、それぞれの物が持っていた手触りが、はっきりと触感として思い出され、人は名前の記憶の前に、まず手触りの記憶があるのかもしれない。
 受精して8週目までの、胎芽と呼ばれる大脳が機能し始める前の赤ちゃんにも、自発的な胎動が始まって顔や体のあちこちを触ってみる行動が見られるという。

  |義母が特養ホームで暮らすようになって、わが家のおせち料理は元日の昼食で苑が用意してくれる、長寿うどん付きミニお重になっている。嚥下障害がある義母のは同じものをミキサーにかけたもの(左)| 


 延髄・脊髄には中枢神経制御機能がある。大脳皮質から中枢神経、中枢神経から末梢神経、末梢神経から筋へと伝わる動作パターン命令を、途中にある中枢神経制御機能が記録して制御を代行するので、人は身体的な動作中でも、頭では全く別の考え事にふけることができるという。脳が機能し始める前の赤ちゃんが触ってみようとする行動もそういう仕組みで引き起こされているらしく、赤ちゃんは受動的に触られることとは別に、能動的に触ってみることで、世界に対して自分の体がどんな形をしてどう動くのかを認知していくという。
 視覚、聴覚、味覚、嗅覚とともに五感と呼び習わされる体性感覚、すなわち皮膚感覚と深部感覚をまとめたもののうち、皮膚感覚に属する触覚、圧覚、痛覚、温度覚は皮膚で触れてみることで確かめられる。一方、対をなす深部感覚、その中で運動覚と位置覚を含む関節覚に、娘は認知症の深い母親の拘縮した下肢を引き伸ばし、振動覚も刺激しつつ、しきりに声かけして働きかけているわけだ。老いていく人へのリハビリは、遠ざかる記憶を引き止めようとする呼びかけであり
「お母さん、羊水の海に帰っていかないで~」
というセリフつきになるのかもしれない。

 

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