老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 09 うなずきおばばのUさん

老人ホーム寸描
旅路の果ての詩人たち 09
うなずきおばばのUさん

Uさんはいつも髪をひっつめにし、食事時になるとエプロンのような物をつけているので、NHK総合テレビで放映されたアニメ『スプーンおばさん』の主人公スプーンが歳をとったように見える。お誕生会などのイベントでスピーチがあったりすると、首をななめに傾けて優しげな笑顔を作り、いちいちうなずきながら
「そうだそうだ、その通りだ」
などと合いの手や拍手を入れている。老人ホーム併設の保育園から園児が訪ねてくるとこぼれるような笑みを浮かべて迎えており、きっと保育園長さんだったのではないかなどとと想像させる仕草をする。義母の誕生会に参加し、妻と二人で坂本九「見上げてごらん夜の星を」をうたったら、大きな声で唱和してくれたのもUさんである。

2011年3月11日に起こった震災の翌日、特養ホームに何とかたどり着いたら、Uさんは大型液晶テレビ前のソファに座って震災のニュースをじっと見ていたが、ただ一人背中にリュックサックを背負って避難態勢を整えているので驚いた。たいへんな震災が起こっていることを自覚していたお年寄りは、ベランダに下着を干すMちゃんと、建物が倒壊してくれたら老人ホームを抜け出せたのにと悔しがっていたSさんと、このUさんくらいのものだったかもしれない。痴呆が深いお年寄りたちは大きな余震が来てもまるで気づかないようであり、思いおもいのことをして立ち上がってしまうようなこともなく、逆に平然と歩いているのを転ばないよう座らせるために、ケアワーカーたちのほうが大慌てしていた。

比較的痴呆症状の少なかったUさんはいつも気の合う三人組で、食事介助のいらないテーブルでグループとなって食事をしており、
「さようなら」
と声をかけると、三人揃ってにっこり笑いながら頷いてくれたものだった。最近はそれぞれに老いがすすんで老人キャンディーズも別れわかれになって普通のお年寄りに戻り、ぼんやり単独で日々を過ごしている。Uさんは最近リュックサックではなくポシェットを斜めがけにして廊下を徘徊しており、エレベーターのドアが開いた隙に乗り込もうとしたのを見て、驚いた妻がケアワーカーを呼んだりすることもあるらしい。まるでどこか遠いところへ行ってしまうおうとしているかのように。

そんな話しを聞いてちょっと心配していたが、年末には苑内の飲料自販機に補填作業中の業者に
「コーヒーちょうだい」
と声をかけ、
「コーヒーもいろいろあるけどどれがいいですか」
と聞かれ、
「コーヒー味ならどれでもいいわ、お金はあなたに渡せばいいの?」
などと対話が成立し、日当たりのよい窓際に腰掛け缶コーヒーを飲みながら鼻歌が出ているUさんを見て安心した。

年が明けたら、苑内に設置された作り物の神社賽銭箱前で、ポシェットから財布を取り出して本物のお金を入れているUさんの姿を見て妻が驚いたという。張りぼての賽銭箱にお金を入れるほどのボケ具合にびっくりしたらしいが、首をかしげてお金を入れているUさんを想像すると春らしいほのぼのとした気分になる。このスプーンおばさんには呆けが深まりつつ来る春だってありそうに思うのだ。

|特養ホームに差し込む太陽の角度が少しずつかわっていく|

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