書くということ

書くためには書くことが必要だと思う。もっと噛み砕いていうと「他人に読ませるために書く」ためには「誰かに読ませるためではなく自分で自分に向かって書く」という蓄積と余剰が必要で、それがないと書かれることが貧しくなると強く思う。蓄積と余剰さえあれば書くべきことは自然に溢れ出てくるもので、毎朝欠かさずウォーキングしていると咄嗟のダッシュも自然に身体が動いて苦にならないのに似ている。ウォーキングの方は最近サボっているけれど。

アウトプットをするためにはインプットが必要で、「書くためには読まなくてはいけない」と思って本を読んだけれど、アウトプットするためにはさらに多くのアウトプットが必要な気がする。肩肘張らず気張らずにたくさん書いていれば、ちょっとした量を肩肘張り気張って書くことも苦にならなくなる。

|駅前でビッグイシューを売っている男性がくれる手書きのお便り|

話を聞いたら話す立場になることは大切だし、文章を読んだら書いてみることも大切だ……と、至極当たり前のことを書いてみた。で、聞くことと話すこと、読むことと書くことの均衡というのは、自分のように凡庸な人間にとっては等量ではなくて、聞いたこと読んだことの数十倍も話したり書いたりしないと、自己満足にすら辿り着けない。「なぜ書くのか」の答えは「読むから」に他ならない。

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