<576> 薬師寺の花会式
花会式 稚児が主役の 日なりけり
速いもので、三月も今日限りである。大和は午前中雷を伴う激しい雨が降ったが、午後には止んで、薬師寺(奈良市)の花会式に出かけた。弁当と野点の濃い茶をいただき、練行衆の入堂と稚児行列を拝見した後、山田法胤大導師の法話を聞いた。
花会式は修二会の薬師悔過法要のことで、練行衆の籠りの行法が連日行なわれ、四月五日の結願法要の鬼追い式をもって終わりとなる。悔過とは過去の過ちを悔い改めることで、誰もが知らず知らずに犯している罪過をこの薬師の法要において悔い改め、すべての人の幸せに繋げるという仏法の恒例の行事である。
金堂の本尊薬師如来や脇侍の日光、月光の両菩薩には梅、桃、桜、山吹、椿、牡丹、藤、杜若、百合、菊の十種の造花が献花され、堂内は一段と華やいで見えた。参拝者の合掌に迎えられて練行衆が入堂した後、拍手で稚児たちが迎えられると会場は明るい雰囲気に包まれた。
その後、大導師の法話を兼ねた挨拶があり、これを聞いて薬師寺を後にした。法話で印象に残ったのは、教育のあり方を一考し、世の中を立て直すようにすることが必要であるというような話があったことである。今の世の中は世代がばらばらで絆に乏しく、これを改めて行かなくてはならないというような言葉だった。
経済の立て直しもさることながら教育に力を注ぐことが肝心であるというような話に同感を覚えた次第である。思うに、いくら経済をよくしても、今のようなばらばらになった世代間の人間関係のままでは、社会は決してよい方向には進まない気がする。世代間の絆を取り戻し、まとまりを得た社会にするには、やはり、教育が欠くべからざるところで、子供に対するに止まらず、大人にも必要なことが言えると思う。ときに、このような法話を聞くのも意義あることだと思いながら拝聴した次第である。