大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年11月30日 | 創作

<3243>  写俳百句  (20)    旅立ちの時

               旅立ちの秋惜別と夢との身

                   

 アザミに似たキク科のタムラソウが牡丹刷毛のような紅紫色の花を咲かせ、キアゲハやクロアゲハが訪れ、にぎやかだった晩夏のころの高原は秋の末になると、花は実の時期になる。タムラソウには花を終え、キク科特有の頭花にタンポポの綿毛のような種子をつけた冠毛がいっぱいつく。冠毛は落下傘の役目を果たし、風に吹かれて種子を遠くへ運ぶ。

 写真はその冠毛が整った晩秋のタムラソウのスタンバイの姿で、風の吹くのを待つばかりというところ。言わば、未来を抱いた種子には旅立ちの時である。風の向きによって飛び行く方角が異なる冠毛の種子には着地点の良し悪しが未来を左右する。果たしてどこに落ち着くのか。吹く風が頼みである。そして、旅立ちには別れがつきもので、未来への夢と惜別の念との姿が思われて来る。 写真は風待ちのタムラソウ。旅立ちのスタンバイにある冠毛の種子。


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2020年11月29日 | 植物

<3242> 大和の花 (1137) ボタンクサギ (牡丹臭木)                               クマツヅラ科 クサギ属

                       

 中国南部地方原産の落葉(亜熱帯では常緑)低木で、観賞用に植えられるが、野生化しているものも見られる。高さは1、2メートルほどで、葉は長さが10センチから20センチの広卵形。先が尖り、縁には鋸歯が見られる。枝や葉を切ると独特の強い臭い がするので、この名がある。

 花期は6月から8月ごろで、枝先に直径10センチほどの半球形の集散花序を展開し、花冠が5裂する淡紅紫色の小さな花を多数つける。ゲンペイクサギ、ヒマラヤクサギの別名を有し、漢名は臭牡丹。大和(奈良県)においても山間の草叢などに半野生のものを見かける。 写真はボタンクサギの花と花のアップ(奈良市の大和高原)。    冬鴉灯す詩魂に触り鳴く

 


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2020年11月28日 | 創作

<3241>  写俳百句  (19)     オギの穂

              逆光に輝く果穂荻にして

        

 『菟玖波集』巻十四に「草の名も所によりてかはるなり難波の葦は伊勢の浜荻」という歌が見える。詠み人は集の撰に当たった二条良基に協力した連歌師救済(きゅうぜい)で、難波のアシは伊勢地方においては「浜荻」と呼ばれているという。これはところによってその名を異にする例として見える歌で、アシとオギを混同していたとする認識は少し不十分であったかも知れないと、そのようにも思われる。という次第で、以下にこのことについて少し触れてみたいと思う。

 「伊勢の浜荻」については、『万葉集』巻四(500)に「神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に」と見える。この歌は留守宅の碁檀越の妻が伊勢に赴いた旅先の夫を気遣って詠んだ歌で、檀越が持統天皇の行幸に同行した際に詠んだとする説もある歌である。

 ということで、救済が詠んだ「伊勢の浜荻」はすでに『万葉集』に登場を見、当時から伊勢地方ではアシのことを「浜荻」と呼んでいたということになる。これはアシとオギがよく似て、オギよりも見栄えのよくないアシを悪(あ)しとみなし、神の国である伊勢地方においてアシの呼称はよくないとして、「浜荻」と呼んだのではないかということが想像される。これは『古事記』の国産みの神話に関わりがあるようにも思えるところがある。

 つまり、この難波と伊勢のアシにおける呼称の違いは認識の曖昧さから来ているものではなく、むしろ、万葉当時、すでにアシとオギの識別がなされていたと見るのがよいと言えそうである。だが、ややこしいのは、平安時代初期に出された『新撰字鏡』(昌住・901)や『倭名類聚鈔』(源順・938)にアシとオギを同一視する記載があることである。所謂、これらの記載によれば、当時アシとオギの混同があったと見なせる。

 『万葉集』にはオギを詠んだ歌がほかに二首見え、その一首は「葦辺なる荻の葉さやぎ秋風の吹き来るなへに雁鳴き渡る」と詠まれ、この歌ではアシとオギの区別がはっきりとなされている。今一首は「妹なろがつかふ河津のささら荻あしと一言語り寄らしも」と詠まれている。この歌もアシとオギが混生して見える状況にあって詠まれた歌で、二首目のアシは「葦」が「悪し」を意味し、歌は「あの子がいつも使う川辺の渡し場に茂る気持ちのよいささら荻、そんな素晴らしい荻なのに世間の人たちはそれを葦(悪し)、つまり、悪い草だと言い合っているよ」というほどの意に解せる。ここで言うアシもオギも女性の比喩と見て取れる。

 『万葉集』のこれらの歌を総合してみると、アシとオギは同じ水辺に群生するよく似た混同されて然るべきところがあるものだけれども、当時の人にはアシとオギをきっちりと見分けていたことがうかがえる。ということであるから、伊勢地方では悪しのアシを嫌って「浜荻」と呼んだということが思えて来る。これはアシをヨシと呼ぶのと同じ意味を持つものと言ってよかろう。

 それにしても、アシとオギとススキはよく似ている。写真を撮る身の私などは、オギとススキを誤認した写真に出会ったこともあり、どちらかと言えば、オギとススキの混同が気になるところではある。なお、アシは漢字で葭(か)、蘆(ろ)、葦(い)と書き、中国では使い分けている。これはアシの成長に合わせて用いていることによる。これらを日本ではひっくるめてアシと読ませているわけであるが、アシの語源を思うに、アシは悪しから来ているのではないかということが「伊勢の浜荻」からは想像されて来る。

 アシとオギを実景において比較してみると、オギの穂の方がアシの穂よりも日に映えて輝き、美しく見える。このため二つはよく似るものながら、オギよりアシはその見栄えにおいて悪しきイメージにあり、この「悪し」からアシと呼ばれるに至ったと言える気もして来る。アシの語源にはハシ(初めの意)など諸説あるが。「悪し」とする説も加えられそうに思える。それにしても、アシとオギとススキはよく似る。 写真は逆光に輝くオギの果穂。アシより白く輝き、見栄えがよい。

 


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2020年11月27日 | 創作

<3240>  写俳百句 (18)    鵙の晴

                鵙の晴一身に負ふ天下布武

                                                    

 剣豪宮本武蔵に「枯木鳴鵙図」(こぼくめいけきず・国宝)と題されたモズが枯木に留まる絵柄の水墨画がある。剣豪にして水墨画や書もよくしたこと、知られるところで、画業では二天と号した。剣の道とは人間修養の道であり、書にしても画(え)にしてもそこに通じ、人間修養をテーマとした小説『宮本武蔵』を書きあげた吉川英治は「枯木鳴鵙図」について、これを禅機と捉えている。

 まっすぐ縦に長く伸びる枯木の枝先に留まった一羽のモズ、誠に簡明な絵柄の水墨画で、枯淡。言われて見れば、禅機の精神性が何とはなし受け取れる。モズは単独で棲息し行動する鳥で、群をつくらない。この単独というのが、武蔵の剣豪としての精神性に通じるところ。この画業のみならず、ほかの墨痕、筆跡を見ても、その知られる水墨画には「叭々鳥図」にしても、「鷺の図」にしても、「鵜図」にしても一羽が単独で描かれている。これはやはり、個の人間性を磨く修養の剣の道にある精神性の現われと思える。

 この精神性に禅機を窺うところが察せられる。言わば、武蔵にとって「枯木鳴鵙図」のモズは自然の風景の一端において偶然に出会て写生したというものではなく、そのモズの風景を自らが求め、自らの精神性に与して描き上げたと見るのが正しいと言え、吉川英治も随筆の中でこれに触れている。所謂、モズという鳥は鋭い嘴と敏捷な動き、そして、あの自らを天下に知らしめるような鋭い鳴き声をもって存在する特異な野鳥の一つとは言える。なお「鵙の晴」は晴れ渡った空を誘発するモズの声を秘めた秋の季語である。 写真はモズ。


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2020年11月26日 | 写詩・写歌・写俳

<3239>  余聞 余話 「新型コロナウイルスの感染症とGo To事業のこと」

        楽観と悲観こもごもあるとして安心好むものなきはなし

 まだ経験していない冬場を迎え、懸念していた通り、新型コロナウイルスには感染の広がりが見られるようになり、拡大第3波にあると言われるようになった。こうなることは予想されていたが、この広がりにもかかわらず、その対処に国は何も有効な手立てを打ち出せず、ひたすら経済活動の活性化のお題目によるGo To事業に固執し、見直すことも、中止する意向も示すことなく、現場を与る知事にその対処の任を丸投げして委ねるという粗末ぶりが見え隠れし、そこのところが指摘され始めて来た

 感染拡大が進み、医療現場から逼迫が訴えられ、その事情がいよいよその度を増し、感染症の専門家からも今が対処の大切なときである旨の発言が四方から発せらるようになった。にも関わらず、国はその意見に耳を貸すことなく、頑固にGo To事業の継続の意向を示している。その理由について、首相は国交省が行っているGo Toトラベル事業の経緯として、四千万人の利用者があって、この事業に関連した新型コロナウイルスによる感染者はわずか百八十人であるという数字をあげて、Go To事業の維持する旨の答弁を繰り返している。

 この首相があげる数字は、感染拡大とGo Toトラベル事業の関連分析によるとは言い難い単なる数字に過ぎず、事業継続における安心の根拠にはならないということが出来る。その理由は新型コロナウイルスの特性を考えればわかることである。ウイルスに感染し、陽性になっても症状が現れない無症状者がそこここに存在するという状況にある。この新型コロナウイルスの特性とそういう陽性者がウイルスをばらまくことが指摘されているからである。

                                 

   この問題は、殊に若い人にその傾向が見られるという市中にあって、そういう類の人たちが無意識のうちにGoToトラベルを利用しているケースが考えられることである。にも関わらず、検査も不十分な状況において多くを移動接触させるGoTo事業は展開されているのである。こうした隠れた事情の懸念に触れることなく、単なる数字をもって言い訳の理由にするのは実に非科学的で、説得力に欠けると言わざるを得ない。

   無症状者が若い年齢層に多いというのが実に厄介で安心出来ないところなのである。つまり、こういう類の旅行者が感染を広げても数字には現れて来ないから首相の述べる数字に安心は出来ないと言えるわけである。そして、こうした感染者を元にして感染は拡大を大きくし、自粛している高齢者などにも及ぶということになる。第三波の傾向にそれが見え隠れしている。

 このような状況を勘案するならば、全国的に増えている陽性者の状況は人の動きによっていると考えるのが普通であり、正しい見解で、この見方からすれば、GoToトラベル事業によって多数が動いたこの度の三連休の新型コロナウイルスの感染者は大きく増えるということが予想される。そして、その拡大をベースにしてなお一層の感染者を増やし、医療の現場を襲うことに繋がる。ということが予想され、GoToどころではないというシミュレーションが成り立つ。

 こうした状況になれば、GoTo事業はマイナスにこそなれ、プラスには働かなくなり、何をしていることかわからなくなる。そして、今一つの懸念は、旅行に出かける人を概観してわかることであるが、経済的に余裕のある中年以下の人が圧倒的で、そういう人たちがこのGoTo事業に煽られて行動している傾向にあることである。こうした類の人たちは感染しても軽症で済むという一種の安心感を自身の中に持ち合わせ、その安心感も手伝って気楽に利用している向きが考えられることである。

 そういう意味においてこの体のいいGoTo事業を見ると、随分と不公平な事業に見えて来るのである。休みも取れず自粛を余儀なくされている医療従事者や介護施設者、或いは高齢者や旅行に費やす費用に余裕のない人たちを思うとき、この不公平が思われて来るということになる。私はオリンピックと同じく、この事業がワクチンの開発に期待をかけていると見るのであるが、ワクチンの見通しははっきり言って立っていない。このことも念頭に置いておかなくてはならないとつくづく思う次第である。

   このGo To事業はいつまで続けるのであろうか。この感染症が収束するまで続けるのであろうか。予算があるから予算を使い切るまでやるとして、それでも収束しないときはどのような手立てを考えているのか。というようなこともこのGo To事業には思いが巡るのである。私が今一番この新型コロナウイルスに対して心配なのは冬の寒さに至ってウイルスが勢力を増すのではないかということである。 写真はイメージで、五里霧中の状況にある新型コロナウイルス禍の世の中を思わせるごとくに広がる深い霧。