大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年03月18日 | 吾輩は猫

<198> 吾輩は猫 (15)   ~<197>よりの続き~
         世の中は 百に百様 論もまた 百様猫は 猫にしてあり
 また、この生の難題を人間社会の関係性に見れば、それは極めて複雑で、猫もその複雑な人間の日常に関わって生きているので関心がある。例えば、上下の関係で言えば、電話一つでもその言葉の端々に感じられるものがある。で、 思いめぐらせば、上下、左右のみならず、ほかにもいろいろとその関係性はある。 この間テレビで見た。 仏の世界に四天王というのがいて、須弥壇の四方に位置し、 東西南北に睨みを利かせ、本尊、つまり、仏法を護るという役目を担っている。 この四天王が足下に邪鬼を踏みつけている。これはどういうことなのかと言えば、邪鬼を踏みつけることよって四天王は強さを誇示しているわけである。 そこで、 邪鬼には四天王がそうして居丈高に立っている間ずっと踏み続けられなくてはならないわけで、 邪鬼には堪らない事態と言えるが、見方を変えてこの光景をうかがえば、この光景は多少違った形で見ることが出来る。
 四天王と邪鬼とは強者と弱者にあることは、 邪鬼が四天王に踏みつけられていることで明らかである。しかし、鬼の研究家も言っているように、四天王は踏みつけた邪鬼によって立つことが出来ているわけで、ここでこの邪鬼の不本意な状態が意味を示すことになるのである。つまり、 邪鬼がいなければ、四天王は立っていられず、 これは人間の一般社会にも通じる話で、 思い巡らせばわかる。 例えば、 先生という職業は児童や生徒がいなければ成り立たず、 医者という生業は病人乃至は怪我人がいなければ用なしであるし、警察官にも言える。 盗人や詐欺師など法律を犯す者がいなければ必要ないということになる。 であるから、児童や生徒が増えれば先生も増えることになり、病人が増えれば医者も増え、犯罪が増えれば警察官も増えることになる。
 これは、この世(生の世界)のテーゼとアンチテーゼの弁証法的ありようを示すもので、 社会というものがそうした状況にあって成り立っているということを物語るものである。つまり、下がいるから上が上であり得るし、弱い者がいるから強い者が強い者でいられるという理屈が成り立つ。この弁証法的な世界の仕組みを利用するやり方は常ながらそれぞれの分野に見られる。例えば、先生が自分に従わない生徒に制裁を加えるようなことがある。 ほかの例で言えば、 最近、事件化して逮捕された検事の話がある。この検事は担当事範の事実を 証拠物件のデータ改竄によって曲げ、自分の都合に合わせて事件を仕立て、無実の者を裁きの場に立たせた。つまり、検事は邪な手段をもって四天王と邪鬼の関係性を示したということであり、 所謂、 弁証法的テーゼとアンチテーゼの人間社会において検事という立場の優位によって四天王たる検察の権威を誇示し、自分の優秀性を披歴したのである。
 この件は、単なる一不良検事の問題であるとするよりは、弁証法的な人間社会の秩序構成のうちで行なわれた象徴的な事件であると、 純粋客観的に人間社会が見て取れる猫の吾輩には思える。 証拠データの改竄は被告の理詰めの告訴によって白日の下になったが、弱い立場の被告が検事の仕組んだ手段に屈することも大いにあることを思うと、 正義をもって悪を懲らしめるべき検事がその仕事の体面のみに意を注ぎ、 邪な手段をもって無実な者を 悪に仕立てたこの事件は重大で、 許し難いところがある。

 だが、これが四天王と邪気の関係性において行われたということが思われる次第で、四天王の威を衣に纏った理不尽なこの検事のごときがいるのも この生の世界であり、邪鬼にされた無実の裁かれ人が生じることもまたこの世のことであることをこの事件は知らしめたのである。 もちろん、 仏教における四天王と邪鬼の関係は教えとしてあるわけで、 寺院にあっては仏教の教訓として読み取ることが正しいのは言うまでもない。 しかし、 多少なりとも弱者である邪鬼に思いを巡らせるならば、 この光景が逮捕された検事の話にも通じることが自ずとわかるはずである。
 太宰先生は「後輩が先輩に対する礼、生徒が先生に対する礼、子が親に対する礼、それらはいやになるほど私たちは教えられてきたし、また、多少、それを遵奉してきたつもりであるが、 しかし先輩が後輩に対する礼、先生が生徒に対する礼、親が子に対する礼、それらを私たちは、 一言も教えられたことはなかった」(『如是我聞』)と述べている。 この言葉は民主主義の発揚を言うもので、少数派も然り、弱い立場にあるものも然りであって、邪鬼にも弁明をさせよという意味で言えば、弁証法でいうところのジンテーゼを導くことに繋がることがわかる。

 こういう仕儀において自治会回覧の件を言うならば、多少猫の立場や猫の生きものとしての尊厳などにも触れてもらわなければならないと主張出来るのである。 しかし、 前述したように、 生は自分本位で、 人間は人間の立場から思いを巡らすわけで、 人間同士のことで既に頭がいっぱいの人間には、 猫の悩みにまで踏み込んでものごとを進めるなどということはまず出来ないと思っていた方がよいと吾輩などは悲観に傾く次第である。 (以下は次回に続く)
                         


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2012年02月18日 | 吾輩は猫

<169> 吾輩は猫 (2)  ~<168>よりの続き~
       良心と思ふなるべし悩みとは 誰かが撞いてゐる鐘の音
 吾輩は二匹の兄弟とともに親から引き離されて神社の境内に捨て置かれた。神社に捨て置けば誰か奇特な御仁が拾ってくれるだろうと飼い主は思ったに違いない。飼い主には命のままならないものを捨てる引け目を負った弱り目の心理の上に横着で姑息な思惑が働いたのであろう。 まだ目もはっきりと開かないうちに吾輩はこの身になった。 しかし、生まれてまだ間もない乳飲み子ではあったが、春という暖かな季節が命を救ってくれた。 この点においては、「どこで生まれたか頓と見当がつかぬ」という先生の猫と大差はない。
 このように吾輩の身は生れ立てから厳しく、深刻であったが、「棄つる神あれば、引きあぐる神あり」で、命を落とさず、 今ここにこのように半野良猫の暮らしをして生きていられるのは、 小学六年生の男の子が下校のとき、捨て置かれた子猫の哀れを思い、吾輩を自分の家に連れ帰ったことによる。男の子がなぜ兄弟の中から吾輩のみを選んで連れ帰ったかについてはよくわからないけれども、これが縁というものであろう。これは運命的といってよく、そこから吾輩には新たな道が開けたのであった。
 男の子は吾輩のみを連れ帰ったことに随分悩んだらしく、 後にわかったことであるが、 残された兄弟への気持ちが尾を引き、 次の日にまた神社の境内へ様子を見に寄ったことを母親に話した。そのとき境内には既に兄弟の姿はなく、男の子にはどうしたろうという思いが心の中に残った。 そこで後日、 母親が捨て猫の話を神社の人にしたところ、 神社の人の言うには、飼いたいという御仁が現れ、二匹とも引き取られていったという。男の子にはそれを聞いてほっとしたのであった。
 この話は吾輩に関わって生じたことなので、後にこの話を聞いて、男の子の気持ちが思われ、 何か済まないような心持ちになったが、 悩みというものがこのような事情によっても生まれるものであることを教えられた。 で、 いろいろと思い巡らせてみたが、 悩みというものは良心に宿るものではないかという考えに行きついた。それもプラスされるやさしさに宿る。
つまり、 悩みというのは、ひとつに良心の顕現であり、良心の証にほかならないということが思われた。 その上に、 悩みが高じれば、鬱の症状が現われたりする。 こういうことを総合的に考えてみると、鬱の人間に悪人はいないという結論に至る。そう言えば、吾輩が知る限り、鬱人の中に悪人はいない気がする。
 悩みにまでなったこの男の子の切ないような思いは、パスカル先生の「(人間は)生まれつき不正である。なぜなら、 すべてが自分に向かっているから。 このことは全体の秩序に反する」という理屈がすべての生きものにあって出来上がっているこの世の中において、何か救われるような思いを抱かせる。 ゲーテ先生は「もはや愛しもせねば迷いもせぬ者は埋葬してもらうがよい」と言っているが、迷いは悩みと解してもよいように思われる。 この言葉はまさしく良心の持ち主であるやさしい男の子への励ましの言葉に聞こえる。 (以下は次に続く)