大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年03月11日 | 祭り

<191> おんだ祭り (御田植祭) (11)
     楽観とは決してものを思わず考えないことではない
     悲観とはなお諦めずにいることを物語るものである
     私たちは楽観と悲観を共にしながら人生の道を歩く

  今日は東日本大震災から一年である。地震の後、 巨大な津波に襲われ飲み込まれて行く家や車や諸々のものが現実ではない感じで見えたテレビの生映像に自然の脅威と人間の小ささを思い知らされたが、それが一年経った今も脳裡に焼きついている。それほどあの津波の衝撃は凄いものだったが、それ以上に大きい影響をもたらしたのが震災に派生して起きた福島第一原発の事故である。被災地の復興は遅々として進まないようであるが、原発事故の放射能汚染は目に見えず、その影響範囲がよく把握出来ないでいるが、大地震以上に深刻さを孕み、その汚染地域は立入が禁止され、未だ放置されたままである。
  この事故は信奉して来た科学が信頼を失くするほどのもので、 私たちに衝撃を与えた。この状況は第二次世界大戦の敗戦と国民の信頼を裏切るという点で似るところがある。それは精神的な衝撃であって、重要な意味を持っていると思う。負けることなどあり得ないと信じていた戦争が、原爆二個の投下された末に敗れたのである。そのときの国民の精神的打撃と今回の福島第一原発の事故による放射能汚染による打撃は実によく似て深刻である。
  ソ連の体制が崩壊したのはチェルノブイリの 原発事故が一つの引き金になったと言われるが、 ソ連はあの原発事故を自国の国力だけでは解決し得なかったのである。 この精神的打撃は実に大きかったと言える。このことが即日本の今回にあてはまるとは思わないが、精神的影響の大きさは確かで、国の事態を揺るがしかねないものを孕んでいることがわかる。
  この精神的影響の深刻さは、明治維新のときをも彷彿させる、それは黒船の登場と地方の台頭であるが、この点、 現在とよく似ている気がする。沖縄をはじめとし、 国に対する地方の不満が各地に起こり、大阪などでは政治的な動きになり、 その勢いが増す中で、 この大震災と福島第一原発の事故は起きた。 借金塗れの財政状況にある国の弱体化はこれらの問題を抱えながら解決の方途を見出せず四苦八苦している。 にもかかわらず、 自身の改革には手をつけず、棚に上げて国民に負担を強いるという状況がいよいよ地方の不満を募らせ、維新当時のような動きを誘発させ始めているのである。
  これは東京一極集中にも 現われているところで、 今回の大震災と原発事故が一つの契機であって、 この機会をもって体制の変革をしなければならないのに、 それが全く出来ず、 現状維持に思いを巡らせる国のエゴがいよいよ地方との摩擦を膨らませ、地方ののろしに勢いを加えさせている。 大阪の動きなどはまさにこれを思わせるが、今や、この勢いを止めることは出来ない。ましてや、東京に直下型の地震が近々起きる確率が高いなどと言われる。 これを、 国の政治はどのように考えているのであろうか。私などは一極集中になお汲々として手立ての施せない巨大化し過ぎた国という組織が、その図体の緩慢さによって最悪へ導くのではないかと気がかりになる。なりゆきに任せるより仕方がない、これで本当によいのだろうか。
                                                        
  このような考え方は悲観論と言えようが、これを鬱陶しいと言うならば、楽観論の展開でこの国はよいのだろうかということを悲観論の私としては問わなくてはならない。言ってみれば、私の憂国は悲観論によるが、悲観論は諦めていないことの証である。今日は大和郡山市田中町の甲斐神社を訪ね、 おんだ祭りの見学をしたのであるが、この小さな祭りの参集者それぞれに悲願と祈願があり、日々の暮らしがあるということが垣間見られ、 この小さな集まりの個々それぞれの悲願と祈願が、また、 遠くのどこかの個々それぞれの悲願と祈願に連なり、国の全体に及んでいることが思われところである。で、なお、国と地方に齟齬の生じている昨今の状況が国の姿として正常ではないことも思われ、どこにその要因があるのかということもまた思われるのである。
  この祭りでは牛の登場はなく、おんだ祭り(御田植祭)で牛の見られないのは私にとって初めてである。写真は左からお祓いをする神官、小学生の巫女によるお田植え祭りの舞い、鎌を使う、畦を切る、鍬を使う、豆を播く、籾を播くそれぞれの所作をする氏子代表、田植えの所作をする小学生の巫女、松苗を参詣者に配る氏子代表。