大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年07月31日 | 植物

<2763> 余聞、余話 「それぞれに」

        そこここに生の展開大もあり小もまたありそれぞれにあり

 トンボとハチとチョウは身近で親しみのある昆虫の代表である。山野を歩くと至るところで見かける。トンボは水田や水辺に多く、花の蜜を求めるハチとチョウは草木の花に集まるので、花の咲いているところに赴けば出会える。どちらにしても、三者それぞれで、出会えばカメラを向けたくなる。では、写真と一句をもってそれぞれの営みに献じよう。

      

 まず、トンボ。写真はノアザミの枯れた花にとまるハラビロトンボ(腹広蜻蛉)。

   斯くはある蜻蛉の目玉へ花咲けり

 次は、チョウ。写真はウツボグサの盛りの花につかまるキチョウ(黄蝶)。

   蝶ふわふわ触れ合ふものと生きてゐる

 次は、ハチ。写真はヒマワリの花に挑むミツバチ(蜜蜂)。

   蜜蜂に向日葵の花の宇宙基地

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年07月29日 | 植物

<2761> 大和の花 (857) マツカゼソウ (松風草)                                ミカン科 マツカゼソウ属

          

 山地の林内や林縁などに生えるミカン科では唯一の草本として知られる多年草で、茎は細く直立して上部で分枝し、高さが50センチから80センチほどになり、群落をつくることが多い。葉は3回3出羽状複葉で、互生する。小葉は小さい倒卵形乃至楕円形で、先は丸く、基部はくさび形。鋸歯はなく、不揃いで、頂小葉はやや大きい。質は薄く、裏面は白色を帯び、油点があって微かに臭う。

 花期は8月から10月ごろで、枝先に円錐状の集散花序を出し、白い小さな4弁花をつける。雄しべは不揃いで、6個から8個あり、花弁より長く突き出る。分離果の実は長さが3ミリほどの卵形で、4個に分果し、淡紫褐色に熟して裂開する。マツカゼソウ(松風草)の名はその容姿の風情によると言われるが、はっきりしない。

  本州の宮城県以南、四国、九州に分布し、1属1種の広義によれば、アジア東部から東南部、南部と広く見られるという。日本に分布するものを変種とする説もある。 写真はマツカゼソウ。左から群生、花期の姿、花序のアップ、色づく分離果(天川村)。                 命なり シャワーのごとくに蝉の声

<2762> 大和の花 (858) ヒメハギ (姫萩)                                             ヒメハギ科 ヒメハギ属

                                    

 山地の日当たりのよい草地、乾燥気味の疎林内や林縁に生える多年草で、茎が基部で分枝、地を這って斜上し、草丈が10センチから30センチほどになる。葉は長さが1センチから3センチの卵形乃至は長楕円形で、先はまるく、縁に鋸歯はなく、ごく短い柄を有し、互生する。

 花期は4月から7月ごろで、茎の中ほどに蝶形花をつける。このため、マメ科植物に間違えられやすいが、マメ科ではない。花は5個の花弁が癒着して筒状になり、花冠は淡紅色から淡紅紫色で、筒の先は、3裂し、上側の側花弁2個はまるく、下側の裂片(竜骨弁)には先が細かく裂けて、白色、淡紅色の総(ふさ)状になる付属体がつく。

 萼片は5個あり、内側の2個が大きく、左右に開き花弁のように見える。この2個はwings(翼)と呼ばれ、花は左右相称の形になる。実は翼のある扁平な団扇形。夏以降は閉鎖花により実をつける。北海道、本州、四国、九州に分布し、朝鮮半島、中国、ロシア、インド、ベトナム、マレーシア、スリランカ、二―ギニア、オーストラリアなどに広く見られる。  写真はヒメハギ。マツの疎林下で花を咲かせる株(左・十津川村の玉置山)、左右に開く花弁状の萼片が印象的な花(右・若草山)。この世とは生とはうむうむ西瓜食ふ 


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2019年07月28日 | 写詩・写歌・写俳

<2760> 余聞、余話 「梅雨明けの記」

      梅雨明けや句も開かるるほどの空

 近畿地方ではこの二十四日に梅雨明けが発表された。遅い梅雨明けで、気を揉ませたが、何が要因だったか。ヨーロッパでは逆の現象、熱波の猛威とか。とにかく、青垣の山並みに囲まれた奈良盆地の大和地方では一面に被われていた低い雲が取り払われ、青空と暑い日差しの盛夏が到来した。青垣の山並みの上には高々と夏雲が湧き上がり、その白く輝く雲の峰々に照らされて奈良盆地はある。言わば、これが大和地方の盛夏の風景。梅雨明けにとともにこの風景の季がやって来たという次第。では、梅雨明けをテーマに以下幾つかの句を。

                     

      梅雨明けや待ってましたと蝉の声

      梅雨明けや大和は祈願神仏の国

      梅雨明けや寝茣蓙の出番とはなりぬ

      梅雨明けや朝戸を開ける音のよさ

      梅雨明けや白く輝き雲の峰

      梅雨明けや向日葵の花咲き揃ふ

      梅雨明けや向かふ三軒両隣

      梅雨明けや相輪雲の峰を背に

      梅雨明けや終はりは始めなりにけり

      梅雨明けや開け放て開け放つべし

 梅雨明けは、即ち、盛夏。盛夏の尋常でない暑さは、健康に自信のある御仁にも影響し、ときに体調を崩したり、病に罹ることもある。昔から「暑気当たり」という言葉があるが、昨今では熱中症が怖く、体力の衰えた高齢者のみならず、子供たちに及ぶケースも見られ、集団で罹ることもある。また、この暑い時期には台風などによる洪水や昔は旱魃による飢饉なども頻繁に起き、そこここにその記録が残されている。ということで、日本人の夏に向かう心構えと無事を祈る心の現れである祈願の姿が各地で見られるといった具合である。

 例えば、京都の祇園祭は荒ぶる神の須佐男之命を祀る八坂神社の祭りで、命の霊を慰める鎮魂の祭りとして知られる。これは災害や飢饉などが須佐男之命の祟りから来るとする思いによるもので、祭りは命の霊を鎮め、無事に夏を乗り切る民衆の祈願の現われにほかならない。大阪浪速の天神祭は、天満天神(天満宮)の夏祭りで、怨霊神菅原道真の霊を慰める鎮魂に発している。この祭りも祇園祭と同じく、民衆の祈願の意思によっているところがうかがえる。

 翻って、奈良の大和を見るに、大和は天照大神をはじめ、諸神の坐す神の国としてあり、この過酷な夏を乗り切るため、多くの神社で、六月の末に夏越の祓の祭りを行なう風習が伝えられ、残っている。これも、所謂、無事に夏を乗り切る民衆の思いの現われである。「素戔嗚に炎天の焰を奉る」(加藤静代)は個人的な思いによる焰(ひ)かも知れないが、民衆の祈願に通じる。この民衆の心持ちに発する祈願の諸行事こそ日本の民俗的夏の光景と言ってよいだろう。この心情の光景に、戦後は盂蘭盆と重なる終戦の日に因む平和への祈りが加えられて今にある。 写真は夏雲を背に立つ塔の相輪(左・法起寺)、湧き上がる夏の雲を背景に咲き揃ったヒマワリの一番花(右・馬見丘陵公園)。

 


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2019年07月24日 | 植物

<2756> 大和の花 (853) ケケンポナシ (毛玄圃梨)                      クロウメモドキ科 ケンポナシ属

        

 山野に生える落葉高木のケンポナシ(玄圃梨)の仲間で、高さが15メートルほど。ケンポナシによく似るが、本種は枝や葉裏、花序、実などに赤褐色の毛が多いのでこの名がある。葉は長さが10センチから20センチの広卵形で、先が尖る。基部は円形もしくは切形で、左右不相称になるものが多い。縁の鋸歯はケンポナシほどはっきりせず、浅く目立たない。また、葉は短い柄を有し、互生する。葉は乾くと赤褐色になり、これも変化しないケンポナシとの違いである。

 花期は6月から7月ごろで、枝先と枝の上部葉腋に集散花序を出し、直径7ミリほどの小さな緑白色の花を多数集めてつける。花序は有毛で、上述のとおり、無毛のケンポナシとはこの点も異なる。花弁5個が両側から雄しべを包み込み、萼片5個とともに反り返る。核果の実は直径1センチ弱の球形で、秋に紫褐色に熟す。果期になると、花序の軸が膨らみ、肉質になり、食べられる。

 本州と四国に分布する日本の固有種で、西日本に多く、大和(奈良県)ではほぼ全域的に見られるが、個体数は広い自生地の割には、個体数はそれほどでもない。ケンポナシの自生は確認されていない。 写真はケケンポナシ。花期の樹冠(左)、花序のアップ(中)、紫褐色の乾いた葉片(右)。   花に蝶共有してある夏の雲白さにあって照らされてゐる

<2757> 大和の花 (854) クマヤナギ (熊ヤナギ)                       クロウメモドキ科 クマヤナギ属

                  

 山地の明るい林縁などに生え、他の木に絡むなどして伸び上がるややつる性の落葉低木で、高さは5メートルほどになる。樹皮は紫褐色で、新枝は暗黄緑色。葉は長さが4センチから6センチの卵形乃至は長楕円形で、先はあまり尖らない。基部は円形に近く、縁には鋸歯がない。質は紙質で、側脈は7、8対。裏面は白色を帯びる。葉柄は1センチ前後で、互生する。

 花期は7月から9月ごろで、枝先とその近くの葉腋から総状花序を出し、黄緑色の小さな花を多数つける。枝先では花序が大きく、複総状花序になる。花茎はしない、花序が横向きから下向きになる。花は直径3ミリほどと小さく、花弁と萼片は5個。花弁は雄しべを抱く。核果の実は長さが7ミリ弱の楕円形で、翌年の夏ごろ熟し、赤色から黒色に変化する。

 北海道、本州、四国、九州、沖縄に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では山歩きでときに見かける。花は地味だが、総状に多数つくので目につく。赤い実は印象的で、日差しを浴びると一段と美しく見える。なお、若葉は山菜、実は黒く熟すと生食出来、つるは縄の代用にされる。 写真はクマヤナギ。花期の姿(左)、花序のアップ(中)、赤い核果(右)。        湧き上がる雲の白さに照らされて大和は盛夏の季を迎へぬ

<2758> 大和の花 (855) ナツメ (棗)                                              クロウメモドキ科 ナツメ属

                    

 中国北部原産の落葉小高木で、高さは10メートルほど。『万葉集』に登場を見る万葉植物で、日本には古い時代に渡来したと思われる。樹皮は黒褐色から淡褐色で、縦に小さく不規則な割れ目が入る。枝には小枝が束生し、葉は長さが2センチから4センチの卵状楕円形のものが多く、卵形のものもある。3脈が目立ち、先は尖らず、縁に不揃いな鈍い鋸歯がある。ごく短い柄を有し、互生する。

 花期は6月から7月ごろで、小枝の葉腋に黄緑色の小さな花をつける。花は直径数ミリ、花弁、萼片ともに5個で、平開する。核果の実は長さが1.5センチから2.5センチの楕円形で、晩秋のころ暗紅色に熟す。実は食用薬用にされ、食用としては乾棗(ほしなつめ)、薬用では大棗(たいそう)の生薬名がつけられ、平安時代の『延喜式』には信濃、丹後、美作、因幡、備前、阿波などから乾棗が献納されたことが記されている。

 薬用としては、日干しにして乾燥したものを蒸し、再び日干しにしてこれをそのまま食べたり、薬用酒にしたりする。滋養、強壮、利尿、鎮痛に効くという。なお、ナツメ(棗)の名は夏に芽を出すからという説と実が抹茶入れの棗に似るからという説がある。棗は漢名。 写真はナツメ。花を咲かせる枝(左)、熟した実が垂れ下がる果期の姿(中)、縦の小さな割れ目が目立つ幹(右)。           命とは遠近(をちこち)に鳴く蝉の声

<2759> 大和の花 (856) イソノキ (磯の木)                       クロウメモドキ科 クロウメモドキ属

          

 少し湿り気のある二次林の林内や林縁に生える落葉低木で、高さは数メートルになる。樹皮は灰褐色で、縦に浅く裂け、淡褐色の皮目がある。葉は長さが6センチから12センチの長楕円形で、先は短く尖り、基部は円形に近く、縁には浅い鋸歯がある。葉の側脈は6対から10対ほどで、裏面に隆起する。葉柄は5ミリから1センチほどで、互生する。

 花期は6月から7月ごろで、枝の上部葉腋に集散花序を出し、黄緑色の小さな花をつける。花は直径数ミリで、花弁も萼片も5個からなり、多数が集まり咲く。核果の実は直径6ミリほどの倒卵状球形で、赤色から黒紫色になり、熟す。この木が水辺に生えることが多いのでこの名があると言われるが、はっきりしない。

  本州、四国、九州に分布し、朝鮮半島、中国に見られるという。大和(奈良県)では南部より北部に多いという報告があり、「笠置山地では比較的普通に見るが、ほかでは少ない」とされ、「紀伊山地の多くの地域で見ていない」と言われる。 写真はイソノキ。花期の姿(左・大和郡山市の大和民俗公園)、花序のアップ(中・同)、果期の姿(右・十津川村桑畑)。   命とは灯し灯され燃ゆるべくあり且つ死までの道程を負ふ

 


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2019年07月23日 | 写詩・写歌・写俳

<2755> 余聞、余話 「クマゼミの異変」

      ときにより季(とき)にふさはぬ風景のこれや見ゆるに異変とは呼ぶ

 今年は梅雨が長く、七月になってもまともな晴れの日が極めて少なく、例年に比べて気温も低い気がする。猛暑も敵わないが、梅雨が終わらないのも異常に思える。祇園祭(前祭)の山鉾巡行が行われる十七日前後が例年梅雨明けであるが、今年はまだ梅雨が明けたという報がない。大阪浪速の天神祭りももうすぐ。子供たちは夏休みに入った。梅雨明け前に夏休みは珍しいのではないか。十五日の海の日は寒いほどの天候で人出がなかったと聞く。また、日照不足で野菜などの不作が懸念されているが、何が原因しているのか。昨年のような猛暑続きも辟易だが、ぐずつく天候の夏も気になる。

                

 そう言えば、この時期になると、朝方、クマゼミの激しい鳴き声の聞かれるのが通例であるが、我が家の近辺ではまだそのシャワーのような激しい合唱の鳴き声を聞かない。二、三日前から、それとなく聞かれ、徐々に激しさを増してはいるが、まだ、盛りの勢いが感じられない。庭の木にはそこここにクマゼミのものらしい大きな抜け殻がぶら下がっているので、盛夏の季は確実に巡り来たっていると思えるが、クマゼミの鳴き声に勢いがないのはやはり気になる。抜け殻が一つだけならば、個的な特異事情と見なせるが、そこここに見られ、鳴き声がないというのは、やはり異常なことで、考えさせられる。

  地球規模で見てみると、こうした梅雨が長引く極東の日本列島に対し、地球の反対側に当たるヨーロッパでは熱波が襲い掛かっているという。遠い国の異変は互いに実感出来ないところ。しかし、地球規模にして考えれば、それは個々に起きていることではなく、繋がっていると思える。確か昨年は日本が熱波に襲われ、ヨーロッパで長雨による洪水が起きた。クマセミの異変は、小さなことかも知れないが、小さいことでも大きい意味の告知としてある場合もある。と考えれば、小さいと思える異変にも感をもって向かうことが肝心である気がする。 写真はセミの抜け殻(大きさからしてクマゼミのものと思える)。