大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年09月30日 | 植物

<2823> 余聞、余話 「ヒガンバナ咲く」

      曼殊沙華畦ごとに咲き紅を引く

 大和路はいまヒガンバナの花盛り。各地で真っ赤な花が見られる。日当たりのよい棚田の畦に多く、群生するので花が咲くと艶やかである。

                                              

    彼岸花空の青さに染まず咲く

    彼岸花一途なまでの紅の花

    道の辺の犬の背丈の彼岸花

 真っ赤なヒガンバナの花は空の青と好対照。その一途な色は空の青と対峙して譲らない意志が感じられ、インパクトがあるが、犬の目にはどのように映っているのだろうか。まだ、日差しが強く、残暑の厳しさが感じられる日中であるが、空は秋である。

  また、ヒガンバナはイネの稔る黄金色と時期を同じくして花を開く自然の移ろいにおける趣にあり、四季の巡りにおける印象的な花の一つに数えられる。 写真はヒガンバナ(明日香村と斑鳩町)。


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年09月29日 | 創作

<2822>  作歌ノート 見聞の記  時流空間

     生きるとは時流空間ここに身を置くことここに思ひを抱き

 ここに題する時流空間とは時と所、即ち、刻々と過ぎてゆく時の流れと生きゆくものたちの居場所をいうものにほかならず、特に今という時が意識されるところ。居場所の空間については個々によって異なるが、地球生命である私たちにとって、大きく言えば、地球自体がこの居場所の空間ということになる。ということで、空間、即ち、居場所は個々のものながら共有されてあるものとも言えるのである。つまり、ここでは、この時流空間を意識において作った歌群であると言ってよい。

 この間、スウエーデンの環境活動家の少女が国連で地球温暖化による地球環境の変化にともなう人類の危機を訴えるスピーチをして話題になったが、このスピーチは強烈で、まだ余韻にあるが、北欧の一少女の言葉に聞き入った出席者は返す言葉もなく、静まり返った。それは出席者の聴衆一人一人に共有されている地球という空間に生きているということと危機に瀕しているという今の時、即ち、時流の認識が参加者の聴衆一人一人にあって、その一人一人の琴線に触れたからと思われる。

 少女が訴えたのは、経済成長優先の考え、彼女の言葉で言えば、大人たちの「おとぎ話」によって危機的状況に至っている私たちの居場所である地球をこれ以上侵害しないで欲しいというものであった。それは地球が個々人のみならず、すべての地球生命に共有されている居場所としての空間であることを認識の前提に言っているわけで、科学優占による経済成長を美徳として洗脳されている現代人を非難するものであった。だが、洗脳された現代人は少女のスピーチに答えを出せなかった。

 これが地球を取り巻く時流空間の状況と言え、会場が緊張によって静まり返ったのは、この現代人における洗脳の事情とその影響による現今の世界の状況をいみじくも示したのであった。地球が共有される居場所でありながら、その居場所の認識があまりにも異なっている。で、同床異夢を少女はスピーチの場で感じたのであろう。「来るべきところではなかった」とも述べたのであった。

 言わば、これは時流空間における私たち個々の異なりによるものと言ってよく、共有されている居場所の認識にあっても、共有の認識に乏しい個々の身がそこにはあるということにほかならない。そして、そこには限りない生の欲望と強者と弱者を生む生の内実が潜み、その内実が常に働いていることが思われたりする。

 つまり、時流空間における私たちが接しているところの風景の世界は、自然を基にしてはいるものの個々の様々な思いによる接し方或いは認識によって異なる時流空間の錯雑たる認識事情をもって私たち個々の生の存在と絡まって成り立っているということにも思いがゆく。少女の言い分は真っ当にして聞かれるものながら、時流空間に生を展開しているものの「おとぎ話」はそう簡単に止められない。懸念は感じながらも、悲しいかな、この「おとぎ話」では地球温暖化の結末を想定することなど出来ないのである。

           

 ここに用いた写真は、九月も半ばを過ぎたころ、近くの公園で撮影したもので、人工の水場でエナガが水浴びをしている図である。普通は樹林の梢を渡っているはずで、水浴びをする時期ではないが、撮影の日は相当蒸し暑く、この暑さにあってエナガは水浴びをしたのであろう。この水浴びも地球温暖化の影響として見るべきと思えた。つまり、国連における少女のスピーチと公園で目撃したエナガの水浴びの姿に直接的関係はないのであるが、地球温暖化というキーワードによって私の時流空間において意識されたという次第である。以下の歌群は、嘗て、この時流空間を意識において作ったもので、冒頭にあげた通りである。

   メタセコイアぐっと伸びゐる感の春 雨のち晴の天の高きに

   未だ見ぬあこがれがある駅頭に梅だより三分咲きを告げゐる

   秋雨が町工場を濡らしゐる鉄挽く音の午後のひと時

   チャペルより新郎新婦出で来たり白無垢なれば天使のごとし

   観覧車絵本のごとく見ゆるなり弥生の空を背景にして

   乱軍の将晴々と死に急ぐテレビドラマを家族と見をり

   それぞれにみなそれぞれにありながら行き交ふ人の夕暮の街

   朝かげに軒の菊花は息災を告げて咲きゐる馥郁とあり

   夕闇に浮き立つ電光ニュ-ス見き缶コーヒーに温まりつつ

   超高層ビルの谷間に雨が降る人が咲かせてゐる傘の花

   あをあをと公園通り雨に濡れ赤き車が雨足の中

   雑草の住宅街の一角の空地は誰に買はれてゆくか

   管理地といふ立札の立つ空地キチキチバッタきちきちと飛ぶ

   クリスタルガラスに映る夜の街その街にして行き交へる人

   狂ふことなき淋しさよコトコトと動く深夜のエスカレ-タ-

   これもまた一種の形見水際にオブジェのごとく傾く破船

   スクランブル斜めに過る交差点そのスペースの不思議な広さ

   固執してゐるごとく見ゆ都市空間埋められてゆく定めにありて

   大勢の時流における逆行の少数派ゆゑに見えて来るもの

   論をなすものに傍観否めざるつまりそこより論はなさるる

   季節感なども加へて書店には人の思ひが目眩めくある

   人体に似る形態の都市機能人の流れは血流に似る

   この耳目この身は何に統べられてゐるのか時流空間の生

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年09月25日 | 植物

<2818>  大和の花 (900) ケヤキ (欅)                                        ニレ科 ケヤキ属

            

 山地に生える高さが20メートルから30メートルほどになる落葉高木で、日本の代表的な樹種の1つとして知られる。幹から扇を開いたように四方へ枝を広げ、こんもりとした樹形を成す。樹皮は灰白色で、滑らかであるが、老木になると鱗片状に剥がれ、小さな皮目が出来る。枝は暗褐色で細く屈曲し、密に出る。葉は長さが3センチから7センチの狹卵形乃至は卵形で、先が長く尖り、基部は浅い心形。縁には鋭い鋸歯が見られる。脈がはっきりし、短い柄を有して互生する。

 雌雄同株で、花期は4月から5月ごろ。花は淡黄緑色で、葉の展開とほぼ同時に開く。雄花は新枝の下部に数個ずつ集まってつき、雌花は新枝の上部葉腋に普通1個ずつつく。雄花には4個から6個の雄しべが目立ち、雌花には雄しべがほとんど見られない。痩果の実は稜のある扁球形で、秋になると、暗褐色に熟す。

 本州、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島、中国、台湾に見られるという。大和(奈良県)では全域に見られ、古来より神木として崇められ、県内各地に巨樹や古木が多く見られのは、神木として大切にされて来たことに由来する。大和(奈良県)で推定樹齢1000年超の個体をあげれば、桜井市小夫の小夫天神社のケヤキ(推定樹齢1500年、樹高30メートル、幹周り11メートル)と吉野郡大淀町土田のケヤキ(推定樹齢1700年、樹高18メートル、幹周り14メートル)がある。

  土田のケヤキは「神功皇后(二七〇年頃)が畝傍山口神社で男子を出産してから間もなく、朝鮮半島に出征するに際して、無事を祈願し植えられたとの言い伝えがある」(『奈良の巨樹たち』・グリーンあすなら編)と言われる。

 和名の由来には諸説あるが、1説に「けやけき」の略で、「けやけき」には尊い或いは秀でたという意味があるという。古名はツキ(槻)で、記紀や『万葉集』にはこの名で登場を見る。所謂、万葉植物で、7首に詠まれ、斎槻(ゆつき)とあるように当時から神木の存在だったことを物語る。これはケヤキが巨樹であり、勢いのある樹木だったからであろう。

 樹冠に四季の変化が際立ち、春の花と葉の展開時の淡黄緑褐色の彩、夏の繁った葉による影、秋の黄葉(紅葉)、冬の裸木の姿、どれを見ても風情があって四季の国日本にピッタリの感がある。漢名は光葉欅で、これは美しい黄葉(紅葉)から来ている名であろう。加えて丈夫な木で、公園などに多く植栽されている。中でも特徴的なのは民家の防風林の樹種として用いられて来たことがある。

 このほど千葉県を襲った台風の暴風による被害は酷かったが、至るところで倒木が見られ、テレビの映像によると、植林された針葉樹のスギが圧倒的で、被害を大きくした感がある。この状況とケヤキの存在を思うとき、防災の観点から無暗な植林をしてはならない教訓が読み取れるとともに、ケヤキの活用なども考えるべきという気がして来た。

  なお、材は黄褐色または紅褐色で、木目が美しく、硬くて狂いが少ないため、建築、家具、細工物、楽器、船舶に用いられ、漆器の素材としても知られる。 写真はケヤキ。左から淡黄緑褐色に染まる花期の樹冠、淡緑色の花と開出したばかりの葉をつけた枝、陽に映える紅色を帯びた黄葉(周囲はスギの植林帯。植林のときケヤキは倒さず残したのだろう)、葉を落としたケヤキ林(川上村)。       虫の音や窓の下なるSerenade

<2819>  大和の花 (901) ムクノキ (椋の木)               ニレ科 ムクノキ属

              

 日当たりのよい二次林の雑木林などに生える落葉高木で、昔は社寺の境内や道端などに植えられた形跡がある。また、公園樹としてもよく見られる。高さは大きいもので20メートル超、幹は直径1メートルにもなる。樹皮は灰褐色で滑らかであるが、老木では鱗片状に剥がれ、空洞が出来、根元が板根状になって広がる特徴がある。葉は長さが4センチから10センチの長楕円形乃至は卵形で、先が尾状に尖り、基部は広いくさび形になる。縁には鋭い鋸歯が見られ、両面とも短い伏毛があってざらつき、脈がはっきりしている。

 雌雄同株、で、花期は4月から5月ごろ。葉の展開と同時に淡緑色の小花を開く。雄花は新枝の下部に集まってつき、雌花は新枝の上部葉腋に1、2個つく。雄花は花被片、雄しべが5個。雌花は筒状で雄しべは見られず、雌しべの柱頭に白毛が密生する。核果の実は球形で、10月ごろ黒色に熟す。熟した実は硬いが、果肉は美味で、食用にされ、野鳥の好物としても知られ、ムクドリ(椋鳥)の名の元になったとも言われる。

 本州の関東地方以西、四国、九州、沖縄に分布し、中国、台湾、東南アジアに見られるという。大和(奈良県)では北中部に多く見られ、標高の高い深山や山岳では見かけない樹種で、古来より植栽され、中には巨樹の古木も見受けられる。大和(奈良県)で最も名高いのは、昭和32年(1957年)国の天然記念物に指定された五條市二見の「二見の大ムク」(推定樹齢1000年、樹高15メートル、幹周り8.5メートル)で、旧家の敷地内にあって昔から「五條の守り本尊」と称せられ、室戸台風や伊勢湾台風にも耐え今に至ると言われる。

 なお、ムクノキ(椋の木)の名は1説に、老木になると樹皮が剥がれるムク(剥く)によるという。また、葉は研磨剤とされ、ものを磨き剥がす意によるとも言われる。別名にムクエノキ(椋榎)の名があるが、これはエノキ(榎)によく似ることによるからで、エノキと混同され、間違えられることもある。材は堅く、建築、バットなどの運動用具、薪炭などに用いられる。前述したごとく、葉は木地などの研磨に用いられる。 写真はムクノキ。左から花をつけた新枝、板状根の根元部分、黒色に熟した実、国の天然記念物に指定されている「二見の大ムク」。 虫の声ちんちろりんと継ぐ命

<2820>  大和の花 (902) エノキ (榎)                                             ニレ科 エノキ属

              

 丘陵や山地、沿海地などに多く生え、人里近くでもよく見られる日当たりのよい適度な湿り気のあるところを好む落葉高木で、高さは20メートル超、幹周りは直径1メートルに及ぶ。よく分枝し、横に広がる壮大な樹形を成す。樹皮は灰黒褐色で、小さな皮目が多い。葉は長さが4センチから9センチほどの広楕円形で、先は鋭く尖り、基部は広いくさび形になる。縁には鋸歯のあるものとないものがあり、成木では上部3分の1ほどに鋸歯が見られる。なお、葉は国蝶オオムラサキの幼虫の食草として知られる。

 雌雄同株で、花期は4月から5月ごろ。葉の展開と同時に緑白色の小さな花をつける。雄花は新枝の下部に集まってつき、上部の葉腋に両性花がつく。雄花は長楕円形の花被片4個、雄しべも4個。両性花は花被片4個、雄しべ4個、雌しべ1個で、花柱は2裂し、柱頭には白毛が密生する。核果の実は直径6ミリほどの球形で、秋に赤褐色に熟し、その後、しなびて黒くなる。果肉は赤く、甘みがあり、野鳥が好んで食べる。

 本州、四国、九州、沖縄に分布し、国外では朝鮮半島、中国に見られるという。大和(奈良県)では中北部で普通に見られ、南部では少ないと言われるが、各地に巨樹、古木が見られ、明日香村尾曽の「威徳院のエノキ」(推定樹齢500年、高さ24メートル、幹周り4.8メートル)と大淀町岩壷の「岩壷のエノキ」(推定樹齢400年、高さ18メートル、幹周り4.9メートル)は県の指定保護樹木として知られる。ほかにも庭園樹や街路樹として植えられ、公園などでもよく見かける。材は淡黄白色で、比較的堅く、建築材や家具材にされる。

 また、エノキは江戸時代の慶長9年(1604年)徳川秀忠が街道整備に一里塚の指標として植えさせたことで知られ、かつては村境の道祖神などにも植えられたと言われる。エノキ(榎)の名の由来については諸説あるが、用具の柄に用いたからとか道祖神に因む「サエノカミ」の「サエノキ」から「サ」が略され「エノキ」になったというのが暮らしに関わる民俗的な名として説得力がある。

  古名はエ(榎)で、この名によって『日本書紀』や『万葉集』に登場、エノキは万葉植物である。ほかにも別名、地方名が多いのは昔から親しまれて来た証と言える。なお、「榎」は木扁に夏で、夏によく葉を繁らせることを意味する国字である。 写真はエノキ。大きく壮観な樹冠(左)、花をつけた春の枝(中)、実をつけた秋の枝(右)。 虫の声壁より聞こえ来る不思議

<2821>  大和の花 (903) アキニレ (秋楡)                                                ニレ科 ニレ属

         

 ニレ(楡)はニレ科ニレ属の植物の総称で、北半球に約20種。日本にはハルニレ、アキニレ、オヒョウの3種が自生し、一般にはハルニレを指す。ここではその中のアキニレを見てみたいと思う。アキニレは山地の荒地や川岸などに生える落葉高木で、高さが15メートルほどになる。樹皮は灰緑色から灰褐色で、不揃いな鱗片状になって剥がれる。本年枝は淡紫褐色で、普通短毛が見られる。葉は長さが2.5センチから5センチほどの長楕円形で、先は鈍く、基部は左右不相称で、縁には鈍い鋸歯が見られ、表面にはやや光沢がある。葉柄はごく短く、短毛が生え、互生する。

 花期は9月ごろで、本年枝の葉腋に両性花が数個ずつ集まってつく。花は鐘形で、白い花被は基部近くまで4裂する。雄しべ4個は花被より伸び出し、葯は赤みを帯びる。雌しべは1個。花柱は2裂する。翼果の実は長さが1センチほどの扁平な広楕円形で、翼の中央に核が見られ、秋から初冬にかけて褐色に熟す。

 本州の中部地方以西、四国、九州、沖縄に分布し、朝鮮半島、中国に見られるという。大和(奈良県)では中部から北部に見られ、南部ではほとんど見られない。庭木、街路樹、公園樹としてよく植えられている。材は硬く、器具材に用いられる。また、若芽は食用にされる。なお、ニレの語源は1説にヌレ(滑れ)からという。これは樹皮の内側の汁が粘滑であるからで、『万葉集』には長歌1首に、この意を含むニレ(尓礼)で登場を見る。ニレは冒頭でも触れたが、一般にはハルニレをいう。だが、万葉当時のニレはハルニレとする説とアキニレとする説がある。という次第で、この状況から見て、アキニレは万葉植物の候補ということになる。学名はUlmus parvifoliaで、英名はelm。ハルニレはまだ出会えていない。 写真はアキニレ。花をつけた枝(左)、翼果(中)、樹皮が剥がれた幹(いずれも大和郡山市の県立大和民俗公園)。  虫の音や聞き入るほどに聞こえ来る

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年09月24日 | 創作

<2817>  作歌ノート 見聞の記    印象の記

               大楠の輝く五月 大空に現れ消えし鷹の印象

 生きるということは、一つに日常茶飯の風景に接する心身が五感をもってその風景に関り、その風景を受け入れ、自らの思いに加えて行くことにあるのだと思う。生きて行く上において環境が大切の第一とする考えはこのことによる。この日々連綿と接して止まない風景が心身に及び、心身に影響を及ぼす状況に至るそのとき用いられるのが、ここに題として掲げた印象という言葉である。

 私たちは日常茶飯においてこの印象の状況を連綿と重ね続け、連続乃至は輻輳する風景の中で、その風景に心身を委ね或いは心身に取り入れながら生きているということになる。ここにあげた歌は、ある一つのテーマによって詠んだものではなく、日常のその都度、所謂、須臾連綿たる風景に対する印象によって成し得たものということになる。『万葉集』で言えば、雑歌に類するといってよい歌群である。以下の歌は以上のような考えに従ってまとめたものということが出来る。  写真はイメージで、朝焼けの空。

                

         飛魚は飛ぶ一瞬時波上より湧き上がる夏雲の嶺まで

   児は母の腕に眠る青桐の広葉の影の夏のひと時     

   日の光「今日はよろし」と墨染めの僧が過りし白梅の庭

   旗竿にはためく旗のその鳴りは展けし海を朱夏へ誘ふ

   立春を過ぎし雪解け道の雪蕗の薹までいま少しの感

   来し方の彼方に霞む鯉幟やさしき眼変はらずあれよ

   峠越え連れなふものはこれやこの月も越ゆるに越えにけるかも

   淀みたる暗き流れに現れし白鶺鴒の須臾の輝き

   軒時雨午後の寂しさ払ふごと小路の女(をみな)の小走りの裾    

   雲の翳樹林を被ひつつ動く雲の速さに導かれつつ

   我が歌の思ひの中にも入り来る朧月夜のおぼろなる月

   萌え出づる若葉のころは闇の夜も心に炎えて萌え出づるなり

   盛んなる緑の門扉開きつつ入りゆく朱傘の緩徐の歩み

   常磐なる松の緑に現れてその一景を統べし雉の目

   遠くより炎天野球の声聞こゆ我が臨終の日もかくあるか  

   烈しくも揚げ雲雀鳴き止まずあり切羽詰まってゐるもののごと  

   ピンを踏み抜きし知覚にひっそりと猫が歩みて行きし門先

   捨て猫の声が闇夜に針を刺す神よ光を欲してやまず

   堂宇には光と風と人の声秋の開帳香は仏陀より   

   真実を問へば無言にして立てる西日に染まる英霊の墓

         草により切りし指先一瞬の知覚に遠き日の蛇苺

   蟻地獄地獄はまさにいきいきと営むころか読経の真昼

   時は過ぐ老いゆくものとしてあればここに結実せるも切なし

   人間の強さと弱さ卓上に這ひゐる蟻を見てゐし心

   犬を連れ朝な朝なに行き会ひし人が知らしむ露の世の影

   向き合へる心と心のそのしまし秋の珈琲なりにけるかも

   黄昏の九輪の塔の空にしてまた雁音の帰り来る夢

   純白の羽を水面に開く鷺孤影ともなふその美しさ

   白鳥の羽音高鳴る夢にして親しきものの笑みに連なる

   母と子が向かひて開く図鑑より夏野に見えし黄蝶が一つ

   ぬばたまの夜の彼方に一頭の馬現れて凛々と来る

   春疾風激しく雨をともなへり激しきことは心ならずも 

   三代の栄華の跡も染めしとぞ桜前線みちのくの栄え

   ゆるやかにゆるやかにあれ観覧車絵本童話が思はるる春

   桜咲き電車が走り雲雀啼き絵本のやうな風景に立つ

   ピアノ鳴り出づる青葉の窓に寄る青年の恋叶へられしか

   コーラスは聖堂に生れ風のごとせせらぎのごと茅花を越えて

   悩める身誰かは知らず聖堂の讃美歌ⅭRUZアカシアの花

   心地よき幼きものの掌の中にも宿る青葉の季節

   あるはまた思へばなどか空蝉の軽さやさしさ掌の中

   目に触れし今日の印象街角のポインセチアの一群の赤

   半眼を失ひし貌映りゐる夜汽車の窓の男と二人

   冬の日のプロムナードのゆきかへり影曳くもののやさしさに会ふ

   ただ一人とはずがたりの夕べかな睦月も末となりにけるかも

   陽光に加へて風の香の季節かつて語りし夢のことなど

   及ばざる耳目に及ばざる心もってありけり惑ひの理由 

   霧の湖晴るる兆しの明るさを誘ふごとく水鳥の声

   老いし身は何を思ひて立ちゐるか夕焼け小焼けで「あしたもてんき」 

   丹精の樹林に雪の積もりけり感に及べば記憶に及ぶ

   手に掬ふ砂のさらさらさらさらとこのやさしさは風化の証  

   炎天のそのひとところ華やげり百日紅の紅の花群    

   一羽飛び一羽また飛びまた一羽雀の夏仔夏へ飛び出す

   坂道を一気に下る自転車の少年ありて夏は来たれり

   魚屋も八百屋もそして駄菓子屋もなべてさびしき秋雨の午後

   あこがれてありけるすがた火の国の群馬こころの地平に点る

   寒風は砂塵巻きつつ身に激し凛然として星は動かぬ

   思ひもて訪ね来たるに花期過ぎし牡丹の花の重たき崩れ

   春待たず逝きし人ありその姿果たして我らは儚さに立つ

   死はやがて悲しみを過ぎ淋しさへ喪中の家の雨の夕暮

   照り翳る道うねうねと人生のなかばなりしに病む友の声

   雨に煙る街に心の傘を差し遅日の午後の行き帰りなる

   眼閉づ思ひはなどかはるかなれ群馬日の中現われ来たる

   営みの日々相にして見ゆるもの群れて枯野に騒ぐ鳥影

   鉄路なる鉄錆色の晩夏なり西日に染められゐたりけるかも

   艀にも雨降り止まぬ春の午後詩の表情が漂ふ運河

   悪役の後姿を思はしむ男が一人夕暮に立つ

   胸熱く旅なすものに都鳥かかる名にして都ぞ遠き

   遙かなる成層圏に舞ふ鳶の距離にしてあるのどかなる里

   ひらはらりはらひらはらりひらはらりひらはらひらりひとひらの花

   雑踏に紛れてゐたる数多の身数多の思ひの一人なる我

   くれなゐの花びら一つ落ちてゐてただならぬ身のゆきし後とも

   平凡を明日へ誘ふ花時計園児の列が賑やかに過ぐ

   すべて日の力の皇子の裔とこそ緑の野辺を走り行く子ら

   息づかひ激しき犬とすれ違ふ病院脇の葉桜の下

   春風に綿毛ふわっと丹精の葱畑越えて行きにけるかも

   魔を言へば魔は影ながら添ひて来る逢魔が時といふ時のあり

   大地とはやさしく花を咲かせ児を遊ばせ逝きしものを眠らす

   便り読み終へしにピアノ鳴り出づる木漏日の斑の初夏の午後

   S医院脇の緋カンナ咲き始め「今年もまた」と老女呟く

   玉砂利を踏みしめ行けば養生の心に響き返す玉砂利

   へんぽんとはためく旗の勢ひに青嵐の空眩しかりけり

   街上にはためき止まぬ旗の鳴り若者の胸の中にも鳴れよ

   咳き込めるもののありけり春昼を怪しく過る猫の性欲

   日溜まりに出でて語らふ老女ありコスモス映ゆる山里の秋

   大銀杏朝の光に輝けば思ひは飛翔の一翼となる

   矍鑠と見ゆるその人徐に扇子を広げ扇ぎ始めき


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年09月20日 | 植物

<2813> 大和の花 (896) ゴンズイ (権萃)                                    ミツバウツギ科 ゴンズイ属

                                 

 日当たりのよいやや乾燥した二次林の林縁などに生える落葉小高木で、高さは3メートルから8メートルほどになる。樹皮は若木で灰褐色。老木になると黒褐色になり、縦に白く細かい条が入る。葉は長さが10センチから30センチの奇数羽状複葉で、5個から11個の小葉がつき、長い柄を有して互生する。小葉は長さが5センチから9センチの狹卵形で、側小葉が頂小葉よりやや大きく、先が尖る。縁には芒状の鋸歯が見られ、表面はやや光沢のある濃緑色で、裏面には脈上に毛が生える。

 花期は5月から6月ごろで、本年枝の先に長さが15センチから20センチの円錐花序を出し、黄緑色の小さな花を多数つける。花は花弁、萼片、雄しべ各5個、雌しべは1個で、柱頭が3裂する。花弁も萼片もほぼ同等で、ともに平開しない。袋果の実は長さが1センチほどの半円形で、秋になると鮮やかな赤色に熟し、裂開して黒い光沢のある種子を1、2個露わにする。赤色の果皮と黒色の種子がよく目につく。

 本州の関東地方以西、四国、九州、琉球列島に分布し、国外では朝鮮半島、中国、台湾に見られるという。大和(奈良県)ではほぼ全域的に見られるが、どちらかと言えば、暖地性で、標高のたかいところでは見かけないようである。

   ゴンズイ(権萃)とは奇妙な名であるが、一説に材の異臭により利用価値がないことから同じく役に立たない海水魚のゴンズイの名を借用してつけられたという。別名のショウベンノキ(小便の木)は春先に枝を切ると、樹液が溢れ出ることによるという。若芽は山菜として救荒のため用いられて来た経歴がある。 写真はゴンズイ。花(左)と実(右)。    虫の声なぜか宇宙が思はるる

<2814> 大和の花 (897) ヤブサンザシ (薮山櫨子)                              ユキノシタ科 スグリ属

             

 日当たりのよい山野に生える落葉低木で、株立ちし、高さが1メートル前後になる。樹皮は紫褐色で、縦に裂けてはがれる特徴がある。若枝は灰白色で、はじめ軟毛が密生するが、その後無毛となる。葉は長さが2センチから6センチの広卵形で、掌状に浅く3裂から5裂し、基部は切形乃至は浅い心形。裂片の縁には欠刻状の浅い鋸歯が見られる。質は薄く、両面に短い軟毛が生える。葉柄は長さが3センチほどで、互生する。

 雌雄異株で、花期は4月から5月ごろ。前年枝の葉腋に黄緑色の小さな花を1個から数個つける。花は花弁、萼片、雄しべ各5個。花弁は小さく直立して目立たず、萼片が平開して反り返り花弁のように見える。雌花にも雄しべはあるが、小さく稔性はない。雌しべは1個で、花柱は短く、柱頭が2裂して皿状になる。液果の実は直径8ミリほどの球形で、秋から冬にかけて赤く熟す。

 本州、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島、中国に見られるという。大和(奈良県)では自生の状況が定かでなく、『大切にしたい奈良県の野生動植物』(2016年改訂版)は「奈良市、五條市西吉野町、平群町、黒滝村などで、野生株が見つかっているが、本種は花木として栽培されるので、現時点では自生か逸出かの判断は難しい」とし、情報不足種にあげている。  写真はヤブサンザシ(いずれも雌花。天理市の山の辺の道付近。自生か植栽起源かはっきりしない)。 虫もまた地球生命鳴いてゐる

<2815> 大和の花 (898) ヤシャビシャク (夜叉柄杓)                            ユキノシタ科 スグリ属

         

 ブナなど深山の樹上に着生する落葉小低木で、長さが50センチから1メートルほどになる。葉は直径3センチから5センチの腎円形または5角状円形で、掌状に浅く3裂から5裂し、欠刻状の鋸歯が見られ、柄があって、短枝の先に2個から5個互生する。

 花期は4月から5月ごろで、短枝の先の葉腋に淡緑白色の花を1個から2個つける。萼片5個が花弁のように開き、花弁は小さく、萼片に隠れて目立たない。子房には針状の腺毛が密生する。液果の実は直径1センチ弱の球形乃至は卵球形で、秋から冬に熟す。実には子房の腺毛が残る。

 草木の和名にはゴンズイ(権萃)のような奇妙な名がときに見られるが、このヤシャビシャク(夜叉柄杓)にも言える。この名は一説に、樹上に着生するところから、天を翔る夜叉が置いて行った柄杓と考えたことによると言われる。奇異な名であるが、それゆえか、忘れ難い名である。なお、別名のテンバイ(天梅)、テンノウメ(天之梅)、キウメ(樹梅)は高い樹上で咲かせる花がウメの花に似るからという。

本州、四国、九州に分布し、国外では中国に見られるという。大和(奈良県)では深山の冷温帯域に野生しているが、個体数が極めて少なく、昨今、園芸採取によると見られるところから、絶滅の危険度が増しているとして、レッドデータブックは希少種(準絶滅危惧種)から絶滅危惧種に危険度がランクアップされ、現在に至っている。全国的にも個体数が少なく、環境省も準絶滅危惧にあげている。  写真はヤシャビシャク。花と実(花にも実にも針状の腺毛が目につく。    そも命そも命また虫の声

<2816>  大和の花 (899) ズイナ (瑞菜・髄菜)                                   ユキノシタ科 ズイナ属

             

 林縁などに生え、林道や登山道で出会う落葉低木で、高さは2メートル前後。よく分枝し、枝が横に広がる。葉は長さが5センチから12センチほどの卵状長楕円形乃至は楕円形で、先が鋭く尖り、基部が円形に近く、縁にはやや不揃いの鋸歯が見られる。脈は裏面に突出し、表面は凹む。葉柄は長さが1センチ前後で、互生する。

 花期は5月から6月ごろで、枝先に長さが10センチから20センチの穂状の総状花序を出し、小さな花を節ごとにつけ、多数に及ぶ。花序軸には白い開出毛が密生し、果柄は花序軸にほぼ直角につく。花は萼片、花弁、雄しべともに5個。雌しべは1個。花弁は長さが3ミリから5ミリの狹披針形で、やや平開する。花は全体に白色で、花盤が黄色でよく目立つ。実は蒴果で、長さが3ミリほどの広卵形。秋に熟す。

 本州の近畿地方南部、四国、九州に分布する日本の固有種で、襲速紀要素系植物として知られ、大和(奈良県)では南部の紀伊山地に集中的に見られる。学名はItea japonicaで、Iteaはヤナギの意。ズイナの名は別名のヨメナノキ(嫁菜の木)と同様、若葉が食用にされて来たことによる。 写真はズイナ。花期の姿と花序のアップ(川上村、上北山村)。     虫の声はたして命を燃やしゐる