大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年09月08日 | 植物

<1714> 大和の花 (32) ヒガンバナ (彼岸花)                                        ヒガンバナ科 ヒガンバナ属

      

 田の畔や土手などに群生する多年草で、秋の彼岸のころ花を咲かせるのでこの名がある。最近は、8月の末に花を見せるものもあり、昔と様子が変わって来たので一概には言えないところもあるが。艶のある濃緑色の線形の葉は花が終わった後の晩秋のころより生え出し、冬の間繁って春になると枯れて行き、夏の間地中の鱗茎に養分を保持した状態で休眠し、その後、秋を迎えると土の中から高さ50センチほどの花茎を立て、鮮やかな赤色の花を数個輪状つける。花は6個の花被片からなり、細い花被片は反り返るため花はガラス細工の大きな簪のように見える。

 別名のマンジュシャゲ(曼珠沙華)は法華経の「摩訶 曼陀羅華 曼珠沙華」によるもので、曼珠沙華は天上に咲く赤い花の仏花を指すと言われ、はじめ墓地などに植えられたのだろう。日本では墓場の花の印象によって数百に及ぶ地方名には死者を連想させるマイナスイメージが持たれ、シビトバナ(死人花)、ジゴクバナ(地獄花)、ユウレイバナ(幽霊花)といった不吉な名が多く見受けられる。これは仏教を葬りの宗教として来た日本人の習俗に重なると見てよかろう。

  ヒガンバナ(彼岸花)の名は近代に至ってからの登場で、江戸時代のころには別名のマンジュシャゲや地方ごとにその地方特有の名で呼ばれていたものと思われる。葉のあるときには花がなく、花があるときには葉が見られないというので、ハミズハナミズ(葉見ず花見ず)というような呼び名もある。私の母は備前(岡山)の人だが、キツネオウギ(狐扇)と呼んでいた。

 ヒガンバナはもともと日本には自生せず、古い時代に中国から渡来した有史前帰化植物と見られ、『万葉集』に登場する壹師(いちし)に当てる説があり、万葉の花にあげられている。その歌は巻11の2480番の柿本人麻呂歌集の歌で、「路の辺の壹師の花のいちしろく人皆知りぬわが恋妻を」と詠まれている。「いちしろく」は白いという意ではなく、著しいという意で、「道端のヒガンバナではないが、(知られたくない)艶やかで美しいわが愛しい妻のことを世間の人はみなよく知っている」ということになる。

 日本のヒガンバナは結実しないので、種子による繁殖はないと言われ、専ら地中の鱗茎によって殖え、群生する。全体にアルカロイド系の物質を含む有毒植物であるが、鱗茎は石蒜(せきさん)と呼ばれ、嘗てはこれを摺り下ろしたものを肩こりや乳腺炎に塗布した。また、鱗茎は上質のデンプンを含み、水に晒せば食べることが出来るので、救荒植物として、もしくは、畦に穴を開けるモグラ避けに用いられて来たと考えられている。

  ヒガンバナは深山などでは見かけない人との関係性によって繁殖している人里植物で、東北地方南部から沖縄に分布し、大和(奈良県)では各地で見られるが、棚田の多い明日香の里や葛城古道周辺が名所として知られる。現在は観光資源として活用され、ヒガンバナは村おこしや町おこしに役立てられている。明日香村の彼岸花祭りはよく知られるところである。 写真は田の畦を赤く染めて咲くヒガンバナとヒガンバナのアップ(ともに明日香村)。  花は時花は所のものにしてたとへば明日香路の彼岸花

<1715> 大和の花 (33) ナツズイセン (夏水仙)                                ヒガンバナ科 ヒガンバナ属

                                                       

  中国原産の多年草で、スイセン(水仙)に似た細長い葉を有し、花が夏に咲くのでこの名がある。古い時代に入って来たようで、本州、四国、九州まで、植えられたものから野生化したものまで見られる。春先に地中の鱗茎から芽を出し、葉は夏までに成長して枯れる。葉が枯れてなくなると花期を迎え、8月から9月ごろにかけてヒガンバナのような70センチほどの花茎を立て、茎頂に淡紅紫色の花を数個横向き加減に開く。ヒガンバナより一回り大きく、花被片の先端は少し反り返り、花のつき方は同科のクンシュラン(君主蘭)やアマリリスに似るところがある。 写真は両方とも植栽起源で、野生化したものと思われる。

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 宇陀市榛原赤埴の仏隆寺周辺に群生していたヒガンバナが消え失せニュースになったことがあった。そのときナツズイセンの花も見られる場所なので、ナツズイセンも消え失せたのだろうと思われた。シカとイノシシの食害が原因と記事にあったからである。自生のヤマユリも多く見られたところで、ヤマユリはヒガンバナ以前に消え失せていた。ヤマユリの鱗茎は美味でイノシシの好物と聞くからイノシシの食害と言われても納得だが、ヒガンバナはアルカロイド系の物質を含む有毒植物で、モグラ避けなどにされて来た経緯から、この食害は何を意味しているのかということが、ニュースに触れて思われたことではあった。

 そこで考えさせられたのは、シカやイノシシには今まで口にして来なかった有毒植物までも食わねばならないほど逼迫した環境、即ち、食事情がこの辺り一帯には生じていることだった。シカやイノシシが原因ならそう考えるほかない。ほかにも原因が考えられなくもないが、食害の痕跡があるのだから間違いはないのだろう。こういう一帯の事情であれば、ナツズイセンの花も見られなくなっているのだろうと想像されたことではあった。そして、このヒガンバナの騒動は人間と野生動物乃至は植物の関係性に生じた問題だということを改めて思ったことではあった。 

    小さな変化は大きな変化の

    小さな異変は大きな異変の

    前触れかも知れない

    小さな罅割れは大きな罅割れの

    小さな諍いは大きな戦争の

    もとになるかも知れない

    私たちはそういう大小数多の

    諸現象が起こり得る世界の

    まさにただ中に暮している

    当然ながら当面する私たちには

    細心の注意と心がけが求められる

<1716> 大和の花 (34)キツネノカミソリ(狐剃刀)と オオキツネノカミソリ(大狐剃刀) ヒガンバナ科 ヒガンバナ属

                

  キツネノカミソリ(狐剃刀)は山野の草地に生えるヒガンバナの仲間の多年草で、本州、四国、九州に分布する日本の固有種で、北海道で見られるものは植栽起源により自生ではないという。春に地中の鱗茎から柔らかな緑白色の葉を出し、この仲間の特徴で、この葉が夏になると枯れ失せ、葉が無くなった後、8月から9月ごろにかけて50センチほどの花茎を地中から出し、その先端に黄赤色の花を3個から5個横向き加減に咲かせる。

  関東地方以西と九州では雄しべが花冠よりも長く伸び出す特徴を有する変種のオオキツネノカミソリも見られ、これも日本の固有種で、大和(奈良県)では両方が見受けられる。キツネノカミソリとは妙な名であるが、葉が剃刀に似て、キツネが出て来そうな林縁の草むらなどに生えるからと1説にある。今では想像するしかないが、キツネノカミソリが生える辺りにはキツネの出没があったのかも知れない。アルカイド系の物質を含む有毒植物で、昔は鱗茎を磨り下ろし腫れものに塗布した。 写真は左がキツネノカミソリ、右は雄しべが花被片よりも長く伸び出したオオキツネノカミソリ(ともに宇陀地方で)。 情念の狐剃刀燃え盛る

<1717> 大和の花 (35) スイセン (水仙)                                   ヒガンバナ科 スイセン属

                  

  スイセン(水仙)はユリの仲間ではなく、ヒガンバナの仲間である。子房(雌しべの元にある種子をつくる果実になるところ)の位置がユリと異なり、ヒガンバナと同じく、子房下位の特徴を有している。スイセン属は世界に20種ばかりあるとされ、紀元前から知られる花であるが、ほぼすべてが欧州から地中海沿岸地方を原生地とする主に鱗茎の球根によって繁殖する多年草である。

  日本で広くスイセンと言われているのは、セッチュウカ(雪中花)の別名を持つニホンスイセン(日本水仙)で、フサザキスイセン(房咲き水仙)とかエダザキスイセン(枝咲き水仙)と言われる種類である。冬の真っただ中で白い花冠に杯状の黄色い副花冠が印象的な花を茎の先端部に数個つける。ニホンスイセンと言われるものの、このスイセンも元を辿れば地中海沿岸地方が原産地である。

  どのようにして日本へ渡来し、野生化したのか。中国を経て渡来したという説のほか、日本列島の西南の海岸地方に野生の群生地が集中していることから、球根が暖流によってはるばると運ばれ来たって漂着したという説もある。この説は島崎藤村の「椰子の実」の歌詞を彷彿させる。近畿圏で知られるスイセンの群生地は福井県の越前海岸、淡路島の灘黒岩水仙郷、立川水仙郷、和歌山県串本町樫野崎などがある。すべて暖流域の外洋に面した海の眺望がよいところである。

  スイセンの球根を乗せた船が難破して球根が海に漂いながら海流に乗って運ばれて来たとも考えられ、それが何らかの方法によって陸上に上がって定着したのではという。あながち荒唐無稽な説ではないように思われる。どちらかと言えば、この暖流による漂着説の方がロマン的で、私にはこちらの説に軍配を上げたくなる。大和地方で野生化しているものはみな植栽起源か逸出したものである。

  だが、中国からの渡来説にはスイセンの名が漢名の水仙の音読によることからして強みがある。それに、中国では昔からスイセンの花に高い評価が与えられ、瑞祥・嘉祥植物にも組み入れられ、三君(ウメ、スイセン、ボケ)、三友(ウメ、タケ、スイセン)、三香(カツラ、キク、スイセン)といった具合に尊ばれて来た。

  なお、スイセンの学名Narcissus TazettaのNarcissusはギリシャ神話に出て来る美青年ナルキソスのことで、彼は狩に出かけた森の中の泉に自分の姿が映るのを見て、その美しさに恋をした。その恋は当然ながら成就せず、恋焦がれて死んだ。その亡きがらがスイセンの花に変わったのでこの花にナルキソスの名に因みNarcissusと名づけた。Tazettaは杯のことで、スイセンの副花冠の形による。この神話によって、自己賛美・自己心酔主義をナルシシズム(Narcissism)というようになった。

  スイセンには一茎一花のラッパズイセン(喇叭水仙)や黄色い花のキズイセン(黄水仙)などほかにも見られ、園芸種には八重咲きなどの花も見られる。また、スイセンはヒガンバナ科らしく有毒植物であるが、ほかの仲間と同じく、球根を磨り下ろして腫れものに塗布すれば効能があると言われる。 写真は野生化したスイセンと黄色い副花冠が特徴の花。

       旅の途にあるもの我ら流れゆく雲に等しく時を抱いて

 

 

 

 

 

 

 


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1 コメント

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曼珠沙華は純白とありました (自閑)
2016-09-08 22:55:02
法華経を御釈迦様が説法しようとした時、天の花である曼珠沙華が降り注いだと有り、曼珠沙華のマンジューシャカは、白円花と訳され、純白の花とのこと。
日本の曼珠沙華は中国から渡来した植物とのことで、その忌むべき血の色から死人花になったかと存じます。
田んぼの畦道には、よく咲いていますが、天上の花も地上に降りて、人の罪の色に染まったかと何時も思います。

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