<3855> 短 歌
今年二月三日、このブログの<3889>作歌ノート「瞑目の軌跡」(十二)において短歌への思いを述べた中で、短歌によって短歌のことを詠むという試作に当たった。以下の十首がそれに当たる。
短歌とは五七五に七七の韻律による定形短詩
短歌とは伝統詩形我が国の歴史の歩みとともにあるなり
短歌とは言葉によれる器なり言葉は思ひのほかにはあらず
己てふ思ひの船に言葉とふ帆を張らしむる短歌を言へば
思ひみよ良し悪し評価のあるとして人ある限り短歌の希望
短歌とは私のもの公の政治と対極して立つ詩形
短歌とは個々己がじしなる抒情主体における定形短詩
政治史と短歌史それは公と私の関係性において見らるる
短歌とは渚に寄する波のごとあり且つ似て非なりける詩形
問はるべし和歌がイコール短歌なら短歌はイコール和歌と言へるか
その後、この方法で短歌たる日本独自の伝統的短詩形の特色とそれにともなう意味についていま少し、短歌によって短歌に迫ってみたいと思い、以後もこの方法によって幾つかの短歌を作って来た。同じような意味内容のものもるとは思われるが、加えるところ以下。 写真はカット。短歌と和歌は一線を引いているようなところがある。
短歌とは思ひの器五七五七七に入れ収める詩形
伊勢源氏古今万葉思ふだに短歌は己がじしありある詩形
短歌とは個により詠まれ来たりしに千三百年超の思ひの詩形
伝統の定形短詩なる短歌個々の思ひを汲み来し詩形
短歌とは日本の歴史に沿ひ来たり時代を映し来たれる詩形
短歌とは日本の歴史に沿ひて来ぬ沿いて時代の面影映し
短歌とは伝統詩形我が国の歴史の歩みとともにあるなり
現代に現代の個々個々に個々の思ひの短歌さまざまにあり
文化とは時と所と人の綾たとへば短歌における共感
短歌史を繙くならばまづ万葉思へば人麻呂家持大事
長々と短歌の歴史そしてなほあるものならむ短歌の未来
短歌には長くも和歌の時代あり古今和歌集魁として
革新の明治維新のその後に市民権得し短歌の夜明け
短歌とは個々己がじしなる抒情主体の詩形定形短詩
私と公の短歌と政治思ふだにいつの時代も表裏の諸相
脈々と継がれ継がれて来し短歌時代の綾が絡みてぞある
我といふ一人称がそこにあるそして短歌の一つの世界
漢字より漢字より平仮名片仮名外来語表記に見ゆる短歌の歩み
短歌とは文体の謂ひ「短」とあるごとく即ち短き詩形
短歌とは言の葉言の葉とは思ひ即ち短歌は思ひの器
短歌とは長歌に対する認識において生まれし短き詩形
短歌史を探れば短歌が日本の歴史に沿ひてあるを知るなり
短歌より連歌連歌より俳句思へば短歌の七七の意味
万葉集端初の短歌王朝の和歌の時代と維新のその後
短歌には市民権得てはばたきし明治維新後の新時代
短歌には和歌と呼ばれし時代あり長々とあり権威によりて
短歌とは短歌とは抑止の詩形五七五七七による言葉の抑止
気息とは生来のもの学ぶにはあらぬものなり短歌の大事
本歌取り短歌に言はるこれやこの学ぶほかなき作歌の大事
言 はばそれよ如何に詠めども短歌とは己の袖の内なる思ひ
短歌とは何かと言へば短歌なり思ひを言葉に託せる器