大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年08月31日 | 植物

<1707> 余聞・余話 「大群落が蘇った弥山のカニコウモリ」

         時の波知り得ず知らず時の内見よこの花の成長の跡

 大峰山脈の弥山(みせん・天川村・1895メートル)の高所一帯に大和(奈良県)で絶滅寸前にあるとされているカニコウモリが大群落をつくり、花を咲かせている。最も群落が広がっているのは弥山山頂付近の東斜面で、三年ほど前までは花をつけない貧弱な個体が散生していた登山道の両脇に当たるところ。ほとんどの個体がカニコウモリ特有の細長い筒形の白い総苞の花を30センチほどの円錐花序に多数つけ、咲いている。

                                    

 カニコウモリは亜高山帯に多いキク科コウモリソウ属の多年草で、草丈は大きいもので1メートルほどになり、長さ10センチほどのカニの甲羅のような形の葉を通常3個つけるのでこの名がある。本州では近畿地方以東と四国に分布し、大峰山脈では高所の尾根筋付近でよく見られたが、近年減少が著しく、花をつけるほど成長した個体は稀になっていた。

 このため、2008年奈良県版レッドデータブック『大切にしたい奈良県の野生動植物』には絶滅寸前種としてあげられ、当時の生育状況について「弥山の防護ネット内では開花株が見られるが、ネットの外では貧弱な株が散見される程度で、開花株はほとんどない。衰退の最大の原因はシカによる食害である」と報告されている。

 花を咲かせる大群落の姿はシカの影響が少なくなったからか、ほかの理由によるものか。防護ネット外のシラビソの幼樹などもすくすく成長しており、シカとの関係に変化が生じている可能性を示している。 写真は斜面の一面を被い尽して花を咲かせるカニコウモリとカニコウモリの円錐花序の花(いずれも8月中旬、弥山山頂付近の東斜面で写す)。

 


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2016年08月27日 | 植物

<1702> 大和の花 (22) キキョウ (桔梗)                                     キキョウ科 キキョウ属

                                                         

 日当たりのよい草地に生える多年草で、全国各地のほか朝鮮半島や中国、ウスリーにも野生の分布が見られるという。山上憶良が詠んだ『万葉集』の秋の七種(草)の歌(巻8・1538)に登場するアサガホ(朝㒵)をキキョウとする説が有力で、この憶良の歌以来、キキョウは秋の七草とされ、万葉の花にあげられている。キキョウというのは漢名の桔梗の音読みによるもので、『古今和歌集』には物名を詠み込んだ歌に「きちかう」と出て来るが、これが初出だと言われ、それ以前は、アサガホと呼ばれていたか。ほかにも、アリノヒフキ、オカトトキなどの古名も知られるところである。

 こうして秋の七草にあげられたキキョウは7月から10月ごろにかけて、青紫色の鐘形の花を咲かせることはよく知られ、非常に馴染み深く、園芸種は白い花や二重の花なども見られる。また、昔から桔梗根と称せられ、太い根を煎じて化膿症の腫れものや喉の痛み等に服用して来た名高い薬草でもある。野生のものは自生地における環境の変化によるものか、全国的に激減し、絶滅予測のニュースがあって久しく、大和(奈良県)でも絶滅危惧種にあげられている状況にある。

 奥宇陀の曽爾高原は野生のキキョウが多く見られたところであるが、ここ15年ほどの間に激減し、その姿を消して行った。温暖化による遷移か、シカによる食害か、盗掘かといろいろ考えが巡らされているが、はっきりした原因はわからないというのが正直なところであろう。今やないものねだりの花になっている野生の現場であるが、園芸種が豊富なため、野生の絶滅に危機意識は低いように思われる。しかし、絶滅の危機状況は環境の変化を示すという意味において同じ環境下にある私たちには見過し得ない点を含んでいることが思われて来る。 写真左はキキョウの花が咲き乱れる平成10年(1998年)の曽爾高原。今は見つけるのが難しいほどになっている。写真右はアカトンボをとまらせた野生のキキョウ(曽爾高原で)。野生のこういう風景も今は昔の懐かしさの中にある。

     やさしさを奏でてゐるよ赤とんぼ桔梗はコラボの花を咲かせり

 

<1703> 大和の花 (23) ヒナギキョウ (雛桔梗)                             キキョウ科 ヒナギキョウ属

                                                 

  日当たりのよい草地に生える多年草で、本州の関東地方以西、四国、九州、沖縄に分布し、中国、朝鮮、東南アジア、オーストラリアに広く見られるという。草丈は40センチほどになり、枝分かれする針金のような細い茎や枝の先端に上部が5裂した5~6ミリほどの花冠を有する小さな青紫色の一花を上向きにつける。私は野生の花を撮り始めて花数が少ないこの小さな花に出会った。

  大和路では結構よく見かける花で、若草山ではシカの影響か、矮小化した丈の低いヒナギキョウがシカに食べられた芝草に混じって咲き出す。花期は5月から8月ごろで、薫風が吹くころになると花を見せ始める。 写真左は若草山の芝草に混じって咲き出たヒナギキョウ。その名にぴったりな可愛らしい花である。写真右は花のアップ。花の中央にある花柱が三つに裂け、受粉態勢にある雌性期の花であるのがわかる。これは近親交配を避けるヒナギキョウの工夫によるものである。

       快い風の季節 雛桔梗の花の星々が その風に揺られながら 語り合っている

       私たちの目指すところは 風と同じ そう 幸せが見え隠れする桃源郷の丘

       あの丘の上 さあ あなたとともに あの明るい丘の頂を 目指して行こう 

 

<1704> 大和の花 (24) キキョウソウ (桔梗草)                                キキョウ科 キキョウソウ属

                                                            

  北アメリカ原産の高さが80センチほどになる1年草で、各地に帰化している外来種である。大和(奈良県)でも道端などでときおり見られる。日当たりのよいところに生える草花で、稜のある茎に長さが1.5センチほどの円形乃至は卵形の葉を互生し、その葉の腋に1~3個の花をつける。花と葉が直立する茎に段々になってつくので、ダンダンギキョウ(段々桔梗)の名もある。

  花期は5月から7月ごろで、桔梗の花を小振りにしたような花柱が受粉態勢に入ると三つに裂ける花冠の艶やかな紫色の花を咲かせる。外来と言われてみると、和生のキキョウに比べ、その艶やかな花には何となくしっとりとしたものに欠ける気がする。これは日本列島の自然環境に関わり、他の国と比せられるところであろう。

  これは草花に限ったことではなく、私たち人間にも及んでいることに思いが巡る。一つには湿度によるところが考えられる。所謂、しっとり感は潤い、即ち、湿度によるところが大きいように思われる。これは人肌にも言えることである。保湿、水の効用である。

  なお、このキキョウソウという1年草は始まりの花は開かないまま結実する閉鎖花で知られる。これはスミレ(菫)やセンボンヤリ(千本槍)と同じ特質にあるが、普通の花が終わった後に見られるスミレやセンボンヤリとは逆に現われる普通の花の前段に閉鎖花の展開が見られる。 写真はキキョウソウの花(平群町の道端で)。

       何処に暮らすにしても

       環境に馴染むこと

       これが一番だ 

       殊に自然の環境に馴染むこと

       これが大切だ

       自然の環境というのは

       其処に住むもの 全てに

       分け隔てなく 平等にあるからだ

       例えば 雨の多い土地柄なら

       雨の多い環境が そこには平等にある

       その平等を受け入れ

       その平等を理解することが出来れば 

       ひとりひとり暮らしは違っていても

       その暮らしの灯は

       点し続けて行くことが出来る

 

<1705> 大和の花 (25) ツリガネニンジン (釣鐘人参)                キキョウ科 ツリガネニンジン属

                                                       

  山野の草地に生える高さが1メートルほどになる多年草で、折り取ると白汁を出す茎はほとんど枝を分けず、直立するものが多い。棚田の土手などに生えるものはときに傾いて花を咲かせるものも見かける。通常、茎の下部の方に卵状楕円形で鋸歯のある葉を隣生し、上部の方に鐘形の花を1個から数個、これも隣生状につけ、花は下向きに咲く。花期は8月から10月ごろで、この花が咲き出すと暑い夏も終わり、秋が訪れる。

  花の色は通常淡紫色であるが、ときに濃い色のものや稀に白い花のものも見られる。花柱が花冠より長く外に伸び出すのが特徴で、花の形が釣鐘に似て、白く太い根にチョウセンニンジン(朝鮮人参)を連想してこの名があるという。ツリガネソウ(釣鐘草)とも呼ばれ、この花の鐘を鳴らすのは宮沢賢治の童話「『貝の火』。霧が晴れた朝、「カン、カン、カンカエコカンコカンコカン」とこのツリガネソウの鐘が鳴り、光を失った主人公ホモイが父母とともに聞く。

  また、「山でうまいはおけらにととき」と俚謡にもあるように、「ととき」はツリガネニンジンの古名で、昔から山菜として知られ、春の若芽をお浸し、和え物、天ぷら、卵とじなどにして食べた。「嫁に食わすも惜しゆうござる」というほど美味しいらしい。 一方、薬草としても知られ、生薬名は沙参(しゃじん)。ニンジンに似る太い根を採取し、日干しにして乾燥したものを煎じて服用すれば、咳止め、去痰に効能があるとされる。北海道、本州、四国、九州に分布し、国外ではサハリン、千島に見られるという。 写真は直立して花を咲かせるツリガネニンジン(左)と白い花の個体(右)。    山里は長閑なるかな既に秋 棚田の稔りの色を交へて

<1706> 大和の花 (26 )ソバナ (岨菜)             キキョウ科 ツリガネニンジン属

           

  ソバナのソバは「岨」のことで、島崎藤村の『夜明け前』の「序の章」の冒頭に「木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいひに行く崖の道であり、云々」とあるように切り立った崖地を指す。所謂、ソバナはこのような山地の崖地に生え、若芽を食用にしたことから岨の菜と捉えられ、この名がつけられた多年草である。また、縁に鋸歯がある長卵形の葉がソバ(蕎麦)の葉に似ているのでソバナ(蕎麦菜)の名が生まれたとも言われる。言われてみると、どちらだろうと考えさせられるが、前者の方に説得力があるように思われる。

 ツリガネニンジン(釣鐘人参)に似て、あまり分枝しない茎を1メートルほどに伸ばし、8月から10月ごろ茎の上部にまばらな円錐状の花序をつけ淡青紫色の花を下向きに咲かせる。花冠の開口部が広く、花冠の形が三角状に見えるので仲間のツリガネニンジン等と判別出来る。自生の分布は本州、四国、九州とされ、国外では中国、朝鮮半島に見られるという。大和(奈良県)でも見受けられるが、渓谷の崖地に赴かなければ出会えないところがある。

 ときに白い花の個体も見られるが、2008年の奈良県版レッドデータブックには「県内では主に石灰岩地に生える。危険要因は植生の遷移やシカによる食害である」とある。自生の分布は紀伊山地に集中し、希少植物にあげられている。 写真は渓谷の崖地から茎を伸ばし、花を咲かせ始めたソバナ(右)と白い花の個体(左)。 ともに上北山村の山中で。  岨菜咲く岨伝ひ行く渓の道

 

 

 

 

 

 

 

 


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2016年08月26日 | 植物

<1701> 余聞・余話 「植物の葉に寄せて」

        日の恵み掬ふ葉といふ掌を広げて木々は旺盛に立つ

 人体と植物を同一視する考えがある。人体の部位と植物の部位に同じ言い方が用いられているのがよい例としてあげられる。例えば、身と実、鼻と花、目と芽、歯と葉といった具合である。言わば、人体と植物はまこと生命的に繋がり得て似るところがあると言えるわけである。これは太陽と地球の関わりにおいて生まれた地球生命が繋がりを持ち一体のものであることを意味するものにほかならない。

 顔の真ん中に付いている鼻は顔立ちの見映えに影響を及ぼし、花は一種のアピールで表象の意味合いを持っている。これに対し、歯は食べ物を咀嚼し、栄養吸収の働きをなし、葉も同じく光合成による栄養補給の役目を担う。これはともに生命体の成長、維持に欠かせない実質の意味合いが強いということになる。こういうところをまずは念頭に置いて、植物の葉について考えてみたいと思う。

                                             

 「発芽した植物は空気、水、太陽光および土の中に含まれているわずかな量の無機物質(窒素、燐、カリ、鉄など)さえあれば、ほかの栄養物質がなくても、どんどん成長することができる。これは植物が光合成によって有機物をつくることができるからである」(瀧本敦著『ヒマワリはなぜ東を向くか』)というがごとくで、太陽光のエネルギーを炭水化物や糖質などの有機物に変えて生命の保持、成長、即ち、活動に生かしているということになる。この光合成の役割を果たすのが葉緑素による葉緑体を形成している葉である。

  思えば、花が千差万別の彩りを持っているのに対し、濃い薄いはあるものながら、葉は概ね一様に緑であるのがわかる。これは花の役割が子孫繁栄にあり、その役目として雄しべと雌しべの花粉の授受を成就させなくてはならず、これを成し遂げるため、自分で動くことの出来ない花は昆虫などの第三者にその授受を委ねる。花はその昆虫たち第三者へのアピールが必要になり、花はこの目的のため、よりよい形や彩りの工夫をするということになる。

  これに対し、葉は葉緑素を有する葉緑体によって、光合成を行ない、太陽光のエネルギーを吸収して、植物の生命を維持、成長させる目的に向って日々頑張っている。言わば、植物の個体は花がなくても生きて行けるが、葉がなくては生きて行くことは出来ないということになる。で、花は表象、葉は実質という言葉で言い表した次第である。

                                              

  よく晴れた夏の日に常緑樹や落葉樹の混淆林を訪れ、その林下を歩いてみると、緑の葉が降り注ぐ太陽光を浴びながら生き生きと輝くように見える場面に出くわす。何とも清しく美しい眺めであるが、まさにそこに見られる群がる葉は光合成の真っ最中なのである。私は山歩きをしていてよく思う。何故に木々や草々は緑に被われているのだろうかと。で、それは前述の通り光合成の働きをする葉緑素の持ち主である葉緑体の葉の群がりによると理解されるのであるが、これは葉緑素自体が緑を発しているというのではなく、光の三原色(赤、青、緑)で言えば、葉緑素は太陽光の白光の中から赤と青を吸収して植物体に取り込み、緑と合体して太陽光の白光のエネルギーを得ることになる。

  吸収されない余分な緑は反射して、私たちの目に入るということになる。こうして葉は太陽光のエネルギーを取り込んでいる理屈が成り立つ。私は光合成をこのように理解するのであるが、間違いだろうか。とにかく、山野の草木の緑という色は生命に深く関わりを持つ色ということが出来る。

  動物である人間はそうして成長した植物を直接乃至は間接に摂取することによって生命の維持を図っている。つまり、人間にとって植物は生命を維持する上に必要欠くべからざるものであると言えるわけである。花だけでなく、葉が有する緑も快く私たちの目に映るのは私たちの辿って来た生命の根源に植物が存在し、意識、無意識を問わず、この存在に触れることになるからではないか。これは地球誕生から植物の起源、動物の起源を経て私たち人間にも及んでいる地球生命を含む宇宙的メカニズムより成り立っていることが言えるように思われる。

  葉をよく観察してみると、大方の葉は広げた枝に満遍なくつき、太陽光を十分に受けるべく掌を広げたように平たくついている。広葉樹は殊にこの傾向が強く、光合成の働きを担っているのがよくわかる。太陽光の弱い北国に多い針葉樹は太陽光の当たり具合に関わらず光合成が出来るような並びの仕組みになっている。太陽光を吸収するのに、一見広葉樹の方が針葉樹よりも有効に思えるが、針葉樹の全体を見ると、針葉の侮れないところが見て取れる。果たして、植物の葉の働きがそこにも見えると言える。

 この間、よく晴れた日に大台ヶ原の樹林下を歩き、普段は花にばかり目がゆくのであるが、この日は花が少なかった所為にもより葉の美しさを見上げながら以上のようなことを思い巡らせた次第である。 写真の上段は左から、太陽光に透けて見えるヤシャブシ、オオイタヤメイゲツ、ブナの葉群。下段は左からツタウルシ、ウラジロモミ、ミズナラの葉群。

 


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2016年08月18日 | 植物

<1693> 大和の花 (14) リンドウ (竜胆)                                       リンドウ科 リンドウ属

                                             

  本州、四国、九州の山野に広く分布する草丈が80センチほどになる日本固有の多年草で、大和においても標高1700メートル以上の山岳から標高100メートル前後の平地部まで広範囲に自生の姿が見られる。平地部では棚田の畦などによく見られ、清少納言の『枕草子』(六十四段)に「こと(他の)花どものみな霜枯れたるに、いとはなやかなる色あひにて、さし出でたる、いとをかし」と言っているように平地部では晩秋初冬のころに花を見せる。だが、山岳の高所では九月中ごろになると花が見られ、夏の終わりのころには花芽が出来る。

  花は茎の先端や上部の葉腋につき、先が5裂した鐘形で、その色は青紫色のものが多く、ときに紫紅色のもの、稀に白色の花も見られる。花は上を向いて咲き、晴天の昼間に開き、雨のときや夜間には閉じるが、晴天の昼間でも花を完全には開かないオヤマリンドウタイプの花が山岳高所では見受けられる。

  リンドウは漢名竜胆の音読みによるもので、根が竜の肝のように苦いことによるという。その苦みは薬効に通じ、苦味健胃薬として食欲不振や消化不良などに用いられる代表的薬用植物である。『万葉集』に登場する「おもひぐさ」はナンバンギセルとする説が有力であるが、リンドウ説もあり、リンドウを万葉植物にあげる研究者もいる。枯れかかった草原に紛れ、思いを込めるように花を咲かせるからだろう。

  また、リンドウは紋所にも採り入れられ、源氏の笹竜胆は知られるところで、源氏によって開かれた鎌倉市の市章は笹竜胆である。長野、熊本の県花もリンドウで、長野は日本アルプス、熊本は阿蘇の草原に咲く花が想起される。とにかく、リンドウは山野に広く自生している。古名にエヤミグサ(疫病草)の名が見られるが、これは苦味健胃薬に関連している。 

  写真左は棚田の畦に咲くリンドウ(平群町で)。右は山岳の岩場に咲くオヤマリンドウタイプの完開しないリンドウの花。茎は倒れても花は上向きに咲く(釈迦ヶ岳付近の大峯奥駈道で)。    これやこの暑さに耐へる日々の身につくつくぼうし鳴き始めたり

<1694> 大和の花 (15) ツルリンドウ (蔓竜胆)                                リンドウ科 ツルリンドウ属

                                                        

  長さが1メートルほどになる蔓性の多年草で、細い蔓や葉の裏面は紫色を帯びるものが多い。葉は卵状披針形で、その葉腋に8月から10月ごろリンドウの花を小さくしたような淡紫色の花を咲かせる。花冠は先が5裂し、副片のあるのが特徴。4裂して副片のないものは別種で、ホソバノツルリンドウ(細葉蔓竜胆)と呼ばれる。

  実はほぼ球形の液果で、枯れて残存する花冠から頭が突き出るようにつく。熟すと艶のある鮮やかな紅紫色に色づき、よく目につく。実の先に花柱が見られるのが特徴。花が次々に咲き出るので、花とこの実を同時に見ることも出来る。

 北海道、本州、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島、中国、樺太、南千島に見られるという。大和(奈良県)では普通に見られ、山歩きをする人には珍しくない花である。この花が見られるようになると秋も近い。   夏雲が峰を競へる奈良盆地

<1695> 大和の花 (16) アサマリンドウ (朝熊竜胆)                               リンドウ科 リンドウ属

                                                           

  リンドウの仲間の多年草で、高さは25センチほどになり、卵形乃至は長楕円形の葉が数個対生し、茎の先端と上部葉腋に青紫色の鐘形の花を数個つける。花期は9月から11月ごろで、リンドウと同じ時期である。アサマの名は三重県(伊勢市・鳥羽市)の標高555メートルの朝熊山(あさまやま)に因むもので、紀伊半島、四国、南九州を主に分布域とする日本の固有種、襲速紀要素系の植物にあげられている。

  大和(奈良県)では南端部に限定分布し、その地に赴かなければ出会うことの出来ない花である。私は熊野古道の一つ、小辺路の果無峠越えにおいて出会った。峠の七合目辺りだったと記憶するが、リンドウの仲間にしてはあまり日当たりのよいところではなかった。写真は果無越えの小辺路で撮影したもの。右の写真は木漏れ日を受けて浮び上がる花。花の基部の萼片が平開するアサマリンドウの特徴がうかがえる。

  なお、襲速紀とは、熊襲の「襲」、速吸の瀬戸(豊予海峡)の「速」、紀伊半島の「紀」によるもので、紀伊半島、四国、南九州を自生分布の主な範囲とする植物種群に当てた言葉である。これは1931年に日本の植物分類学の基礎を築いた小泉源一が提唱した説によってあり、襲速紀要素系に属する植物種群は瀬戸内海が出来る以前、即ち、日本列島のこの一帯が陸続きで連結していた時代、既に自生分布していたと考えるものである。この考えによると、襲速紀要素系の種群は先史時代の遠い昔からこの一帯に生育していたということになる。つまり、この植物種群は日本古来の植物として捉えることが出来るわけで、アサマリンドウもこの種群に分類されているわけである。   夏痩せは天下のものとぞさもあらむ

<1696> 大和の花 (17) フデリンドウ (筆竜胆)                              リンドウ科 リンドウ属

         

  リンドウと言えば、晩秋の山里のイメージがあるが、春に咲く仲間もある。ハルリンドウやコケリンドウなど。今回紹介するフデリンドウも同じく春咲きで、花期は4、5月ごろである。三種とも多年草のリンドウと性質を異にする2年草である。一本の茎の先に集まって花をつける姿に筆の穂を連想してこの名があるという。

  山野の日当たりのよい草地に生え、リンドウと同じく平地部から標高の高い山岳までと分布域が広く、全国的に見られ、国外では朝鮮半島、中国、カラフトに分布する。大和では山焼きで知られる若草山(342メートル)のような低山から金剛山の標高900メートル辺りや大峰山脈の標高1500メートルの尾根筋まで標高差にかかわらず、自生しているのが見受けられる。

  茎の高さは10センチ弱で、上部に広卵形の葉が対生して取り巻き、その茎の先端に青紫色の鐘形の花を数個上向きに咲かせ、長閑な明るい季節の雰囲気の中で咲き出す。2008年の奈良県版レッドデータブックには「里山のシバ草地に普通に見られた植物であったが、自生地の多くが里山の荒廃によって消滅し、自生地、個体数ともに減少が著しい」として絶滅危惧種にあげられている。

  なお、三重県境の三重県側ではハルリンドウ(春竜胆)を見かるので、大和(奈良県)側にも自生するところがあるかも知れない。里山脇の棚田の縁に群落は見られる。 写真左は金剛山のカトラ谷上部のお花畑付近で見かけた花。写真中は若草山の草地で咲き出たもの。写真右は三重県境で見かけたハルリンドウの花。    ひとしきり鳴いてつくつくぼうしかな

<1697> 大和の花 (18) センブリ (千振 )とイヌセンブリ (犬千振)          リンドウ科センブリ属

                                                      

  センブリはドクダミ(蕺草)やゲンノショウコ(現の証拠)とともに民間薬の代表的な薬草として知られる2年草で、全国的に分布し、国外では朝鮮半島から中国に見られるという。生薬名は当薬(とうやく)と言い、全草を乾燥したものを粉末にし、これを直に飲んだり、煎じたりして服用する。非常に苦く、舌を刺激するので苦味健胃薬として食欲不振のときなどに効能があると言われる。千回振り出してもなお苦いということでこの名がつけられた。しかし、薬草として用いられ始めたのは明治時代以降で、それまではノミやシラミ避けにされていたという。

  山野の日当たりのよい草地に生えるものが多く、茎は高さが25センチほどになり、線形の葉が対生する。花は直径3センチほどで、花冠は5深裂し、裂片は卵形で先が尖り、白色に紫色の条が入る。花期は9月から11月ごろで、花は山に秋風が吹くようになると見られる。

  イヌセンブリはセンブリの仲間であるが、苦味がなく、薬用に供しないため、役に立たないとしてイヌ(犬)の名が冠せられた。茎はセンブリとほぼ変わらない高さになるが、極めて小さいものも見られる。棚田の畦などに生え、センブリと同じような花を咲かせる。また、ほかには紫色の花をつけるムラサキセンブリ(紫千振)があるが、和歌山県北部の生石高原では見られるものの大和では絶滅したか、近年その姿を見たという報告はない。

  センブリは奥宇陀の曽爾高原などで見かけるが、年々少なくなっているのがうかがえる。イヌセンブリは本州、四国、九州に分布し、朝鮮半島から中国に見られるが、センブリよりも少なく、奈良県のレッドリストには絶滅危惧種に、環境省では絶滅危惧Ⅱ類の植物にあげられている。 写真はセンブリ(左)とイヌセンブリ(右)。ともに宇陀地方での撮影。

        如何なる生も 生には 悲喜苦楽 喜怒哀楽が絡む

        どんなに生きても その生には 涙ぐましさが纏う

<1698> 大和の花 (19) アケボノソウ (曙草)                           リンドウ科 センブリ属

                                          

  全国的に分布し、朝鮮半島から中国にも見られる山地の道に面した荒地などに生えるセンブリの仲間の2年草で、草丈は90センチほどになる。大きな長楕円形の根生葉があるが、花時には枯れてなくなるものが多い。茎葉は対生し、卵形乃至は披針形で、縦の3脈がはっきり見える。花期は9月から10月ごろで、上部葉腋に花茎を伸ばし、その先端部分に花冠が5裂した白い花を咲かせる。

  長楕円形の花冠裂片には黄緑色の大きな斑点が2つと濃い紫色の小さい斑点が先の方に多数見られ、これを夜明けの空に見立て、この名が生まれたと言われる。大きい黄緑色の斑点には蜜腺があり、これを目がけて虫たちがやって来る。センブリの仲間だが、薬用に供せられるという話は聞かない。 仲間によく似たシノノメソウ(東雲草)があるが、私はまだこの花に一度もお目にかかっていない。アケボノソウは全国的に分布し、大和では紀伊山地でよく見かける。

 写真は花を咲かせ始めたアケボノソウと花のアップ。花の蜜腺にアリが来ていた(天川村の山中で)。 緑濃き晩夏の大和平野かな

<1699> 大和の花 (20) アサザ (荇菜)                                      リンドウ科 アサザ属

                                             

  池や沼などに生える多年生の水草で、地下茎が水底の泥の中を這い、太く長い茎を水中に出す。その茎から長い葉柄を伸ばし其部が心形の卵形から円形の葉を水面に浮かべる。花期は6月から8月ごろで、水中の葉腋に花柄を立て、黄色い花を水面に開く。花冠は直径4センチほどで、5深裂し、縁は糸状に細かく裂ける。花は一日花で、午後には萎んで来るので、写真撮影には朝方がよい。

 水面に映る姿は艶やかで、『万葉集』巻十三の3295番の相聞の長歌一首に登場を見る万葉の花である。その歌は、三宅の原に難渋しながらせっせと通う青年に、そんなにまでして通う娘子というのはどんな子なのかねと父母に訊かれ、これに青年が「黒髪に木綿(ゆう)で結んだアサザを垂れ下げ、ツゲ(黄楊)の櫛で押さえた可愛い子です」と答え返すというもの。この歌に登場する「阿耶左(あざさ)」は「ざ」と「さ」を逆にした現在のアサザであると古文献等に説明されている。

 この万葉歌に登場する「三宅の原」の三宅は奈良県磯城郡の三宅町辺りとされることから、三宅町ではこの万葉歌に因み、アサザを町のシンボルに掲げ、町興しのイメージアップの一環として町内にアサザを広める事業に取り組んでいる。なお、三宅町ではアサザを3295番の万葉歌に合せ、アザサと呼んでいる。アザサのアザは浅い意で、アサザの名は水の浅いところに生える意の浅浅菜から来ているという。

 三宅町辺りは大和平野のほぼ中央に当たり、当時にあっては池や沼地や湿地が多い土地柄だったと考えられ、アザサのアサザがそこここに見られたのではなかったか。アサザはユーラシア大陸に広く分布すると言われるが、現在の大和(奈良県)ではアサザの自生地が極めて少なく、県のレッドリストでは自生のピンチにあるとして絶滅寸前種に、環境省においても準絶滅危惧植物にあげられているほどである。

 写真左は奈良市須川町の須川貯水池で見かけたアサザの花。自生か植栽起源か。平成27年(2009年)の撮影。点々と黄色い花が見えたが現在はどうか。写真右は三宅町の町並を飾るアサザの花。 病院の待合に待つ患者にもそこはかとなく添ひゐる晩夏

<1700> 大和の花 (21) ガガブタ                                            リンドウ科 アサザ属

                                                   

  アサザと同じように、池や沼に生える多年生の水草で、水底の泥の中にヒゲ根を下ろし、その根から水中に細長い茎を伸ばして、葉柄を水面に出し、その先に基部が心形の卵円形の葉を水面に広げる。花期はアサザより少し遅く、7月から9月ごろで、水中の葉腋から花柄を水面に上げ、その先に一花を開く。数個集まって花柄を立てる場合もある。花は直径1.5センチほどで、花冠は5深裂し、披針形の裂片は縁が糸状に細かく裂ける。純白の花は蕊(しべ)のある中心部が目印のように鮮やかな黄色で可愛らしい。ガガブタの語源は不明であるが、この花には不似合いな名であるように思われる。

  自生の分布は本州、四国、九州とされ、世界にも広く見られるという。大和(奈良県)にも分布するが、アサザと同様、自生地が極めて少なく、絶滅寸前種にあげられ、環境省においても準絶滅危惧植物にリストアップされている植物である。大和郡山市の県立大和民俗公園では自生か植栽起源か、ガガブタが見られ、最近、園内の生育地が整備され、環境が整えられたからか、増えている観がある。絶滅寸前種であれば大切にしたいものである。 なお、ガガブタはアサザと同じく、リンドウ科から分離されたミツガシワ(三槲)のミツガシワ科に属するとして、図鑑によってはミツガシワ科としているものもあるが、ここではリンドウ科とした。

 写真は浅い水場一面に咲くガガブタ(左)と花のアップ(右)。ともに大和郡山市の大和民俗公園で。

    絶不調否衰ふる身の齢 自覚出来ずにゐる身の晩夏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年08月17日 | 写詩・写歌・写俳

<1692> 余聞・余話 「我が家の雨蛙ぷくぷくのお父さん」

         辛抱は強さの証 生きる身はいつも強さを求められゐる

 我が家の雨蛙ぷくぷくのお父さんは相変わらず姿を見せたり、消したりしているが、猛暑の続くこのところずっと姿を現わしている。やはり、二階ベランダ下のポリエチレン製の雨樋の上に蹲っていることが多い。布製の天幕と柱が日避けになって直接日の当たることはないが、焼けるような連日の日差しは室内においても午後には冷房が必要なほどの気温上昇をもたらす。ぷくぷくのお父さんには姿が見えるときは大体この所定の場所にいる。これは居心地のよさなのだろうが、気温35℃オーバーにおいては居心地というより辛抱が強いられるところである。

                    

 あまりに暑いので、ホースをシャワーにセットして水を掛けてやったら気持ちよさそうに首を持ち上げた。白っぽくなっていた体が雨樋の焦げ茶色に合せるように濃く変色した。水を得て力が出たのか、異変を察したからか、それはどうなのかわからないが、この猛暑の体感からしてぷくぷくのお父さんには辛抱に尽きる日々が続いているように思われる。か弱いイメージの雨蛙にして、ぷくぷくのお父さんは結構強さを見せている。何とも身に沁みる姿ではある。 写真は我が家の二階ベランダ下を住処にしている雨蛙のぷくぷくのお父さん。