大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年09月11日 | 植物

<3163>  大和の花 (1106) ベニバナボロギク (紅花襤褸菊)           キク科 ベニバナボロギク属

                 

 アフリカ原産の1年草で、茎は直立し、上部で枝を出すことが多く、枝は上向きに伸び、高さが30センチから80センチほどになる。葉は長さが10センチから20センチの倒卵状楕円形で、先が尖り、縁に粗い鋸歯が見られる。下部の葉は羽状に裂ける。葉はごく短い柄を有し、互生する。

 花期は7月から10月ごろで、茎頂や枝先に花序を垂れ、長さが1センチほどの頭花を下向きにつける。頭花は上部が朱赤色、下部が白色をした細い筒状花が多数集まって出来ている。総苞は緑色。花の後に出来る白い綿毛のような冠毛が目につく。

   日本には戦後渡来し、暖かい地方で広まりを見せ、大和(奈良県)では道端や荒地などで普通に見られる。何の取り得もないように見えるが、台湾では若葉を食用にするという。写真はベニバナボロギク。花(左・中)と冠毛(右)。 新秋や飲み残されて座卓の茶


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年01月08日 | 植物

<1836> 大和の花 (118) カラスビシャク (烏柄杓)                                 サトイモ科 ハンゲ属

                                                   

 全国的に見られる畑地の雑草として知られる多年草で、北海道から九州に分布し、朝鮮半島、中国に見られる有史前帰化植物と考えられている。葉は1、2個が根生し、楕円形の小葉3個からなる。花期は5月から8月ごろで、花茎は葉よりも高く、30センチ前後に伸びて立ち、先端に長さ数センチの仏炎苞に包まれた肉穂花序をつける。テンナンショウ属と違い、雌雄異株ではなく、花序の上部に雄花群、下部の片側に雌花群が離生する。

 仏炎苞は緑色から紫色を帯びたものまで変化が見られる。花序の付属体は長く糸状に伸び出し直立する。この仏炎苞の形を柄杓になぞらえこの名が生まれたという。ハンゲ(半夏)という別名を持つが、これは漢名による。また、ヘソクリという地方名があるが、これはカラスビシャクの塊茎がつわりに効く薬用として知られ、これを孫の子守りをしながら掘り取り小づかい稼ぎにしたことがあったからという。 写真はともにカラスビシャクの仏炎苞。   寒の雨凌ぎゐるのは心なり

<1837> 大和の花 (119) ショウブ (菖蒲)                                      サトイモ科 ショウブ属

                            

  全国的に分布し、ユーラシア大陸に広く見られる水辺に群生する剣状の葉が特徴の多年草で、サトイモ科の中では仏炎苞を有しないグループの代表である。花期は5月から7月ごろで、葉に紛れて長さが5センチばかりの花序を立て、花序の基部には苞が見られるが、花序を包まず、葉のように長く伸びる。また、花序にはテンナンショウ属の仲間のように付属体はなく、淡緑黄色の花被片6個、雄しべ6個、雌しべ1個の極めて小さな両性花をびっしりとつけ、花序の下方から順に咲いてゆく。花は露わに見えるが、まことに地味な花である。

  ショウブはアヤメ(菖蒲)とかアヤメグサ(菖蒲草)と呼ばれ、『万葉集』をはじめとして古歌によく詠まれている万葉植物である。これはショウブが五月の節(旧暦の端午の節句)に邪気を払う魔除けの薬玉(くすだま)や頭髪の飾りに用いられたことによる。『枕草子』にも言うように、平安時代には貴賎を問わず、庶民の間でもヨモギとともに屋根に葺いて一家の安寧を願い、時代が下ってからは浴湯にも入れられるに至った。

  ショウブは漢名の菖蒲(さうぶ)の音読によると言われるが、これはセキショウ(石菖)の誤りで、白菖が正しいという指摘がある。これはショウブとセキショウに似たところがあり、誤認されたと考えられる。また、ショウブは尚武に因み、男子の節句である5月5日(旧暦)の端午の節句に用いられるようになったと考えられている。剣に似る葉が重なるように生えるので、これを文目(あやめ)としてアヤメの名があるという。

  毎年5月5日の子供の日(現在の端午の節句)に行なわれる宇陀市大宇陀の野依白山神社のおんだ祭りの御田植祭には社殿や祠の屋根にヨモギとともにショウブが置かれるが、これは古来より続く祭りの中に残っているショウブを用いる邪気払いの風習の一端と見て取れる。なお、乾燥させたショウブの根を菖蒲根(しょうぶこん)と言い、浴湯に入れて用いると、神経痛やリュウマチに効能があると言われる。 写真はショウブの花。1センチほどの花序に極小の花がびっしれと咲いている(左)と屋根にヨモギとショウブが上げられた祠の前で行なわれる野依白山神社のおんだ祭り(右)。   よきことを願ふ正月なりにけり

 <1838> 大和の花 (120) セキショウ (石菖)                                          サトイモ科 ショウブ属

                                                   

   小川や溝などの水辺に群生するショウブ(菖蒲)の仲間の多年草で、ショウブに似るところがあるが、草丈はショウブよりも小さく、大きいもので50センチほど。濃緑色の葉も細く、一見してわかる。花期は3月から5月ごろで、肉穂花序はショウブよりも長く10センチ前後になる。仏炎苞はなく、苞は花序とほぼ同長か少し長い。ショウブと同じく、花序には淡緑黄色の極めて小さい花がびっしりとつき、下部から順次咲き上がる。

   セキショウの名は石菖の音読による。本州、四国、九州に分布し、中国、ベトナムなどにも見られるという。子供のころ、この肉穂花序を折り取って、弓のように曲げてまぶたにつけて遊んだ覚えがあるが、この遊びが由来と思われるメッパジキという地方名もある。ほかにも、イシアヤメ、セキショウブ、カワショなど多くの別名や地方名を持つ。

  なお、セキショウは観賞用に栽培され、高麗ゼキショウ、鎌倉ゼキショウなどといった園芸種も見られる。また、セキショウは薬用植物としても知られ、根茎を日干しにし、煎じて飲めば、健胃、鎮痛などに効能があると言われる。 写真は小さな花をびっしりとつけたセキショウの肉穂花序。左の写真はまだ若い花序で先端はまだ蕾の状態である。   冬は耐へ凌いでこその冬とこそ

 

 

 


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2016年05月12日 | 植物

<1596> オオヤマレンゲに寄せて

        自然 風土 環境 経験 知恵 思想 科学 

     果して 私たちは如何なるものを大切に思い

                 果して 如何なるものに重きを置き生きるか

        願わくは 性急なるよりも自然体でありたい

 大峰山脈の主峰八経ヶ岳(一九一五メートル)周辺に自生分布しているモクレン科のオオヤマレンゲは世界に類例がない貴重な群落として昭和三年(一九二八年)国の天然記念物に指定され、その後、シカの食害により減少を極め、奈良県では絶滅寸前種の一つにあげられ、自生地ではシカ避けのネットを廻らせるなどの保護対策がなされるようになって久しい。結果、ネット内ではオオヤマレンゲの生育はよくなっていると言われる。

                                                            

 このオオヤマレンゲが近年平地でも公園や社寺、民家の庭先などでも見られるようになり、珍しくなくなった観がある。モクレン科らしく純白の清楚な花を咲かせ、八経ヶ岳周辺の深山では七月初旬ごろその花が見られるが、これに対し、園芸種の平地の花は五月中旬ごろ見られ、例えば、大和郡山市の大和民俗公園ではその純白の花が咲き始め、見ごろになっているといった具合である。

 園芸も日進月歩で、オオヤマレンゲのような深山の花は、一昔前までは深山の自生地でしか見られなかったが、今や人間の知恵によって平地でもお目にかかれるようになった。これは一つの進歩と言ってよいが、山に登らなければ、山の花には出会えないのは真理で、オオヤマレンゲの花は、やはり、八経ヶ岳に登って見るのが最高であると私には思える。

 それは花の咲いている時と所の景観、即ち、風土の中に咲くという自然環境が大きくその花とその花を観賞するものに影響するからである。思うに、公園のオオヤマレンゲに触れた後、出来れば、八経ヶ岳のオオヤマレンゲを訪ねて、その花に接して欲しいという気がする。

 深山の自然はどのようなもてなしをしてくれるか、晴れ上がった空とその日和による空気感の中に咲く花か、それとも深山特有の霧の晴れゆく中に現われて来る花か。八経ヶ岳のオオヤマレンゲには関東方面からも一目会いたいとやって来る人たちがいる。そのような人たちに私は出会ったことがある。やはり、その花の魅力は深山にある。 写真はオオヤマレンゲの花。左は大和民俗公園の花。右は八経ヶ岳の自生地の花。

 

 


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2016年04月12日 | 植物

<1565> シュンランの山に寄せて

         春蘭の 姿いまなき 山さびし

 シュンランの花を見る目的で、十三年ぶりに奈良市近郊の山に入った。だが、十三年の歳月は山の様子を一変させていた。当時は車の通れる道幅があり、山仕事の作業車が入って、人影も見られた。菩提山川上流の谷筋を隔てて自然林とスギ、ヒノキの植林域が見られ、その二次林的な自然林の林床にシュンランが点在していた。

 という山で、少々期待を込めて出かけたのであったが、道はぬかるみ、シノダケは生い茂り、薮漕ぎをしなければ前に進めないところもあるほど荒れていた。なお奥へ進むと、自然林の一部にヒノキの植林がなされ、辺りの雰囲気を変えていた。このため、道を違えたかと思ったほどである。

  しかし、谷筋の道は真っ直ぐ山腹に突き当たることを覚えていたので、群生するシノダケをかき分けながら歩を進めた。そして、その難儀な薮漕ぎを凌いだ先に見覚えのある疎林の明るい山腹が見えた。十三年も前のことであるが、踏査した実体験は覚えているもので、シュンランはこの辺りにあったと思いつつ、尾根へと続く乾燥気味の山腹を観察して回った。しかし、シュンランの姿は見当たらなかった。当時撮影した岩の傍にもなかった。岩は上面が平らな形で、記憶にあった。

                                           

 当時は、花が完全に開いていなかったので、二度訪れ、そのためもあってよく覚えている。雑木はまだ芽吹き始めたばかりで、林床は明るく、観察しやすかったが、見られるのはシハイスミレばかりで、結局、シュンランを見ることは出来ず、歳月の隔たりを感じさせられたのであった。

 シュンランは何故に消えたのか。打撃を与えるほど環境に変化があったとも思えないので、シュンランが姿を消したのは別の要因によると思える。シュンランは、私が子供のころには山に入ると普通に見られたもので、懐かしいが、近年、観賞のために採取されることが多く、激減した。

  大和地方も例外でなく、シュンランの激減は著しく、平成二十年(二〇〇八年)に出された『大切にしたい奈良県の野生動植物』(奈良県版レッドデータブック)には絶滅危惧種としてあげられるほどで、今日に至っているのが自生するシュンランの実情である。こういう状況にもより密かに期待して山に入ったのであるが、期待は叶えられず、落胆する結果に終わった。

 シュンランが消えた要因については定かでないが、この時期、シュンランの花が見られないのは、何とも淋しい山の姿ではある。 写真はシュンランの花が見られた雑木林の林床(左、・平成十五年四月八日写す)とシュンランの姿が消えた同じ林床(右・今月四日写す)。傍に上部が扁平な岩が見られる。岩だけは十三年前のままだった。

 

 

 


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2016年04月07日 | 植物

<1560> 花 に 嵐

         散り急ぐ グッバイ さくら さくら花

 花に嵐の譬えの通り、今日七日の西日本は発達した移動性低気圧の通過により雨をともなった強風が吹き荒れ、満開のサクラは花を散らした。午後には散り敷いた花びらで辺り一面が雪の積もったように白くなった。これはサクラが作り出す雨の日の風情であるが、訪れる人はほとんどなく、公園は閑散としていた。

                

 三月二十七日に開花して十二日目に当たる。花期は短く、わずかに十日余。そんなに散り急がなくてもよかろうが、春の女神はこの時期、花に容赦のない嵐を呼ぶ。嵐とともに春はいよいよたけなわになり、夏の女神にバトンタッチしてゆく。「さようならだけが人生だ」とサクラの花に心を寄せた御仁はこの世が時の移りゆくことに理解していることを表明したということであろう。

 所謂、旅の終わりは「さようなら」。「グッバイ」という言葉を用いた作家もいる。昨日までにぎわった花の下を思うと淋しさは否めないが、これも世の常、「さようなら」も「グッバイ」もじくじくしない案外明るい言葉であることは、生きとし生ける私たちにとって救いと言えるだろう。 写真は強風に煽られ盛んに散るサクラ(左)と雪のように散り敷いたサクラの花びら (ともに馬見丘陵公園で)。