大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年09月30日 | 写詩・写歌・写俳

<1374> コスモス満開

          コスモスの 一面に咲く 古墳道

      

 今日はぐっと冷え込み、秋らしくなった。大和地方は午前中快晴で、秋らしい雲も出ていた。湿度も低く、爽やかな気持ちのいい朝だった。斑鳩の里の藤の木古墳の傍の田んぼでは一面に植えられたコスモスが満開の時期を迎えた。つい四、五日前までは花がちらほらだったが、朝晩の冷え込みもあって、今朝はほぼ満開の状態になった。これからが見ごろである。 写真左は一面に咲くコスモスの花(中央の墳丘は藤の木古墳。右後方の山並は金剛葛城山脈。右は満開になったコスモス畑。では、コスモスに寄せて、今一句。  コスモスや 風さはやかに 通りゆく


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年09月29日 | 写詩・写歌・写俳

<1373> 大和の山岳行 (15)  三 浦 峠

         山里は 草刈り終へし 秋の色

 このほど熊野古道の一つ小辺路の三浦峠往復を歩いた。往復とはいうものの、これは目的であって、実際には時間的余裕がなく、三分の二ほどのところで引き返し、峠までは行けなかった。三浦口から登ったのであるが、三浦峠は初めてだったので、民宿の人に訊ねたら片道三時間ほどであるという。スタートが午前十時過ぎと遅かったので、二時間で行けるところまで行き、そこから引き返すことにして歩き出した。ために三浦峠には至れず、多分、三分の二ほどのところで踵を返すことになった。で、峠への道は整備されて歩きやすかったが、ほとんど視界の効かない植林帯の歩きで、時期にもよるが、一つの目的である花も、かたい蕾をつけたテイショウソウくらいで、これといったものには出会えなかった。

  花を求める山歩きにはしばしばこういうことがあるので、それほど悔やまれる気持ちはなかった。もう少し登っていたら見晴らしのよいところに行き着けたのであろうが、無理をしないのが私の一人歩きである。途中、一人の若者が宿営出来る用具を背にして私を追い越して行った。彼はどこに宿を取るのか。聞きそびれたが、多分、二泊くらいして小辺路を歩いているのに違いない。この日は十津川温泉郷のホテル「昴」にでも泊まるのかも知れない。では、ここで小辺路について少々。

                

  小辺路は前述したように熊野古道の一つで、高野山(和歌山県伊都郡高野町)から熊野三山の一つ、熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町)までの約七十キロに及ぶ紀伊山地を越える道である。この古道は近世以前から谷筋に住む地元民の生活道として重要な道としてあったらしい。これが近世以後、熊野詣での祈りの道として歩く旅人も多くなり、宿泊施設も出来てにぎわったようである。歩くと、その面影を宿す跡地も見られ、古道への想像が膨らんで来るところがある。

  この古道は標高千メートルに及ぶ三つの峠を越えて行くアップダウンの厳しい道で、道は整備されていたとは言え、昔の人というのは目的を達するため歩きに歩いたということがわかる。ときには行き倒れもあったと思われるが、とにかく約七十キロの祈りの道の上下千メートルに及ぶアップダウンの歩きは、信仰の強さに支えられたものであったのだろうと思わせる。

  この日は日差しが強く、湿度が高かったので、山歩きには不向きだったが、ほとんどが植林帯であったため、助かった。まず、十津川の支流の神納川(かのがわ)に架かる鉄製の吊り橋「船渡橋」を渡り、石畳の道を辿り点在する三浦の集落に入り、刈り入れの終わった棚田を見ながら山中に向かった。夏の間に伸びた棚田の畦の草は綺麗に刈られ秋を思わせるところがあった。

  三浦の山里を抜けるといよいよ山中に入る。暫く歩くと九十九折りになった道の一角に屋敷跡があり、何本かの古い杉の巨木が見られた。「吉村家跡防風林」と書かれた説明板があり、これによると、吉村家は旅籠を営み、昭和二十三年(一九四八年)ころまで、ここに住まいしていたという。この辺りまでが三浦の集落範囲で、小規模ながら宿場的機能を果たしていたのではないかという。周辺の杉の巨木は樹齢五〇〇年前後と推定され、防風林の役目を果たしていたのだろうという。言わば、この杉の巨木は近世の証を担って今なお立ち続けていると言える。

  ここからなお標高約一〇八〇メートルの三浦峠への道は延々と山中の中に続いている。吉村家が繁栄していた時代は自然林で、様子も違ったものであったろうが、現在はほとんどが杉や檜の植林帯である。そんな中、道が少し明るくなったと思ったら立派な赤松の群落が見えて来た。多分、昔はこのようであったと想像しながら、それより暫く歩いて二時間に達したので、その明るい松林まで引き返し、そこで持参の弁当を食べ下山した。 

  この日の教訓―――拙い仕儀に至っても納得せざるを得ないことはある。 我慢は自らの力によるものであり、その力の実証である。この力をこの先に生かすべく、我慢はある。 写真は左から神納川に架かる船渡橋、三浦集落への石畳の道、吉村家屋敷跡の杉の古木、立派な赤松林。


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年09月28日 | 写詩・写歌・写俳

<1372> 中秋の名月と満月

          名月や 果してぼくらは 地球人

  二十七日は中秋の名月で、今日二十八日は満月。名月イコール満月とは限らないのは旧暦(太陰太陽暦・陰暦)において名月が暦の上で決められた十五日の満月の日の月であり、一日ずれて今日見られた満月は実際の月の姿ということになる。月の運行をもって暦を決めていた旧暦では春は一月から三月、夏は四月から六月、秋は七月から九月、冬は十月から十二月で、一月一日は現在の二月の新月の日をもって当てたため、年によって異なり、立春の日と重なることは稀で、この新月の日を一年のスタートとしたから旧暦の八月の真ん中の十五日を中秋と言った。これを太陽暦の現在に当てはめると、今年は九月二十七日が中秋に当たる。ということで中秋の名月は二十七日の月ということになる。しかし、暦と実際の月の運行には誤差があって、微妙に違って来る。結果、今年の月齢十五日の満月は一日遅くなり、このような食い違いが起きることになった。

                 

    名月や 大和は山の 端に出づる

    名月や 大和は塔の うへに見る

    名月や 出ていますよと 妻の声

  この暦と実際の誤差の現象は年にも及ぶことになり、調整する必要が生じる。現在の太陽暦でもこの誤差は生じ、閏年を作って二月に調整するようにしている。旧暦の場合は閏月を設定して十二ヶ月を基本とし、十三ヶ月の年をこれに加えて調整した。これによって感覚的混乱が起きたようで、『古今和歌集』の冒頭、春歌上に次のような歌が見える。在原元方の歌で、「ふるとしに春たちける日よめる」と詞書にある。

  年の内に春はきにけりひととせをこぞとやいはんことしとやいはん

 これがその歌で、「年内に立春を迎えたこの一年を去年と言えばよいのか、今年と言うべきなのだろうか」という意である。言わば、これは閏月の年の歌と知れる。岩波の日本古典文学大系には、「たとえば、九月の話をするに、去年の九月と言おうか、ことしの九月と言おうか、という心持。待望の春を迎えた喜びの中でふと気づいた云々」と説明が加えてある。所謂、これは感覚による発見を読んだもので、当時はこのような新春もあったわけで、中秋の名月と望月の満月にずれが生じることに等しく、太陽と地球と月の関係による一つの現象と言える。 なお、今日二十八日の満月はスーパームーン(極上の月)というらしい。一番大きく明るい満月の意。これは月が地球の周りを回っている円軌道に多少の歪みがあるからで、月が最も地球に近くなる時の満月を言うらしい。私には初めて聞く言葉である。 写真は左が二十七日の中秋の名月。中は二十八日の満月。右は山の端より顔を出す満月。

    満月のやさしき冴えは 昔より

    満月の食ふも宜しき 丸さかな

    満月の何か頼もし 身に添へば

  


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年09月27日 | 写詩・写歌・写俳

<1371> 安倍政権の五つの問題点 (5)

         得しもあり失ひしもありここに今 なほいくばくか歩む道程

 国民多数の反対を押し切って安保法案を成立させた安倍首相は自民党総裁の再選を受けて行なった記者会見において「一億総活躍社会」というスローガンを掲げて抱負を述べたが、あまりにも前向きなこの大風呂敷に私などはその言葉の裏に隠されている日本の危機、即ち、国内外の厳しい状況に思いが行ってしまうのである。

  私は「一億総活躍社会」という言葉を聞いて咄嗟に、昭和十三年(一九三八年)に出された国家総動員法を思い出した。この法は戦時にあって人的乃至は物的資源を国の方策に統制をもって従わせるべく運用させるもので、政府に権限を与え、国民にその義務を課すというものであった。つまり、第二次世界大戦を控えて出されたこの戦時法制を思い出したのである。

  思うに、当時は深刻な経済的状況、即ち、不況が日本を被い、内外ともに八方塞りの状態で、これを打開するには自らの力をもって海外に進出するしかないという機運が高まり、戦争に打って出る選択をした。で、第二次世界大戦の太平洋戦争に突入したのであった。これはそれ以前の日清、日露の戦いに勝利した実績と第一次世界大戦への参戦によって利を得たという裏付けによる読みと身の程知らずのうぬぼれがあったことを示すもので、結局、大戦は日本の敗戦で終わったのであった。

                         

  国家総動員法はこのような事情にあって出されたたもので、一億総活躍社会のお題目とは内容的に随分かけ離れてはいるが、似ているところがあるのである。それは国家総動員法も今回のこの安倍政権のスローガンも国の思わしくない状況が下敷きにあり、これを如何に打開するかというところに発している点である。言葉のニュアンスは違うが、国民に対して一つの連帯意識を持たせようとする全体主義的な思惑が見える。

  一億総活躍社会というようなスローガンを国が敢えて国民に呼びかけることもなかろうと思うが、これは国の状況に危機感があるからと言える。ここで思われるのが、第五の問題点の一つ、国並びに地方自治体の大借金のことがあげられる。総活躍とは聞こえがよいが、この言葉が響いて来ないのは、国の政策がみな国向きで、国民を締め付けるばかりの制度、政策がなされ、国民に信頼のおけるものがないからである。

  消費税の軽減税率の問題にしてもマイナンバー制にしても、それが言える。国民の期待がちらついている軽減税率で言えば、政府は何も考えていない。もし軽減税率を実行するのであれば、具体的な論議がなされているはずであるが、そんな論議はしていない。つまり、軽減税率など端からする気がなく、今に至っている。そして、今やっている補助金で茶を濁し有耶無耶にする。言わば、国民への目線に立つことなく、国は自分本意にことを進めている。で、国民の政治に対する不信はいよいよ募るということになる。

  会見で述べられた「介護離職ゼロ」などという気前のいい話は公務員には摘要出来ても一般社会において出来るものではない。それは今の核家族をベースにした夫婦共働きのような余裕のない社会の成り立ちと大借金に見舞われている国の現状、即ち、日本の社会における環境においてはこのスローガンと社会の成り立ちが同時に出来ない点の矛盾があるからである。

  こういう社会の問題一つを取って見てもわかるのであるが、そんなところには一向に頓着せず、税金を使い放題にする。そのよい例が、新国立競技場や東京五輪のエンブレム騒動である。政治家は五輪名目ならいくらでも予算を組めるくらいにたかを括っているのである。そうでなければあんなべらぼうな予算は立てられない。コンパクト五輪を謳いながら勝手気ままに税金を使う。こういう国の状況下に果して薔薇色の花が咲くとは到底思えない。この話は、五輪に経費がかかり過ぎることを助長する意味でほかの国にも迷惑な話なのである。これにもやはり自分本位の浅はかさが日本の国政に見て取れるわけである。

  少々余談になったが、これに加えて、格差の問題が横たわっている。格差には大きく言って、人と場所(地域)とがある。どちらも指摘されているが、この格差を放置すると、必ず社会の不安を導くことになる。事件や事故は個人的な要素の絡みに現われ、社会的要素は見え難いが、個人的要素は社会的要素に影響されることが大なり小なりあるもので、この関係性を疎かに見ることは出来ない。事件や事故というのはそういう性質のものであり、そういう事件や事故が重なると社会の問題として問われるのである。

  個人が集まって社会が形成されている以上、こうした事件や事故の捉え方は間違っていない。夏目漱石の『草枕』が指摘するごとく、住み難い世をいくらかでも住みよくすることが、社会の安定、即ち、国の安定に繋がる。個人と個人の繋がり、場所と場所の繋がりによって社会が作られているのであるから、ここに格差をなるべく生じないようにするのが社会の安定には一番の効用と言ってよいわけである。

  もう一点、私に懸念される安倍政権の方策がある。それは日本の行く末を外の国に託すというやり方である。株への投資を促進するという点もあげられるが、第一次産業を軽視し、食料の自給率を考えず、これを海外に委ねるということが進められていることである。衣食住が足りて社会は立ち行くが、食はことに大切なものである。それをよその国に委ねるという考えは他力本願であってよいことではない。自分の食いぶちくらいは自分で賄うことをしなければ、合いすまぬということが言える。中東のような砂漠の荒野に住む人々を思えばなおさらのことである。

  このように見て来ると、安倍政権の政策に覚束ないところが見え隠れすると言える。中でも懸念されるのは大赤字の国の財政状況である。この大赤字が諸悪の根源であることは先にも触れたが、これは獅子身中の虫と同じく、国に関わっている行政人並びに政治家自身が身を律し、政治に向かわなくては解決をみない問題としてある。しかし、これは一番難しく、これが出来なければ、遠からず、日本は破綻の憂き目を見ることになると言ってよい。  写真はイメージで、昇り来る朝日。  それぞれの人生にしてそれぞれの営みがある日輪の下              ~終わり~


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年09月25日 | 写詩・写歌・写俳

<1370> 安倍政権の五つの問題点 (4)

          教訓は過去の事象にあるゆえ

            過去の事象の積み重ねである歴史は

            即ち 教訓たり得るものであって

            その歴史に学ばないものは

            教訓を得ない愚者と言わざるを得ない

            こういう愚者は再び同じ過ちを犯す

 以上のように、安倍政権の経済優先の国政運営について、海外に目を向けその覚束なさを指摘したのであるが、目を国内に返して見ると、国内にもまた諸問題が積み上げられ、その諸問題にやはり日本の今後に覚束なさが感じられる次第である。で、この五点目の問題の中で国内事情について最後に考えてみたいと思う次第である。

 一つに少子高齢化の人口減少の問題があり、一つに国、地方合せて見られる公的な大借金の財政逼迫の事情がある。そして、今一つには地域並びに個人による格差の問題があり、大きく見てこの三点があげられる。どの問題も喫緊の課題で、直ぐにも取り組まなくてはならないが、国政の遊長さが感じられる。これは格差の上位にある組織人の意識によって政治が取り行なわれているからだと言ってよい。では、少子高齢化の問題からまずは見てみたいと思う。

 この問題は経済の成長をもって生活の向上を図り、これによって国の繁栄として来た戦後以来の事情が大きく関わっている。経済を伸ばすために戦後一貫して採って来たのが労働人口の都市部への集中と消費を伸ばす核家族化であった。敗戦によって戦勝国の米国よりもたらされた自由主義の導入とともに大家族制は廃されて行き、核家族化を進めて来た。これはなるべく多くの家族を作って、物が売れるようにする消費拡大のアイディアから進められた。結果、大家族は失われて行き、親と子による核家族化が進んで行った。しかし、この核家族化には子育ての難儀を考えに入れない少子化を招く因子があった。この因子が読めていなかった。結果、深刻なまでの少子化に至った。

                                                          

 経済の成長にともない個人の収入は上がったが、物価も上がり、夫一人の収入では家計のやり繰りが出来ない現象が生じ、夫婦共働きをしなければ生活が成り立たないようになって来た。結果、核家族では子育てが無理な状態になり、背に腹は代えられない現実生活に当たって子供はなるべく作らないということによって少子化の現象が生じて来た。言わば、経済の成長と軌を一にして少子化の問題は顕現して来たのであった。

  夫婦二人で一人前という状況は、雇用する側の賃金抑制策とそれに絡む派遣労働などの制度によるところが大きく、これは、輸出に頼る日本の盲点であった新興国の成長による競争力の低下が影響したことによる。この競争力を保つには賃金の抑制が欠かせないところとなり、今もこれが尾を引き、夫婦で共働きをしなくてはならない社会状況になっているのである。結果、子供も思うように作れず、少子化の問題は生じて来たのである。思うにこれは日本という国の弱さに起因していると言える。

  こうして構造的に出来上がって来た少子化の社会状況はいよいよ深刻さを加え、合せて高齢者人口の増加がこれに拍車をかけているのである。高齢化の現象は医療の発達にともない得られる長寿とともに当然起きて来るが、当面主義の政治はこれに対処して来なかったところがある。それは年金や医療の福祉に誤算が生じて現在の四苦八苦につながっている点一つを見てもわかる。この問題は放置することが出来ないのだから、遅まきであっても、ここには公的予算を注ぎ込まなくてはならないことが言える。

 少子化の問題は、臨床の場当たり的対策では治まり得ないことを考えなくてはならない。これは少子化に至った経緯から考えなくてはならない問題で、一年や二年で解決することはあり得ない。なぜなら、少子化が半世紀以上をかけて生じて来たことだからである。この少子化は高齢人口の増える要因とともに日本という国の体力にボディーブローのように影響して来る。これは必然のことで、これに対処するには効率的な人の活用か、経済的縮小、或いは移民の導入を考えることしか今のところ方法がないように思える。

  移民で言えば、国の選定を考え、ネックになる日本語の普及に当たるような方策を取らねばならない。移民はどこの誰でも構わないというようなわけにはいかないとするならば、早めに対処した方がよいと言える。時の過ぎるのは速やかで、ボディーブローの影響が出て来てからの対処では遅すぎると思える。 写真はイメージで、日本列島の地図。地図を見ると、日本の置かれた位置がよくわかる。 ~次回に続く~