大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年07月31日 | 植物

<2040> 大和の花 (281) ガマ (蒲)                                                                    ガマ科 ガマ属

                  

 ガマ科はガマ属1属のみで、日本にはガマ(蒲)、コガマ(小蒲)、ヒメガマ(姫蒲)の3種が見られる。3種とも雌雄同株で、茎の先に雄花穂がつき、その下側に円柱形の雌花穂がつく特徴がある。3種はこの雄花穂と雌花穂の形やつき方によって分類されている。では、ガマから見てみよう。

 ガマは全国各地の浅い池や沼に生え、湿地などにも群生する多年草で、溜池や湿地の多い大和(奈良県)ではよく見かけられる。茎は1メートルから2メートルに直立し、葉は剣状で、長さは1メートルほど、基部は鞘状になって茎を包む。花期は6月から8月ごろで、茎の先に円柱形の雌花穂がつき、その穂の上に接して雄花穂がつく。

 雌花穂は緑褐色から褐色になり、ガマの雌花穂は3種の中で最も大きく、長さは10センチから20センチになる。雄花穂は細く10センチ前後の長さで、黄色の花粉を出す。この花粉は漢名によって蒲黄(ほおう)と呼ばれ、止血に効能があるとされる。雌花穂は最初直径数ミリほどであるが、果期には2センチほどと太いソウセージ様の形になり、秋には白い穂綿を見せる。

 ガマは古くから見える植物で、『古事記』の神話にサメによって皮を剥がされた因幡の白兎が大国主神の助言によってガマの花粉蒲黄をもって傷を癒し治したという插話が見える。大昔からガマの花粉は止血に用いられ、薬用植物としてあったことをこの插話は物語っている。

 また、若葉は食用に、成長した茎や葉は蓆や簾に、穂綿は寝具に用いられ、蒲団の名はこれによって生まれた。今は雑草然と見え、活け花の花材くらいにしか活用されないが、イネ科のアシやススキと同じく、昔は生活に密着した有用植物の1つだった。 写真は群生するガマ(左)と穂綿が露出し始めた蒲の穂群(大和郡山市と奈良市の郊外)。  蒲の池遠き昔もかくありや

<2041> 大和の花 (282) ヒメガマ (姫蒲)                                              ガマ科 ガマ属

           

  ガマの一種の多年草で、ガマと同じく浅い池や沼などに群生し、湿地でも見かける。茎の高さは1.5メートルから2メートルとほぼガマに等しいが、葉がガマより細いので、すらっとした感じを受ける。花期は6月から8月ごろで、雌雄同株の花は茎頂につき、下側に雌花穂、上側に雄花穂がつく。これはガマと同じであるが、ヒメガマは雌花穂と雄花穂が離れてつくので、接する他種との見分けになる。花穂が細身であるのも特徴。

  日本全土に分布し、溜池の多い大和(奈良県)では、ガマと同様各地で見られるが、ガマほど多くはない。なお、ガマ類は花粉に止血の効能があり、これを漢方では蒲黄(ほおう)と言い、『古事記』にも登場することは先のガマの項で触れた。3種の蒲黄に薬効の違いはほとんどないが、ヒメガマの蒲黄は鮮黄色で、無味無臭、微細な粉末状であり用いやすいためか、漢方ではヒメガマの蒲黄を用いるという。  写真は雌雄の花穂が離れてつき、全体的に細身のヒメガマ(いずれも奈良市内)。   夏雲に照らされ遠き日を駈ける

<2042> 大和の花 (283) コガマ (小蒲)                                               ガマ科 ガマ属

      

  ガマやヒメガマと同じく、浅い池や沼、または溝や湿地に群生して生える多年草で、本州、四国、九州に分布し、大和(奈良県)では奈良盆地の北中部で多く見られる。ガマやヒメガマと混生していることもあり、「休耕田や放棄水田の増加に伴って増加傾向にあるが、土地造成や再耕作による自生地の消失も多い」との見解により希少種にあげられている。

  雌雄同株で、雌雄の花穂が密着しているガマと同じタイプであるが、ガマより小さく、草丈は大きいもので1.5メートルほど、花穂も短く、比較すれば、全体に小振りで、その違いはわかる。写真は休耕田の湿地に群生するコガマ(奈良市東部)。

 夏草や齢の塔に雲の峰

 

 


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2017年07月30日 | 写詩・写歌・写俳

<2039> 余聞、余話 「所感」

       公平にあらざるものを思ふ世に民衆の声どこからともなく

 歴代一位の勝ち星を記録した横綱白鵬の相撲に最近批判の声が上がっている。前人未到の記録の誉れにもかかわらず何故なのだろうと考えをめぐらせるうち一つの見解に行き着いた。それは土俵上における横綱の姿にある。最近の横綱に相手の顔面をはたく張り手が多いことがまずあげられる。寄せられる批判のことごとくがこの張り手の見苦しさを指摘している。張り手は相撲の規則上違反ではないから使って何ら問題にされることはない。しかし、横綱だけがこの張り手を自由に使え、一方的にやっているところに問題がある。これが横綱の張り手が問われるところで、見る側にはそれがよくわかるので、批判が寄せられているわけである。

  今少し詳しく言えば、公平でなくてはならない土俵上の勝負において横綱白鵬の取り組みでは上下関係が勝負に持ち込まれ、その意識によって勝負の公平さが歪められていると見る側が感じているからである。それはどういうことかと言えば、相手の顔をはたく張り手というのは横綱に対する格下力士には礼(礼儀)を失する禁じ手として使えない。その張り手を横綱が一方的に使うということは、その時点において勝負の公平性が損なわれていることになる。

  私などは格下力士も横綱に遠慮することなく大いに張り手を用いればよいと思うが、礼(礼儀)を重んずる常識はそれを許さないところがある。角界では殊にそれが言える。しかし、下の力士が失礼と思う技を上、即ち、横綱が上下関係の特権によって躊躇なく、その相手に失礼な技を用いることが出来、それが頻発している。そこに見る側は横綱の横暴を感じ、その土俵上の姿に不満を覚えているのである。

                 

  いっそのこと上下関係の礼(礼儀)などには頓着せず、張り手の技を誰もが用いてよいようにすれば、文句は出ず、よりおもしろい取り組みが見られるかも知れない。でなければ、勝負の公平性を保つ意味において横綱に張り手の封印を望むしかない。今、批評子から出ている横綱白鵬に対する苦言は、ひとえにこの礼(礼儀)に関わっていると思える。言ってみれば、横綱白鵬の一方的な張り手の使用は、私たちが常識にしている礼(礼儀)、即ち、上下関係においては下が上に対して礼を尽くさなくてはならないという教えの構図によって勝負の要である公平性が歪められているからで、それが横綱の一方的な張り手の頻発に透けて見えるゆえに苦言は生じていると受け止められる。

  この件で、一方的な礼(礼儀)の常識的あり方について、太宰治の箴言的な一文を思い出した。太宰は「如是我聞」の中で「後輩が先輩に対する礼、生徒が先生に対する礼、子が親に対する礼、それはいやになるほど私たちは教えられてきたし、また、多少、それを尊奉してきたつもりであるが、しかし先輩が後輩に対する礼、先生が生徒に対する礼、親が子に対する礼、それらを私たちは、一言も教えられたことはなかった」と言って、礼(礼儀)というものを問うている。

  この一文の言葉を横綱白鵬に批判の目がそそがれている張り手等の土俵上の光景に照らしてみると透けて見えるものがうかがえる。言わば、格下力士はよくその礼(礼儀)を尽くしているのに対し、横綱は自らの特権をフルに用いて格下の礼に応えることなく一方的に格下力士が禁じ手にしている張り手を用いる。これはまさに公平な勝負とは言えず、最近の横綱にあっては勝負に勝って礼(礼儀)を失し負けていると言わざるを得ない相撲の様相になっている。見る側の割り切れない不満の思いはこの点に発している。

  張り手だけでなく、「さあかかって来い」と言わんばかりに両手を広げて見せる姿も私にはいただけない横綱の態度に思える。土俵は真剣勝負の場であって、稽古場の延長ではない。横綱が両手を広げて相手力士を挑発するような土俵上の光景は格下力士を子供扱いに見下している姿に映り、太宰が言う上が下に礼を尽くすという意味において何ら配慮がなく、この姿にも何か言い知れない不快を感じるのである。これは一人勝ちしている横綱の個人的奢りから来ているものか、否、それだけではなく、相撲界全体の精神性に発しているとも思える。

  この横綱の相撲に対する見る側にある批評子の苦言は相撲協会の指導力も問うているような気がする。強いものが上位につくのは勝負の世界では当たり前のことであるが、勝負が公平性に欠けるような精神性をその仕組みに放置することは許されず、納得されない。この点が最近の横綱白鵬の相撲内容には指摘されているのである。昨今の政治にもこの公平性が問われているが、相撲の世界も政治と同じ今の世の中を映しているものなのか。勝てば官軍では、相撲の精神は問われる。勝負の公平性が見る側に納得される相撲が望まれる。 

  写真はイメージで、一面に咲くヒマワリ。一つの抜きん出た花はその花を取り巻くほかの数ある花によって成り立っていることを忘れてはならない。横綱白鵬の史上最高の勝ち星の数は負けた力士の数ある黒星の記録でもある。その負けの記録がなければ、横綱の誇る記録もないことは言うまでもなく、私たちは、その偉業の中で少しは気に止めておかなくてはならないはずである。如何に負けが込む弱い力士も真剣に勝負に向き合っている。そうした力士に対しても、同じ土俵で戦う相手への敬意がなくては、相撲は成り立たず、上に立つ横綱も存在し得ないことになって敬われる価値もなくなる。最近の横綱白鵬に対する批評子の苦言はこのような点も指摘しているのである。

 


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2017年07月24日 | 植物

<2033> 大和の花 (275) オトギリソウ (弟切草)                     オトギリソウ科 オトギリソウ属

                                    

 山野から亜高山帯の日当たりのよい草地に生える多年草で、草丈は20センチから60センチほどになる。葉は広披針形で、基部は茎を抱く。花期は7月から8月ごろで、茎頂に直径2センチ弱の黄色の5弁花を放射相称につける。朝開いて夕方には萎む1日花である。葉や花弁に黒い油点が出来るのが特徴で、透かして見れば確認出来る。

 オトギリソウ(弟切草)とは妙な名であるが、平安時代の花山天皇のとき、晴頼という鷹匠がいて、タカの傷を治すのにこのオトギリソウを密かに用いていた。これを弟が他匠に漏らし、激怒した晴頼は弟を斬った。この謂われに因みこの名があると『和漢三才図会』は伝える。葉や花の黒点は斬られた弟の血の痕だというもっともらしい尾ひれもついているが、西洋でもこの黒点にキリストの血とか聖ヨハネの血を想起している。

 北海道から九州までほぼ全国的に分布し、大和(奈良県)でもよく見られるが、近畿の最高峰八経ヶ岳の標高1915メートルの山頂において咲く花に出会ったことがある、これをして言えば、オトギリソウは近畿地方で最も高いところに花を咲かせる草花である。

 なお、オトギリソウの茎や葉には収斂作用のあるタンニンが多量に含まれ、民間では切傷に用いたと言われる。また、漢方では、干した全草を煎じて、止血、月経不順、鎮痛、腫れものに用い、効能があるとされ、小連翹(しょうれんぎょう)の生薬名で知られる薬用植物である。 写真はオトギリソウ。左は曽爾高原。中は八経ヶ岳山頂の花。右は花と葉(黒点や黒線が見える)。

  日々暑しこの日々こなす齢かな

 

<2034> 大和の花 (276) サワオトギリ ( 沢弟切 )                     オトギリソウ科 オトギリソウ属

                     

  山地の水辺や湿気のあるところに生える多年草で、叢生し、高さ10センチから40センチほどになる。葉は倒卵形から長楕円形で、先は丸く、茎を抱かず、対生する。オトギリソウと異なり、葉には一面に明点が入り、縁には黒点が見られる。

  花期は7月から8月ごろで、茎頂の集散花序に黄色い1日花の5弁花を咲かせる。花弁や萼片にも明点や明線が見られる。北海道から九州までほぼ全国的に分布し、大和(奈良県)では紀伊山地においてよく見かける。 写真はサワオトギリ。左は群生して花を咲かせるところ。中は葉と花のアップ。右は一面に明点、縁に黒点の見える葉(西大台等)。  あのころといふ日ありけり夏木立

<2035> 大和の花 (277) ナガサキオトギリ (長崎弟切)            オトギリソウ科 オトギリソウ属

                                  

  サワオトギリ(沢弟切)の変種として知られるナガサキオトギリ(長崎弟切)は山地に生える多年草で、高さは30センチから40センチほどになり、数個叢生する茎の中部から上部で枝を出す。葉は長楕円形から倒披針形で、先端は丸く、基部はくさび形で、茎を抱かず対生する。サワオトギリと同じく、葉は裏面が白色を帯び、一面に明点が見られ、縁にわずかな黒点が入る。

  花期はサワオトギリと同じく、盛夏の7月から8月ごろで、茎頂の集散状の花序に黄色い直径1センチほどの5弁花を咲かせる。雄しべは多数、花柱は3個。萼片5個は広線形。実は蒴果で、熟すと褐色になる。全体的にサワオトギリに似て判別が難しく、分布域では、サワオトギリがほぼ全国的であるのに対し、ナガサキオトギリは四国、九州とする見解と東海地方以西とする見解、更には、サワオトギリが日本海側、ナガサキオトギリが太平洋側に見られるという見方もされているようである。言ってみれば、これはサワオトギリとナガサキオトギリが極めてよく似て、判別が難しいことを言っているということになる。

  紀伊山地に自生するものは果してどうなのであろうか。2種の違いは微妙で、まことに判別が難しい。敢えてここでナガサキオトギリをあげるのは、植物の中において常にこの問題が潜んでいるからである。写真の花は生える場所などを含めた全体的印象により、確実性は乏しいが、ナガサキオトギリと見た次第である。写真はナガサキオトギリ(ともに天川村の弥山登山道の標高1500メートル付近)。  店頭に西瓜の豊饒並びゐる

<2036> 大和の花 (278) コケオトギリ (苔弟切)       オトギリソウ科 オトギリソウ属 

                       

  湿気のある野原や休耕田などに生える多年草で、4稜のある茎は高さが数センチから30センチほどになる。柄のない広卵形の葉は長さ1センチほど。半透明の明点が散見され、対生する。花期は7月から9月ごろで、茎頂や枝先に直径1センチに及ばない黄色の5弁花を開く。花は朝開いて夕方には萎む1日花である。全国的に分布し、大和(奈良県)でも湿田などで見かける。 写真はコケオトギリ(桜井市笠など)。よく似るものに葉がやや厚く、雄しべが10個と多いヒメオトギリ(姫弟切)がある。

  生きるとは時の移ろひ見開く目即ち日月の扉に対かひ

 

<2037> 大和の花 (279) コゴメバオトギリ (小米葉弟切)      オトギリソウ科 オトギリソウ属

            

  セイヨウオトギリ(西洋弟切)を母種とする欧州原産の多年草で、1934年三重県で見つかった。いわゆる帰化植物で、日当たりのよい草地などに生える。高さは80センチほど、楕円状披針形の葉は小さく、これを小米に擬えこの名がある。葉には明点があり、縁には黒点が入る。

  花期は5月から7月ごろで、茎頂の集散状の花序に黄色の5弁花が集まってつく。葉が細く小さいので、日本産のオトギリソウとは一目で見分けられる。 写真はコゴメバオトギリ。両方の写真とも宇陀市山中の草原で。

   時を越え遠くより来しものたちを乗せて地球はまるい存在

 

<2038> 大和の花 (280) トモエソウ (巴草)                       オトギリソウ科 オトギリソウ属

         

  山地や丘陵の日当たりのよいところに生える多年草で、茎は4稜、下部は木質化し、大きいもので1メートルほどに直立する。葉は長さが5センチから10センチほどの披針形で、柄がなく対生する。花期は7月から8月の暑い盛りのころで、茎頂に直径4センチから5センチの黄色い5弁の花を数個上向きに咲かせる。花弁が捩じれ、巴形に開くのでこの名がある。花は朝方開いて夕方には萎む1日花で、写真は花が新鮮な朝方撮るのがよい。

  北海道から九州までほぼ全国的に分布し、国外でも朝鮮半島、中国、シベリア方面に見られるという。大和(奈良県)では、「生育環境が限られ、個体数もすくない」として2008年の奈良県版レッドデータブックでは絶滅危惧種にあげられている。最近、自生地の1つである大台ヶ原のドライブウエイ沿いでは増えている。

  なお、トモエソウは黄海棠(おうかいどう)の漢名を有する薬用植物で、全草を日干しにし、煎じて服用すれば、腫れもの、止血に効くという。 写真はトモエソウ(いずれも大台ヶ原ドライブウエイ沿い)。 増減は世の常まさにそれぞれの生にあるなり難題にして

 

 

 

 

 


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2017年07月23日 | 写詩・写歌・写俳

<2032> 余聞、余話 「意識ということについて」

         まだ登り得ると気負ひし岩山の老いし証の風景に立つ

 差別は意識によって成り立つ。差別発言というのは意識せずに発しても差別される側がそれを意識して受け止めれば差別は成り立つ。これはいじめにも言える。いじめる側にその意識が薄くてもいじめに遭う側がそれをいじめと認識して意識すれば、そこにはいじめが成り立つことになる。意識は内心のものであり、自分の内心はよくわかるが、他者、即ち、相手側の内心はわかりづらい。そのわかり難さの中で、意識はなされ、それがつのれば、差別やいじめなどは起きる。言わば、差別やいじめというのは意識の問題なのである。

 つまり、私たちの人間関係には意識が介在している。これは差別やいじめという事範だけではなく、私たちの日常において、この意識が作用し、私たちの発言や行動に影響を及ぼしている。この影響には個人差があり、ああでもないとか、こうでもないとか意識をつのらせている御仁がいるかと思えば、何ごとにも恬淡としていられる御仁もいる。それは千差万別であるが、気づくと気づかないでは大違いというようなことも言われるから、どちらがいいとか悪いとか評するのは難しい。とにかく、意識というのは良しにつけ悪しきにつけ私たちの心理に及び、行動に大きく関わって来る。

                                               

 最近、忖度という言葉が行き交っているが、この忖度なども人間関係における意識の下で行なわれている。高齢化社会になって、高齢者が取り沙汰され、高齢ということがより一層意識される社会状況になって来た。私などもその高齢域にある当事者で、意識せざるを得ない立場にあると言えるが、最近、周囲が否応なく意識させているようなところがある。で、高齢者ものんびれさせてもらえない雰囲気が日々の暮らしの中で徐々に高まっている昨今、高齢者には厳しい時代になりつつあるのが意識される。こうした意識を社会全体に広めることによって高齢化社会の諸事情に対処しようという思惑が政治などにも見え隠れしている。

 私の立場で言えば、歳は歳で、実年齢は認めなくてはならない。だが、まだ、老いぼれたという気分にはない。山に登ると体力の衰えを感じることもあるが、老いぼれたという意識はない。これは自分というものがわかっているのか、わかっていないのか知れないが、これが実感である。いくら実年齢より若い体力が身についていると誇っても年齢は年齢であって、そこに意識がゆくのは、それなりに歳を取っているからにほかならない。年齢を意識しなければ、こうした点に思いを廻らすこともないはずである。

  言ってみれば、他所の誰が長生きであろうが、なかろうが、また、健康であろうが、なかろうが、私には関係ない。私は私、それくらいに思って自分なりに自分を支えて暮している。千差万別のそれぞれであれば、それしかなく、それでよいのではないかと思っている。もちろん、降り来る火の粉は払わなくてはならないが、他人を羨んだり、蔑んだりしても何ら得ることがなければ、ケセラ セラで世の中を渡り、生きて行くのが老いゆく身には相応しかろうと思う。

  世の中の動向に流されて、世の中での自分の立ち位置を見失って、周囲ばかりが気になる御仁は結構多いのだろうと思いつつ、自分は自分の生き方で、自分なりに、そして、なるべく周囲に迷惑をかけないように生きて行く。これを心がけに、こだわりはあっても、過剰な意識には及ばないように努めること。このように思ったりする昨今ではある。 写真は我が家の簡易体脂肪計。身長170センチ、体重62キロ前後、体脂肪率は18前後。今朝の数値は体重が61.9キロで、体脂肪率は17.9だった。


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2017年07月18日 | 植物

<2027> 大和の花 (270) ヤブカンゾウ (薮萱草)                               ユリ科 ワスレグサ属

                       

 道端の草叢や土手、林縁などに生える多年草で、全国的に分布する。中国原産のホンカンゾウを母種とする有史前帰化植物と見られ、食用や薬用に栽培されていたものが野生化したと考えられている。根は細長く紡錘状の膨らみを持ち、太い花茎が1メートル前後の高さに直立する。葉は長さが50センチ前後の広線形で2列に根生し、基部で抱き合わせになる。

 花期は7月から8月の暑い盛りで、花茎の先端部からY字形に分枝し、その枝先に1花ずつつけ、ときには数個に及ぶ。花は直径8センチほどの大きさで、雄しべが花弁化して八重咲きになる。真夏の草叢に咲くその橙赤色の花は勢いがあり、その花の色と形に赤鬼を連想したか、オニカンゾウ(鬼萱草)の別名でも知られる。雄しべの花弁化で雄しべは本来の役目が果たせず、結実しないので、地下の根茎の分化によって繁殖する。

 花はこの属に共通の1日花で、朝開き夕方に萎むタイプに属する。古名はワスレグサ(忘れ草)で、『万葉集』には「萱草(わすれぐさ)吾が紐につく香具山のふりにし里を忘れむがため」(巻3-334・大伴旅人)と見える万葉植物である。このヤブカンゾウの忘れ草を身につけていると憂いを忘れることが出来るという中国古来の言い伝えにより、当時はヤブカンゾウを身につける風習があった。時代が下ると、ヤブカンゾウを身につけておくと子宝に恵まれるとも言われるようになった。これは根茎に膨らみが生じているからという。

 334番の歌は、旅人の太宰府赴任時の歌で、故郷の飛鳥のことを忘れたいためにこのワスレグサのヤブカンゾウを身につけたというものである。これは旅人の故郷飛鳥に寄せる望郷の念の強いことをあえてこのように表現したのである。平安時代の『源氏物語』には耐え忍ぶ意のシノブグサ(忍ぶ草)に変化して出て来る。これは1日花の意に沿うものであろうか。反対には忘れたくないという意を込めたオモヒグサ(思ひ草)のシオン(紫苑)の登場が見られる。

 なお、ヤブカンゾウは食用や薬用としても重宝され、その若葉は山菜としても人気がある。故に、その美味に憂いを忘れることが出来るという次第で、1名忘憂(ぼうゆう)、即ち、ワスレグサ(忘れ草)の名があるわけである。薬用としては、漢名で萱草(かんぞう)、生薬名で金針菜(きんしんさい)と見え、蕾は解熱に、根茎は利尿や腫れものに用いられ、効能があるとされて来た。 写真はヤブカンゾウ(いずれも奈良市東部の大和高原)      惑へるは心の仕儀にほかならぬ 薮萱草の燃え色の花

<2028> 大和の花 (271) ノカンゾウ (野萱草)              ユリ科 ワスレグサ属

         

  田の畦など少し湿り気のある草地に生える多年草で、ヤブカンゾウ(薮萱草)と同じワスレグサ属の中では朝方花を開き、夕方に萎む1日花である。また、ヤブカンゾウが八重咲きであるのに対し、ノカンゾウ(野萱草)は一重の花を咲かせる違いがある。ヤブカンゾウより一回り小さく、葉もヤブカンゾウより細い線形で、女性的な感じがある。

  花期はヤブカンゾウとほぼ同じ7月から8月ごろで、花茎の先端部に直径7センチほどの6花被片の花をつける。花は橙赤色が普通であるが、赤みの強いものがあり、これについてはベニカンゾウ(紅萱草)と呼ばれることもある。ヤブカンゾウと同じく、結実せず、根茎によって繁殖する。なお、ノカンゾウの若葉や蕾も食用や薬用にされ、解熱、利尿、腫れものに効能があるとされる。

  本州、四国、九州、沖縄に分布し、国外では中国、台湾に見られる。大和(奈良県)では田の畦などに群生して花を咲かせるのに出会う。だが、圃場整備などにより激減し、希少種にあげられている。写真は田の傍の草叢に花を咲かせるノカンゾウの群落(左・御杖村)。林縁の草叢に咲く花と花のアップ(中・右・宇陀市)。 萱草の花咲き烈し炎天下日を恋はば日に焼かるるならひ

<2029> 大和の花 (272) ユウスゲ (夕菅)                                     ユリ科 ワスレグサ属

         

  山地や高原の草地に生える多年草で、1日花を特徴とするワスレグサ属の中ではカンゾウの類と異なり、夕方開き、翌日の午前中に萎む花を咲かせる。ユウスゲ(夕菅)の名は、つまり、夕方開花する葉がカヤツリグサ科のスゲ(菅)に似ることによる。

  花茎は1メートルから1.5メートルほどで、広線形の葉が2列根生し、長さは50センチ前後になる。花期は7月から9月ごろで、花序は二股に分枝し、一花ずつ次々に咲かせてゆく。花は花被片6個からなるレモンイエローの筒状花で、基部で合着する。この花の色からキスゲ(黄菅)の別名でも呼ばれる。草本で夜咲く花と言えば、カラスウリ(烏瓜)やオオマツヨイグサ(大待宵草)、ユウガオ(夕顔)などが知られるが、これらの花は夜でもよく目につくように出来ているのがわかる。

  本州、四国、九州に分布し、朝鮮半島、中国東北部、シベリア、カムチャッカ半島などに見られるという。大和(奈良県)では植栽されたものをときに見かけるが、自生地は奈良市と桜井市の大和高原に限られ、野生の個体数が少ないことからレッドデータブックには希少種としてあげられている。私は2度ほど自生地を訪れたが、桜井市では保護に当たっている貴重な植生の1つである。なお、花は食用にされることもある。  写真はユウスゲ(桜井市東部)。   夕菅や哀れは常に生のもの

<2030> 大和の花 (273) バイケイソウ (梅蕙草)                                    ユリ科 シュロソウ属

     

  山地の林内や湿った草地などに生える多年草で、大群落をつくることが多い。茎の高さは大きいもので1.5メートルほどになる。広楕円形の葉は2列根生し、長さが20センチから30センチ、基部は茎を抱き、葉脈がはっきりと見える。花期は7月から8月ごろで、茎頂に大きな円錐花序を立て、直径2センチほどの縁に突起毛のある緑白色の6花被片からなる花を多数咲かせる。この花をウメになぞらえ、葉がケイラン(蕙蘭)に似るところからこの名が生まれたと言われる。類似種に北方型のコバイケイソウ(小梅蕙草)がある。

  北海道、本州、四国、九州に分布し、朝鮮半島から中国にも見られるという。大和(奈良県)では台高、大峰山系の山々を主に、尾根の草地など一面に広がる大群落が見られる。春の若葉は瑞々しく美しいが、全草に猛毒のアルカロイドが含まれる代表的な有毒植物で、食欲旺盛なシカも口にしないため増えたようである。昔は厠に入れて蛆の退治に用いたという話もある。花が咲く盛夏のころになると、葉が枯れて傷むものがほとんどで、一面に咲く花は圧巻だが、今一つ魅力に欠けるところがうかがえる。

  写真はバイケイソウ。左から大群落の花。若葉のころ。葉に傷みのない花。花序の先に赤とんぼ。花のアップ(花被片の縁に突起毛が見られる。雄しべは6個、葯は淡黄色。花柱は3個が反り返る)。   耳に入る音の多さや夏の朝

<2031> 大和の花 (274) ホソバシュロソウ (細葉棕櫚草)                           ユリ科 シュロソウ属

                                                   

  北海道と本州の中部地方以北に分布するアオヤギソウ(青柳草)の変種である花が赤褐色のシュロソウ(棕櫚草)の一種で、シュロソウの名は根元の古い葉柄がシュロ(棕櫚)の皮のように残ることによる。ホソバシュロソウは葉の幅が3センチ以下とシュロソウより細いのでこの名がある。

  高さが大きいもので1メートルほどになる多年草で、線状披針形の葉が30センチほどと長く、根ぎわにつくのでまたの名をナガバシュロソウ(長葉棕櫚草)という。花期は6月から8月ごろで、茎頂の円錐花序にシュロソウより長い1、2センチの花柄を有する赤褐色の6花被片の花を多数つける。花は両性花と雄花がつき、雄しべは6個。実は楕円形の蒴果で、熟すと茶色くなる。

  シュロソウが本州の中部地方以北と北海道に分布するのに対し、ホソバシュロソウは本州の関東地方以西、四国、九州に分布。国外では朝鮮半島、中国、ロシアに見られるという。大和(奈良県)はホソバシュロソウの分布域で、標高500メートルにも満たない大和高原から標高1700メートルに及ぶ大峰山脈の稜線まで点在的に見られる。昔は山間で普通に見られていたようであるが、現在は自生地が限られ、個体数も少ないとして、絶滅危惧種にあげられている。

  アルカロイドを含む有毒植物で、バイケイソウ(梅蕙草)と同じく、殺虫の効能により蛆退治のため厠に投入されたという経歴がある。 写真はホソバシュロソウ(大峯奥駈道の岩場と草地で撮影)。   朝蝉の声もろともの真夏かな