大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年11月30日 | 写詩・写歌・写俳

<1433> 病 院 の 日

         病院の待合長くそこここに居眠る人の小春の一日

 今日は三ヶ月に一度の定期検査のため、病院に出かけた。七年前に心筋梗塞の手術を受け、それ以来の病院通いである。検査の結果はずっと安定していて、今のところ問題になるような数値には至っていない。その点で言えば、まずまずで、順調と言えるかも知れない。

                           

 主治医は数値に厳しいところがあり、妥協を許さないが、それでも何とか検査をクリアしている。今日も大体において数値は変わりなく、マイナス点はつけられなかった。病院の玄関を入るときは少々不安になるものであるが、出るときは余程の宣告がない限り、まずは安心で、気分も晴れやかなものになる。 写真はイメージで、窓のカーテンと晴れ渡る小春の夕空。

   どうしやうもないね齢を負ふ命 衰へゆくが齢に見ゆる

  病院を出づるに ほっとする心地 小春の空に雲一つなく

  病とは望まぬものを病院に出入りする者それぞれに病む


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2015年11月29日 | 写詩・写歌・写俳

<1432> 紅(黄)葉と落葉

        紅葉の 日差しに映ゆる美しさ

 戦闘が止めどもなく続いている中東の辺りの風景をテレビの映像でみていると、戦闘の背景に広がるその風景に潤いがなく、荒んでいるのがうかがい知れる。こうい中東の戦闘に関わる風景を見ていると、何だかんだと言って、基を質せば、この荒んだ風景、即ち、人が暮らしてゆくに苛酷な環境に左右されていることが思われて来る。そして、水が豊富で、草木(植物)に恵まれた自然環境の下にある日本という国がいかに地球上の好位置にあり、私たちが暮らしてゆくに恵まれているかが思われる。

 日本は自然災害の多い国で、よくその被害に直面するが、これが日々におけるわけではなく、それ以上に自然からの恩恵を受け、暮らしてゆけるというありがたさが日本にはある。この環境下に私たちの精神や文化は培われ、伝統的に引き継がれて今に至っている。言わば、私たちの暮らしの根本にはこの自然環境が大きく影響していることが言える。これは、何処の国にも言えることで、国の個性にもなっている。

 日本における自然環境の点で言えば、何と言っても、四季の廻りがある。野や山の草木にその移ろいがよく現れると言えるが、四季の春夏秋冬の中で春と秋に私たちの感性はよくその四季の変化を汲み、精神の糧にして来たところがある。

 春は作物を植える時期であり、芽生えの新緑がある。これに対し、秋は収穫の時期であり、紅(黄)葉し、落葉して行く彩りが見られる。私たちを取り巻く自然環境の中で、紅(黄)葉し、落葉する落葉樹の存在は実に大きい。これは温帯の特徴で、日本はほぼ温帯に属しているのでこの落葉樹の変化を味わえる。このありがたさを中東の戦闘地域に見る風景に比してみると、やはり、生きてゆくものにとって環境というのは最も大切なことであることが言える。

                       

 落葉は単に草木が葉を落とし散らすというだけではない。落葉樹は葉を落とすことによって辺りを明るくし、地面に陽が差し込むようになる。自然林を歩けば自ずとわかるが、夏と冬とでは様相が一変する。四季はこうして廻り、私たち生きとし生けるものをその一年のサイクルの中に置く。そして、私たちは廻りの季節を更新しながら暮らしてゆくのである。

 紅(黄)葉や落葉の秋になり、その姿に接すると、その風景に立ち止まってその雰囲気に浸ることが出来る。そんな中に、前述したごとく作物が含まれ、それは、暮らしてゆくに欠かせない収穫に繋がるわけで、そこには恵みの豊穣がある。その豊穣は四季によってもたらされて来たもので、私たちの精神にも及んでいるという次第である。

 四季に則る俳句の意味などもこの辺りから考えるのがよかろう。この四季の自然の趣を主に捉える俳句は、いわゆる、日本的な発想によるまことにありがたい一面を持つ詩形であると言ってよい。 今回は、紅(黄)葉と落葉に触発され、環境の大切なことに触れてみた。それでは、今一句を。  落葉ひとつひとつに冬の日差しかな   写真は紅葉のナンキンハゼ(左)と黄葉のクロモジ(中)、山道に敷きつめられた色々な落葉(右)。 

  


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2015年11月28日 | 写詩・写歌・写俳

<1431> 大和山岳行 (22) 矢 田 山

        紅き実の あかさを競ふ 冬日差し

 平群谷を隔てて信貴・生駒の山並と南北に並行して東に連なる矢田丘陵の頂に当たる大和郡山市の矢田山(三四三メートル)に登った。奈良県の矢田自然公園の矢田丘陵の南端に当たる松尾寺の駐車場に車を置き、そこから自然歩道の丘の道を矢田山まで往復した。丘の道は標高三〇〇メートル前後の緩やかなアップダウンの道で、「登った」というよりも「歩いた」という方が適切かも知れない。

 今日は昨日と一転して、快晴の日和になり、午前中は風もなく、まさに小春日和の暖かさが感じられた。週末とあって丘の道は行き交う人が多く見られた。道端では草木の実が目についた。この道は随分久しぶりで池にも立ち寄って見た。やはり冬で、写真はないが、マガモが来ていた。

       

 展望台から望む奈良市方面は少々霞んで見えた。池には以前ヒツジグサが見られたが、今日はその姿が見えなかった。絶滅したか。だが、ほかは概して変わった様子はなかった。いたるところにソヨゴの実が見られ、フユイチゴの実もよく見られた。また、湿地ではウメモドキの実が見られたが、みんな目につきやすい紅い実である。 写真は左から矢田山の頂から望む奈良市の眺望。紅い実をつけたソヨゴ、ウメモドキ、フユイチゴ。


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2015年11月27日 | 写詩・写歌・写俳

<1430> 木枯らしの日

         寒風や ネタを求めて 家を出づ

 ネタとはタネ(種)を逆さにいうもので、記事の素材を示す報道筋の業界言葉である。昔から言われる言葉で、一般にも認識され通用する。言わば、このネタなしには記事を書き上げることは出来ない。短歌でも俳句でも同じことで、ネタがなくては詠むことが出来ないので、それを探し求めるということになる。

 今日は木枯らし、或いは、寒風を意識に置いてネタ探しに出かけた。で、果たしてネタとは何だろうと考えた。ネタとは探し求めるものの好みの範疇、言わば、求める者が私であれば、私のキャラクター、つまり、個性に負うところから始まると言えよう。ネタとは、即ち、客体の何ものでもないが、私の主観が選び取るわけで、ネタは私に通じるものと言える。

私は公園のようなところに出向いても、植えられた草木にはあまり興味が湧かず、遊歩道の片隅などに生える草木の方に気持ちが向かう。ので、自然とネタはその辺りから見つけ出すということになる。今日はいつものように馬見丘陵公園に足を運んだのであるが、私の好むところ、南の池を巡らす自然公園の方へ足が向かい、ネタを求めて歩いた次第である。

                    

 歩けば、素材のネタはあるもので、今日は木枯らし乃至は、寒風を季語に置く写俳を目的に歩いたのであったが、そのネタ(素材)は鴨の飛来が見られる池を廻る間に、私の好みに合うものを幾つか見つけたのであった。鴨の群、無患子(むくろじ)の実、越冬燕など。 写真は左から池の水面で寛ぐ鴨の群、葉が散った枝に残ったムクロジの実、青空の中を飛ぶ燕。

   碇泊の船団 水面の鴨の群

  寒風は無患子の実に容赦なく

  はぐれたる燕か一羽寒の空

 


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2015年11月26日 | 写詩・写歌・写俳

<1429> 雑 炊

        底冷えの 雨の町ゆく 救急車

 昨日に続いて今日も冷たい雨の日で、大和は雲が垂れ込め、一日中青垣の山並も見えない鬱陶しい天気だった。こんな日は温かいものが食べたいという気分になり、昨日は牡蠣雑炊を思い巡らせたりしたが、今日の昼食に妻が雑炊を作ってくれた。牡蠣とはいかなかったが、つみれ入りで熱々を食べることが出来た。

                                                                

 写真はその雑炊である。多いように思われるが、これで二人前。腹八分目の量であった。雑炊と言えば、奈良には茶粥がある。一般家庭では「おかいさん」と呼んで、茶粥は朝の常食として欠かさずあったと言われる。大和ではご飯を晩に炊く家が多く、朝は冷やご飯になったため、この冷やご飯を茶粥にしたようである。木綿の茶袋に焙じた粉茶を入れて炊き出し、その冷やご飯を用いて粥にした。

 最近は炊飯も電化になって、いつでも熱々のご飯が食べられるので、茶粥を常食にする家もなくなったが、今も茶粥は大和の郷土食として知られ、町中の食堂などではメニューに入れているところも見られる。とにかく、雑炊にしても茶粥にしてもあっさりとしているところがよい。

     底冷えや手足におよび心にも

   底冷えの腎を襲ふがごとくなり

   冷えまさる心の一日 鞭を打つ

   寒いねといふ言葉にも実こもる