大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年03月16日 | 万葉の花

<561> 万葉の花 (80)  しきみ (之伎美)=シキミ (樒・櫁・梻)

        花あまた その一端に 咲くしきみ

   奥山のしきみが花の名のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ                                巻二十 (4476) 大原眞人今城

 しきみの見える歌は、集中にこの一首のみ。この歌は「二十三日、式部少丞大伴宿禰池主の宅に集ひて飲宴(うたげ)する歌二首」の詞書による中の一首で、天平勝宝八年(七五六年)十一月二十三日に池主邸で催された宴席において今城が主の池主に挨拶代わりに詠んだ歌として知られ、しきみ自体について詠んだものではない。

  歌の中の「しくしく」はしきりにという意で、しきみの同音によって「しくしく」を導く序として用いられているのがわかる。歌は「奥山のしきみの花の名のように、いつもあなたを恋い続けることでしょう」というほどの意で、歌には、これからもあなたの思案に従って行くという意が込められている。

 池主は、藤原仲麻呂と権勢を争っていた橘奈良麻呂の一派に与し、仲麻呂が進めていた立太子を阻止する企てに連座し、この宴会の約七カ月後、この謀りごとが発覚し、その罪科に問われ、処分されたとされる人物である。池主とは歌を交わす仲であった大伴家持も危いところであったが、連座していなかったものと見られ、咎められずに済んだ。このとき嫌疑をかけられ、罪人にされていたら、『万葉集』は今の姿を見なかったかも知れないことが思われるところである。

 このような時代の政治的事情下において詠まれたこの4476番の今城の挨拶歌は、恋歌に似せて契りを示す同士の仲を詠んだものということが出来る。つまり、この歌はあなたの謀りごとに与し従うことを暗に示唆していると解せるわけであるが、『万葉集』というのはこのような歌も排除することなく取り上げているから凄い詞華集だと言える。

 それはさておき、歌に登場するしきみであるが、原文表記には万葉仮名で之伎美とある。この之伎美については『倭名類聚鈔』に「唐韵云 櫁 音蜜 漢語抄云之伎美 香木也」とあり、これは中国における沈香(蜜香)から来ている櫁(樒)に当てたもので、椿の字と同じ国訓によるものと言われる。つまり、これはシキミを香木として捉えたことによる。今一つの木偏に佛の梻(しきみ)は、仏の木であるという認識によって神さまの木である木偏に神の榊(さかき)に対して作られた国字で、これは後世に生まれた字である。

                          

 シキミはシキミ科シキミ属の常緑小高木で、東北地方南部以西、四国、九州、それに、国外では中国、台湾に分布し、大和では各地の山地に隈なく見られ、香木でもあることから仏事に欠かせない木として墓地や民家の近くにも植えられている。三、四月ごろ黄白色の四手状の花を多数咲かせ、よい香を漂わせる。全体が有毒で、殊に果実に毒性が強く、シキミの名は「悪しき実」が訛ったものという説もある。

 だが、シキミの地方名にさかしばという名があり、これはサカキのさかきしばに通じるものとして、シキミもサカキと認識されていたとの見解も見られ、元は神道における栄木(さかき)として用いられ、平安時代中期以降、仏前に供えられるようになったと言われる。このようにして、今や梻の字が示すようにシキミはもっぱら仏前に供えられるが、果たして、万葉当時はどうであったのか。この一首のみでは万葉人のこの木に対する接し方ははっきりしない。だが、サカキに等しく、昔から宗教色の強い木であったことが思われる。写真は春に咲くシキミ。