大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年03月15日 | 写詩・写歌・写俳

<560> 弥山(みせん)回想

       便りには 時の過ぎゆく 哀しみと 回顧に及ぶ あの日の姿

 このほど大峰山脈の主峰弥山(一八九五メートル)の「弥山小屋」管理人N氏から二十年間の小屋の仕事を終え、山を下りるという挨拶の便りが届いた。平成十年(一九九七年)七月五日にオオヤマレンゲの花を目的に近畿の最高峰である八経ヶ岳(一九一五メートル)に登ったとき一泊させてもらったのが初めで、あれから弥山、八経の大峯奥駈道のコースに魅せられ、日帰りも含め、何度かお世話になった。

 そのうち賀状を頂くようになり、賀状にはいつしか弥山のネイチャー写真が付されるようになって久しかった。デジタルカメラとプリンターの普及によるものかとも想像されるが、すっぽりと雪に被われた山頂の弥山神社参道の写真が添えられていたときには、珍しい写真であると思いながら仕事の厳しさというものも感じられた。このような次第で、私は一介の宿泊人であったが、このほど山を下りるに際し、挨拶状を頂いた次第である。

 以前にも述べたと思うが、私の山登りは主に花の観察と撮影にあり、最初の八経ヶ岳登山でオオヤマレンゲの花に魅了され、ほかの山にも足を運ぶようになった。オオヤマレンゲの群落がある一帯はお花畑になっていて、ほかにも高山性の植生が見られ、花を咲かせる時期を見計らって登った。

                       

 高い木の梢や無暗に入り込めないお花畑などの花の撮影には望遠レンズが必要で、カメラのほか、400ミリレンズとテレコンバータ、それに三脚などの撮影機材はほとんどの山行きに携行し、かなりの重さになるが、私よりもはるかに重い荷物を背負って登るN氏に追い越されて行ったこともあった。日ごろの鍛錬だとは思うが、シカの防護ネットを一人で運んだという話なども伝え聞いたことがある。そのときは、鍛錬のみならず、仕事への責任と山を愛するN氏の気概というものが思われた。

 弥山、八経の登山コースは大峯奥駈道に当たり、平成十六年(二〇〇四年)、「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界文化遺産に登録され、登山者も増え、喜ばしい状況に至った。だが、その反面、登山者が持ち込むゴミなども増え、自然の荒らされる状況が加わり、登り下りにはゴミを拾って歩くという話も聞いた。

 一帯には貴重な植生も多く、その植生に打撃を与えるシカの出没もあり、防護ネットが欠かせないものになっているが、小屋の管理だけでなく、そうした一帯にも目を光らせているところが見られた。これはひとえに大峰の自然を愛して已まなかったN氏の心意気によるものだったことが挨拶状にも触れられている。

  まずは、長い間お疲れさまでしたと言いたいところである。写真左は平成二十二年(二〇一〇年)六月三日に「弥山小屋」から撮影させてもらった御来光。写真中央は平成十年(一九九七年)七月五日に初めて出会ったオオヤマレンゲの花。純真無垢な趣に感動したのを覚えている。右は挨拶状の文面。