大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2011年09月30日 | 写詩・写歌・写俳

<32> カ  キ
         柿の里 稔りの大いなる 眺め
         柿の実や 子規を思ひて 法隆寺

 カキは日本を代表する果物の一つで、田舎ではどの家にも昔は自家用にカキノキが植えてあったもので、カキノキの風景は日本の原風景を思わせるところがある。山国である大和はカキノキが似合う土地がらであるが、このイメージには正岡子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の句が少なからず影響しているように思われる。
 カキノキは中国原産とされるカキノキ科の落葉高木で、 奈良時代のころ渡来して栽培され、以後、果実の小振りなヤマガキを改良して江戸時代には百種にのぼる品種を生み、今では千種に及ぶと言われるほどになっている。産地は和歌山を筆頭に奈良、福岡が続き、岐阜、福島、 愛知の六県を合わせ日本全体の約六〇%を占める生産量で、その総量は平成二十年度で二十六万六千六百トンであるという。カキには大きくわけて、甘ガキと渋ガキがあり、和歌山県が主に渋ガキの生産に当たっているのに対し、奈良県は甘ガキの富有と合わせガキにする刀根早生という収穫時期の早い品種の生産が主に行われているようである。
 大和では五條市から吉野地方に多く、大正時代から急激に増えて、今に至るという。最近では西日本における甘ガキの一大産地で、カキは大和の特産と言われるようになり、副産物としては柿の葉ずしが有名で、五條市にはカキの博
物館も存在するほどカキの生産に力を入れている。

                  

 左の写真は斑鳩の里で撮影したもの(背景は法隆寺五重塔)。右の写真は高山の里の柿の秋である。なお、子規の後、大和においてカキを詠んだ句は次のようなものがある。
   斑鳩の 三塔めぐり 柿の秋                         村上杏史
   当麻寺の 塔の見えゐし 柿を食む                      細見綾子  
                            


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2011年09月28日 | 写詩・写歌・写俳

<31> 山 歩 き
              り道 下り道 この山の道 人それぞれに 歩きゐるなり
  天気がよく、久方ぶりに山歩きをした。葛城市の道の駅「ふたかみパーク當麻」に車を駐車し、そこからニ上山の雄岳(五一七メートル)に向かい、雄岳から馬の背を経て雌岳(四七四メートル)に登り返し、雌岳山頂で弁当にした。その後、岩屋峠に下って、 そこから下山して元の駐車位置に戻った。約半日の山歩きだった。
  コースはニ上山の大和側をちょうど一周したことになる。これまでもそうであったが、山歩きをするといろいろ考える。夏目漱石は山路を歩きながら考えを巡らし、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」という名句を得て、『草枕』の冒頭に示した。もちろんのこと、これは一人で歩くことによる孤独な状況より発するものと言える。しかし、傍らには草木をはじめとし、自然が寄り添う状況にあり、孤独感は全くない。むしろ、歩いている状況における一人というのは考えに集中が出来るよさがある。
  このほどは、登りながら冒頭の歌を得たわけであるが、これも山歩きの効用と言えよう。もちろん、山へ登る目的は花の観察にあり、この点で言えば、オケラが見られ、イヌコウジュが見られ、ヒヨドリジョウゴが見られ、撮影出来たので、まずまずの成果だった。オケラは奈良県のレッドデータブックでは絶滅寸前種であり、ヒヨドリジョウゴも最近少なくなっているように思われる花である。 写真は左からオケラ、イヌコウジュ、ヒヨドリジョウゴ。
                                                   


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2011年09月27日 | 写詩・写歌・写俳

<30> ラーメン
       ラーメン食った  おいしく食った  有難くも食った 今日は ラーメンの日
  久しぶりにラーメンを食べた。四年ぶりくらいか。術後はじめてである。 ウドンやソバはよく自宅でも食べるのであるが、塩分と脂肪分が多いということでラーメンは避けて来た。たまにはよかろうということで、今日はラーメンのチエ―ン店に出かけた。少し辛い感じはあったが、おいしく食べた。 
  ところで、麺類はラーメンのほかウドンとソバとスパゲッテイが思い浮かぶ。ラーメンは中華麺で、焼きそばや冷麺もこの類であろう。ウドンは冷や麦や素麺なんかがこの類に入る。 ソバはソバ粉で作る日本蕎麦を言う。スパゲッテイはパスタの一種の麺で、イタリア料理には欠かせない。

                               

  世の中は千差万別で、ラーメン好きの御仁がいるかと思えば、ウドンやソバの好きな御仁もいる。また、スパゲッテイに目のない御仁も見受ける。だから、どれがいいかなどは個人的なもので、誰もその良し悪しなどを決めて語ることは出来ない。とにかく、久しぶりに食べたラーメン(写真)はおいしかった。
                                                                


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2011年09月26日 | 写詩・写歌・写俳

<29> シ オ ン
       大和なる 金剛 葛城 紫苑 咲く
   ユリ科の多年草で山間地の道端などに生え、真夏に橙赤色の花を咲かせるヤブカンゾウを「忘れ草」と呼ぶのに対し、キク科のこの花を「思ひ草」と呼ぶ。 『今昔物語』の巻三十一第二十七に親を亡くした兄弟の話がある。二人は親の死に際し悲嘆にくれていたが、兄は宮仕えをしていたので、悲しんでばかりいてはならないと、親のことを忘れたいと願い、墓に忘れ草のヤブカンゾウを植えた。
  一方、弟は親のことを忘れては相済まないと思い、思ひ草のシオンを植えた。 兄は思い通りに親のことを忘れ、宮仕えに励んだ。弟は親が忘れられず、 毎日欠かさず墓参りをした。 この弟に対し、 墓を守る鬼が現われ、明日のことが予見出来るように約束した。 それ以後、弟は明日が予見出来るようになり、 これによってものごとがよく行くようになって幸せに暮らしたという。
  シオンにはこういう話があり、鬼の師子草(おにのしこぐさ)の異名があるのに対し、ヤブカンゾウの方は鬼の醜(しこ)草の名がついた。なお、説話は、 嬉しいことがある人はシオンを植えて常に見、憂うることがある人はヤブカンゾウを植えて常に見るべきであると結んでいる。この話には現代人にも問われるところがあるが、私たちはこうした兄弟のような立場に立ったとき、果してどちらを選ぶだろうか。
  これは個々の価値観や評価によるが、 合理的側面の考えられる今日では鬼の登場よりも宮仕えの実質の方を選ぶ者が多いのではないかと思われる。 因みに、思ひ草はナンバンギセルの古名でもあり、 紛らわしいが、 ナンバンギセルは花のうつむき加減に咲く姿を捉えたことによるものであって、 シオンの思ひ草とは命名の発想が全く異なっているのがわかる。

                          
  冒頭の句は、人の背丈ほどに真っ直ぐ伸びて花を咲かせるシオンが大和と河内(奈良と大阪)の境界に当たる金剛・葛城山系の山並みにぴったり合い、 カメラのフレームに納まることによって生まれたものである。 左の写真の後方は金剛・葛城山系の二上山(右)から岩橋山への連なりである。  なお、シオンは中国地方以西に分布し、大和に自生するものはなく、みな植えられたものか、植えられたものが野生化したものである。
                                                                   


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2011年09月24日 | 写詩・写歌・写俳

<28> カ カ シ     
     稔りの秋が やって来た
     案山子よ あなたの出番です
     空は青空 よい日和

  彼岸花祭りの案山子( かかし )コンテストを見に妻とともに明日香の里に出かけた。 絹雲が秋天を刷く好日。 黄金色に色づいた稲穂の棚田を縁取るように連なり咲くヒガンバナと農道脇に飾られた案山子を順に見て歩く。 訪れた人たちは三々五々。 趣向は自分の好みの案山子を三つ選んで投票するというもの。
  今年は東日本大震災や台風十二号による紀伊半島の被害など甚大な自然災害に見舞われ、 絆が問われたことで、作品はこの絆がテーマになっていた。絆と言えば、家族が思い浮かぶのであろう、親子や家族を扱った作品が目についた。 また、 介護施設からの応募作も見られた。因みに、暮れに京都の清水寺で発表される今年の漢字一字もこの絆が選ばれるのではないだろうか。
 ところで、 案山子は「田の神を迎えて豊穣を祈り、または災害を避けようとする方法で、神の依代(よりしろ)の人形や神札を田畑に立てたり 、注連(しめ)を張ったりする」(『日本大歳時記』)ことから起こり、その由来は『古事記』に遡ると言われる。つまり、農事の安心を願うところから始まったものということが出来る。
  コンテストはこの願いに加え、村興しのイベントとして行われているもので、昔から見られる一般的な案山子はほとんどなく、絆のテーマに沿って作られたものが多かった。 しかし、遊び心はあるものながら、案山子に託す思いは昔も今も変わらずあるように思われ、 心の和むところがあった。
    案山子立つ 御身思ひを 託されて
    人とある 案山子も時代を 負ふて立つ
    のどかなることが まづよし 秋の里
  では、私と妻が選んだ三つの案山子と目についた案山子の幾つかを写真で紹介したいと思う。