大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年05月27日 | 祭り

<268>  おんだ祭り (御田植祭) (17)

         万緑に 早乙女映ゆる 田植祭

 五月五日に宇陀市大宇陀の野依白山神社で行なわれたおんだ祭り(御田植祭)が今年の大和におけるおんだ祭り(御田植祭)の殿かと思っていたら、二十七日に紀伊山地の臍に当たる山間地の天川村でおんだ祭りの御田植祭があった。これは天河大辨財天社が行なう祭りで、十八回目に当たるという。

 大和のおんだ祭り(御田植祭)は、正月七日の植槻八幡神社(大和郡山市)を皮切りに、多くは二、三、四月に行なわれ、二、三月に集中して見られる。これはこの時期が田起こし前の農閑期で、農家にとって比較的暇なためであるが、この祭りには予祝の意味合いが込められている点があり、所作によってお田植えが行われる特徴がある。これに対し、天川村の御田植祭は所作事ではなく、実際に水を張った田に苗を植えて行くものである。天川村は大峰山脈直下の麓の村。周囲を山に囲まれ、一月から三月ころまでは雪に被われる土地柄であるため、予祝ということではなく、実際をもって御田植祭に当たるというもので、少々ニュアンスを異にするところがある。

 ということで、例年、五月の末の田植え時期に祭りは行なわれる。つまり、大和のほとんどのおんだ祭り(御田植祭)が古式に則った所作によって行なわれるのに対し、天河大辨財天社では祭りを実際の田植えで行なうのが特徴と言える。これは大神神社(桜井市)にもうかがえる神田での実際によるもので、普通は所作によってお田植えをするが、ここでは地元農家の四人の男衆が作丁となり、老婦人二人が植え付け役となって、全国から集まった四十五人の早乙女たちを指導し、約五百平方メートルの宮田を三十分ほどで植え付けた。田植えは初めての早乙女もいて、なかなか思うに任せないようであったが、和気あいあい、みんな山間の万緑の中でお田植えを楽しんでいた。

 神戸市立兵庫商業高校の龍獅團の生徒たちによる龍や獅子の舞いの応援も華やかに繰り広げられ、お田植えを盛り上げた。終了後、記念写真を撮り、みんなで豊作の願いを込めて風船を揚げたが、これまで見て来た土俗的なおんだ祭り(御田植祭)とは違った現代風な雰囲気のあるおんだ祭り(御田植祭)だった。

 植えられたのは餅米がほとんどで、秋にはまた集まって収穫し、神前に供えるという。風船は植林された杉山よりも高く上がり消えて行った。お田植えが始まる前に作丁代表の挨拶があり、「昨年九月の台風十二号の被害はこの辺りでも四メートルほど水に浸かり、今年のおんだ祭りは出来ないと思っていましたが、出来ました。これからもずっと続けて行きたいと思います」という話があって印象的だった。

 言わば、おんだ祭り(御田植祭)などは、被害もなく、いつも豊作であるならば必要ともされず、生まれても来なかっただろう。昨年のような洪水やまたその逆の旱魃などがあって凶作に見舞われ、悩まされることがあるからこそ自然(神)に畏敬の念を抱くこういう祭りも生まれて来たと言えることではある。