大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年08月29日 | 植物

<2069> 大和の花 (305) ツユクサ (露草)                                              ツユクサ科 ツユクサ属

                           

 全国各地の道端や草地などで普通に見られる1年草で、茎の下部は地を這い、よく枝を分け、節ごとに根を下ろして増える。上部は斜上し、高さ30センチから50センチほどになり、群生することが多い。葉は長さ7センチ前後の卵状披針形で、基部は膜質の鞘になって茎を抱き、互生する。

  花期は6月から9月ごろで、露が降りる晩夏のころによく花を見る。花は葉と対生するように2つ折れになった舟形の苞に包まれた花序を出し、朝方1つずつ苞から咲き出て、夕方には萎んでしまう。所謂、1日花で、花弁は3個のうち2個が大きく鮮やかな青色で左右に開き、よく目につく。1個は下部にあり、白色で小さく目立たない。ときに全体が白い花も見られる。

  雄しべは6個あるが、長短あって雌しべの花柱を挟むように長く伸びる2個がよく花粉を出す。黄色い葯が目立つ短い3個は目印になるが、花粉を出さない仮雄しべで、残りの1個は中間にあって、少し花粉を出す。花は正面に見ると概ねシンメトリックになっていて、印象的である。

 ツユクサ(露草)の名は朝露を帯びて咲く印象による。この名は『枕草子』にも見えるので、結構古くから用いられている名であるが、より古くはつきくさ(月草・鴨頭草)と呼ばれ、『万葉集』にはこの名で9首に見える。所謂、ツユクサは万葉植物である。つきくさは花を摺り染めにした染料植物としての名で、花を衣に摺りつけた着草(つきくさ)によるとか、花を臼で搗いて汁を取ったことによる搗草(つきくさ)とも言われる。これを月草とは語感の一致によるものであろう。この名は和歌の雅びの精神に通じる。一方の鴨頭草とは漢名の鴨跖草(おうせきそう)に因むもので、中国では苞に包まれた花を鴨の足と見立てたが、日本では鴨の頭と見た。

  ツユクサで染めた青い其調の染めは褪色しやすく、これに1日花の移ろいやすい花のイメージを合せ、移り気な人の心に重ねた歌が多く見られる。これは『万葉集』の歌がさきがけで、つきくさはうつろふにかかる枕詞としても用いられて来た。万葉歌には次のような歌が見える。

      月草に衣いろどり摺らめどもうつろふ色というふが苦しさ                                  ( 巻7-1339 ・ 詠人未詳 )

 歌の意は「月草の花で着物を染めたいと思うけれども、褪せやすい色だというのが辛い」というほどであるが、その意の奥には、移り気な男の心の様変わりを心配し悩む女の気持ちが見え隠れする。歌は、所謂、比喩による相聞歌である。

 別名ではボウシバナ(帽子花)の名がよく知られるが、苞を被った花が帽子のように見えるからで、ツユクサの変種で知られるオオボウシバナ(大帽子花)の大きな帽子の花は、ツユクサの花染めが水に溶けやすく褪せやすいので、藍染めに圧されて廃れて行った中で、友禅の下絵の青花紙に用いられ、今も重宝され友禅の染めの世界に生き残っている。

 なお、ツユクサは薬用植物としても知られ、生薬名は漢名と同じく鴨跖草と称せられ、乾燥した全草を煎じて解熱、下痢止めに用いられる。 写真は群生するツユクサ(左)と露に濡れて咲く花(右)。 露草の移ろふ花に消ゆる露時の流れに身を置く定め

<2070> 大和の花(306 ムラサキツユクサ(紫露草)とトキワツユクサ(常磐露草) ツユクサ科 ムラサキツユクサ属

                   

  ムラサキツユクサ(紫露草)もトキワツユクサ(常磐露草)もツユクサと同じ単子葉植物で、ツユクサが1年草であるのに対し、この2つは常緑多年草である。ムラサキツユクサは北米から南米の一部を原産地にする外来種で、世界に広く帰化している。草丈は60センチほどになり、葉は剣状の肉厚で、スイセンの葉を思わせる。 花期は6月から9月ごろで、茎の上部に紫色から青色、白色、ピンク色の花弁3個の花をつけ、彩りがよいところから園芸用に改良されたものも多く、日本にも観賞用に持ち込まれた。大和(奈良県)では植栽されたものが野生状態に置かれているものをときおり見かける。

  一方、トキワツユクサは南米原産で、日本には昭和時代のはじめごろ観賞用として持ち込まれ、各地で野生化した。湿り気のある日陰に生え、草叢などでぐんせいするを見かけることがある。このため環境省は要注意外来生物に指定している。草丈は50センチほどで、葉は長卵形から長楕円形まで、先は尖り、互生する。花期は5月から6月ごろで、上部葉腋の花序に三角形の花弁3個からなる白い花をつける。写真はムラサキツユクサ(左)とトキワツユクサ(右)。 戦争の出来る国へと歩を進め来たる日本のゆゑの危ふさ 

<2071> 大和の花 (307) イボクサ (疣草)                                    ツユクサ科 イボクサ属

                      

  水田や湿地に生える単子葉植物の1年草で、高さは20センチから30センチほどになる。赤味を帯びる茎は枝分かれして横に這い、節から根を出して増える。葉は数センチの狭披針形で、互生し、基部は鞘となって茎を抱く。

   花期は8月から10月ごろで、上部の葉腋に細い柄を出し、直径1.3センチほどの下部が白色、上部が淡紅紫色の花を普通1個つける。花はツユクサと同じく1日花で、朝方開き、夕方には萎む。花が終わると花柄は曲がり、長さが1センチほどの楕円形の蒴果が垂れ下がる。

  本州、四国、九州、沖縄に分布し、大和(奈良県)でも稲が穂を垂れるころ水田の脇などで群生し、花を見せる。なお、イボクサ(疣草)は薬用植物にはあげられていないが、この草の汁を疣につけると、疣が取れるとして、この名がつけられたと言われ、イボトリグサ(疣取草)とも呼ばれる。  写真はイボクサ。   踏む道は去年(こぞ)に変はらぬ道なれど齢を負ひて歩く道なり

<2072> 大和の花 (308) ヤブミョウガ (薮茗荷)                               ツユクサ科 ヤブミョウガ属

          

  山野の林内や林縁の薮になったところに生える多年草で、草丈は50センチから1メートルほどになる。葉は長さ15センチから30センチほどの狭長楕円形で、基部は鞘状になって茎を抱く。この葉がショウガ科のミョウガ(茗荷)に似るのでこの名がある。花期は8月から9月ごろで、真っ直ぐ立つ茎頂に白色の小さな3弁の花を円錐状に輪生して多数密につく。実は小球形の液果で、熟すと濃青紫色に色づきよく目につく。

  本州の関東地方以西、四国、九州、沖縄に分布し、大和(奈良県)には多く、山辺の道を歩くとときに群生するのが見られる。なお、漢名は杜若で、これを「かきつばた」と読めばアヤメ科のカキツバタであり、「とじゃく」と読めばヤブミョウガということになる。漢方では杜若(とじゃく)の汁を毒虫に刺されたり蛇に噛まれたたりした際の塗りに用いる。 写真はヤブミョウガ。林縁に見える群生の花(左)。花序のアップ(中)。多数の実をつけた果期の姿(右)。 美しき夕映えのとき懐旧の思ひ果して岸辺に立てば

 

 

 

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年08月28日 | 写詩・写歌・写俳

<2068> 余聞、余話 「ハグロトンボとカワガラス」

           詩はどこに生まれるのだろう

        それは詩人のこころの中

        詩は何を素材に生まれるのだろう

        それは万物

            殊に生きとし生けるもの

        詩は何を目的に作られるのだろう

        それは幸せを指向する意思の顕現

              その意思を貫き散りばめてゆくこと

        詩はどこに行き着くのだろう

        それは数ある動揺する心情のもと

        かけがえのない命の扉の中

        詩はつまり何なのだろう

        それは詩人の良心の発露

        あるは無明の闇に灯すほのかな灯火

              あるは混濁し悩むこころを癒す働き

              そしてひたすら詩人は願う

          その灯火の光が遍照せんことを

        悩めるこころの開放に働くことを

 溢れる緑に被われた盛夏の渓谷。そこで出会ったハグロトンボとカワガラス。長い年月水の流れに磨かれ稜のまるまった川石の上に止まるハグロトンボとカワガラスがいた。暫く動くことなく渓谷の自然の舞台で一景の景物になっていた。近くの岸の岩壁ではギボウシが薄紫色の花を咲かせ、舞台背景に加わっていた。私は吊り橋の特等席で一人その渓谷の夏編の自然の舞台に見入ったのであった。

  あれから一月余。夏も終わりに近づいている。私には酷暑の一月余であったが、渓流の流れの音は快く、溢れる緑の中で、その舞台は瑞々しくあったのを思い出す。ギボウシは花を終え、既に実をつけているだろう。果たしてハグロトンボやカワガラスはどうしているだろうか。私が吊り橋の観客席で見入ったあの渓谷の自然の舞台のハグロトンボもカワガラスも背景のギボウシも日常の日々を重ね、今もきっとつつがなくその姿を見せ、明日への夢を繋いでいるのに違いない。

               

 ハグロトンボとカワガラスは二メートルと離れていない距離にあった。敏捷なカワガラスがハグロトンボを襲うには十分過ぎる距離に思え、最初はドラマが展開されるかも知れないと思えた。ハグロトンボもカワガラスもともに互いの姿が視野に入っていたはずで、ドラマの展開はもうすぐ始まる。確実にというのは、ハグロトンボとカワガラスの距離があまりにも近かったからである。だが、ハグロトンボもカワガラスも身構えて緊張している様子はなく、ただ羽を休めているといった姿に見えた。

  暫くの後、カワガラスは渓流の流れに逆行して上流へ一直線に飛んで行き、ハグロトンボもほどなく岩陰の草叢に姿を消した。ハグロトンボとカワガラスの間にドラマは起きなかったが、吊り橋の上の観客席から渓谷の自然の舞台に見入っていた私には一つの余韻が残った。ハグロトンボもカワガラスも岸辺の岩壁に花を咲かせるギボウシもそれは渓谷の日常の一齣であり、その一齣を私は目にしたということである。

 それから私はこの夏場の一月余、辟易の暑さを耐え凌ぎながら「大和の花」を閲することに情熱を傾け、これを日常として日々を過して来た。それはストイックで、孤独な作業に違いなく、ときには、貴重な時間を割くほどの作業だろうかと自問も起きて来るといった自己否定のような心持ちにも陥った。だが、その都度、孤独を感じているときこそ仕事は前に進んでいるのだと言い聞かせ、これを励ましのエールに作業を続けて来た。

 こうして、私の真夏の日々、つまり、日常は過ぎ、今に至っているわけである。そして、あの渓谷の自然の舞台に見られたハグロトンボとカワガラスの一景が私の日常の思いの状況と重なり、夏の終わりが近づき、思い出されたのである。ハグロトンボとカワガラスは敵対関係でもなければ、弱者と強者の間がらでもなく、ただあの渓谷の自然の舞台のありのままの風景の一員として互いに生き、舞台の点景、即ち景物となって一つの世界に与していたということである。

  多分、あれ以後も日常の日々にハグロトンボとカワガラスの間にドラマは生じず、互いにその舞台における点景に終始して来たに違いない。主役にならなくても、生きてその舞台の点景になっているということだけでも生の意味はあると私には思える。それは全てのものによって成り立っているこの舞台(世界)があると言えるからである。

  つまり、これは川石にドラマもなく羽を休めるハグロトンボやカワガラスのみのことではない。この自然の舞台における景物からして思えば、万物全てに存在の意義がある。主役が成り立つためには脇役が必要であり、脇役も舞台(世界)の全体においては点景の存在がなくては十分な働きに及べず、舞台(世界)は成り立ち得ず、殺風景を余儀なくさせることになる。何の役にも立っていないような存在でも、万物全てにその存在価値はあって、舞台(世界)に貢献している。言わば、全体によって舞台は盛り上げられるのである。

 こうした万物の存在において日常の日々は重ねられ、時を未来へと移してゆくのが、言わば、この世である。主役になり得ないハグロトンボもカワガラスも心細い身の私にしても詰まらないものであるということは決してない。生きものは生きていること自体に意味があり、価値がある。日常の日々が晴れやかなのは好ましかろう。だが、落ち込んで沈んでいる心も、自然の舞台(世界)の中にあって、自分ではわからないところで輝きを得ているかも知れないのである。これは弱くとも生きているということが強さを証明しているという理屈と同じなのである。

  「願わくは、ハグロトンボにもカワガラスにも日常の日々を重ねて至る未来が快く開かれんことを」と、2017年の夏の終わりに際し思うことではある。 写真は川石に止まるハグロトンボとカワガラス(左)と岸の岩場で花を咲かせるギボウシ(右)。ともに天川村の山上川の渓谷。


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年08月21日 | 植物

<2061> 大和の花 (298) ガガイモ (蘿蘑)                                ガガイモ科 ガガイモ属

     

  ここではガガイモ科の花を見てみたいと思う。花は花冠のほかに副花冠があり、雄しべと雌しべが合着したずい柱を取り囲み、花粉は花粉塊になる特徴が見られる。また、実は袋果となり、縦に2つに裂けて、種髪と呼ばれる糸が種子について風に飛ばされる仕組みになっている。

 ガガイモは日当たりのよい原野などに生えるつる性の多年草で、長い根茎は地下を這い、地上の茎は草木などに絡んで伸びる。長い柄を有する長卵状心形の葉は裏面が緑白色で、先が尖り、対生する。花期は8月ごろで、葉腋から花序を出し、普通淡紫色の花がかたまってつく。花冠は濃い紅色がかったものも見られ、直径1センチほどで、5裂し、内側には毛が密生する。中央にはずい柱を取り巻くように副花冠があり、ずい柱の柱頭が花冠から長く突き出る。

  実は長さが10センチほどの広披針形の袋果で、熟すと2つに裂け、これが舟の形に見え、内側が白い光沢のあることから、古名にはこれを鏡と見てカガミの名があり、このカガミがガガイモに転じたと言われる。『日本書紀』の神話、大国主神の条に「白蘞(かがみ)の皮を以て舟に為り」と出て来る白蘞はガガイモの袋果を指す。このカガミに漢名蘿蘑(らま)が当てられたという。別名のクサワタ、クサパンヤは草綿で、やはり2つに裂けた袋果の種子に絹糸のような毛(種髪)が生え、これをもってその名はあるという。

 ガガイモは薬草としても知られ、茎を切ったとき出る乳液をイボの患部に塗るとイボが取れるという。実は未熟なものを天ぷらにして食べると強壮によいとされ、昔から親しみをもって接していた植物だったようである。北海道から本州、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島、中国、千島などに見られ、大和(奈良県)でもそこここに見られる。 写真はつるを伸ばして花を咲かせるガガイモ(左)、ガガイモの花(中)、濃い紅色がかった花(右)。   ぼくたちは時を負ひつつそれぞれに生きゐるところ今にあるなり

<2062> 大和の花 (299) タチカモメヅル (立鷗蔓)                         ガガイモ科 カモメヅル属

                                                     

  池沼や湿地の周辺、水田の放棄されたところなどに生えるつる性の多年草で、はじめ茎が直立し、その後、他物に巻きついて1メートルほどに伸びる。葉は長さが3センチから10センチほどの長楕円状披針形で、裏面脈上に毛がある。一説にはこの葉の対生する形が羽を広げたカモメを思わせるところからカモメヅル(鷗蔓)の名が生まれ、茎の下部が直立するのでタチカモヅル(立鷗蔓)の名がつけられたという。

  花期は6月から9月ごろ。上部の葉腋に直径1センチ弱の暗紫色の花をつける。花は5裂する肉厚の花冠と中央のずい柱を囲む副花冠が特長。本州の近畿地方以西、四国、九州に分布し、大和(奈良県)でも見受けられるが、個体数が少ないとしてレッドリストに希少種としてあげられている。タチカモメヅルがもっとも身近で観察出来るのは、奈良市の磐之媛命陵のお濠端で、アシなどに絡まって花を咲かせている。 写真はタチカモメヅル。右は暗紫色の花のアップ。  未来とは如何なる時か刻々の今を重ねて未来は来たる

<2063> 大和の花 (300) オオカモメヅル (大鷗蔓)                  ガガイモ科 オオカモメヅル属

                             

  山地の木陰など半日陰のところに生えるつる性の多年草で、茎は他の草木に巻きついて1メートル以上に伸び上がる。三角状狭卵形で基部が心形の葉はほとんど無毛の膜質で、先が長く尖り、対生する。他種に比べて葉も花も実も大きくないのでオオカモメヅル(大鷗蔓)のオオ(大)は茎の長さによるものか。オオカモメヅル属にはコカモメヅル(小鷗蔓)と呼ばれる仲間も見える。

  花期は7月から8月ごろで、葉腋から葉身より短い花序を出し、花冠が緑白色から淡紫色の花を咲かせる。花は直径1センチ弱の5裂するこの花冠と雌雄のしべが合着しているずい柱を囲む副花冠が星状に開出し、形成される。副花冠はずい柱より短く、暗紫色で、花を上から一見するとツートンカラーに見える。

  北海道、本州、四国、九州とほぼ全国的に分布し、大和(奈良県)でも見られるが、珍しくなかなか出会えない。私は十津川村の玉置山(1076メートル)の玉置神社近くで出会ったことがある。日陰になった場所で撮り難かったが、三脚を持参していたので撮ることが出来た。この写真はそのときのもの。   強きものはたまた弱きもののありたとへば炎暑の中のそれぞれ

<2064> 大和の花 (301) フナバラソウ (舟腹草)                           ガガイモ科 カモメヅル属

                                               

  山地から丘陵などの日がよく当たる草原に生える多年草で、茎は枝を出すことなく直立し、大きいもので80センチほどの高さになる。長さが10センチほどの卵形の葉は毛が生え浅い緑色で、対生する。花期は6月ごろの梅雨の時期で、濃いチョコレート色の花冠が5裂する星形の花が上部の葉腋ごとに複数段固まってつく。花の奥には花冠より濃い同色の副花冠がずい柱を囲む形に配されて花を構成している。

  フナバラソウ(舟腹草)とは奇妙な名に思えるが、『日本書紀』の神話に出て来るガガイモの袋果の皮の舟と同じで、フナバラソウの細長い袋果も舟の底(腹)に似ているためこの名が生まれたという。北海道、本州、四国、九州に分布し、大和(奈良県)でも見られるが、全国的に減少傾向が見られるため、環境省は絶滅危惧Ⅱ類に分類し、奈良県では絶滅寸前種にあげている。

  大和(奈良県)におけるフナバラソウの自生地としては曽爾高原の高所部の草原が知られるところであるが、最近、めっきり少なくなり、その姿を見なくなった。原因ははっきりしないが、シカによる食害が影響しているかも知れない。 写真は花を咲かせたフナバラソウ(曽爾高原)と花のアップ。    弱きものそはそのゆゑに武器を恃むつまり武器とは弱さの証

<2065> 大和の花 (302) スズサイコ (鈴柴胡)                                ガガイモ科 カモメヅル属

                                                             

  日当たりのよいやや乾いた草地や池の土手などに生える多年草で、細くて硬い茎を大きいもので1メートルほどに伸ばし、線状長楕円形で先が尖る葉を対生する。花期は7月から8月ごろで、茎頂や上部の葉腋から花序を出し、直径1センチほどの小さな黄褐色の花を数個まばらにつける。

  スズサイコ(鈴柴胡)の名は、この小さな花のつぼみが鈴に似てかわいらしく、全体がセリ科のミシマサイコに似ていることによりつけられたという。実はガガイモ科特有の袋果で、花からは想像出来ないほど大きく、長さが5センチから8センチほどの長披針形になる。

  花は、夜から早朝にかけて開き、日が当たると閉じる性質があり、花の撮影には朝早く出かけなくては開いたところは撮れない。他の仲間に似て、花冠は5裂し、内側に副花冠がずい柱を囲むようにつく。

  北海道、本州、四国、九州とほぼ全国的に分布するが、少なく、環境省は準絶滅危惧種にあげ、大和(奈良県)でも北部一帯に分布するが、自生地の消失などで、減少傾向にあるとして希少種に分類している。  写真はスズサイコ (曽爾高原での早朝の撮影による。花は半開きで、閉じられる前の状態と見られる)。  家々を染めて晩夏の西日かな

 

<2066> 大和の花 (303) イケマ (生馬)                                           ガガイモ科 カモメヅル属

    

 山地の日当たりのよいところに生えるつる性の多年草で、根は紡錘形にして太く、茎は他物に巻きついて這い上り、這い上るものがないときは地を這って伸び広がる。葉は3センチから6センチほどの長い柄を有し、卵心形で先は長く尖る。

 花期は7月から8月ごろで、葉腋から葉柄よりも長い柄を出し、その先の散形花序に白い花をつける。直径1センチに満たない小さな花はやや黄緑色を帯びる花冠が5裂して反り返る。その内側の中央には純白の副花冠がずい柱を囲み、これも5裂する。仲間に花序の柄が短く、花冠の裂片が反り返らないコイケマ(小生馬)がある。

 イケマ(生馬)はシナンコトキシンという強心利尿作用のある物質などを含む有毒植物であるが、古来よりアイヌ人はイケマの根をカムイケマ(神の脚)と称して悪魔祓いに用いていた。このアイヌ語が和名に転用されたと一説にある。また、馬の薬と見て、生馬の字を当てたようであるが、これは誤りであるとされている。しかし、適当な漢字がないためか、現在も用いている事典があるのでここでも用いた。

 毒草なので直接食べるとよくないが、この毒性を逆用し、先人たちは薬用として生かした。肥厚した根を水洗いし、刻んで日干しにし、煎じて服用すれば、利尿に効き目があると言われ、生薬名は牛皮消根(ぎゅうひしょうこん)という。これはまさに毒をもって毒を制す類と言えようか。

 北海道、本州、四国、九州とほぼ全国的に分布し、国外では中国にも見られるという。大和(奈良県)では大峰、台高山系の標高1500メートル付近で見かけるが、自生地、個体数ともに限定的で希少種にあげられている。因みにコイケマは希少種である。

 なお、イケマはシカに食べられず、食害の心配はなさそうであるが、生育場所は広がって増える様子はなく、限定されているように見える。イケマには南西諸島方面から2000キロにも及ぶ渡りの旅をして来る遠来の客蝶アサギマダラがよく見られる。葉に卵を産みつけるためのようであるが、私はその卵をまだ見ていない。写真は地を這って群生し、花を咲かせるイケマ(左)。遠来の客アサギマダラと花(中)。花序のアップ。花は花冠の裂片が反り返っている(右)。  花あれば花芳しければ蝶も来る生の縁は生に基づく

<2067> 大和の花 (304) クサタチバナ (草橘)                                      ガガイモ科 カモメヅル属

               

  山地の草地に生える多年草で、白い花がミカン科のタチバナ(橘)の花に似るのでこの名がある。茎は枝を分けず直立して高さは大きいもので80センチほどになる。葉はごく短い柄を有し、長さは5センチから15センチの卵形もしくは楕円形で、基部はくさび形、先端は尖り、対生する。

  花期は6月から7月ごろで、上部の葉腋から花序を出し、多くの白い花冠が5裂する花を咲かせる。花冠中央基部にずい柱を囲むように副花冠が存在する。実は袋果で秋に熟し裂開する。本州の関東地方以西と四国に分布し、国外では朝鮮半島から中国に見られるという。産地としては石灰岩の山である伊吹山がよく知られるが、大和(奈良県)でも大峰山脈の極めて限られた石灰岩地に自生している。シカによる食害がないからか、群生の状態は保たれている観があるが、園芸採取が懸念され、絶滅危惧種にあげられている。 写真は群生して花を咲かせるクサタチバナ(左)、直立して茎の上部に花を咲かせるクサタチバナ(中)、花のアップ。タチバナの花に似る(右)。  雷鳴や神の概念ふと思ふ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2017年08月20日 | 植物

<2060> 余聞、余話 「レッドデータブックの絶滅危惧種に寄せて 」 (勉強ノートより)

        生きるとはあるは絶滅寸前種果して時の鋩に見ゆ

 今このブログに連載中の「大和の花」は、大和、つまり、奈良県の各地に赴き接して来た野生の花を主に選んで一日一花を目標に掲載しているもので、現在、三百種近くに及ぶが、掲載するに際し意識していることが何点かあり、その一つに絶滅が心配されている草木がある。これは2008年(平成二十年)に奈良県から出された2008奈良県版レッドデータブック『大切にしたい奈良県の野生動植物』を参考に、この調査報告の基準に照らし、説明に加えているものである。ということで、少しくこの2008年版の『大切にしたい奈良県の野生動植物』の植物編に触れて置かねばなるまいと思い、ここで触れることにした次第である。

 このレッドデータブックは哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類、植物(維管束植物・植物群落)、昆虫類を対象に、各分野の研究者並びに専門家によって調査され、まとめられたもので、植物(維管束植物・植物群落)は昆虫類と合せ、A4版サイズ、約五百ページにまとめられ、そのほぼ三分の二が植物(維管束植物・植物群落)によって占められるというものになっている。

 調査は文献並びに標本に基づく調査と現地を踏査して行なう実地調査の両建てで進められ、平成十五年度から平成十九年度の五ヶ年を費やし、この分厚いレッドリストにまとめられた。選定基準は絶滅の危険性に関わるもの(個体数が減少傾向にあるもの、元来県内において希少であるもの、生育基盤が脆弱なもの)、国版や近畿地方版でとり上げられている絶滅危惧種の中で県内にも分布が見られるもの、学術的重要性に関わるもの、広く県民に親しまれ郷土を代表するもの等々に分けられている。

                   

 調査並びに作成の目的は、地域の自然特性を明らかにし、これをまとめて公表することによって多くの人の理解を得、郷土愛の高揚と自然保護思想の普及、啓発に繋がる。これに基づき、植物(維管束植物)に関しては次のように説明を加えている。概要を示せば、奈良県はわが国で数少ない海岸をもたない県の一つで、関西以西の本州で最高の標高1914.6メートルの山岳をもっていることを地勢的特徴としてあげ、寒温帯から暖温帯に生育する植物が多く見られる土地柄にあると指摘している。

 殊に特徴的なのは、県のほぼ中央を東西に流れる紀ノ川(県内では吉野川)を隔て、南部は概ね標高の高い紀伊山地の山岳地帯であり、北分は奈良盆地、大和高原、宇陀山地といった標高の低いところが広がりをもっていること。この地勢的な自然環境は豊かな植生に繋がっているが、そんな立地の環境下における植生にリスクもあり、そのリスクとしてイノシシやニホンジカなど野生動物による食害の影響をあげるとともに、開発や外来の帰化植物の占有による圧迫のリスクも指摘している。

 ほかにも従来から生育している植物の減少要因はあるだろうが、まず、大きい理由は気象条件の変化、野生動物による食害、更に人為的なリスクがこれに加わり、野生植物に打撃を与え、絶滅が懸念されている種も多くに上るというわけである。植物(維管束植物)の調査では、野生植物種目目録掲載種約3500種の中、絶滅種34(1)、絶滅寸前種256(7)、絶滅危惧種210(6)、希少種221(6)、情報不足種32(1)、注目種6(0)、郷土種1(0)の計760(22)という結果が示され、まことに多い数とパーセンテージであると見られる。( )内は野生植物種目録掲載種数に占める割合で、単位は%。

  この結果は前述した通り、2008年(平成20年)最終のものであり、今より10年前で、その後の変遷については2016年調査の結果が今年6月に公表されているようであるが、それより前にこの「大和の花」は連載を開始し、基準を2008年版に照らして来た関係上、今後も2008年版を基準に掲載して行くつもりにしていることを断って置かねばならない。直近の調査結果については今年公表の2016年版を見て頂きたいと思う。

 2016年調査の直近のものはまだ見ていないので、詳しくは言えないが、私が歩いた十年の間の印象をして言えば、ニホンジカの駆除が行なわれて以後、ミヤマモミジイチゴやカニコウモリなどに蘇りの群落が見られ、保護区域内では絶滅の進行を食い止めているところもうかがえるが、放置状態のところでは概ね絶滅危惧の懸念が高まっているように思われる。殊にススキの純血主義によるものか、シカの食害も見られる曽爾高原の豊かな植生の衰えが気になるところである。

  ホームページの記載によれば、懸念は増加しているようで、それだけ自然が失われていると言えようか。今後も調査の継続が必要に思われる。とともに、減少している在来種のある半面、増えている外来種の存在があり、この外来種の動向調査も必要ではないかと思われる。何故なら、植生は自然のバランスの上に成り立っており、在来種が外来種の影響を受けていると考えられるからである。 写真は2008奈良県版レッドデータブック『大切にしたい奈良県の野生動植物』と「大和の花」において参考にしている山渓ハンディ図鑑の一部。


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年08月17日 | 植物

2057> 大和の花 (295) ミズアオイ (水葵)                              ミズアオイ科 ミズアオイ属

                                                  

 日本に見られるミズアオイ科の植物は、ミズアオイ属のミズアオイ(水葵)とコナギ(小菜葱)の2種が自生し、ホテイアオイ属のホテイアオイ(布袋葵)とアメリカコナギ属のアメリカコナギの野生化した外来2種が見られる。ここでは自生の2種と帰化して野生化したり植えられたりしている外来のホテイアオイに触れてみたいと思う。

 まずはミズアオイから。ミズアオイは水田や湿地などの水湿地に生え、草丈が20センチから40センチほどになる抽水植物の1年草で、長さが10センチから20センチの葉柄に10センチ前後の心形で厚く光沢のある葉を根生し、この葉がカンアオイ(寒葵)類の葉に似るのでこの名がある。茎葉の柄は短く、葉も小さい。

 花期は9月から10月ごろで、茎は太く、根生葉よりも高く抜きん出て、その上部に青紫色の花を総状につける。花は直径3センチ弱、花被片は6個、雄しべも6個で、そのうちの1個は長く伸び、葯が青紫色、残りの5個は短く、葯は黄色である。実は蒴果で、長さが1センチほどの卵状楕円形になり、熟すと下を向いて垂れる。

 北海道から本州、四国、九州に分布し、朝鮮半島から中国方面にも見られる。大和(奈良県)ではフジバカマ(藤袴)と同じく、2008年の奈良県版レッドデータブック『大切にしたい奈良県の野生動植物』に「近年全く見られない」として絶滅種にあげられている。これについてデータブックの補足説明には、「大和植物誌(岡本1937年)には平和村(現大和郡山市の一部)、磯城郡東村(現田原本町の一部)他平坦部各地と記されているように池沼のほとりや水田にも生育していた。云々」と見える。

  その後、自生地が失われ、自生地の復活が試みられたりしたが、自生地が蘇ったという話は聞かない。昭和時代のはじめごろには大和平野のそこここでミズアオイの青紫色の花は見られたようであるが、今は植栽によるもの以外は見られないようである。写真は植栽によるもの(奈良市の春日大社萬葉植物園など)。

  なお、ミズアオイの別名はウシノシタ(牛の舌)で、本草書によると古くはナギ(水葱)と呼ばれ、食用乃至は薬用にされていたようで、民間療法として、みそ汁の具にミズアオイの茎葉を刻んで入れたり、煎じて服用し、胃潰瘍の治療に用いたという。また、『万葉集』 に見えるなぎはミズアオイと見られ、万葉植物にあげられている。  炎暑なる今日も誰かの救急車

<2058> 大和の花 (296) コナギ (小菜葱)                               ミズアオイ科 ミズアオイ属

               

  水田や沼地などの水湿地に生える抽水植物の1年草で、ミズアオイ(水葵)に似るが、全体に小さく、草丈は30センチ前後、葉は長い柄を有し、披針形から卵心形まで変化が多い。花期は9月から10月ごろで、葉腋に直径1センチから2センチほどの濃い青紫色の花を咲かせる。本州、四国、九州、沖縄に分布し、大和(奈良県)では絶滅種にあげられているミズアオイと異なり、水田の脇などでよく見かける。

  前回のミズアオイの項でも少し触れたが、『日本書紀』や『万葉集』に見えるなぎ(水葱)は食用を意味する菜葱の義でミズアオイとされ、こなぎ(小水葱)はミズアオイの小さいものの意として見られ、現在のコナギ(小菜葱)を指すものと認識されていたようで、ミズアオイと同一視されているところが歌の端々にうかがえる。

  『万葉集』にはなぎが1首に、こなぎが3首に見え、こなぎは「植えこなぎ」の表現で登場している。このように万葉当時には植えられ、茎や葉を羹(あつもの)などに用い、濃い青紫色の花は摺り染めにしていたことが万葉歌からはうかがえる。つまり、コナギはミズアオイと同じく、万葉植物ということになる。『大言海』(大槻文彦著)によると、こなぎは「田ニ植ヘレバ、田水葱(たなぎ)トモ云フ」と「植えこなぎ」をフォローしている。

     春霞春日の里の植ゑこなぎ苗なりと云ひし柄はさしにけむ                                     (巻3-407 大伴駿河麻呂)

  これは『万葉集』の歌で、コナギが水田の脇などで今も見られるのは、この万葉歌が詠まれた当時の面影を残すものと言えなくもないように思われる。現在のコナギは雑草として厄介者のように扱われ、当時とは大違いで、その姿には何か身捨てられたものの孤独と憂愁を感じさせるところがある。だが、このようなコナギの姿にも、種子で種を繋いで行く1年草の力強い生の展開が思われ、いじらしさも感じられる。 写真は花を咲かせるコナギ(桜井市東部)。 美味求真美味求真のこころ旅岩間に掬ふ掌の水

<2059> 大和の花 (297) ホテイアオイ (布袋葵)                           ミズアオイ科 ホテイアオイ属

              

  南米原産で、世界の暖地に広く帰化している浮水植物(浮遊植物・根が底に固定せず、植物体が水に浮遊して生育する植物)の多年草で、日本には明治時代に観賞用として渡来した。所謂、外来の帰化植物で、中部地方以西の暖地で野生化している。

  長い柄を有する広倒卵形の光沢のある厚い葉をロゼット状に多数つけ、柄の中ほどに多胞質の袋状の膨らみを持ち、これによって植物体全体が水に浮く仕組みになっている。この膨らみを七福神の布袋さんのお腹に擬え、この名はあるという。花期は8月から10月ごろで、長さが15センチほどの花序を立て、直径4、5センチの6花被片からなる花を数個から10個ほど一度に咲かせる。花は淡紫色で、上側の1個が大きく、紫色のぼかしの中央に黄色い斑点が入り美しい。この花がヒヤシンスを思わせるところから英名はwater hyacinthという。

  花は朝方開いて夕方には萎む1日花で、萎んだ花は花序ごと倒れて水に没し、翌朝には新しい花序が水面に登場し、また一度に花を咲かせ、花が終わるとまた水に没し、水中で結実する。花期中これを繰り返すが、日によって群落の花の数が異同が大きいのはこのためで、天候などに左右されるのではないかと言われる。

  ホテイアオイは根を水中に広げ、水中の窒素分などの栄養分を吸収して成長するので、水質浄化作用があるとして、環境保全を目的に池などに導入されるが、繁殖力が旺盛なことと、冬に茎や葉が枯れて腐臭源になるリスクもあることから、管理が十分になされず害草となった事例もあって、環境省では要注意外来生物にあげている。まさに、私たちには功罪半ばの外来植物と言える。

  だが、一般には花が美しいので、園芸店などでも販売され、よく知られる水生植物で、大和(奈良県)では、橿原市城殿町の本薬師寺跡周辺の水田1.4ヘクタールにホテイアオイが植えられ、休耕田利用による町興しの観光事業として定着し、近くの畝傍北小学校の児童らが植えつけに協力し、毎年、みごとな花を咲かせ、ホテイアオイの名所として知られるようになった。見渡す花の広がりは圧巻で、8月から9月にかけての花の時期には訪れる人も多い。枯れる冬場は来年用の株を確保し、残りは処分されるので腐臭の問題は起きないようになっている。

  写真はホテイアオイの花。左は植栽による群生の花(夕方には全ての花が萎れて水に没するので、日毎に新しい花が登場することになっている)。右は花のアップ。    過去を負ふ旗はそれでも靡きつつ僕らの旅は続けられゐる