大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年09月30日 | 植物

<2462> 大和の花 (621) オオキヌタソウ (大砧草)                                    アカネ科 アカネ属

                                                  

 湿気の多い山地の林床や林縁などに生える多年草で、匍匐する根茎を有する。4稜がある地上茎は直立し、高さが30センチから60センチほどになる。葉は長さが数センチから10センチの卵形または広披針形で、先が尖り、3脈がはっきりしている。また、葉は短い柄を有し、4個輪生してつく。ただ、アカネ属の特徴で、真の葉は対生する大きい2個のみ、残りの1対は葉状に発達した托葉である。

 花期は5月から7月ごろで、上部の葉腋に集散花序を伸ばし、多数の花をまばらにつける。花冠は黄白色から緑白色で直径3ミリから4ミリの大きさで、4裂から5裂する。北海道、本州、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島から中国東北部に見られるという。大和(奈良県)では生育地も個体数も極めて少なく、レッドリストに絶滅危惧種としてあげられている。その名は実の形によるという説があるが、不詳。 写真はオオキヌタソウ(上北山村の山中。この一箇所でしか見ていない)。  雨の音秋しんみりとやって来ぬ

<2463> 大和の花 (622) ヤマトグサ (大和草)                                         アカネ科 ヤマトグサ属

                              

 山地の林内や林縁に生える多年草で、茎は直立し、下部は分枝、毛があり、高さが15センチから30センチほどになる。葉は長さが1センチから3センチの卵形で、先はやや尖り、縁には鋸歯が見られ、対生する。葉柄は短く、葉柄の基部には膜質の托葉がある。

 花期は4月から5月ごろ。雌雄同株で、花は葉腋に1、2個の雄花または雌花をつける。雄花は緑白色の雄しべが葯とともに多数垂れ下がり、微かな風にも震えるように揺れる。3個の萼片は反り返って巻く。雌花は淡緑色で、U字状の花柱が顔を覗かせる。

 本種は世界に1属4種の中の1種で、本州の秋田県以南、四国、九州に分布する日本の固有種として知られる。大和(奈良県)では生育地、個体数ともに少なく絶滅危惧種にあげられている。主要な産地は金剛山であるが、減少が著しいとの報告がある。

 なお、ヤマトグサは明治20年(1887年)に発見され、日本人が初めて学名をつけた記念すべき植物として、大和(日本)草、即ち、ヤマトグサと命名された。学名は命名者の大久保三郎と牧野富太郎に因み、「Theligonum japonicum (Okubo et Makino)」とつけられ、二人の名が見える。 写真はヤマトグサ(金剛山)。   透き通る秋透き通る水の色

<2464> 大和の花 (623) イナモリソウ (稲森草)                                  アカネ科 イナモリソウ属

           

 山地の林内や林縁に生え、地面がむき出しになったような登山道の傍などで見かける多年草で、地中に細い地下茎を伸ばして増える。地上茎は直立し、高さが3センチから5センチ、大きいものでも10センチほどと小さく、小群落をつくることがある。葉は長さが3センチから6センチほどの卵形で、全面に毛が生え、先はやや尖り、対生して2、3対つくが、茎が短いので輪生状に見える。

 花期は5月から6月ごろで、葉腋や茎頂に1、2個の花をつける。花冠は長さ2.5センチほどの筒状鐘形で、先が5深裂する。裂片は長さ7ミリほどの広披針形で、縁が波打つ特徴がある。花冠は中心部が白く、周辺部が淡紅紫色で美しく、小さい花ではあるが印象に残る。先が5裂する雌しべが1個見える。花にも毛が生える。実は蒴果。

 イナモリソウのほかシロバナイナモリソウが見られるが、ともに日本の固有種で、イナモリソウは本州の関東地方以西、四国、九州に分布し、大和(奈良県)でも見られるが、個体数が少ないためレッドリストの希少種にあげられている。なお、イナモリソウ(稲森草)の名は、三重県菰野町の稲森山で初めて見つかったことによるという。 写真はイナモリソウ(熊野古道小辺路の伯母子峠越え)。 秋来たる運動会あり祭りあり

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年09月29日 | 写詩・写歌・写俳

<2461> 余聞、余話 「 月 」

      月は斯く詠まれ来にけり昔よりあるは業平西行の月

 二十四日は中秋の名月だったが、大和地方では雲に閉ざされて見ることが出来なかった。名月(陰暦八月十五日)の時期は秋雨前線の影響により雲の掛かる確率が高く、無月や雨月と呼ばれる状況がしばしば起きる。今年もその前線に阻まれ、名月には出会えなかった。奈良の猿沢の池で催された采女祭(うねめまつり)も月のない祭りだったようである。

  けれども、遮られた雲に恨みを抱いたりしないのが観月の風流というもので、ひたすら月の出を待つ。立待(たちまち)、居待(いまち)、臥待(ふしまち)、更待(ふけまち)など月が望めるまで月齢に関わりなく待つというのが中秋の名月に臨む流儀で、昔から習いとして来た。これは月への思い、拘りの深さによるところであり、その思いを通すのも、観月のまたの楽しみということになる。名月(陰暦八月十五日)は暦の上のこと。月齢の微妙な変化により名月と実際の満月(望月)が一致することは少なく、名月の後に満月(望月)の来ることが多い。今年も名月に一日遅れて満月(望月)となった。

 以上のごとくで、今年の名月は見られなかったが、翌日二十五日の深夜、正確には二十六日の午前三時に満月を撮影することが出来た。前線が南に下がり、天気が一時回復したことによる。風情を決め込んで待っていたわけではなく、就寝中尿意を催し、目が覚めたことによる。寝床に立ち上がったそのとき、障子戸が妙に明るいので、とっさに名月のことが思われた。で、障子を開けて見ると、中天より少し西寄りの夜空高くに皓皓と照る月があった。「満月だ」と思い、暦で確認し、カメラを取り出して写真に収めたという次第である。ここに掲載した写真はその満月である。

                     

 思いがけず写真に収めることになった満月(望月)は寝静まった町や人家を遍く照らし、静寂で安穏な下界を見守っているといった感じに見えた。地球上の私たちにとって太陽と月は切り離せない情趣の基になっている。それは太陽の動と月の静という両極のバランスによっているといってよく、このバランスの中に地球人の私たちは存在している。その効用は、太陽の動と月の静。励みと癒しと見るのもよかろう。どちらにしても、ともに私たちの恵みではある。

  それは評価の問題ではなく、私たちになくてはならない内面に共通する質の現われと見て取れる。つまり、私たちが日ごろ気に留めることなく享受している精神性に繋がる。ここでは名月に因んだ「月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」(詠み人知らず)という歌のみならず、月を詠んだ歌をあげてみたいと思う。月は万葉の昔から極めて多く詠まれ、日の太陽以上に私たちの心に添い来るところがあり、歌にも多く詠まれ、今に至っていると言える。では、以下に月を詠み込んだ歴代の人口に膾炙している名歌十首を見てみよう。

    東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ                                         柿本人麻呂(『万葉集』巻一)

  去年見てし秋の月夜は照らせれど相見し妹はいや年さかる                                 柿本人麻呂(『万葉集』巻二)

  あまの原ふりさけ見れば春日なるみかさの山に出でし月かも                              阿倍仲麻呂(『古今集』羇旅秋)

  月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我身ひとつはもとの身にして                             在原業平 (『古今集』恋歌五)

  月みれば千々にものこそかなしけれ我が身一つの秋にはあらねど                            大江千里 (『古今集』秋歌下)

  何ごともかはりのみゆく世の中におなじ影にてすめる月かな                                西行法師 (『続拾遺集』八)

  なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな                                 西行法師 (『千載集』恋歌五)

  ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる                                 藤原実定 (『千載集』夏歌)

  あかあかやあかあかあかやあかあかやあかやあかあかあかあかの月                         明恵上人 (『明恵上人歌集』)

  清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき                                      与謝野晶子(歌集『みだれ髪』)

  月は「春の花にたいして秋を代表する季の詞である。秋月のさやけさを賞して古来秋季とし、たんに月と言えば秋の月である」(『日本大歳時記』・山本健吉)と言われ、平安時代に遡る『白氏文集』による雪月花の影響も言われるところであるが、ここにあげた十首の月に関して見ても、月は四季を問わず、人の思いに添い来るところが言える。秋の名月はもちろんのこと、春には春の、夏には夏の、そして、冬には冬の月があり、四季を通じて人の心に触れ、歌にも詠まれて来たことがわかる。

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年09月24日 | 植物

<2456> 大和の花 (616) クルマムグラ (車葎)                                         アカネ科 ヤエムグラ属

           

 山地や平地の木陰などに生える多年草で、4稜のある茎に刺毛はなく、高さ20センチから50センチになる。葉は長さが1センチから3センチの長楕円形乃至は披針形で、縁に毛があり、普通6個が輪生する。葉は乾かすと黒く変色する特徴がある。

 花期は6月から7月ごろで、茎頂や茎上部の葉腋から集散花序を出し、多いもので10数個の白い花をつける。花冠は直径2.5ミリほどで、4裂し、ほぼ上向きに平開する。萼には長毛がある。2分果する実には長いかぎ状の毛が密生する。

 北海道、本州、四国、九州に分布、国外では朝鮮半島に見られるという。大和(奈良県)では山野に見られる足元の花で、白い花がよく目につく。その名は輪生する葉を車輪に見立てたことによる。写真はクルマムグラ(葛城山)。 秋雨や旅立ちし人ありしかな

<2457> 大和の花 (617) オククルマムグラ (奥車葎)                               アカネ科 ヤエムグラ属

                  

 日当たりのよくない山間地から深山に至る林床や林縁に生える多年草で、高さが20センチから50センチになる。葉は長さが2.5センチから4センチの長楕円形乃至楕円形で、先は鋭く尖る。茎や葉の裏面中肋に刺状の毛が生える。葉は普通6輪生し、クルマムグラによく似るが、本種の方が葉に丸みがある。

 花期は6月から7月ごろで、茎上部の集散花序に多いもので10数個の白い花をつける。花冠は直径2.5ミリほどで、先は4裂し、花もクルマムグラに似るが、反り返った花を見ない。実には鈎状の毛がある。北海道、本州、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島に見られるという。 写真はオククルマムグラ(川上村神之谷ほか)。  名月や思ひは募る雲の中

<2458> 大和の花 (618) ヤマムグラ (山葎)                                          アカネ科 ヤエムグラ属

                                   

 山地のやや乾き気味のところに生える多年草で、高さは10センチから40センチほどになるが、茎が細いので倒れ込むようになるものもある。葉は長さ1センチから2センチほどの広線形で、4個が輪生する。4個の葉は1対ずつ大きさが異なる特徴がある。

 花期は5月から6月ごろで、茎頂や上部葉腋から花序を出し、数個の黄白色から白色の花をつける。花冠は直径3ミリほどで、先が4裂し、完開すると反り返る。裂片の外側には長い毛がある。

本州、四国、九州に分布し、北海道では見られず、国外では朝鮮半島、中国に見られるという。大和(奈良県)では登山道でときおり見かける。 写真はヤマムグラ(左から一対ずつ不揃いな4輪生の広線形の葉、花と蕾(蕾には長い毛が見える)、花のアップ(花冠裂片の外側に薄っすらではあるが、長い毛が見える)。いずれも川上村の山中。  名月に雲厚くして諦めぬ

<2459> 大和の花 (619) ミヤマムグラ (深山葎)                                      アカネ科 ヤエムグラ属

                 

 山地から亜高山帯に生える多年草で、高さは10センチから25センチになる。葉はヤマムグラのように普通4輪生し、1対が大きく、他の1対が小さい特徴を有するが、ヤマムグラの葉より幅が広く、長さが1センチから3センチの卵形乃至広卵形で、長い柄があるので一見して判別出来る。

 花期は7月から8月ごろで、茎頂に短い花序を出し、少数の白い花をつける。花冠は直径2ミリほどで、先が4裂する。北海道、本州、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島から中国に見られるという。大和(奈良県)では標高800メートル以上の深山でときに見かける。 写真は花を咲かせるミヤマムグラ(天川村の大峯奥駈道ほか)。    三連覇常勝広島広島鯉(カープ)

<2460> 大和の花 (620) オオフタバムグラ (大二葉葎)             アカネ科 オオフタバムグラ属

        

 水はけのよい砂地に生える北アメリカ原産の帰化植物として知られる1年草で、高さは10センチから50センチほどになり、群生することが多く、東京で最初に見つかり、各地に広まった。葉は長さが1センチから3.5センチほどの細い披針形で、先は刺状になって尖る。また、葉は両面に短い剛毛があり、触るとざらつき、無柄で、対生する。托葉は2個が合着し上部に刺毛がある。

 花期は7月から9月ごろで、葉腋に淡紅色の花をつける。稀に白色の花もある。花冠は長さが数ミリの筒状で、先が4裂して開く。雄しべは4個、雌しべは1個で、雄しべの葯は白く、淡紅色の花冠との彩がよく、かわいらしく見える。実は乾果。 写真はオオフタバムグラ。右の写真の葉腋に伸びる刺毛は托葉のもの(奈良市の磐之媛命陵)。  秋来たる秋来たるなり雨の中

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年09月23日 | 創作

<2455> 余聞、余話 「平成時代の終焉に寄せる短歌二十首」

      時はゆき時は流れて平成の時代も移る行方を知らず

  時は止まることなく常に移りゆき、この移りゆく時の狭間に存在する私たちは、触れる事物を含め、その移ろいに身を置き、その移ろいを負う定めとしてある。何事も始まりがあれば、終わりがあり、始終の間を移ろひゆく。そして、その移ろいが最も顕著に私たちに実感されるのが私たち自身の命、即ち、生きとし生けるものに与えられた生である。その移ろいに変化が生じるのは、言わば、常のことで、時代の変化も、つまりはこの生の移ろいの現われにほかならない。

 今上天皇が来年の四月末日をもって退位し、皇太子にその位を譲る。平成の世も三十年を限りに終焉となり、五月一日より新天皇の新しい年号の時代に入る。まだ年号は発表されていないが、果たしてどのような名称に落ち着くのか。戦前、戦中、戦後の激動最たる昭和を引き継いだ平成はその名が示すように、平和の希求が最大の課題だったように思われる。個別的なテロによる騒動などがあり、完璧とまでは言えないが、憲法が掲げた不戦のその意味において言えば申し分のない時代だったと振り返ることが出来る。

 昭和の後半にも言えるが、この時代を支えて来たのは、太平洋戦争の苦い敗戦経験に基づき、不戦の決意たる第九条を含む主権在民の平和憲法とこの憲法の意に沿い日本国及び日本国民統合の象徴たる地位を全うした天皇の惜しみない努力による気がする。こうした戦後の流れの中で、いよいよ平成の時代は終わり、新天皇の次代に移る。もちろん、時代の流れは引き継がれてゆくのであろうが、新天皇を迎え、如何なる理念の国家形成がなされてゆくのだろうか。一国民たるも関心が持たれる。改憲の話が浮上しているが、時代を戦前に戻すような愚をもってなされることがないことを望むばかりである。

                                         

 改憲によって、天皇と政治権力が近くなって、天皇が政治の世界に巻き込まれ、政治権力に利用されるのを私たちは恐れなくてはならない。私たちが知り得る親しみの中にある天皇は政治権力より一段上に存在する日本国並びに日本国民統合の象徴であり、天皇の権威を超える権力の存在を認めず、国民統合の象徴たる天皇は横暴になり得るすべての権力に対する重石とし、憲法に等しく、その趣旨を担い全うすべく新時代もあってほしいと願うばかりである。

 言わば、現憲法によるこの天皇観をして戦後の日本はあり、天皇の有意義性が国民の間に浸透して、国がまとまりを得て来た。政治権力は自らの失政が問われるに至ると自己の責任を免れるべく策を巡らせる。そうした状況に至ったとき、政治の近くに天皇が立ち居すれば、天皇の威を借りるべく、政治権力の姑息が働く。それは、言うまでもなく、戦前回帰、太平洋戦争の二の舞になり兼ねない事態を生じ、国民を不幸に導く。

 仮に改憲はよいとして、現憲法の意義を正しく認識し、為政者の権限強化に繋がらない改憲に向かうべく見て行かなくてはならない。それは、日本の政治的現状がかなり一極に集中し、議論が蔑ろにされ、経済成長はともかく、その国家的情勢が甚だ覚束ないところに来ていることが言えるからである。例をあげれば、核家族化の推進による歪の結果たる少子高齢化の現象がある。国家総動員法ではないが、男女を問わず働かせる世の中にしようとする無理により、少子高齢化に拍車がかかっている問題がある。この問題は地域間格差を生じ、地方の疲弊状況をより深刻化させるところに通じ、逼迫するに至っている。

                                         

 これに加え、大借金国である国自体の財政事情がある。私などはこの大借金こそが諸事情(言わば諸悪)の根源にあると見るが、一向に質されない。こうした政治事情にあって、何が起きるかわからない国家運営の政治に天皇の権威が冒されるという懸念を考えるとき、私には戦争に打って出た戦前の体制が思われて来るのである。

  不正の露見が頻発している昨今の社会情勢をうかがい知るほどに、そうした日本人の精神性がなぜ問われないのか、不思議に思われ、そこも問題であるが、姑息が支配するような政治の不純な世界に、上位になくてはならない天皇が巻き込まれ、天皇の威が利用されるような体制になってゆくことの懸念が改憲によって生じる可能性が強いと思われるゆえ、改憲が実行されるにしても、この点をよくよく考えなければならないと思う次第である。とにかく、時代が変わっても、平和憲法の理念だけは貫くべくあってほしいと願うものである。

  以上、諸事情のある中にあって時代の変わることが見て取れる。で、三十年に及んだ平成時代の終焉に際し、新しい時代へも思いを巡らせながら詠んだ近作短歌二十首をここに記する次第である。写真はイメージで、日月。

   時代には時代の影が添ふゆゑのゆく夏平成最後なる夏

   廃れゆく棚田は日本の形而上昭和平成ぼくらは何処へ

   平和主義そこここに見え来たりけり昭和の後の平成の意味

   昭和より平成平成より次代戦後は続く歴史の中に

   ホームレス歌人はいづこ今どこにはたして真偽は今なほ不明

   変化なきものなどはなし時の中 されども無事を掲げて持続

   狂おしき世界の諸事情そして我が日本即ち小国事情

   常ならぬことを常とすこの世観明治大正昭和平成

   平成の後は如何なる時代にやはたしてぼくらが抱く海山

   収まらず収まりゆくが常たるに世は世人は人継がるるならひ

   望みもて背伸びして見る海峡の見えて見えざる霧の先々

   ぼくたちは故郷を知って得しものを歌にしてゆく生きものの裔

         故郷とは帰れぬゆゑの謂ひならむ例へば心に宿る風景

         樹木希林平成の世とともに逝く感ありそして秋雨続く

         時代とは人の因果のうねりとぞ時は静かに静かに流れ

   個は孤なり孤は孤独の孤そのゆゑにありける心の中の一筆

   懐疑には推理推理には想像(おもひ)おもひはつまり身の置きどころ 

   人はみな時代人なり今にあるこの身は今を負ふ時代人

   誰がために鐘は鳴るのか聴く耳と願ふ心に響くべく鳴る                                           

   日月は変はらずありて地に及ぶ移ろふものの数多を照らし

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年09月19日 | 植物

<2451> 大和の花 (612) ヒヨドリバナ (鵯花)                                       キク科 ヒヨドリバナ属

               

 山地や丘陵の林縁など明るいところに生える多年草で、茎は1本から数本叢生し、高さが1メートルから大きい個体で2メートルになる。葉は長さが10センチから18センチの卵状長楕円形で、先は尾状に尖り、毛が散生する。また、葉裏には腺点があり、短い柄を有して対生する。

 花期は8月から10月ごろで、ヒヨドリが鳴くころ花を咲かせるのでこの名があるという。茎頂や枝先に白色、または紫色を帯びた頭花を散房状につける。頭花は5、6個の管状花(細い筒状花)からなり、花冠の先は5浅裂する。花は両性で、雌しべの花柱が糸状に花冠の外へ伸び出し、先端が分枝するので目につく。虫媒花で、花には遠路の旅をするアサギマダラが来ているのを見かける。

 北海道、本州、四国、九州に分布し、東アジアの温帯から暖帯に広く見られるという。大和(奈良県)では普通に見られるが、ヒヨドリバナには変異が多く、サワヒヨドリとの雑種も見られるという。 写真はヒヨドリバナ(矢田丘陵ほか)。

   普段なる鵯花の山の道

 

<2452> 大和の花 (613) フジバカマ (藤袴)                                        キク科 ヒヨドリバナ属

                                                

 本州の関東地方以西、四国、九州の川岸などに見られる暖地性の多年草で、古くに中国から渡来したとされ、栽培されていたものが野生化して広がったものと考えられている。茎は叢生し、高さは1メートルから1.5メートルほどになる。葉は長さが8センチから13センチほどの長楕円形乃至長楕円状披針形で、普通3深裂し、よく似る他種との判別点になる。葉の質はやや硬く、短い柄によって対生する。

 花期は8月から9月ごろで、上部の枝先に淡紅紫色の頭花を散房状に多数密につける。頭花の総苞は10個の総苞片からなる長さが7、8ミリの筒形で、中に5個の小さい管状(細い筒状)花があり、先が浅裂する。雄しべは5個、雌しべの花柱が花冠外に長く伸び出し、先が2つに分かれ、目につく。ヒヨドリバナと同じくフジバカマの花は管状花だけの両性花である。

 なお、フジバカマは全草乾燥すると芳香が顕われ、この香りにより蘭(らに・あららぎ)の字が当てられ、中国では花によい香りがあるラン科植物を蘭花、草全体によい香りがあるフジバカマを蘭草と呼んで区別したと言われ、日本では当初フジバカマのことを蘭(らに、あららぎ)と呼び、『日本書紀』の允恭天皇紀に登場を見るので、これがフジバカマの日本における初出と思われる。

 また、フジバカマは『万葉集』の山上憶良の秋の七種の歌(巻10・2270)に登場する万葉植物で、この歌により秋の七草として名高いが、万葉以後も『源氏物語』や『古今和歌集』など多くの文献に登場し、その花が愛でられて来た。現在は花材にもされている。これに対し、中国ではもっぱら香りが愛好され、花には一向興味が示されることなく、浴湯料や洗髪などに用いられ、フジバカマには日本人と中国人の感性の違いが見られるという見解もある。

フジバカマと蘭(らに)が同一であることは、『源氏物語』の「藤袴」の巻に中将夕霧が玉髪を訪ね、蘭の一茎に「おなじ野の露にやつるる藤袴あはれはかけよかごとばかりも」と詠んだ歌を添えて贈る場面があることによる。つまり、この蘭と歌に詠まれた藤袴が等しいと言えるからである。

なお、フジバカマは香りだけでなく、薬用植物として、漢方では蘭草または佩蘭の生薬名で知られ、利尿、解熱、通経、黄疸などに煎じて用いるという。昔は雑草として道端などでも見られていたようであるが、最近、激減し、大和(奈良県)における野生は全く見られず、奈良県版レッドデータブックに絶滅種として記載されている。 写真はフジバカマ(植栽による)。葉が3深裂するのがうかがえる。   秋雨や喉元過ぎしほどの今日 

<2453> 大和の花 (614) サワヒヨドリ (沢鵯)                                         キク科 ヒヨドリバナ属

                    

 日当たりのよい山野の湿地や水気の多い溝などに生えるヒヨドリバナの仲間の多年草で、水田の放棄地などにも生え出し、群生しているのを見かける。茎は紫褐色のものが多く、直立して高さが40センチから80センチほどになる。葉は長さが6センチから12センチの広披針形で、ときに3深裂するものも見られる。葉は無柄で、上部では1対、下部では輪生状につくものもある。葉の質はやや厚く、裏面には腺点が見られる。

 花期は8月から10月ごろで、上部の葉腋から対生する枝を出し、茎頂や枝先に淡紫色、または白色の頭花を散房状に多数密につける。頭花は先が5裂する管状(細い筒状)花が集まり、雌しべの白い花柱が糸状に花冠の外に伸び出し目につく。花はフジバカマによく似るので、フジバカマの代用として生け花の花材に用いられることがある。なお、『万葉集』にさはあららぎ(澤蘭)の古名で見える万葉植物である。

 日本全土に分布し、東南アジア一帯にも広く見られるという。大和(奈良県)ではよく見られるものの湿地の減少で、昔のような群生して生えることは少なくなっている感がある。また、ヒヨドリバナとの雑種も見受けられるという。薬用は聞かない。 写真はサワヒヨドリ。左から湿地の個体群2例、花序、実をつけた冠毛群(宇陀市ほか)。   雑草に被はれ雑草然として沢鵯の花の面影

<2454> 大和の花 (615) ヨツバヒヨドリ (四葉鵯)                                  キク科 ヒヨドリバナ属

                                                               

 山地の草地や林縁などに生える多年草で、茎は直立し、高さ50センチから1メートルほどになる。葉は長さが10センチから15センチの長楕円形乃至長楕円状披針形で、柄がなく、普通4個が輪生する。ヒヨドリバナの仲間で、この葉のつき方によりこの名がある。別名クルマバヒヨドリ(車葉鵯)。葉は3個のものもときに見られる。

 花期は8月から10月ごろで、茎頂に散房状の花序を出し、多数の頭花を密につける。頭花は5、6個の管状(細い筒状)花からなり、先が5浅裂する花冠は淡紅紫色で、まれに白色のものも見られる。他種と同じく雌しべの花柱が花冠より外に伸び出し、2裂するので、目につく。実は痩果で、冠毛につき、風によって運ばれる。

 四国、本州の近畿地方以北、北海道に分布し、九州では見られず、国外ではロシアに見られるという。大和(奈良県)では、産地、個体数とも少ないうえ、シカの食害が懸念されるとして、レッドデータブック2016改定版には絶滅危惧種にあげられている。 写真はヨツバヒヨドリ(十津川村西南部の山中ほか)。右の写真の個体はヒヨドリバナの変異かも知れない。

 続く雨寂びれて聞こゆ虫の声