大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年03月03日 | 万葉の花

<548> 万葉の花 (77) も も (桃)=モ モ (桃)

        ぼんぼりに 灯を入れ桃の 節句かな

    はしけやし吾家(わぎへ)の毛桃本繁み花のみ咲きて成らざらめやも                               巻  七 (1358) 詠人未詳

   桃染褐(つきそめ)の浅らの衣浅らかに思ひて妹に逢はむものかも                            巻十二 (2970)  詠人未詳

   春の苑紅にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ少女(をとめ)                           巻十九 (4139)  大伴家持

 『万葉集』には桃(もも)を詠んだ歌が長歌一首を含め七首見える。その七首を見るに、果実を意識して詠んだ歌が三首、花を意識して詠んだ歌が三首、花と果実を意識して詠んだ歌が一首で、『万葉集』におけるモモは花と果実に関心が持たれていたことがうかがえる。これは花を視覚的に捉えて詠んだ歌が圧倒的に多いウメと接し方の違いが指摘出来る。

 まず、果実を詠んだ歌を見るに、冒頭にあげた1358番の歌がある。歌意は「ああ、我が家の桃は繁っているので、花だけ咲いて実がならないなんて、そんなことがあろうはずはない」というもので、実を娘に喩えていることがわかる。この用例は、花が盛んに咲き、実が豊かに実り、葉が密集して繁るモモを自家の娘に喩え、この娘が嫁いで行く先さまには喜ばしいことであるという中国上代の詩集『詩經』に見える周南の「桃夭」と題する重詠、重言の詩に重なるところがある。

 これは中国の古来より見られるモモに霊力があるとされるところに通じるもので、これがモモの伝説として我が国にも入り、『古事記』の神話にも用いられるに及んだ。所謂、伊邪那美命が亡くなり、黄泉の国に追って行った伊邪那岐命が約束を守らず醜女になった伊邪那美命を見たため、伊邪那美命の怒りを買うことになり、雷神率いる黄泉の軍勢に追われるはめになった。このとき、伊邪那岐命はモモの木の下まで逃げ帰り、そこでモモの実を取って投げつけたところ追っ手の軍勢は引きさがり、助かった。

  これは我が国でも古来よりモモの霊力が信じられていたことを示すもので、説話にある桃太郎伝説などにも言えることで、現在もこのモモにあやかるところがある。三月三日の節句は「桃の節句」と呼ばれ、女子の節句として雛飾りをして祝うが、子宝に恵まれることを願って霊力のあるモモの花を添える。『万葉集』のモモの果実に関わる歌にもその一端が見られ、今に通じていると言ってよい。

  モモはその果実の核が弥生時代の遺跡から出土するなど我が国では遺物の中に見られ、三世紀ごろに展開したとされる邪馬台国の候補地でお馴染みの吉野ヶ里遺跡(佐賀県)や纏向遺跡(桜井市)では大量に出土していることから国家の祭祀に関わりがあるのではないかと、研究の対象になっている。なお、「毛桃」は「小にして多毛」なモモで、中国では野生のモモをこのように呼んでいたと言われ、現在のような甘みのあるものではなく、酸味が勝っていたことにより、生では食べず、梅干しのように塩漬けにしていたことが記録されているので、大量出土はこれによるとも考えられている。

                

 以上のごとくで、モモは西南日本に自生するものがあったとする説もあるが、出土が限定的であることから、古い時代に何らかの形で中国方面から渡来したとする説の方が妥当と考えられている。同じバラ科のウメも中国から渡来しているが、モモの果実の核の遺物から見て、その渡来年代には相当の開きがあると言える。これはウメよりもモモの方が食用として利用価値があったからではないかと想像される。

  次に花を詠んだ歌を見るに、2970番の歌は「紅(くれなゐ)の薄染衣浅らかに相見し人に恋ふる頃かな」(巻十二・2966)と同じ序の用法によって詠まれているのがわかる。「褐」は粗布のことで、「桃花褐」は桃染をいうものであって、「桃花褐の浅らの衣」が「浅らかに」を導く序として用いられているのがポイントの歌である。で、歌意は「浅い気持で妹に逢うものではありません」ということになる。桃染は『日本書紀』の天智天皇紀に「桃染布五十八端」とあり、この色の衣は衛士(兵士)が着用する規則にあった。

  4139番の歌は「天平勝宝二年三月一日の暮(ゆふべ)に、春の苑の桃李の花を眺めて作る二首」という詞書を有する家持の代表作の一首で、越に赴任時の作と知れる。「春の庭園に淡い紅色の美しい桃の花が咲いている。その下の道に出て佇む少女がいる」という情景を詠んだもので、ほのぼのとした春を思わせるところがあって、家持の理想郷を描いている麗しい歌と見て取れる。写真はモモの花と雛飾りに用いられた造花のモモの花。