大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年03月20日 | 写詩・写歌・写俳

<565> ラジオウオーク

        ウオークの 行き交ふ人も 春の色

 桜井市の三輪山の麓で行なわれた第32回毎日カルチャースペッシャル「三輪山麓の道ラジオウオーク~神話と万葉の郷を訪ねて~」に参加、午前中の南の部を歩いた。大鳥居の近くに駐車して、大神神社に向かい、参拝した後、一行に合流した。

  大勢の参加者が次から次へと石段を登って来る。その流れに加わって、神社から山の辺の道を南に辿り、聖徳太子が開基したと言われる平等寺、第十代崇神天皇の皇居があったとされる磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)跡を見て、古代の交易市と言われる海石榴市があったとされる金屋に向った。

                                                 

 まず、金屋石仏に立ち寄り、次に海柘(石)榴市観音堂(つばいちかんのんどう)をのぞいて、仏教伝来の地を示す大きな記念碑が建てられている大和川の金屋河川敷公園まで。ここまでが往路。広々とした公園で、参加者は思い思いに腰を下ろし、正午には少し時間があったが、弁当を開く人も多く見られた。私もここで持参の弁当にした。

 曇であったが、雨にはならず、まずまず。サクラには少し早かったが、菜の花やハクモクレンなどの春の花が見られた。折り返しは三輪小学校の三輪遺跡から三輪のえべっさんで知られる恵比須神社を経て宿場町の面影が残る町中を抜けて駐車位置に戻った。

                             

  今日歩いた一帯は古代における交通の要衝で、飛鳥時代には、この交易市の海柘(石)榴市を中心に北に上つ道乃至は山の辺の道、東に伊勢(初瀬)街道、南に磐余の道(山田道)、西に中つ道や下つ道に繋がる横大路(竹内街道)の道路網が出来ていた。また、大和川の水運が盛んで、隋や唐との貿易船がここまでやって来て、交易し、遣隋使の小野妹子はここに帰着したという。

  海柘(石)榴市の位置はわかっていないが、この一帯のどこかであったことには間違いがないようである。河川敷公園の記念碑が物語るように仏教はこの地に伝来したという。また、市には多くの人が集まり、男女による歌垣などの遊興も盛んに行なわれ、『万葉集』にその男女の問答歌なども遺されている。ラジオ持参の人も、そうでない人も見受けられたが、参加者はそれぞれ古代に思いを馳せる一日ではなかったか。

 写真の左上は平等寺を見学する参加者たち。右上はウオーキングのコース表示板。左下は金屋河川敷公園で休憩する参加者たち。中下は仏教伝来之地の記念碑を見る人たち。右下は遣隋使の模様を描いた壁のセラミックス板の絵。