大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年03月02日 | 祭り

<182>  お水取り  (1)
         回廊を 渡る炎や お水取り
 今年は閏年で、二月の尽日は四年に一度の二十九日だった。 奈良ではこの日が季節の一つの変わり目としてあるが、 これは三月一日から東大寺二月堂のお水取りが行なわれるからで、「お水取りが終わると奈良には春が来る」と言われるように、 お水取りが春を呼ぶ法会としてあるからである。
 お水取りの法会は、 もともと旧暦の二月一日から修せられ、 この二月によって、 修二月会、略して修二会と呼ばれる。今は三月に行なわれ、 一日が そのお水取りの行なわれる修二会の本行入りで、 この日から満行の十五日未明まで、 毎夜、大松明が舞台の回廊を走り、燃え盛る炎によって参拝者や見物衆を魅了する。因みに年の初めの正月に修せられる法会は
修正会と呼ばれる。
 お水取りの由来は、二月堂の法会に全国の神々を招いたとき、若狭国の遠敷(おにゅう)明神が魚を獲ることに熱中していて参集に遅れ、その詫びに若狭の清水を送り、本尊の十一面観世音菩薩にお供えする約束をした。その清水が二月堂の傍の岩間から湧き出し、この清水を御香水(おこうずい)として観世音菩薩に供えた謂われによるという。
 本行は上七日と下七日の十四日間行なわれ、 十一面観音悔過法要をはじめとし、 仏法興隆、天下泰平、万民安泰、五穀豊穣等を祈願するが、 十二日目がクライマックスで、この日(十三日)の深夜に二月堂のすぐ傍にある閼伽井屋(あかいや)の若狭井から汲み上げた一年分の御香水が十一面観世音菩薩に供えられる。
 このお水取りは天平勝宝四年 (七五二年)、 実忠和尚(じっちゅうかしょう)によって始められたとされ、平家による南都焼き討ちなどの妨害にも屈せず続けられ、途切れることなく今日に至り、今回で千二百六十一回を数えるという。
 本行は練行衆と呼ばれる参籠の「籠りの僧」十一人を中心に四十人ほどが関わって行なわれ、その間は、毎夜、 練行衆の足許を照らす道明かりの大松明十本(十二日のお水取りの夜はひと回り大きい籠松明十一本、 ほかの日に一本少ないのは明るい間に練行衆の一人が準備のため堂内に入り、必要ないため)が運行される。
 この大松明は二月堂の登廊を童子に担がれて順次登り、童子たちは舞台の回廊に至って勾欄から松明を突き出すので、火の粉が下で見ている群衆の頭上に舞い落ちる。暫くして、燃え盛かる炎は回廊を反対側の勾欄へ走り、そこでも松明を突き出し、 振り回すので、その度に火の粉が夜空に舞い、 荘厳な火祭りの観を呈する。 特に十二日の夜の籠松明は長さが八メートルに及び、 ほかの日より一段と大きく、迫力があるため、その夜は見物する人数も多く、境内地は超満員になり、止まって見ることが出来ず、群衆が川の流れのようになるほどである。

                                 
 この日、私はどこで写真を撮るべきか、思いを巡らしながら午後五時過ぎ二月堂に着いた。所定の場所以外は三脚不可であり、マイクでしきりに注意が呼びかけられていた。 三脚を用いなければ回廊を走る大松明の炎を写真に表現することが難しいので、これは難題である。 しかし、 何とかしなければならない。 で、 いろいろと考えた結果、三百メートルほど離れた駐車場の臨時カメラマン席で撮ることにした。
 この場所からはかなり昔に撮影したことがあった。 そのときには手前の電線が回廊を走る炎と重なって、 写真的にはまずいものになった。 そのときの電線は地下にでも埋められたのであろうか、取り去られて、今はすっきりしている。 で、この場所から撮影することに決めた。
 一日は思いのほか暖かく、 夜になっても冷え込まなかったので撮影にはよかったのであるが、 風がなかったために大松明の煙が堂の辺りに籠り、それが障害になって写真的にはよくなかった。掲載の写真はその結果である。
 駐車場の撮影場所から見る炎が走る二月堂の情景は遠花火を見るような感じで、 何か他所でやっているという感覚があった。 ときおり上がる見物衆の歓声もさざ波のように聞こえ臨場感に乏しく、 お水取りはやはり火の粉を間近にしながら舞台の近くで人に揉まれながら見るのが よいと思えたのであった。
 写真の右手、シルエットの鉾杉は東大寺の開祖、良弁(ろうべん)が赤子のとき ワシに浚われ、このワシがこの杉にやって来て赤子の良弁を食べようとした。そのとき、 良弁に観音さまの後光が差し、 ワシは良弁を食べることなく枝に掛けて去ったという伝説の「良弁杉」である。スギは二世であるが、かなり高くなり、年月の経ったことを思わせる。