大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年07月31日 | 写詩・写歌・写俳

<1676>  真 夏

         湧き上がる雲の峰々青垣の大和はいよいよ真夏となれり

                         

 七月最後の今日の奈良大和は一段と暑くなり、夕方近くには夕立もあった。この時期になると百日紅が咲き、蝉が頻りに鳴く。子供たちは夏休みの一番楽しいときではなかろうか。今日は日曜日だったので家族連れで避暑に出かけたところも多かったろうと思う。 写真は青垣の山並に沿うように湧き上がる夏雲(左)と夏雲を背に咲き盛かる百日紅の花(いずれも馬見丘陵公園で)。


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2016年07月30日 | 写詩・写歌・写俳

<1675> 今一度 ヒマワリの花について

         ヒマワリの花は

       宇宙基地

       蜜蜂の宇宙船が一つ

       私の夢を叶えんと

       いままさに

       ドッキングしようと

       羽を開いている

       基地の旗は

       幸運を呼ぶ黄色

       私の夢は果して

       その黄色い旗に

       導かれて広がってゆく

                        

 ヒマワリは北アメリカ西部が原産と言われるキク科の一年草で、暑い時期に直径二十数センチに及ぶ頭状花を咲かせるが、よく見かけるヒマワリの花は東に向いて横向きに咲かせる特徴がある。花は黄色、橙黄色、赤褐色などがあり、外側に取り巻くキク科特有の舌状花が炎のように見え、太陽をイメージさせるところがある。

 花の中の円形部分には雄しべと雌しべがびっしりとつき、それを目がけてミツバチがよくやって来る。ミツバチはその花に蜜の馳走に与かる変わりに、脚や体の毛に花粉をつけて花粉を媒介する役目を果たす。その光景はまさに宇宙船が宇宙基地にドッキングするところを思わせ、私を限りない夢に誘うところがある。花の後にはびっしりと種が出来る。

 

 

 


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2016年07月29日 | 写詩・写歌・写俳

<1674> 大和寸景 「ひまわり畑」

         夏帽の少女と日傘の母親と幸せ色のひまわり畑

 ヒマワリが咲いたという報があったためか、奈良県の馬見丘陵公園には猛暑にもかかわらず、花を咲かせたヒマワリ畑に結構人が来てにぎわっていた。最近、ヒマワリでもほかの花でも時節にかかわりなく見られ、冬場に咲くヒマワリもあるが、ヒマワリの花と言えば、やはり、暑さが盛りの今の時期が似合う。

                                                                

 観賞する人たちの中では、写真の素材として捉え、カメラに収める人が最も多く、結構高齢者も見られた。ヒマワリは人の顔ほどもある大型の花を咲かせることは誰もが知るところであるが、花が大きいので一花だけでも見応えがある。しかし、ひまわり畑一面に並んで咲く花も印象的で、そういう構図の写真もよく見かける。

 これは大方のヒマワリが一方向、即ち、みな概ね東を向いて花をつけるからで、ひまわり畑の全景写真においても絵になるからである。東は日出る方角に当たり、その名が向日葵(ひまわり)とあるように、ヒマワリの花には日を好む認識が私たちにあるからだろう。ことごとく東を向いて咲くヒマワリの花は、一つの不思議で、これについては植物生理学の瀧本敦京大名誉教授の『ヒマワリはなぜ東を向くか』が答えを模索しているが、この模索はともかくとして、この現象には地球の自転が大きく関わっていると私には思える。そして、地球の自転が反対だったら、大方のヒマワリは西に向いて咲くということになる。 写真は夏雲が似合うヒマワリの花。

 


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2016年07月28日 | 写詩・写歌・写俳

<1673>  蝉 の 声

         蝉の声 声もろともに 焼かれしを思へば 被爆の数多の命

      

          遠くに近くに蝉の大合唱が聞かれる季節

    この大合唱が聞かれないでは日本の夏はない

    しかしこの大合唱が聞かれるようになると

    戦争の犠牲になった人たちの慰霊の式典が開かれ

    日本の悲劇の惨状と恥部の時代が語られ

    戦後の田舎育ちには拙い麦飯を食べたくらいで

    貧に喘ぐようなこともなく幼少年期を過ごしたが

    夏の印象はこの夏の経緯に些か影響されている

    色白だった祖母は空襲の戦火に逃げまどい

    焼夷弾に焼かれた着物の襟の痕が首元に消えず残った

    祖母を襲った空襲は岡山においてであったが

    お隣の広島ではその直後にぴかどんの原爆が落とされ 

    世界の誰もが驚愕しその惨状が刻されたのであった

    この脅威のぴかどんは再び使用され長崎に投下された

    そして私たちは焼夷弾より恐ろしい核爆弾を知った

    夏の暑い盛りの八月六日と九日 終戦は六日後だった

    戦争を始めたのは十二月で冬 終わったのは八月の夏

    その間三年七ヶ月余 敗戦を知って戦争の愚かさを知った

    そうして夏が来る度に戦争の悲劇は語り継がれて来た

    蝉の大合唱が始まると私たちの意識は否応なくそこに向う

   写真はサクラの木に来て激しく翅を震わせて鳴き立てるクマゼミ(奈良公園で)

 


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2016年07月27日 | 写詩・写歌・写俳

<1672> 花 に 思 う

          今少し待つことそれを思へども花には術なし咲き終はりけり

 花期というのは花の種類によって長短があるけれども、花の盛りというのはそんなに長くない。一つの花で言えば、「花の命は短くて」とは言われるところで、ほんのわずかな間である。山野に出かけてよい花に出会うには足繁く通わなくてはならないことが条件と言えるだろうが、それがなかなか出来ない。ちょっとのんびり構えていると、時は過ぎて、花もその時に従い、待つことなどせず咲き終わるということになる。

                 

 今日はヒメシャラかクルマユリかと期待しながら大峯奥駈道を歩いたのであったが、両花とも咲き終わっていた。ヒメシャラの方は咲き残っているものが見られたので、その花を撮ったが、あまり写真映えする花ではなかった。それでも何とか撮れただけでも歩いた甲斐と、まずは納得しているが、思いはいろいろとあって、募るばかりという今日の撮影行ではあった。 写真は地に落ちたヒメシャラの花。