大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年12月31日 | 写詩・写歌・写俳

<2913>  余聞、余話 「令和元年の大晦日」

    何ごとがあれど移ろひゆく日々の時を重ねて歳月の嵩

 二〇一九年という年は五月一日に改元され、平成から令和に時代が変わった。ということで、令和元年は元旦がなく、妙ではあるが大晦日はあるという具合になった。つまり、令和二年に令和初の元旦を迎えるということになる。その短かった令和元年は今日で終わる。この改元を含め、今年は何か慌ただしいような年であった感がある。

                                       

  しかし、如何なることがあっても、移り行く日々の時は滞ることなく過ぎ行き、今年も最後の日。そして、今年もささやかながら晦日蕎麦をいただき、来年の令和二年子年に向かわんとしている。今年も何とか無事に過ごせた。来年もという心持ちは例年と変わりない。されど、この気持ちを含め、移り行く時の流れは止めようがなく、来年へと刻まれて行く。 写真は我が家の年越し蕎麦。

  昨日あり今日あり明日へ晦日蕎麦


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2019年12月30日 | 植物

<2912>  大和の花 (969) ヤマナシ (山梨)                                    バラ科 ナシ属

          

 人里近くにあって稀に見られる落葉高木で、樹高は10メートルから15メートルほどになる。葉は長さが6センチから18センチほどの卵形または狭卵形で、先が急に細くなって尖り、縁には細かく鋭い鋸歯が見られる。はじめ褐色の綿毛に被われるが、後に無毛になる。

 花期は4月から5月ごろで、短枝の先に散房花序を出し、直径3センチほどの白い5弁花を5個から10個つける。雄しべは20個ほどで、葯は紫色を帯びる。花柱と萼片は5個で、萼片は花が終わると脱落する。ナシ状果の実は直径2、3センチの球形で、秋に黄褐色に熟す。果肉は硬く、渋みが強いので食用に向かない。

 本州、四国、九州に分布し、朝鮮半島南部から中国にかけて見られるという。大和(奈良県)では宇陀市榛原赤埴の仏隆寺境内の推定樹齢400年と言われる古木をはじめ、点在して見えるが、植栽起源と思われるものがほとんどで、自生がはっきりしているものを私は知らない。

   日本のものは古い時代に中国から渡来した。これがナシ(和ナシ)の原種、即ち、ナシの祖先と目されている。『万葉集』にはナシ(梨)に関わる歌が4首見えるが、4首中3首がナシの黄葉を詠み、残りの1首は花に関する物名の歌で、実に関する歌はない。これは万葉人がナシの実に興味を示さなかったからと思えるが、この点、万葉時代のナシはヤマナシに近いものではなかったか。 写真は旺盛に花をつける仏隆寺の古木(左)、花のアップ(中)、長い柄を有する実(右)。   年の瀬やRequiem聞くこともまた


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2019年12月29日 | 植物

<2911>  大和の花 (968) ヤマブキ (山吹)                                       バラ科 ヤマブキ属

          

  山地に自生し、ことに谷筋や川岸の崖地などやや湿ったところに多い落葉低木。叢生して高さが1、2メートルになる。新枝は緑色で、稜があり、しなやかで、後に褐色になる。葉は長さが4センチから8センチの長卵形で、先は細長く尖り、脈がはっきり見え、縁には重鋸歯がある。

 花期は4月から6月ごろで、新しい側枝の先に鮮黄色の5弁花を1個ずつつける。花は直径3センチから5センチほど、花弁は倒卵形から広倒卵形で、花弁の先は少し凹む。萼片5個は果期にも残り、痩果の実を守る。ヤマブキ(山吹)の名には、枝がしなやかで、風に吹かれて揺れやすく、山振から山吹になったなど諸説がある。

 北海道南部、本州、四国、九州に分布し、国外では中国に見られるという。大和(奈良県)では山地林縁や谷川沿いなどで普通に見られる。吉野川の上流に当たる川上村は昔からヤマブキの名所として知られ、松尾芭蕉が当地西河で詠んだ「ほろほろと山吹ちるか滝の音」の句に因み、村では村の花に指定しているほどである。

 『万葉集』の18首に見られる万葉植物で、ほとんどが花に寄せて詠まれている。大伴家持が好みだったようで、自邸の庭に植えたヤマブキを詠んだ歌が見える。ヤマブキには一重のほか八重咲きと白花の品種があるが、自生のものはほとんどが一重で、植えられたものに八重のものが多く、白花は別種。『万葉集』に詠まれているものはすべて一重のものと考えられる。

 なお、ヤマブキは花の観賞のほか、葉や花を利尿薬とし、枝木の白く太い髄はニワトコ(庭常)の代用として顕微鏡の実験などに用いられる。 写真は左から渓谷の崖地に花枝を垂れ下げる個体(川上村中奥)。風に揺れる花枝、一重の花のアップ(ともに黒滝村)。境内の庭に植えられ、花を咲かせる重弁のヤエヤマブキ(八重山吹・奈良市の般若寺)。 木枯らしや何処に果てて終はるのか

 


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2019年12月28日 | 植物

<2910>  大和の花 (967) シモツケソウ (下野草)                                バラ科 シモツケソウ属

                          

 日当たりのよい山地の岩場や草地に生える多年草で、草丈は20センチから1メートルほどになる。葉は奇数羽状複葉で、互生する。長い柄を有する頂小葉は普通5裂するので、掌状葉に見える。小葉の裂片は先が鋭く尖り、縁には不揃いの鋸歯が見られる。また、茎の下部には対生する根生葉があり、側小葉が多数つく。

 花期は6月から8月ごろで、茎頂に散房花序を出し、紅色から淡紅色、稀に白い小さな花を多数密につける。花弁は3個から5個で、淡紅色のものが多いが、濃淡に変化が見られ、白いものもある。雄しべは多数つき、花弁より長く、その先の葯は淡紅色。

 本州の関東地方以西、四国、九州に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では南部の大峰山脈と台高山脈の山岳高所、冷温帯域に自生するが、シカの食害が著しく、シカが近づけない岩場や崖地の斜面などにわずかばかり群落をつくり生き残っている。この状況により、奈良県のレッドデータブックは絶滅の危険度が最悪レベルの絶滅寸前種にあげている。

 シモツケソウ(下野草)の名は、花がバラ科の落葉低木のシモツケ(下野)に似ているからで、クサシモツケ(草下野)とも呼ばれる。写真は大峰山脈の釈迦ヶ岳付近の尾根上で撮ったもの。花が淡紅色に見えるが、花弁はほぼ白色。淡紅色に見えるのは多数の花弁の基部と葯が紅色を帯びることによる。崖地で花に近づけず、撮影は望遠レンズによった。 年の瀬や一年あっといふ間なり


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2019年12月27日 | 創作

<2909>  余聞、余話 「 我がこの一年 ~ 近作俳句50句 ~ (二)」

 このほど、厚生労働省による今年(2019年)の出生者数が発表され、90万人を割り込み、86万4千人ほどになるという報告がなされた。この割込みは明治32年(1899年)の統計開始以来初のことで、最低であるという。死亡者数との差し引きによると、51万2千人の人口減となり、十三年連続の減少で、少子高齢化にいよいよ拍車がかかっている状況を示しているという。

  減少にはいろんな要因が絡み、この要因に向き合い対処しなければならず、為政者には取り組んでいるのであろうが、この数字を見ると、効果が出ていないことが言える。減少を食い止め、この問題を解決する難しさは、戦後以来、日本が押し進めて来た成長戦略の反面に出現して来た核家族の延長線上に見える現象であるから、個別的対処のみでは止められないところがある。これは過疎化現象と軌を一にしていることを考えるとよくわかる。

  つまり、戦後以来、採って来た成長戦略に見直しをしなければ、この少子化の問題は過疎化の問題と同じく、解決し難い。こういう意味で言えば、成長戦略オンリーのアベノミクスは過疎化と同様少子化に拍車をかけていると言わざるを得ない。それは国民個々の暮らし向きに関わることで、言ってみれば、日本並びに日本人の暮らしに余裕がなくなっていることに通じる。これを政治に重ねて言えば、アベノミクスは何年になるか、未だに借金をしなければ国の予算が組めないことがこの状況をよく示している。

                                    

 これに加え、現代人の価値観が少子高齢化を導く環境を築き上げるように影響していることが思われる。例えば、子育てを何に頼るかであるが、現代人の子育ての傾向では、親でなく、第三者に委ねる方向にある。これは、所謂、子への愛情をお金で買うようなやり方で、親は子育ての放棄とまではいかないまでも、子供の立場で考えるに、これは手抜きのやり方であって、この状況は、どう見ても歪な子育てのやり方であると言わざるを得ない。

 もちろん、これは女性における問題だけではなく、性別、年齢を問わず、全世代においてその暮らしに現在は余裕が持てないでいることを明らかにしているということに繋がる。このような国家並びに社会の環境事情を生き抜いて行かなければならない現代日本人の状況は厳しいところに直面していると言わざるを得ない。こうした昨今に向き合って歩み行かなくてはならない身としての日本。令和の新時代も厳しい状況下にあることを認識しつつ思いを巡らせる2019年の歳末とは言える。

  個人ではどうしようもない潮流のボリュウムと速さに思いは翻弄され、身は巻き込まれ流されて行く。せめて、自らの生は自らの意思において細々ながらも全うしようというほどの齢にあることを私などは思い巡らせる昨今であり、我が短歌も俳句もその悩ましさの実情を反映しているもののような気もする。では、以下に近作俳句50句の後半25句をあげてみたいと思う。 写真はカット。整理する撮り貯めた花のポジフィルム。

    営める蜘蛛の巣新たなる盛夏

    朝曇り今日の一日を思ふなり

    向日葵の立ち枯れ花の夢の跡

    旺盛も辟易も見え炎天下

    雨が欲し炎暑の底の奈良盆地

    盆過ぎぬ過ぎて生きとし生けるもの

    夕暮を残暑まとひて歩む猫

    草木に処暑一服の雨は慈雨

    朝影に少し涼しさ法隆寺

    秋天の西里抜けて法隆寺

    虫すだく生きゐる証なりにけり

    秋日和鐘おだやかな法隆寺

    虫もまた地球生命鳴いてゐる

    虫の声はたして命燃やしゐる

    虫の音や窓の下なるserenad

    虫の声ちんちろりんと継ぐ命

    虫の声壁より聞こえ来る不思議

    時の鐘秋日にやさし法隆寺         秋日(あきび)

    秋祭り町家の道に太鼓台

    遠花火過去は記憶にほかならぬ

    柿の里右も左も柿畑

    実葛見つけぬ散策コース変へ        実葛(さねかずら)

    撮り貯めし花の写真と冬の室

    柚子の実の黄に照らされ我が齢       齢(よはひ)

    大銀杏天下の黄葉下の眼          眼(まなこ)