大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年02月22日 | 吾輩は猫

<173> 吾輩は猫 (4)  ~<172>よりの続き~
        幸せは 日向にありて 目を瞑り 安らかにゐる ひとときと知る
 これは吾輩自身のことではないが、個人の名誉に関わることなので言っておかなくてはならない。あのとき、先生に比して男の子の父親を薄情な人間のように述べたが、 これは行きがかりの気分より出たもので、十分な考察によるものではなかった。 その後の観察からして言えば、 父親は決して情のない人間ではなく、 時代の違いというか、暮らし向きの所以というか、先生に比べて、心に余裕というものがなかったためではなかったろうか。今、振り返って考えてみると、そのように思える。
 新聞屋の小母さんは相変わらず自転車の前籠に夕刊の束を乗せて粛々と配り続けている。 新聞配達の仕事は、 暑さ寒さに関わりなく、風や雨の強い日も休むことがままならず、健康でなくては勤まらない。だが、このことは逆に、夕刊を配ることが小母さんの健康の証にほかならず、 また、配ることが小母さんの健康に繋がり、 老齢な小母さんには新聞配達が何よりの健康法になっているのがわかる。以前ほどではないけれど、吾輩は今も小母さんの夕刊配達につき合っている。
 最近は専らTさんの家を頼りにしているが、しばらくしてからは、 吾輩の性格を好むところと見做したからか、 一家は吾輩を家の中にも入れてくれるようになり、食べ物にも困らなくなった。 今では、三人のうち誰か一人でも在宅していれば案外自由に出入りが出来る。で、寒さの厳しい冬の夜などは泊めてもらえるようにもなって、寒さに弱い吾輩は、何と言っていいか、安心していられる場所が出来、大変助かっている。
 「安心は愉快の極みなり」と熊楠先生も述べているように、 心安らかにいられることは何よりで、 これはすべての生きものに共通して言える。人間の世界は、 衣食住をはじめ、 経済、福祉、教育、文化等々思い巡らしても、 いろいろと心安らかならざる不安の要素が身辺を取り巻き、 複雑にして不明朗且つ不十分な政治的状況をみてもわかるが、フラストレーションが溜まっているように思われる。この不安と不満の心的状況は人間に限りなくあるようであるが、 これは人間だけでなく、 人間の間で生の営みを得ている猫一同にも関わることで、吾輩にも関係していると言ってよい。
 心安らかに暮らしているものを傍らから見ていると、 幸せに見え、 羨ましく思えるもので、 吾輩は完全に近い野良猫暮らしをしていたころ、知らない家の庭に入り、 よく追い出されたものであるが、 ときに入り込んだ家の庭などでその家の猫が暖かな日差しを浴びながら目を瞑って気分よさそうにしているようなところに 出くわしたりすると、 よく自分に比してその猫に羨望の思いを抱いたものである。 それはその猫の安心な状況に幸せというものを感じ取ったことによるもので、吾輩もその猫と同じような立場になって、 当時の心境というものが分析出来るようになった。(以下は次回に続く)