<360>万葉の花(30)ぬばたま( 奴婆多麻、奴波多麻、奴婆多末、奴婆玉、奴婆珠、夜干玉、野干玉、黒玉、烏珠、烏玉 )= ヒオウギ ( 檜扇 )
檜扇の 花咲き 暑中見舞ひ来る
居明かして君をば待たむぬばたまの吾が黒髪に霜はふるとも 巻 二 (89) 古 歌 集
あかねさす日は照らせれどぬばたまの夜渡る月のかくらく惜しも 巻 二 (169) 柿本人麻呂
吾が背子がかく恋ふれこそぬばたまの夢に見えつついねらえずけれ 巻 四 (639) 娘 子
ぬばたまの妹が乾すべくあらなくに吾が衣手を濡れて如何にせむ 巻十五 (3712) 遣新羅使
ぬばたまの月に向かひてほととぎす鳴く音遥けし里遠みかも 巻十七 (3988) 大伴家持
ぬばたまはアヤメ科の多年草であるヒオウギの実をいうもので、この実が漆黒であることから、主に黒、夜などにかかる枕詞として用いられ、夜に関わる月や夢にもかかり、集中に見える八十首すべてがこの枕詞の用法によって詠み込まれているのがわかる。ただ、3712番の遣新羅使の歌は妹(いも)にかかり、これは「妹」が夢(いめ)あるいは、寝(い)の同音で、夜に関わるからとも、また、「妹」イコール黒髪の連想によるからとも言われる。とにかく、ぬばたまはすべてが枕詞として用いられていると知れる。
これは短歌におけるレトリックのひとつの方法で、『万葉集』に見える特徴として以後の和歌にも影響を及ぼしている。集中八十首というのは固有の植物中ではハギの百四十二首を筆頭に、コウゾ(たへ、たく、ゆふ)の百三十九首、モミジ(もみち、もみつ)の百三十七首、ウメの百十九首に次いで多い登場数である。それも植物自体を詠んでいるものではなく、次に来る言葉を導くための決め言葉として用いられているもので、五七五七七のリズムに則って生み出された万葉人の知恵の賜物によるものであることがわかる。
ここでぬばたまについてであるが、集中には奴婆多麻、奴波多麻、奴婆多末、奴婆玉、奴婆珠と表記され、これらは明らかにぬばたまと読むことが出来る。しかし、夜干玉、野干玉、黒玉、烏珠、烏玉についてはいかように読むかはっきりしないと言え、それぞれの歌の内容から、黒や夜にかかる言葉として用いられていることから前にあげた奴婆多麻等に等しい枕詞ということで、これらもみなぬばたまと読む次第である。
ヒオウギは北海道を除く、全国各地に分布し、主に山地の草原に自生している。国外では中国や朝鮮などにも見られ、最近では北米でも野生していると言われる。盛夏のころ、橙黄色に紅色の斑点がある花を咲かせ、秋に球形で艶のある黒色の実をつける。別名をカラスオウギというが、これは昔からある名で、ヒノキで作った扇のように生える葉が、鳥の羽を広げたように見え、実が黒いためにカラスを連想したからと言われる。その黒い実を烏羽玉(うばたま)、つまりは、カラスの羽色(黒色)の玉(実)と見たわけで、その「うばたま」が「ぬばたま」に転じたということである。
ぬばたまは『古事記』にも登場するが、昔の人の観察眼のしっかりしていたことがうかがえる事例にあげられる。ヒオウギの実は単に黒いのではなく、艶を湛えた黒色である。カラスの羽も濡れ羽色と言われるように艶のある黒色で、ぬばたまはその共通の認識によっている。このことを当時の人々はしっかりと観察していたのである。なお、ヒオウギは近代を待って登場する名で、よく例に出されるのが次の歌である。
射干(ひおうぎ)の花のふふまるころとなり山ほととぎすいまだ聞こえず 斎藤茂吉
なお、射干(やかん)は中国の古い本草書に出て来る薬用植物で、我が国ではシャガやこのヒオウギに当てられたようである。「ふふまる」は含むという意の「ふふむ」から来ている古語で、ここでは蕾が膨らみを見せている様子を言っている。写真は左から山地の茅原で群落をつくり花を咲かせるヒオウギ。次は檜扇のように葉を広げるヒオウギ。次は花と未成熟の楕円形の蒴果。右端はこの蒴果が裂けて現れたヒオウギの直径五ミリほどの光沢ある黒い球形の種子。
なお、大和では山地の草原でよく見かけていたが、ここ十年ほどでめっきり少なくなり、二〇〇八年の奈良県版レッドデータブックには絶滅危惧種としてあげられている。これはキキョウと同様で、植栽では珍しくないが、野生がピンチの植物である。繁殖力は極めて旺盛であるが、減少をみているのは、シカの食害が影響しているからではないかと考えられる。