<1333> 大和の山岳行 (11) 釈迦ヶ岳
大峰や 一歩の先に 求む花
私の山岳行は草木の花を求めることにある。この山岳の花は、自生する草木、即ち、自然に生え、人間の関与を極力受けず生育している草木に与えられる「野生」という言葉が冠せられているところの花である。この野生には出会いの多いものとそうでない珍しいものとがあるが、すべての野生に言えることは、狂い咲きという季節違いに咲く花もあるものながら、巡りの時が来て花を咲かせるということがはっきりしている。殊に四季の国日本では季節の特徴を負って野生の大概の花は見て取れる。私が撮影に当たっている大和の花も例外ではない。
また、野生について、今一つ言えることは、草木も他の生物と同じく、生育に適した環境を拠りどころとして種を保持していることが言え、その自然に適合した場所において花を咲かせることが言える。そして、環境への適合の仕方には、おもに他力と自力が見て取れる。他力は、例えば、風とか動物とかほかにも見受けられるが、それらの力を借りて生育の適合地を得るというものである。一方、自力は草木自身がその場所に生育出来るように自分を変えてその場に対応して臨む。これを進化というように見ることも出来る。例えば、風衝地に生える草木は強い風に対処して背丈を短くし、根をしっかり下ろすか、岩場であれば、根で岩を絡めるようにするという具合に努力する。
野生の草木には、他力と自力が必要で、根本にはこの二つの力が相まって野生の植生はその生を保持している。要は、環境への適合が言えるわけであるが、これに生育場所の争奪戦とか他の植生との折り合い、あるいは外敵との関係などの要素が加味され、これらを含めるところの総合的な要因によって植生の分布は成り立っている。殊にシカの食害など、最近は外敵との関係が指摘されるところであるが、外敵で一番影響力のあるのは人間かも知れない。言わば、野生の花というのは、時と所のもので、野生の花を求めて歩く山岳への撮影行はこの時と所を得て叶うものであると言ってよい。
雪解け間もない早春に花を開く節分草は石灰岩地を適地とする草花で、近畿では三重県の藤原岳がその生育地として知られるが、隣県にある大和では見かけたという話を聞かない。大和の地に石灰岩地がないわけではなく、私も二、三度、花の時期にその花を求めて紀伊山地の石灰岩地に赴いたことがあるが、出会えなかった。
この大和の地に分布の報がない節分草がよい例で、大和ではお目にかかれない野生の節分草は、花を求める私の山岳の撮影行にとって、時と所を得ずあるもので、それはなお徹底されていない私の調査不足から来るものか、それともないものねだりをしているかのどちらかであるが、そのどちらかもはっきりしないというのが大和における節分草の状況ということになる。
ここで撮影行の精進のことが思われるわけであるが、果たして精進は山岳歩きの一歩にあると私は承知している。一歩一歩が積み重なって山頂に至る。その一歩がなくては、千歩はなく、万歩もなく、山頂には至り得ないということになる。そして、花を求めて行なう私の撮影行の納得は得られないということになる。
昨日は十津川村旭の不動木屋谷林道の峠の登山口(標高約一二〇〇メートル)から釈迦ヶ岳(一八〇〇メートル)に登り、尾根を伝う大峯奥駈道を南の深仙宿(標高一六〇〇メートル)まで下り、そこから釈迦ヶ岳の西の山腹を巻いて旭からの登山道に回り、来た道を辿って下山した。所用時間約七時間。夏休みの土曜日とあって駐車スペースは満杯で、登山者は多く見られた。
その歩いたコースに花はわずかに白いバライチゴとノリウツギ、それに、黄色いコナスビとオトギリソウが見られた程度で、極めて少ない状況だった。所謂、労多くして稔りの少ない昨日の釈迦ヶ岳への撮影行だったが、それはそれなりに無駄ではなかったと納得している。
『人類が知っているすべての短い歴史』のビル・ブライソンは「超新星を探すことは、だいたいにおいて、見つからないことを確認する行為だ」(楡井浩一訳)と述べ、研究にはこういう分野もあることを指摘しているが、野生の花を山野に求める私の撮影行などにも言えることかも知れない。
要するに、時と所という意味において言えば、昨日七月二十五日に辿った紀伊山地の一角、大峰山脈の釈迦ヶ岳から深仙宿の鞍部の間、そして、釈迦ヶ岳の山腹に花らしい花がほぼないということが確認出来たということで、これは負け惜しみではなく、今後の参考になる役立つ経験として納得している次第である。経験に勝る知恵はなく、これを生かすことが望まれるところである。とにかく、これは人生に同じく、一歩一歩の積み重ねが意味を持つもと思われる。 写真は左から古田の森方面の尾根から望む釈迦ヶ岳。銅像の釈迦如来像が立つ釈迦ヶ岳山頂(山頂滞在時は霧に阻まれ視界が利かなかった)。深仙宿から望む北東方面の山々。