大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年05月05日 | 祭り

<246> おんだ祭り (御田植祭) (16)

         ほととぎす 今年も来鳴け お田植えの 野依白山 神社の祭り

 大和は昨日と違い、子供の日の今日は五月晴れの好天になった。宇陀市大宇陀野依(のより)の白山神社で「野依のおんだ」と呼ばれるおんだ祭りの御田植祭があった。端午の節供に行なわれるので、「節供おんだ」とも呼ばれ、神社の屋根などには薬草でお馴染みのショウブやヨモギが上げられ、神前にはチマキが供えられた。この日は男子の節供で、これに因むのであろう、昔からお祭りは大人の男性ばかりで行ない、この日、女性は田畑に出ず、休む風習があるという。

 野依では宇陀川を挟む二地区から選ばれた頭家二人が大頭(男神)と小頭(女神)になり、一年の祭祀を任される。この祭りでは大頭が翁の能面に烏帽子と直衣姿で田主の役を演じ、蛇の目傘を持って登場、掛け声の唄に合わせてこの傘を開いたり閉じたりする。これは稲作に欠かせない水を求める表現ではないかとされている。小頭は田主の妻か祖母か、姥の能面をつけ、直衣姿に、間炊(けんずい)桶を肩にして登場し、働き手のみんなにおやつを配る。因みに、「けんずい」は硯水または建水とも記され、定食の間の飲食、つまり、おやつを言う。

 ほかには田起こしをする荒鍬、田を均す万鍬、田の隅を整える小鍬、苗を運ぶ苗籠、田植えを行なう早乙女役の植女(しょとめ)などがそれぞれの衣装を纏って登場し、唄い手、大太鼓、小太鼓による囃子方の合の手によって所作を進め、本殿前をはじめ境内の各社の前で繰り返し行なわれた。

                                      

 ここの祭りでは牛の登場がなく、傘を用いて雨水への喜び(予祝)を表現しているのが特徴で、古い祭りの形式ではないかとされている。また、祭りの衣裳を保管する木箱に「明和五年子九月吉日誂」の文字が見えることから、これによれば、祭りは江戸時代の中ごろまで遡ると言われる。

 宇陀地方は山間地で、祭りは奈良盆地の平野部より遅れて行なわれ、大和におけるおんだ祭り(御田植祭)の殿を担う感があり、辺りは初夏の彩りであるが、夏の到来を告げるウツギ(卯の花)の若葉を早苗に見立てたり、合いの手の唄にホトトギスを持って来るなど「さすがは万葉の故地」と思わせるところがある。

 つまり、卯の花とホトトギスには夏を告げる『万葉集』の夏歌が思い起こされるところで、これは祭りが農耕に関わる単なる習俗としてあるだけでなく、古典の教養に裏打ちされた文化が祭りの精神の中にさりげなく入れられていることを示すものと言える。

 写真は左から祭りの囃子方、田起こしをする荒鍬にいたずらをして困らせる子供、苗に見立てたウツギの若葉を配る苗籠、三人の植女、間炊桶を肩にして回る姥、傘踊りをする田主の翁、本殿前で祭りの所作を奉納する一行(いずれも野依の白山神社で)。