大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年04月28日 | 植物

<2670> 大和の花 (781) ウマノアシガタ (馬足形・毛莨)                キンポウゲ科 キンポウゲ属

          

 山野の日当たりのよい少し湿気のあるような畦などに群生する多年草で、高さが30センチから70センチほどになる。葉は根生の葉と茎葉からなり、根生する葉は長い柄を有し、掌状に3裂から5裂し、裂片が更に浅く裂ける。

 花期は4月から5月ごろで、直径1.5センチほどの光沢がある黄色の5弁花を上向きに咲かせる。実は痩果が集まった集合果で、直径数ミリの球形。淡緑色で、花の中央に出来る。花弁が散った後、集合果は残り、痩果が熟すのを待つ。痩果にはやや曲がる短い花柱が見られる。

  ウマノアシガタの名は、根生の葉を馬蹄に見立てたことによると言われるが、鳥足形の誤記ではないかとも言われる。別名のキンポウゲ(金鳳花)もよく知られるが、こちらは黄色い花による。北海道、本州、四国、九州、西南諸島に分布し、国外では、朝鮮半島、中国、台湾に見られるという。大和(奈良県)では普通に見られる。

  有毒植物で、鮮やかな黄色い花は艶やかで目を引くが、子供のころから毒草の認識があったので避けて来た感がある。 写真はウマノアシガタ。花のそれぞれ(左から高取町、斑鳩町、天川村)。      金鳳花いつも見てゐるのみの花

 <2671> 大和の花 (782) キツネノボタン (狐牡丹)                          キンポウゲ科 キンポウゲ属

           

 山野の湿気のあるところに生える多年草で、高さは30センチから60センチほどになり、ときに群生するのを見かける。茎は無毛で、葉は3出複葉。小葉は更に2、3浅裂し、不規則な鋸歯が見られる。花期は4月から7月ごろと長期に及び、枝先に直径1センチから1.5センチの光沢のある黄色の5弁花を上向きに開く。

 実は痩果が多数集まった球形の集合果で、楕円形の痩果の先が湾曲する特徴がある。本種の近縁種で、よく似るケキツネノボタン(毛狐牡丹)は全体に毛が多く、痩果の先が曲がらないのでこの点が判別点になる。ウマノアシガタと同様有毒植物として知られる。なお、葉がボタンに似て山野に生えるのでこの名があるという。また、実が金平糖に似るので、コンペトークサの地方名も見られる。

 ともに日本全土に分布し、キツネノボタンは朝鮮半島、中国、インドなど、ケキツネノボタンは朝鮮半島、中国、台湾などに見られるという。 写真は左から群生して花をつけるキツネノボタン、キツネノボタンの花と実(実の尖った先が湾曲している)、ケキツネノボタンの花と実(尖った先が曲っていない)。    晩春や花に身一つ追ひつかず

<2672> 大和の花 (783) タガラシ (田辛子・田枯らし)               キンポウゲ科キンポウゲ属

           

 水田や溝、または池沼の周辺などに生え、群生することの多い2年草で、高さは30センチから50センチほどになる。茎は中空で無毛。葉は3深裂し、裂片は更に細かく裂ける。花期は4月から5月ごろで、上部の枝先に黄色の5弁花1花を上向きに開く。花は直径1センチ弱。花の後、緑色の花床が残り、大きくなって長さが1センチ弱の楕円形の集合果をつける。

 日本全土に分布し、北半球一帯に広く見られ、南半球にも帰化していると言われる有史前帰化植物と考えられている。大和(奈良県)では普通に見られ、広陵町の馬見丘陵公園の溜池では浅瀬を占拠するほど群生する年がある。タガラシの名は、有毒植物で、辛味があるからとする説とタガラシが生える田では稲の収穫がよくないところから田を枯らす意によるという説がある。 写真はタガラシ。池の浅瀬での群生(左)、花を咲かせる個体(中)、花のアップ(右)。  山の辺も明日香も遅日斑鳩も

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年04月27日 | 写詩・写歌・写俳

<2669> 余聞、余話 「 日 課 」

        日常の日々にしありて母さんの日課に生(あ)れし我が家の味

 生きて行くということが日常を積み重ね、その日常の諸事情によって成り立っていることはこの間このブログで触れた。その日常を如何に充実たらしめ過ごすかということで、誰もが大なり小なり日々の暮らしの中で模索し、考えを巡らしている。

 おぎゃーとこの世に生まれて以来、私たちはこうしてこの日常の日々を過ごしている。そして、この日々をよりよくしたいと願うのであるが、それが十分叶えられるかどうかについては、不慮の出来事とか、何かの障害によって思い通りにならないことがしばしば起きる。如何なる幸運の持主も生身の身においては支障、障害はつきもので、これが生きる上の通例になっている。

  こうした日常の積み重ねをなるべく支障なくスムーズに運び得ることを誰もが望むが、そこには努力が求められる。日々の暮らしの中では、この日常にその努力の一端としての日課ということがあげられる。日課は個々それぞれで一概には語れないが、大きく三つに分けることが出来る。(1)は生そのものに組み込まれている例、その(2)は外部から課せられる例、その(3)は自らが自らに課する例。大概の御仁はこの三つの日課に従って日常の日々を送っている。もちろん、何らかの原因によって日課が果たせずその日を終えるということがまま起きる。

  この分類に従って日課をあげてみると、(1)の例では食事のことがある。私たちには一日三食が通例で、日々支障なく食事をするには食事どきに合わせて食事を用意しなくてはならない。この食事の用意を省くことは生活の習慣上出来るものではない。つまり、ここに(1)の要件による日課がうかがえる。つまり、食事の用意は誰かがやらなくてはならない。大概の家庭ではその家の主婦がこの日課の任を負っている。

  最近の生活実態においてはそうも言えないところがあるが、食事を用意する日課は誰かが負わなければ、日常の日々は立ち行かない。ときには不平を漏らしながらも、主婦はこの日課に立ち向かっている。この点において日課の意識は生活の重要な精神的要素としてあるように思える。食事のみならず、掃除、洗濯など暮らしの全般において主婦はこの日課をこなしながら日常の日々を過ごしているということになる。

  これに対し、(2)の例は、会社勤めのサラリーマンに言える日課で、会社が定めた仕事における日課があげられる。つまり、サラリーマンは仕事のノルマによる日課によって日常の日々を積み重ねている。ノルマは会社の都合によって決められることがほとんどで、能力を越えて課せられるようなこともしばしばあり、このノルマを果たすため残業によってその日課をこなすということになったりする。酷いときは、日課が果たせず、病気になっったり、ときには自殺に追いやられるといったトラブルや事件も起きる。ここで問題にされるのは、ノルマと日課の正常性であるが、なかなかそのバランスが取れないということが常ながら見受けられるのである。

  (3)の例はスポーツ選手や芸術家、或いは職人といった分野の人に当てはまる。もちろん、一般の人々にも言える。自分に課して自分の日課を決める類の日課である。スポーツ選手が一日の生活メニューによって、これをこなしながら練習中心の日常の日々を過ごすということがある。このメニューが即ち日課であって、勝負に向かう選手にはその日課の厳しさが求められる。自分の鍛錬が自分の将来にかかっている御仁にはアスリートだけにとどまらず、厳しい日課が求められ、それに立ち向かうということがある。言わば、日課が精進の基本であると言える。

  このように日課は誰にも、大なり小なりあるもので、病院に入院している患者の身でも日課があって、これは担当医によって課される日課といってよく、病室の日々における患者には点滴、注射、検査、診察などが日課として課せられるという具合である。とにかく、日課は日常の日々において大小様々、それぞれが厳しくも、厳しくなくもあるというのが常であるといってよかろう。

         

  最近、大和郡山市の奈良県立大和民俗公園に移築展示されている民俗的価値を有する県内の古民家十五棟の傷みが激しくなり、順次屋根の葺き替えなどが始められ、このほど、旧萩原家住宅(桜井市・県指定文化財)の茅葺き屋根が葺き替えられ蘇った。材料の茅と茅葺き職人の手当てに苦心したと言われるが、茅は県内だけでは賄い切れず、東北地方に求めたと言われ、職人は九十五歳の棟梁と棟梁の六十歳代の息子に依頼し、昨年九月に取り掛かり、約七ヶ月を費やして修理を終えたという。

  今の時代、古民家の修理修復は非常に難しいと話を聞くにつれ思われたが、ここでは九十五才の棟梁に驚かされた。ご当人がどのような体躯の人か出会っていないので定かには言えないが、矍鑠としてあるのだろうと想像が巡る。ここで思われるのがこの項のテーマ日課である。九十五歳であるが、半年以上、日々の日課をこなして一棟の茅葺きの大屋根を葺き替えた。もちろん、手伝い人もいたのであるが、急勾配の屋根にも上って作業をこなした。そこには九十五歳の職人の屋根に向かう仕事の日課があり、日課を果たすことによって茅葺きの大屋根は蘇った。

  今上天皇は間もなく退位されるが、退位が決まってからも、日々の日課を滞ることなくこなされている。その姿をテレビなどで拝見する度に、頭の下がる思いがした。その姿は国民によく伝わっていると思えるが、言わずもがな、次期天皇の皇太子殿下にも伝えられていることが想像出来る。誰にも大なり小なり日課が課せられているが、天皇は国民統合の象徴として自らの日課を粛々とこなされ、国民の手本となって来たことが思われることではある。 写真は修理が終わった大和民俗公園の旧萩原家住宅と我が家の献立、昨夜のカレーライス。

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年04月25日 | 植物

<2667> 大和の花 (779) ミヤコアオイ (都葵)                                  ウマノスズクサ科 カンアオイ属

          

 山地の林内や林縁に生える多年草で、草丈は10センチ前後。葉は長さが5センチから8センチほどの卵形または卵状楕円形で、先は鈍く尖り、基部は心形になり耳状に張り出すこともある。縁に鋸歯はなく全縁で、質は厚く、表面に雲紋の出来るものが多い。紫褐色の長い柄を有し、根生して、地に貼りつくように見えることが多い。

 花期は4月ごろで、地面の葉腋に紫褐色の花が1個から数個、地面に投げ出すようにつくので、花が葉に隠れて見えないことがよくある。花は淡紫褐色乃至暗紫色で、直径2センチほど。萼筒は長さが1センチほどの半球形で、中は隆起線があって格子状。開口部は著しくくびれ、3個の萼裂片が歪む。このくびれて歪む萼裂片がミヤコアオイの特徴で、他種との判別点になる。

 本州の中部地方以西、四国、九州北部に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では山歩きで普通に見られ、奈良盆地周辺の青垣の山々には多く、普通に見られる。環境省で絶滅危惧Ⅱ類、奈良県で絶滅危惧種にあげられているギフチヨウの食草として知られ、御所市の葛城山では絶滅危惧種のカタクリとともにギフチヨウとの関係性においてミヤコアオイなどカンアオイ属の植生の保護がなされている。  写真はミヤコアオイ。左から花をつけた花期の個体2点、花のアップ、葉に雲紋のない個体。

 生きるとは言はば個性と普遍性有し行くべくあるものならむ

 

<2668> 大和の花 (780) フタバアオイ (双葉葵)                                 ウマノスズクサ科 カンアオイ属

                                            

 山地の林内に生える多年草で、茎が地表を這って伸び、先に長い柄を有する2個の葉を対生状につけ、高さ20センチほどになる。葉は長さが4センチから8センチの卵心形で、先はやや尖り、縁に鋸歯はなく、質は薄く、両面に白い短毛が生える。

  花期は3月から5月ごろで、葉腋から花柄を出し、一花を下向きにつける。花は紫褐色で、直径1.5センチほど。花弁状の萼片3個からなり、下半部は接着してお椀形になり、上半部は三角状で反り返り、下半部に貼りついて見える。萼や花柄にも白毛が見られる。雄しべは12個あり、雌しべを輪になって囲む。雌しべは6個が合着して柱状になり、柱頭は放射状に広がる。

  北海道、本州、四国、九州に分布し、国外では中国に見られるという。大和(奈良県)では紀伊山地の登山道脇でときに見かけるがそれほど多くない。フタバアオイ(双葉葵)の名は葉が2対に見えることによる。京都・賀茂神社の例祭葵祭に用いられるのでカモアオイ(賀茂葵)の名でも知られる。また、徳川家の家紋はフタバアオイの葉3個を図案化したものと言われる。 写真はフタバアオイ。左は天川村の稲村ケ岳、右は御杖村の三峰山。ともに登山道で撮影)。   式子行く斎王式子賀茂までの初夏の道程みどり染めけむ

 


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2019年04月23日 | 植物

<2665> 大和の花 (777) トリガタハンショウヅル (鳥形半鐘蔓)   キンポウゲ科 センニンソウ属

         

 山地や丘陵の林縁などに生えるつる性の多年草で、つるは低木状で他の木などに絡んで伸び、木質化する。葉は3出複葉で、小葉は卵形から狹卵形、先が尖り、縁には粗い鋸歯が見られる。花期は4月から6月ごろで、葉腋から葉柄より短い花柄を出し、その先に淡黄白色の1花を下向きに開く。花は長さが3センチほどの細身の鐘形で、花弁はなく、萼片4個からなり、先が開いて反る。

 本州の宮城県以南、四国、九州北部に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では温暖帯から冷温帯域まで垂直分布の幅は広いが、点在的に見られ、個体数は少なく奈良県版のレッドデータブックは希少種にあげている。トリガタハンショウヅル(鳥形半鐘蔓)の名は高知県の鳥形山で見つかったことと、花が鐘形の蔓植物であることによる。 写真はトリガタハンショウヅル(金剛山ほか)。

  にぎはひし公園通り葉桜に

 

<2666> 大和の花 (778) シロバナハンショウヅル (白花半鐘蔓)           キンポウゲ科 センニンソウ属

                               

 林縁の雑木に絡んでいるのを見かけるつる性の多年草で、つるは木質化して伸び上がる。葉は長い柄を有する3出複葉で、小葉は長さが3センチから8センチほどの卵形で、3中裂し、裂片の先は尖り、鋸歯が見られる。花期は4月から6月ごろで、葉腋から長い花柄を伸ばし、先に白色の1花を下向きにつける。花に花弁はなく、長さが2センチほどの広楕円形の萼片4個からなり、広鐘形に開く。葉や萼片には軟毛が生える。実は痩果で、扁平な卵形。

  本州の関東地方以西、四国、九州に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では点在的に自生するが、個体数が少なく、レッドリストの希少種にあげられている。花が細身のトリガタハンショウヅルとは花に丸みがあるので判別出来る。 写真は花期のシロバナハンショウヅル(4月26日、金剛山)。  行く春や小鳥が啼いて飛んでゆく

 


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2019年04月22日 | 写詩・写歌・写俳

<2664> 余聞、余話 「平成最後の桜花」

        さまざまのこと思ひ出す桜花思へば平成最後の桜

 五月一日をもって平成から令和に元号が変わり、新しい時代に入る。「平成最後の○○」というように元号の変わり目にあっては、ことあるごとに「平成最後の」という言葉が冠せられ、今にあるが、その五月も迫っていよいよの感がある。こうした状況にあることにもよって、この世は移ろい行くことを必定としてあることが、例年以上に思われるという次第である。

 思えば、大和地方における桜にも「平成最後の」を冠して言えるように思える。「さまざまの事思ひ出す桜かな」は松尾芭蕉の桜の花に対する感慨であり、人生来し方への思いにほかならないが、これは移ろい行く時の定めによるもので、移ろい行くこと自体が人生であることをも示している。その移り行く刻々の時における物と心の関りが思い出となり、人生を深くすることになる。

                                     

 私たちはどこまで人生の旅を続けて行くことが出来るのか、定かでないが、余命幾ばくもない御仁にも、芭蕉の桜の花に寄せた句の感慨は認められよう。逆に解釈して言えば、芭蕉は移ろい行く時の間に身を置く人生の感慨を桜の花に寄せて詠んだとも言える。今年の桜に個別の特別な事情があったこの身ではあるが、平成から令和へと元号が変わり、新時代を迎えるという節目に咲く桜の花は何にか例年とは異なる眺めに思え、このブログにも記すことになった次第である。

  それにしても、新時代令和の幕開けは憲法記念日が定められている新緑の五月である。果たして令和は如何に展開してゆくのだろうか。 写真は今年の桜のしんがりの花。つまり、平成最後の花(ソメイヨシノであるが、散り終えた中の最後の花で、新葉の開出が見られる)。