大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年03月02日 | 万葉の花

<547> 万葉の花 (76) このてかしは (兒手柏、古乃弖加之波)=コナラ (小楢)の若葉

       やさしくも 小楢林の 芽ぶきかな

      奈良山の児手柏の両面(ふたおも)にかにもかくにも佞人(こびひと)のとも                巻十六 (3836) 消奈行文

     千葉の野のこのてかしはの含(ほほ)まれどあやにかなしみ置きてたか来ぬ                     巻二十 (4387) 大田部足人

  このてかしはの見える歌は集中に二首。冒頭にあげたのがその歌である。この二首を見ると、3836番の歌は帰化人で大学寮の博士の位にあった行文がへつらう人を誹る気持ちによって詠んだもので、「奈良山のこのてかしはではないが、表と裏で言っていることが異なるような媚を売る徒がいる」という意である。このような歌もあるのが歌数が多く内容の豊富な『万葉集』という詞華集である。

  一方、4387番の歌は防人の歌で、「千葉の野のこのてかしはのように、あの子はまだつぼみだけれど、とても可愛くて、気持ちも落ち着かず防人の任によって来たことである」というほどの意で、恋しい人との切ない別れを詠んだ歌であるように受け取れる。

  ここで思われるのが、このてかしはが如何なる植物であるかということであるが、見解の相違によって、諸説の登場を見ているのがわかる。ここではその諸説をあげた上で私の見解というものを述べてみたいと思う。まず、諸説をあげると、江戸時代の本草書である『大和本草』(貝原益軒)と『本草綱目啓蒙』(小野蘭山)が解した側柏(このてがしわ)説が見える。『大和本草』は「奈良坂の児手栢乃二面尓とよめるは、その葉両面なる故なり」とし、『本草綱目啓蒙』は「側柏ハコノテガシハナリ、葉ソバダチ生シテ掌ヲ立ルガ如シ、故ニ側柏ト云、其葉面背共ニ緑色故ニ両面ト云」として、『万葉集』の3836番の歌を例に示している。

  これに対し、幕末から近代にかけては、名物書で知られる『古名録』(畔田翠山)と『樹木和名考』(白井光太郎)のナラ(コナラ)の葉説が見える。『古名録』は「萬葉集巻第一二、青丹吉 楢乃山尓。(略)トミユレバ、奈良山乃 兒手柏、両面尓ト云ハ ナラノ新葉ヲ、兒手柏ト云ル證也。ナラは即チ檞(かしは)也」と言い、鎌倉時代の『万葉集』の注釈書である『仙覚抄』(仙覚)による葉の開きかけのカシワ説に等しい説になっている。

  また、『樹木和名考』では「側柏は本邦に野生なき植物なれば萬葉時代に、奈良山に此樹が生育せしと云ふ事も疑はしく、(略)萬葉集の兒手柏は楢の若葉の小兒の手首を垂れた状を、形容せるもの云々」と言っている。また、現代では『万葉植物文化誌』(木下武司)が、コノテガシワ説を採らず、掌状葉のホオノキをあげているなどさまざまである。

                          

  この二首からして思うに、当時、奈良山(奈良市北部の低山帯)に野生として多く見られ、千葉(千葉県)にも野生が存在した植物であること、また、「含(ほほ)まれ」というから、これは葉や花がまだ完全に開いていない状態をいうものと考えられ、これらの条件に合致するものとしては、中国原産で、我が国に野生するもののないヒノキ科のコノテガシワに当てる説には無理があると言えるように思われる。加えて、コノテガシワ説は「両面(ふたおも)」の表現に拘泥しているが、歌は表裏が同じようであるとは言っておらず、表と裏が違っているという具合にも解釈出来るわけで、この点を考えてもコノテガシワ説は今一つに思えて来る。

  また、 「含(ほほ)まれ」をコノテガシワの果実と見て、この果実が幼児の握り拳に似るからという見解も見られるが、「含(ほほ)まれ」と表現されている4387番の防人の歌は、その説明によると、旧暦二月十四日に歌が提出されているから春先に詠まれた歌であると見なしてよく、果実は秋に熟し、自然に放置すれば、裂開するので、これを薬用として採り入れるとすれば秋より前ということになるから、この歌を作ったときには果実の季節になく、穫り入れは終わっていると言え、歌の内容と合致しないことになる。

  また、『奈良県樹木分布誌』(森本範正)によれば、樹木の分布状況から見て、コノテガシワが奈良山に存在したとは考え難く、巨樹にもならないこの木が一本や二本存在していたとしても目立たず、「奈良山のこのてかしは」とは言えないだろうから、ツバキが多く見られた巨勢山の「つらつら椿」と同じく、『万葉集』に登場するこのてかしはは古来より多く見られ、山名にもなっているブナ科のコナラ(ナラ)やナラ類の新葉のときを言うものと見るのが妥当ではないかと思われる。写真左は新葉と花の時期のコナラ。右三枚はコノテガシワ(左は雄花、中央は雌花、右は果実)。