大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年02月21日 | 吾輩は猫

<172> 吾輩は猫 (3)   ~<169>よりの続き~
      今ここに ありけるところ 帰れざる不可視の時に 統べられながら
 愛されて然るべき男の子の思いに話が逸れたが、吾輩には生きて行く上の障害がなおもあって、その道程は決してやさしいものではなかった。 男の子は乳飲み子の吾輩を家族に紹介したのであったが、 父親は吾輩を一見するなり、「そんなもん飼えんぞ」と、かんかんになって怒った。 情のある先生とは随分の違いで、 父親の怒りに怯んだ男の子は 吾輩を家の外に出さざるを得なくなった。というわけで、吾輩は男の子の家の辺りで野良猫の営みを始めることを余儀なくされた。
 しかし、そんな厳しい状況下、救い主は吾輩を見捨てはしなかった。 ありがたいことに、やさしい男の子は父親の目に触れないように吾輩のために段ボールの箱を用意し、 それで吾輩の棲み処を作ってくれた。 また、牛乳や煮干しなどを差し入れてくれたりもした。男の子の母親も男の子に協力的で、吾輩に随分気を遣ってくれた。 このような経緯によって吾輩は何とか乳飲み子の月日を凌ぎ、命を繋ぐことが出来た。ほかの兄弟については以後どのようになったか知るよしもない。
 この世は時に統べられた世界である。 最初から何やかやあったが、それもすべては時の中ということで、時は滞ることなく過ぎてゆき、吾輩はこの時を経て曲がりなりにも成長し、いつの間にか自力で出歩くことが出来るようになった。それからというもの、男の子ばかりを頼ってもいられないので、あちこちに行って食べ物を探す日々が続き、空腹を抱えてさまよったこともある。
 そのころは人間がとても怖く、 男の子と男の子の母親以外、誰が近づいてもさっと身を翻して逃げたものである。 しかし、中には男の子のようにやさしい人間がいて、 そのことに気づいてからはやさしい気持ちの持ち主と猫を猫とも思わない獰猛野蛮な人間を見分けて、やさしい人間に対しては逃げようという気持ちもなくなった。今では心を許せる人間が何人か出来、ありがたく思っている。
 例えば、新聞屋の小母さん。 小母さんは自転車に乗って、二百戸余りある団地で夕刊を配っている。 配りながらよくパンの切れ端をくれる。それで、吾輩は道案内をするように小母さんについて歩くようになり、一時この辺りの話題になった。 それから間もなく吾輩は会社勤めのTさんの一家を頼るようになり、今に至っている。一家はTさんと奥さんと娘さんの三人暮らしで、 三人ともとてもやさしく、吾輩はいつの間にかTさんの家を棲み処にするようになった。
 このように、月日とともに吾輩はこの辺りにすっかり慣れ、男の子はいつの間にか高校生になって、背丈も大人を凌ぐほどになった。しかし、厳つい体躯にもかかわらず、やさしいことは小さいころと変わりなく、人一倍で、吾輩には今もやさしく接してくれる。この間も、百日紅の枝が伸び出している向かいの家の塀の上から声をかけたら、「おはよう」と言って元気よく自転車を漕いで出かけて行った。 今は受験勉強に明け暮れているようで、 気持ちに余裕がない感じに見えるが、彼を見ていると、人間の世界も大変だという気がする。恩人ではあり、彼には頑張ってもらいたいと思っている。 (以下は次回に続く)