大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2021年03月08日 | 植物

<3342> 「大和の花」 追記 (1148) イワセントウソウ (岩仙洞草)   セリ科 イワセントウソウ属

                                       

 深山の湿った苔むす岩場などに生える多年草で、細長い地下茎があり、地上には細い単一の茎が直立し、高さ10センチから30センチになる。葉は根生葉と茎葉からなり、根生葉は2回3出複葉で、小葉は深裂する。茎葉はふつう1個で、裂片が線形の羽状複葉となる。花期は5月から6月ごろで、茎頂に複散形花序を出し、長い花柄を10数個放射状につけ、総苞片のない1個から3個の白い5弁花をつける。

 本州、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島、中国に見られるという。大和(奈良県)では紀伊山地の深山でときおり見かける。和名の由来は生える場所によるか、いま一つはっきりしない。 写真は花期の姿(左)と若い実をつけた果期の姿(ともに大台ケ原山)。   春山に春山の花夏山に夏山の花訪(おとな)ひ行けば  


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2016年07月07日 | 植物

<1652> 百 日 草

              我が生まれ出で来し意味とその由来 百日草が炎天に咲く

 百日草(ひゃくにちそう)。キク科ジニア属の一年草で、コスモスと同じくメキシコの高原地帯が原産地の帰化植物である。春に種を蒔き、夏の炎天下に花を咲かせる。花は単弁も重弁も色彩に富み、名に百日とあるように花が長く持続して咲くので、仏さまに供える盆花として重宝され、よく民家の近くの畑に植えられていた。

 園芸の花が少なかった一昔前にはよく見られ、私には昭和の趣が感じられる郷愁的な花として私の中にはある。それは真夏の強烈な日照りに草生きれが見え、ほかの草花たちが日焼けして萎れるようになる中で、勢いよくその多彩な花を咲き通す。

                                                    

 私が七月を苦手な月としていることは、八月七日の誕生日に由来すると、誕生日に触れて述べたことがあるが、今も概ねその気分に変わりない。その七月の暑さの中で旺盛に咲くのが百日草の花である。ちょうど稲田の田草を取る時期で、農家には厳しい労働に重なる。私は子供のころからこの時期の暑さに辟易した。そして、いつの間にか、この時期を苦手に思うようになった。

 その理由は、私をお腹に抱えた臨月の母の四苦八苦が胎児の私に以心伝心したのではないかということは以前に述べた通りである。この時期に咲く夾竹桃はあまり好きになれないが、印象は深い。これと同じで、百日草にも言える。一つの郷愁の花である。蛇足かも知れないが、少し遅れて暑さの盛りに咲き始める百日紅(さるすべり)の花については、私の誕生後の花の印象により、真夏の花の中では気分のよいイメージがある。

   めん鶏ら砂あび居たれひっそりと剃刀研人は過ぎ行きにけり                                                                    斎藤茂吉

 この歌は大正二年の作で、歌集『赤光』に見える歌であるが、戦後間もない昭和の二十年代にはまだこうした風景は田舎には残っていた。廃品回収業者の「ぼろ買い」の男を「児盗り」と言って、言うことを聞かない幼児の私たちに、親は「児盗り」に「連れて行ってもらうぞ」と脅したものであるが、剃刀研人(かみそりとぎ)も同じような不気味さを感じさせる登場人物であるのがわかる。そして、めん鶏の砂あびはまさに真夏の光景としてあり、私には百日草の花に重なる。

 思うに、百日草の花は、今や一昔前の花で、時代はいつの間にか移り変わり、その変遷はやはり昭和から平成に移り来たったように思われる。私は昭和人であるが、百日草も昭和の花で、同郷の感じがあり、その花を炎天下に目撃したりすると、昔の夏が思われて来るといった次第である。 写真は炎天下に咲く百日草。


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2016年06月05日 | 植物

<1620> ブ  ナ (

       水楢も橅も大板屋名月も緑を増して夏はいよいよ

 ブナはブナ科ブナ属の落葉高木で、日本の固有種として知られ、日本列島の冷温帯域に広く分布している。大きいもので樹高三十メートル、根元の直径が一メートルに及ぶ巨木も見られる。太平洋側と日本海側では樹形が異なると言われ、積雪の関係だと思われるが、すっくと立つ日本海側の樹形に対し、太平洋側では枝を広げ、ずんぐりとしているのが特徴で、人間に譬えると山のおじさんといった雰囲気がある。

 保水力があり、豊富な落葉は腐葉土をつくって各所の栄養源になり、海にも及ぶと言われる重要な樹種として大切にされて来た。大和に分布するブナも太平洋側の樹形で、ずんぐりとした巨木が多く、標高八〇〇メートル以上の山に登るとどこかでブナ林に出合う。ブナ林の林床はスズタケ(太平洋側)やチシマザサ(日本海側)等に被われているのが普通であるが、シカの食害によるものか、林床が裸の状態になっているようなところも見受けられるのが昨今の姿である。

                 

 この状況は山の環境を変えることに繋がり、山の保水に関わる問題で、大雨の出水による平野部の洪水にも関わりがあることが指摘出来る。豊かなスズタケやチシマザサの林床を伴うブナ林のブナは勢いがあり、元気に見える。逆に尾根筋の風衝地などのブナではよく倒れているものを見かける。何とも惜しまれる姿であるが、これは材質がもろく、風に弱いことを示す。だが、倒れてからもほかの植生の栄養源となり役立っていることが多い。こうしたブナの特徴ゆえに樹木としての風格が感じられ、親しみを覚えるところで、山のおじさんという気分がして、ときには風雪に耐えて存在感を示し立つ太い幹に触れてみたくなったりするのである。

 そして、加えるところ、今回はブナの花と果実について話を進えめてみたいと思う次第である。ブナは雌雄同株で、全ての木で雄花と雌花がほぼ同時に開き、どの木においても果実を生らせる特徴がある。ブナは不思議な木で、毎年花を咲かせることがない。ということは、毎年果実を結ぶことがないことを示していることになるが、これについては次のように言われている。「ブナは5~7年周期で大豊作になる。ブナは種子生産の少ない年をつくることによって、食害者である昆虫や小動物の密度を下げておき、豊作年に動物が食べきれないほど種子を生産して子孫を残すという戦術をとっている」(『山渓ハンディ図鑑3』)と。

 つまり、ブナの花の調節はブナ自身の子孫繁栄の知恵によるもので、このブナの知恵はブナの果実を頼みにしている動物たちには大きい影響力として見ることが出来る。このブナの花と果実の実相において言えば、大量に生産される果実の大半は昆虫や小動物を養い育てるところに消費されているということになる。ここで思われるのが、山道でよく見かけるブナの果実(堅果)の殻斗が散り敷いた場をよく見かけることである。これは前年、即ち、二〇一五年が大豊作の廻りの年で、春には万朶に花が見られ、秋には大量の果実を生らせたことを示すものと言えるわけである。そして、二〇一六年の今年があるわけで、今年はブナの果実の少ない年廻りにより、昆虫や小動物には難儀を強いられる年になることが予想されるわけである。

 クマはブナの果実を好物とし、ブナの不作はクマをも左右しかねないことが考えられる。山中に食料がなくなれば、背に腹が代えられないクマは人里に現われ、人とのトラブルを引き起こすことになる。今年、果実が少ないブナの様相は大和のみなのか。日本全体なのか、この点ははっきりしないが、ブナの凶作年だとすれば、今年の秋、冬にはクマの出没が多発するという理屈が成り立つ。 写真はブナの花(平成二十七年五月五日、西大台で撮影)と散り敷いたブナの殻斗(平成二十八年六月一日、天川村の大峯奥駈道で撮影)。

 


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2016年05月20日 | 植物

<1604> 柿 の 花

          柿の花咲くとも見えず咲きにけり

 カキノキはカキノキ科の落葉高木で中国原産と言われ、中国、朝鮮半島、日本で古くから栽培されている。里に多い果樹であるが、山地には果実の小さいヤマガキが見られ、これについてはもともと自生していたものかどうか定かでないと言われる。所謂、カキノキは里の木で、深山には見受けられない木である。

           

 雌雄同株で、同じ木の新しい枝の葉腋に雄花と雌花がつき、雄花は数個ずつ、雌花は一個ずつつき、花冠よりも大きい四個の萼片が背後に見られる。この萼片は果実が実っても落ちることなく残る。花を嗅ぐと花にはかすかに甘い匂いがする。カキノキは渋柿と甘柿に大別されるが、甘柿は日本で開発されたもので、中国等にはないと言われる。あるとすれば、日本からの逆輸入であろう。

 大和は柿で名高く、殊に南部の五條市がその産地として知られる。正岡子規の名句「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」で、大和の柿は一躍有名になった。五條市には柿の博物館が存在するほどで、昔の御所柿から最近開発された刀根早生まで大和に生まれた柿はよく知られるところである。なお、柿はほとんどが果実の食用目的であるが、青実の渋を発酵させて作る柿渋や葉を用いた柿の葉ずしなどにも利用されている。

 柿の花は瑞々しく光沢のある若葉が出揃う五月下旬から六月上旬にかけてその葉腋に淡黄色の小指の先ほどの花を咲かせるので、俳句では夏の季語である。ところで花は葉に遮られて見え辛いところがあり、雨上がりなどにカキノキの下に花冠のまま散り敷く花が見られ、花が咲いていたのに気づくということがある。柿の花はこの落ちた花を詠んだ句が多いのも納得される。「柿の花土塀の上にこぼれけり」(正岡子規)、「柿の花こぼれて久し石の上」(高浜虚子)といった具合である。 写真は柿の花の雌花。花冠より大きい萼が見える。

   柿の花目立たず咲ける可愛さよ

    柿の花乳足らふほどの匂ひかな

 


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2016年05月14日 | 植物

<1598> 三峰山(御杖村)の白つつじ

         出会ひ得てこれかこれかと白つつじ

 このところの晴天により奥宇陀・御杖村の三峰山(一二三五メートル)で白つつじが咲き始めた。山頂から八丁平付近に多く、ほとんどの木が蕾の膨らんでいる状態で、中には五、六分咲きの木も見られた。というところで、見ごろは来週の後半ではなかろうかと思われる。三峰山の白つつじは初めて見たが、木や葉や花の姿からして、ゴヨウツツジやマツハダの別名を有するシロヤシオと思われる。

 シロヤシオはアカヤシオと対の名で、ヤシオは八潮染めのこと。つまり、花が白く染めたようだというわけである。ゴヨウツツジは五つの小葉が輪生しているためであり、マツハダは松肌で、古木になると樹皮がマツの木のように割れるからと言われる。言わば、花がなくても見分けることが容易に出来るツツジである。

                 

 シロヤシオは紀伊山地の大峰や台高山脈の標高一四〇〇メートルから一六〇〇メートル付近の尾根筋に多く見られ、五月の末ごろ、葉の開出直後に白い花を咲かせる。三峰山の花は少し小振りで、葉の開出と同時に咲き、葉が完全に開ききっていないものが多いので別種のようにも思われるところがある。これは標高差の生育環境によるものに違いなく、花が早く咲き出すか、葉が遅く開くためではないか。

 シロヤシオは岩手県以西の太平洋側と四国に分布し、アケボノツツジやアケボノツツジの変種であるアカヤシオと同じく紀伊半島では西南日本を南北に地質、地勢的に二分する中央構造線の地溝帯より南、即ち、太平洋側に分布し、三峰山はこの中央構造線の地溝帯に接していることをして考えを巡らせれば、白つつじが移植されたものでなく、自然分布しているものならば、貴重な地球上の自然的サンプルたり得る。

 どちらにしても、初夏に咲くシロヤシオの白い花は赤い花のヤマツツジと好対照な爽やかな花で、山頂一帯の風景とともに気分を快くしてくれる花ではある。 写真は白つつじ。十三日午後一時過ぎ、三峰山の八丁平付近で写す。後方の山並は奥吉野方面。