大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年10月27日 | 植物

<1763> 大和の花 (70) イヌタデ (犬蓼)                                              タデ科 イヌタデ属

                                          

 今回からタデ科タデ属の花を見てみたいと思う。まずは、雑草中の雑草という印象が強いイヌタデを紹介したい。この場合のイヌは蔑んだ言い方で、タデにはあらず、二流のタデだという意が込められている。所謂、食用にされるヤナギタデ(柳蓼)、別名ホンタデ(本蓼)、マタデ(真蓼)のように葉に辛みがなく、役に立たないタデとのレッテルがイヌの表現になった。イヌタデには全く立つ瀬のない評価であるが、私などには庶民派を主張して已まないそんな親しみが感じられるイヌタデの姿ではある。

  日当たりのよい草地に群落をつくって咲き盛る紅色の花は深まる秋のやわらかな日差しを受けて明るく温みのある彩に見える。稲刈りが終わった田の畦などで思い切り遊んだ子供のころの風景の中にイヌタデの群生する花はあった。私だけでなく、田舎育ちには懐かしさをともなう花ではなかろうか。花の見られないときには気にも止めないが、花が咲くと踏みつけられなくて、跨いで通ったもので、その気持ちは今も変わりないイヌタデの風景ではある。

 イヌタデは高さが大きいもので50センチほどになる1年草で、先が尖った披針形の葉を互生し、茎の上部で枝を分け、その先端部に5センチばかりの花序を出し、紅色の小さな花を多数穂状につける。その花が赤飯の米粒を思わせるところからアカマンマ、アカノマンマ、アカノママ、アズキマンマ、オコワグサ、オコワバナなどの別名、地方名がつけられている。マンマ、ママは庶民の言葉であり、幼児言葉でもある飯のこと。オコワはこわめしのことで、赤飯を言う。花期は6月から11月ごろと長いが、花の盛りは秋で、俳句では秋の季語になっている。なお、イヌタデは日本全土に分布し、温帯から熱帯に広く見られるという。 写真は通せんぼをするように群落をつくって花を咲かせるイヌタデ(左)と田舎らしさが見られる晩秋の田の畦に咲くイヌタデの花(右・後方は法起寺三重塔)。  犬蓼の花一面の通せんぼ

<1764> 大和の花 (71) オオイヌタデ (大犬蓼)                                           タデ科 イヌタデ属

            

  タデ属の花は群落をつくって生えるが、このオオイヌタデ(大犬蓼)は荒地や河川敷、池の中州など日当たりのよいところで大群落をつくり、その一帯を占拠しているのを見かける。茎の高さは犬蓼よりも大きく、人の背丈ほどにもなるのでこの名がある。葉は犬蓼に似て、先の尖った披針形であるが、6月から10月ごろにかけて咲く花は花序が少し大きく、淡紅色から白色の小花が多数つき、尾状に垂れるようにつくので、垂れないイヌタデと間違うことはまずない。

  イヌタデ同様、全国各地に分布し、アジア、北アメリカ、オーストラリアなどに見られる1年草で、個体は1年で枯れ失せてしまうので、その年の天侯に大きく左右されることが考えられる。だが、大量の種子が年々ばらまかれるので大いに繁殖するわけである。大和(奈良県)でもよく見られるタデで、吉野川の河原などでも増水すると水没する辺りに群生しているのが見られる。水量が少なくなる秋から冬場に種子を落とし発芽するからだろう。毎年繁殖しているのがうかがえる。 写真は群生するオオイヌタデと花穂のアップ(ともに吉野町の吉野川で)。右は池の中州を占拠して花を咲かせるオオイヌタデ(橿原市の溜池で)。 何れ旅に出づるものらがそれぞれにあり且つ集ふ岸の日溜り

<1765> 大和の花 (72) ヤナギタデ (柳蓼)                                             タデ科 イヌタデ属

                

  ヤナギタデ(柳蓼)はヤナギのような被針形の葉を有するのでこの名がつけられたという。水辺を好むタデで、溝や川沿いなどに群生しているのが見られる。このタデはほかのタデと異なり、葉がぴりりと辛いので、昔から香辛料の役目を負って用いられて来た。タデはタデ科タデ属の総称で、この名称は辛くて舌が爛れる意によるこのヤナギタデの特質をもってつけられたと一説にある。

  タデ(蓼)は『万葉集』の3首に登場を見る万葉植物で、その3首には穂蓼(ほたで)、水蓼(みずたで)、八穂蓼(やほたで)として見え、1首は穂に出て花になっている姿をもって女性を比喩し、他の2首は「穂積」という言葉にかかる枕詞として用いられている。穂蓼の歌では「吾がやどの」とあるからこの歌に見えるタデは野生でなく、栽培されているタデを詠んだものとわかる。これは食用のために植えられていたもので、生活実感が歌の背景に見て取れる。

  また、水蓼は1年草のヤナギタデが水に沈んで、水底で越冬し、多年生に変化して年中見られるようになり、時期を得て水上に姿を見せ、花を咲かせ実をつけるようになったものだと言われる。これはカワタデ(川蓼)とも呼ばれ、若芽を刺身のつまなどにし、その改良種を栽培したということで、『万葉集』に登場するタデはこのヤナギタデだと言われる。ヤナギタデの別名をホンタデ(本蓼)またはマタデ(真蓼)と呼ぶが、一説によれば、ホンタデやマタデは野生のヤナギタデを改良して栽培したヤナギタデの変種であるという。言わば、カワタデのヤナギタデと栽培タデを差別化し、栽培しているタデを良質の本物と見て取り、評価したものと思われる。

  日本全土に分布し、北半球に広く見られるタデで、とにかく、ヤナギタデはこの葉のピリリと辛いのが特徴で、アユの塩焼きをヤナギタデの葉と酢で作ったタデ酢で食べる風習が昔からある。天然アユの産地で知られる大和(奈良県)吉野地方のアユについて、『大和の味』(田中敏子著)は「アユの持ち味を十分に満足させる料理は、はらわたを抜かずに姿のまま塩焼きにし、焼きたてをタデ酢で食べるのが最高」と記している 写真は群生するヤナギタデ(右)と花穂をつけたヤナギタデのアップ(中、左)。いずれも下北山村の北山川の河原で)。 蓼の花旅に疲れし目にやさし

<1766> 大和の花 (73) サクラタデ (桜蓼)                                      タデ科 イヌタデ属

                          

  タデの仲間は米粒や小豆のような小花を多数穂状につけ、その花は目につくほど十分には開花せず、花自体が実のようにも見えるものが多い。そんな中で、サクラタデ(桜蓼)は開花がはっきりし、5つに裂ける花被片の花がサクラの花を思わせる美しさがあるのでこの名がつけられた。また、タデの仲間はほとんどが1年草であるのに、このサクラタデは多年草である違いがある。

  草丈は大きいもので1メートルほどになり、葉は先が尖った被針形で、やや厚みがある。水辺や湿地に群生することが多く、本州、四国、九州、沖縄に分布し、国外では朝鮮半島、中国、台湾に見られ、大和(奈良県)でもよく見られる。雌雄別株で、雌花と雄花のつく株が異なり、雄花では雄しべの方が長く、雌花では雌しべの花柱が雄しべより長い。花期は8月から10月ごろで、淡紅色の花が連なり、カメラのレンズを通して見ると実に美しい。なお、白い花をつけるものはシロバナサクラタデ(白花桜蓼)と呼ばれ、日本全土に分布している。 写真は休耕の湿田に群生し花を咲かせるサクラタデ(左)、サクラタデの雄花のアップ(中)、シロバナサクラタデの雄花(右)。  殿(しんがり)を競ふ今年もタデの花

<1767> 大和の花 (74) ハナタデ (花蓼)                 タデ科 イヌタデ属

         

  ハナタデ(花蓼)は林縁や薮の傍など少し湿ったような草叢に群落をつくって生える1年草のタデで、別名をヤブタデ(薮蓼)という。このタデはタデの中でも変異が多く、生えるところによって別種かと思われるようなものも見られる。ほかのタデに比べて一つ一つの花が小さく、これが印象的なタデで、その名にハナ(花)が冠せられたのは小さいけれどもれっきとした花であることを主張したかったからではないかと想像される。例えば、「吾もまた紅なり」というワレモコウ(吾亦紅)の命名譚に似るところがうかがえる。

 茎の高さは60センチほど。根は地を這って広がり、群生する。葉は卵形から長卵形で、先端は尾上に尖り、互生する。花期は8月から10月ごろで、冬に入っても見られるものがある。花序は細長く、淡紅色のミリ単位の花をまばらにつけるが、白色が目立つ花もある。日本全土に分布し、東アジアに広く見られ、大和(奈良県)でもよく見かける。 写真は群生して花を咲かせるハナタデ(左)、露に濡れる穂状の花(中)、花のアップ(右)。金剛山の登山道など。  斯くはある生の一端草木も鳥獣虫魚も人たる我も

<1768> 大和の花 (75) ボントクタデ                                                             タデ科 イヌタデ属

                                   

  ボントクタデは、ホンタデ(本蓼)やマタデ(真蓼)、つまり、葉がぴりりと辛いので香辛料の役目を果たし食用に供される本当のタデ、真のタデと評価が高いヤナギタデ(柳蓼)に対し、辛みがなく役に立たないつまらないタデの認識により、その意の「ぼんくら」から生まれた名であるという。ヤナギタデによく似ているが、葉に辛みがなく、用に応じることが出来ないため、蔑まれたわけである。これはイヌタデ(犬蓼)の名と同様で、「蓼食う虫も好き好き」だが、辛くないのは評価されない現実がタデの世界にあることを物語っている。

  高さが1メートルほどになる1年草で、葉は被針形に近く、枝先に細い花序を出し、小さな花をまばらに連ね、垂れさがるような姿がヤナギタデそっくりで間違いやすいところがある。また、本州、四国、九州、沖縄に分布し、朝鮮、中国、インド、インドネシアなどに見られるという。川筋や溝の傍などに生える点はこれも日本全土に分布するヤナギタデに似て間違いやすいところがある。だが、相違点は全体にボントクタデの方がひと回り大きく、花の色が白いヤナギタデに対し、淡紅色であること、決定的な違いは前述のとおり、葉を噛んでみればわかる。ボントクタデの葉には辛みがない。 写真は茎が赤褐色のボントクタデ(左)と開花した花のアップ(右)。花序の先端が垂れ気味になり、花は淡紅色である。

        評価というのは基準による

        この基準に適うかどうかが

        評価を左右することになる

        花に対する貴方と私の評価に

        異なりが生じるというのは

        貴方と私の基準の違いによる

        こういう意味において見れば

        正しい評価などというのは

        なかなか言えるものではなく

        覚束ないということになる

        評価はつまり基準の如何による

<1769> 大和の花 (76) オオベニタデ (大紅蓼)                                         タデ科 イヌタデ属

                                      

  インドや中国などアジアが原産の1年草で、高さが2メートルにも達する大形のタデである。広卵形から卵形で、基部は心形の葉も大きい。江戸時代に観賞用として渡来し、栽培されて来た全体に毛の多い淡紅色から白色の花を咲かせるオオケタデ(大毛蓼)の仲間で、よく民家の近くの畑などで見かけるが、ときに逸出して空地や荒地などに生え出し、野生化したものも見られる。

  花期は7月から11月ごろと長く、明るい紅色の花が枝先の太い穂状花序に密集してつき、垂れ下がって鮮やかに見える。その花の色が印象的で、この名があり、ベニバナオオケタデ(紅花大毛蓼)の別名にも花の色の印象がうかがえる。 写真はともにオオベニタデの花。日が当たると紅色の花は一段と鮮やかに輝き映える。 紅蓼の花鮮やかな紅の色夢幻幻想想念の中(うち)

 

 

 

 

 

 

 

 


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2016年10月26日 | 植物

<1762> 余聞・余話 「 ピンチに見舞われている曽爾高原のススキ 」

      竜胆の花そこここに曽爾の岡

  ススキの名所で知られる奈良県曽爾村の曽爾高原ではこの時期、ススキの銀白色の穂波が草原を埋め尽くすはずであるが、今年はその穂波が見られないピンチに陥っている。最も酷い場所はお亀池の北西一帯のススキ原で、ほとんど見られない異常な状態になっている。

                     

  開出している花穂は見られるが、完全に開かない間に衰え、銀白色の穂にならず、萎れて枯れたようになって、全体に生気がない感じがある。曽爾高原のススキは年々衰微しているため専門家も交え原因が探られているようであるが、はっきりしていないという。今年は出穂時期に天侯がすぐれず、雨の日が多かったのが起因したか。地元の関係者の話では、ススキは丈夫な植物だが、病気に罹っているのかも知れないという。

                                            

  ススキの下部の葉が病的な萎れ方をして枯れかかっているのが気になる。天侯の加減でこの現象に至ったのであれば、気象条件が普通になればもとのような銀白色の穂波が戻ることになるので、安心出来るが、原因が定かでないのは困った状況と言える。

                     

  高原の上部の方でもススキの少なくなっているところが見られるが、こちらの方は地中海沿岸地方原産の外来植物であるイネ科の多年草セイバンモロコシ?が大きい群落をつくり、ススキを圧している姿が見られ、これが原因ではないかと思われる。これはセイバンモロコシ?によるアレロパシ―(他感作用)かも知れない。特に斜面の広い範囲でセイバンモロコシ?が勢いを増しているのが見られる。とにかく、曽爾高原のススキ原は異常事態に陥っていると言ってよい。 

  写真上段は銀白色の穂波が見えない曽爾高原のススキ原(左・2016年10月26日撮影)と銀白色の穂波が美しい曽爾高原の左の写真と同じ場所(右・1996年10月10日撮影)。 写真中段は穂が出る前に枯れたススキ(左)と生気がないススキ(右)。写真下段は銀白色のススキの穂波が見られるところもある曽爾高原(左。亀山の斜面で)とセイバンモロコシ?の群落がススキの群落に入り込んでいる曽爾高原(亀山峠への遊歩道付近で、薄茶色に見えるのがセイバンモロコシ?の花穂群)。

 

 


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2016年10月25日 | 植物

<1761> 余聞・余話 「 種子の実力 (2) 」

       我らには遠き昔があり今があり命ある繋がりがある

 セイタカアワダチソウが全国的に繁殖したその原動力は種子にあることは前述したとおりであるが、とにかくキク科の草花に見られる膨大な量の花、イコール種子がそこには関わってそれを可能にしていることが言える。種子は堅牢な皮に包まれ、壊れ難く、自身では動くことが出来ないが、何かを利用して移動しやすいように作り上げられている。風や水の流れ、あるいは野鳥や獣、虫たちによって運ばれ移動を可能にしている。

 鳥で言えば、鳥たちは種子を含む実を食べて、ほかのところに移動して糞をする。実は鳥の体内で消化されるが、種子は消化されず、糞とともに外に出され落とされる。落とされたところの環境に適合すれば、種子は発芽し、子孫を増やすことに繋がる。大和(奈良県)で言えば、生駒山系のアオモジや春日山周辺のナンキンハゼがよい例で、ともに最初は植えられた植栽木であった。その植栽木の実を鳥たちが啄み、別の場所において糞をして種子を拡散した。で、もともと大和には見られなかったアオモジにもナンキンハゼにも増えに増えている状況が続いているという次第である。これは種子が鳥たちに食べられても壊れない強さをもっているからにほかならない。この種子の強さは水の中においても言えることで、その話は歌にもなって唄われている。

                                                                

 島崎藤村の「椰子の実」の歌詞は、「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ 故郷の岸を離れて 汝はそも波に幾月」と言っている。堅い実の中には命を秘めた種子が包まれている。これは愛知県の伊良子崎における見聞による歌で、日本の環境下でこの実は育つことはなかっただろうが、南の島同士では流れ寄ったヤシの実が発芽したことは想像に難くない。これは実の中の種子の強さによる。

 また、次のような話もある。『大切にしたい奈良県の野生動植物』に絶滅寸前種としてあげられているスイレン科のオニバスがあるが、そのレッドリストの選定理由に「種子は休眠状態で数十年生存可能とされ、生育が見られなくても、ひょっこり池面に現れる年がある」という。オニバスは1年草であるから、その姿はとっくのうちに消え失せているが、実は池の底の泥に埋もれて密かに命脈を保っているかも知れない期待があるわけで、この文面にはその期待がうかがえるところであって、種子の生命力が思われる次第である。

 だが、これよりもっとすごい種子の生命力の強さの例がハスにあることはよく知られ有名である。昭和26年(1951年)、植物学者で古代ハスの研究では第一人者の大賀一郎博士が千葉県の落合遺跡の2000年前の地層からハスの実を発掘し、その実がその翌年に発芽し、開花したのである。この花は発見者の大賀博士の名に因み、大賀ハスと命名され、2000年の眠りから覚めた古代ハスとして広く世界に知られるところとなり、大賀ハスにはその子孫が今や全国各地に増えるに至り、種子の凄さを伝えているのである。

 大賀ハスほどではないが、ラン科などの花でも突然咲き出して、山歩きなどをしていて出会うことがある。何もないところから生え出し、花を咲かせるはずはなく、思われるのが、オニバスの例であり、大賀ハスの話である。これには私の知らない何年前かわからない相当前に咲いた花から零れた種子が発芽環境を得て生え出し、咲き出したということが考えられる。ラン科の花は美しく、その美しさが好まれるゆえに人の目に触れれば、たちまち採取され、消え失せてしまうということになる。だが、多年草のランには幾年も花を咲かせ実をつけることが出来る。このような可能性において種子がこぼれていれば、いつの日にかそこに同じランの花が見られることになる。こうしてラン科の花などもときおり思いがけなく見られということになる。とにかく、何の変哲もないような種子であるが、その実力は見上げたものなのである 写真は種子の驚異的な実力をもって蘇り子孫を継いでいる大賀ハスの花(左)と突然花を見せたキンラン(右)。これも種子の力を思わせる。 ~おわり~

 


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2016年10月24日 | 植物

<1760> 余聞・余話 「 種子の実力 (1) 」

        秋は誰(た)がつくるものかは秋ゆゑに秋の花咲く野辺の彩

  野生の花を意識しながら年を重ねて今に至るが、その花を求めて山野を歩いていると、いろんな草木の花に出会い、ときとしてその花の風景に考えさせられることがある。年々減って行く花があれば、年々増えて行く花もある。ときには減っていた花が、勢力をぶり返し増えるという例もある。その反対に勢いを見せつけて盛んに咲いていた花が減少に転じるといったことも見られる。また、突然湧き出すように咲く花があるかと思えば、突然消え失せる花もあるといった具合で、野生の花もいろいろあって一様でないことに気づかされたりする。

 概して、新天地を求めてやってきた外来種には増える傾向が見られ、昔から馴染んで来た在来の花には減る傾向がある。一概には言えないだろうが、その増減には、直接、間接を問わず、人間の存在が大きく影響していることが思われる。野生の花は保護意識が持たれていない限り、人間にとって有効であっても、害になるような嫌われる存在であっても減ってゆくという状況に至ることが多い。好かれれば好かれるほどに採取が著しくなり減ってゆく。逆に嫌われると排除される状況に陥り、これも減ってゆくことになる。野生の花のこれは宿命と言えるかも知れない。

                                  

 このような野生の花の状況は何か涙ぐましいようなところが見え隠れするが、言ってみれば、環境に適合しながら逞しく咲いているということである。その逞しさはどこに起因しているのかと言えば、植物自体で、殊に花が製造元である種子にあると言えるように思われる。顕花植物である種子植物は、植物の中で最も進化した姿であると言われるが、そこには種子の実力と実績がものを言っているというように捉えることが出来る。

 今年の秋は北アメリカ原産の多年草であるセイタカアワダチソウ(背高泡立草)の花が例年よりも多く、蘇りを見せ意識されるが、日本のセイタカアワダチソウは、観賞用に導入されたものが逸出し、戦後、北九州に端を発して1970年代ベトナム戦争のころ全国に広がり、猛威を奮ったため、ベトナム草の異名でも呼ばれ、荒地や川土手、休耕田などを占拠するほど大繁殖を見せた。

 地下茎を網の目のように張りめぐらし、ほかの植物を寄せつけない物質を出すアレロパシ―(他感作用)によって自分の勢力を拡大する嫌われものの代表のように言われて来たが、この全国制覇の風景は強い根茎もさることながらキク科の植物に見られる数多の頭花に生じる種子の持つ力と言ってよい。ところが、その後、繁殖し切ったセイタカアワダチソウは、厭地作用によるものか、減少に転じ、いつの間にか、占拠して群生していた風景が少なくなって忘れられた存在になっていた。これは日本の風土(環境)の典型的な姿と捉えることが出来るところで、ほかの植物(草花)たちと混淆して風景をなすところに落ち着いたと見て取れるわけであるが、それがまた今になってセイタカアワダチソウの黄色い花が占拠する現象が起きているという次第である。

 これは種子の実力というか、撒き散らされた種子がまた何らかの理由によって一斉に発芽し、勢いを取り戻したということなのだろう。こうした例は、外来種のセイヨウカラシナ、セイヨウタンポポ、ヒメジョオン、オオマツヨイグサ、シロツメクサ、ナヨクサフジなどにも見受けられる現象で、そういう盛衰を繰り返しながらその種子の力によってそれぞれの外来種はそれぞれに長らえ、在来の地位を認知されてゆくのだろうと思われる。こうした現象は人間の世界に展開している外来文化などにも当てはめて言えるように思われる。

  グローバル化して海外との交流が深まるにつれて外来植物の種子と同じような働きをもって外来文化は浸透して来る。そして、日本の文化的風土(環境)に与し、在来の文化と混淆されてゆくことになる。これを総合して言えば、国内における外来植物の繁茂は外来文化を考える上に一つの視点を示すことになる。この外来の存在は、人間も植物も生命を有するという点において同位であり、同位の現象に及ぶということが思われるのである。とにかく、種子の力は大きい。 写真は溜池の土手を占拠して黄色い花を咲かせるセイタカアワダチソウ。

 


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2016年10月19日 | 植物

<1755> 大和の花 (65) ホトトギス (杜鵑草)                                    ユリ科 ホトトギス属

  この項では大和地方に自生分布するユリ科ホトトギス属の仲間を紹介したいと思う。ホトトギスと言えば、独特の鳴き声で夏の到来を告げるカッコウ目カッコウ科の渡り鳥で、古来よりよく知られ、和歌などにも登場して来た。

        ほととぎすなくやさ月のあやめぐさあやめもしらぬこひもするかな                    『古今和歌集』 恋歌・読人しらず

  この歌のごとく『万葉集』以来、その鳴き声は実によく歌に詠まれ、漢字では、杜鵑、杜宇、時鳥、不如帰、霍公鳥、郭公、蜀魂、子規、田鵑などと表記されて来た。ヒヨドリより一回り大きな鳥で、胸から腹にかけて白地に黒い斑紋が入る外見の特徴を持っている。

           

 植物のホトトギス(杜鵑草)は山地に生える多年草で、花に現れる斑紋からこの鳥の胸毛を連想してこの名がつけられたという。ユリ科に属する単子葉植物で、茎は普通枝分かれせず、茎の高さが1メートルほどになる。だが、葉や花の重みで横倒しになることが多く、崖地では垂れ下る。葉は楕円形から披針形まで変異が見られ、先端は尖り、其部は茎を抱く特徴がある。

  花は互生する葉の腋に1個から3個つき、上向きに開く。花期は8月から10月ごろで、6個ある花被片は内外とも斜開する。花全体に紅紫色の斑点があり、これをもってホトトギス(杜鵑)の名をもらったという次第で、植物の方は紛らわしくなるので草がつけられ、「杜鵑草」と記された。花被の内側の基部が黄色くなるのが見分けのポイントで、雄しべと雌しべが独特の形をした花を茎に連ねる。

  主に関東地方以西の太平洋側、四国、九州に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)にも自生する。園芸種は多く出回っているが、自生地は極めて限られ、絶滅危惧種にあげられ、絶滅が心配されている花の一つである。 写真は大和郡山市の奈良県立大和民俗公園と御所市の山足で撮影したもので、ともに植栽起源と思われる。    秋日和のどかなりける大和路は塔の眺めに稲穂稔れる

<1756> 大和の花 (66) ヤマジノホトトギス (山路の杜鵑草)                      ユリ科 ホトトギス属

      

 ホトトギス属には二つのタイプが見られる。一つは花が上向きに咲くタイプ。今一つは花が下向きに咲くタイプである。このヤマジノホトトギスは前回紹介したホトトギスと同じく花が上向きに開くタイプである。その名にヤマジ(山路)と冠せられているとおり、山道でよく見かける多年草である。

  北海道の東北部を除き、全国的に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)でも県下全域の山地で見受けられる。花期は8月から10月ごろで、この時期に山を歩くと花に出会うことが出来る。高さは大きいもので60センチほど、茎には下向きの毛が密生する。

  茎の先や葉腋につく花は6個の花被片を有し、紅紫色の斑紋が見られる。これはホトトギスと同様であるが、花被片はホトトギスが斜開するのに対し、ヤマジノホトトギスは平開する。また、花糸や花柱にホトトギスのような斑紋がほとんど入らない特徴が見られる。 

  写真は花を咲かせるヤマジノホトトギス。花の中央に雄しべと雌しべが傘を開いている独特の形をしている(左2点)と落石防止の防護ネットから茎を伸ばし、多数の花をつけるヤマジノホトトギス(花被片が平開していることと花の内側の底に黄色い模様が見られないことからヤマジノホトトギスと見た)。本種でこれほど花を連ねているのは珍しい。  止まらず過ぎゆく秋の日々速し

<1757> 大和の花 (67) ヤマホトトギス (山杜鵑草)                                   ユリ科 ホトトギス属

                                                     

  山地の林内や林縁などに生える多年草で、高さは大きいもので80センチほどになり、葉は楕円形で先が尖る。花期は7月から9月ごろで、ヤマジノホトトギスと同じような花を散房状花序につけるが、花被片が平開するヤマジノホトトギスに対し、ヤマホトトギスでは下向きに反り返る。

  自生の分布は北海道の東北部を除く、全国的で、朝鮮半島にも見られ、日本の固有種ではない。国内の分布はヤマジノホトトギスと全く似るところであるが、個体数の違いが歴然としてあり、大和(奈良県)におけるヤマホトトギスは稀にしか見られず、レッドリストの希少種にあげられている。 写真は木漏れ日を受けて自らの葉に影を落とすヤマホトトギスの花(左・上北山村の山中で)と散房状の花序に反り返った花被片の花を咲かせるヤマホトトギス(右・金剛山で)。

        大きい秋が言いました

        小さい秋が寄り合って

        大きい秋を奏でます

        小さい秋が言いました

        大きい秋に包まれて

        小さい秋は歌います

        みな同じ秋 秋が来て

        秋はほどよく野に山に

        そして 私の心にも

<1758> 大和の花 (68) キイジョウロウホトトギス (紀伊上臈杜鵑草)          ユリ科 ホトトギス属

                                         

  花が下向きに咲くタイプのホトトギスで、この種のホトトギスは黄色い花を咲かせる。分布は極めて狭い地域に限られ、その名に地名のついているものが多い。キイジョウロウホトトギス(紀伊上臈杜鵑草)もその一つで、分布は和歌山県と三重県、それに奈良県の十津川村の南部域に限られ、紀伊半島南部特産の固有種として知られる。キイジョウロウ(紀伊上臈)にこの意味がよく表されている。ジョウロウ(上臈)は地位の高い貴品を示しているのであろう。

  「水がしたたる岩壁などに垂下して生育するやや大型の多年生草本で、9月末から10月初めにかけて長さ3~4cmの鮮黄色の花を葉腋に一個ずつつける」と『大切にしたい奈良県の野生動植物』に記されている絶滅危惧種である。園芸採取の嵐に曝され、激減したようであるが、道路壁面の防護ネット内などで生き延びているのを見ると、環境の変化に負けないで頑張っている姿が感じられたりする。 写真は湿った崖地に垂れ下って黄色い花を咲かせるキイジョウロウホトトギス(十津川村で)。

         秋の花 

         秋を奏でている花は

         ゆく秋ゆえに

         身に沁みる

         一つ一つに 点る秋

         ああ 秋ゆえに

         秋の花

<1759> 大和の花 (69) チャボホトトギス (矮鶏杜鵑草)                                  ユリ科 ホトトギス属

                             

  チャボ(矮鶏)は小型のニワトリで、宮崎県に自生するキバナノホトトギス(黄花の杜鵑草)の矮小型と考えられるところから、この小型のニワトリの名を冠して命名された多年草である。本州の東海地方、紀伊半島南部、四国、九州南部と屋久島に分布する日本固有の襲速紀要素系植物で、大和(奈良県)では十津川村の南部で見かけられるが、個体数が極めて少なく、絶滅危惧種である。

  その名のとおり、ホトトギス属の仲間の中では最も小さく、斑紋のある長楕円形の葉が地表に貼りつくように生える。花期は8、9月ごろで、茎頂や葉腋に6花被片からなるレモンイエローの花を1、2個上向きに咲かせる。花にも紫褐色の斑紋がある。葉はよく虫に食われ、まともな個体に出会うのはなかなか難しい。如何なる虫か、虫にとってチャボホトトギスの葉は美味なのだろう。 写真はチャボホトトギス(十津川村の山中で)。   山頂に点りし秋は日を追ひて下り来るなり木々を染めつつ