大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年02月11日 | 祭り

<2954>  余聞 余話 「御田植祭」

    叶へたき願ひほのぼの所作に見ゆ御田植祭の予祝のこころ

 建国記念の日の十一日、大和地方は各地の神社で、五穀豊穣や子孫繁栄を願うおんだ祭りの御田植祭が行われた。この祭りでは、神前での神事のお祓いがあり、続いて、拝殿前の広庭で、田圃に見立てた標縄を張り巡らせた中で、田男、牛、早乙女らに扮した所作役が田起こしから代掻き、田植えまでの所作を披露し、最後に餅撒きをして祭りを終えるのが習わしになっている。

 この祭りが、この建国の日に集中して行われるのは、農業をはじめとする第一次産業が国造りの基盤としてあり、中でも稲作が重要視されていた時代に祭りが発せられたことに由来する。また、二月は農閑期に当たり、どちらかと言えば暇な時期に当たることにもよっている。そして、言えることはこの祭りが予祝の祭りと言えることである。

               

 祭りが予祝であるとうことは、人々の神への念の強さ、或いは、信の全き姿の現われと言え、祈願の中に獲り入れの晴れやかな日の感謝が想像されることにある。つまり、この予祝は単なる祈願の賜物を想像するものではなく、この祭りに欠かせない所作事とセットになっている祭りの主要な意味を有しているということである。

   少し説明を加えれば、この所作事は神へのアピールであり、約束を意味するもので、厳しい農耕の手順を示すものであって、その厳しい手順に従って努めることを神に誓い示すもので、この所作の手順の後に豊かな実りの賜物が得られるということ。この手順を想像することが予祝ということになる。言わば、所作事によって神の信認を得る人々の認識にあって予祝は成り立っていると言ってよい。という次第で、この所作事は予祝に深く関わっていることが考えられる。

                           

   言わば、「このようにして精進しますので、豊かな実りをお与えてください」という意味が、この予祝の所作には表現されている。そして、この祭りの所作事の端々にユーモアが垣間見られ、見物衆から笑いが立ち上がったりするのは、農作業の厳しさに対する人々の辛さとその辛さに向き合う低力にあり、神への全き信による祭りの特徴が示されている証として受け止められる。

   このことは日本の自然或いは風土に生まれ育まれて来た人々の営みに発する精神性の現われにほかならず、この祭りはそのように受け止められるところがある。祭りの最後を締め括る餅撒きはこの御田植祭の目的を叶える意味において必要欠くべからざる催しとして組み入れられているのがわかる。

   おんだ祭りの御田植祭は大小それぞれに趣向を凝らしてあるが、根本の精神は以上の点に見られる。今回は大和平野の米どころ、稲作発祥の地である弥生時代の唐古・鍵遺跡の近く、田原本町蔵堂の村屋神社の御田植祭に伺った。この神社の主祭神は大国主命の后神で、天津国から稲穂を持って中津国に降り、稲作を広めた三穂津姫命で、弥富都比賣命とも呼ばれる。

   午後4時から始められた御田植祭はほぼ同様の所作が披露され、牛役の登場も見られた。なお、地元の中学生や高校生とともに天理大学のカナダ人留学生ら五人の巫女役が神楽の舞いを奉納し、国際的交流の一面も見られた御田植祭ではあったが、時代の波に曝されながらも集落の守り神であり、人々の絆の基になっている神社を守り、祭りを継続している姿がこのささやかな御田植祭にはうかがえた。それにしても、十一日の大和地方は祭り日和の好天に恵まれた一日ではあった。

 写真は村屋神社の御田植祭。上段左から神主による鍬打ち、牛役による代掻きの所作、神事の松苗を神主から受ける参拝者。写真下段はカナダ人留学生(右端)も巫女に扮して参加し、神楽の奉納舞いを披露した。