<698> ザクロ
実石榴の 色づくころや 鬼子母神
東大寺二月堂のお水取りのとき、炎の大松明が登って行く石段の登り口のところ、お水取りを行なう若狭井の閼伽井屋の並びに絵馬の掛けられた鬼子母神(きしぼじん)のお堂がある。そのちょうど前の石垣に沿って十数本のザクロが植えられている。かなりの古木であるが、このザクロに真夏の今、ちょうど実が生って、色づきつつあるのが見受けられる。
鬼子母神は訶梨帝母(かりていも)とも呼ばれ、もとは鬼神の妻で、人の子を奪い取って食っていた。子を奪われた親たちは歎き悲しみ、その歎きを知って憐れに思った釈迦は鬼神の妻にザクロの実を与え、改心させた。鬼神の妻はこのザクロの実を食べ、子を奪って食うことを止めた。以来、鬼神の妻は心を改め、子を守るようになり、鬼子母神と呼ばれ、崇められるに至った。鬼子母神を祀る祠にザクロの木が見受けられるのはこの伝説によるものである。
ところで、この鬼子母神に、戦時中、戦地に赴く息子の無事を願って訪れる親の姿が見られ、にぎわったと言われる。最近、憲法を改め、自衛隊を軍隊にして戦いをやりやすくするようにしようとする政治的動きが見え隠れするが、再び、鬼子母神がにぎわうような時代になるのだろうか。鬼子母神がにぎわうこと自体は決して悪いことではないが、親が戦地に駆り出された子供の安否に心を砕くような時代に逆戻りすることはよくないことだと、実をつけた鬼子母神のザクロを見ながら、ふと思ったことではある。
言わば、この鬼子母神の逸話は人間自身の姿を物語るもので、戦争というものを通してみれば、それがよくわかる。鬼神の妻も人であれば、鬼子母神も人の一面であることがうかがえる。鬼子母神のようなやさしい心を持つ人間も戦地に赴けば、人が変って人を殺さなくてはならない鬼神の妻、つまり、悪鬼の状態に陥る。戦場における虐殺だとか、婦女暴行だとか、慰安婦の問題にしても、所謂、人間が悪鬼の状態に陥ったときの仕業にほかならないことが言える。
これが戦争の真実というもので、「戦争が如何に人間を変えてしまうか」ということである。このことは極めて重要な示唆で、現憲法は悪鬼とならざるを得ない悲惨な戦争の体験を基に戦争を禁じたわけで、以来、この憲法下において戦後の私たち日本人は戦火を交えることなく今日に至っているのである。この憲法を戦争がやりやすいように変えることは、鬼子母神的平和状況を再び鬼神の妻的悪鬼状況に戻すに等しいことであると、鬼子母神のザクロを見ながら思ったのであった。
平和な中にあっては、この鬼子母神の精神は忘れられやすく、悪鬼の勇躍に魅せられるということも起き、改憲論なども浮上して来る。ザクロは果たして私たちに何を語っているのだろうか。人の子を奪って食い殺す前にザクロの方策を見い出し鬼神の妻を諭した釈迦の知恵に私たちは学ばなくてはならないと思う。その知恵は、戦争などに及ばず、互いに分かち合う心をもって生きよと言っているように思われる。
なお、ザクロは中近東が原産のザクロ科の落葉高木で、インドから中国を経て日本にやって来たとされ、朱色の花が六、七月ごろ咲き、鮮やかな緑の葉と好対照で、よく目につく。実は盛夏のころ色づき始め、秋に熟して果皮が裂け、中の種子の部分を食用にする。写真は東大寺二月堂下の鬼子母神(左)とザクロの花(中)と実(右)。