大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年01月31日 | 写詩・写歌・写俳

 <1493> リ ン ゴ

      卓上に一顆つややかなる林檎 ふるさとといふ言葉をまとひ

 リンゴと言えば、並木路子の「リンゴの唄」が印象的であるが、地名では青森。青森と言えば、津軽。津軽と言えば、太宰治、寺山修司。常道のように私にはそれらが連想される。そして、そこにはこの二人の強烈な個性による「ふるさと」という言葉が思われる。青森(津軽)には、随分昔であるが、夏に一度だけ訪れたことがある。そのとき、リンゴ畑をちらちら見ながら車を走らせたが、赤い実は当然のこと見られなかった。そのときは、青々とした田園風景が印象深かったのを覚えている。

 そのときは、冬が厳しく、雪が地上から吹き上げて来るというような話を聞いた。リンゴはその雪の中で実る。写真によると、そんな風景が見られる。言わば、リンゴは北国の果物の印象が強く、私が子供のころのリンゴと言えば、青森だった。という次第で、私には冒頭にあげたごとくに連想されるところがある。

                                                                          

 冬はミカンとともにリンゴの美味しい季節で、最近はいろんな種類が店頭に並ぶ。みんなそれぞれに美味しく味わえる。大和(奈良県)も果物の産地で、カキが一番有名で、ほかにもミカンやナシなど。イチゴもあり、アスカルビーというのは大和(奈良県)で品種改良されたイチゴである。

 言うならば、こういう特産の作物というのは、果物にしても昔から持続して生産されているものが多く、この特産化によって、所謂、それらの作物にはふるさとが色濃く印象づけられ、その故国の味というか、品質というか、そういうところに生産地の自負の念が見え隠れし、その特産地のふるさとというのを一層意識に上らせるところがある。 写真はイメージで、机上に置かれたリンゴ。  よきかなと 真っ赤な林檎を 思ひ食ふ

 


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2016年01月30日 | 写詩・写歌・写俳

<1492> 続・ゴミの話

         街角に出されてゐたるゴミ袋 暮しが見ゆる風景にして

 思うに、ゴミというのは社会における暮らしのバロメーターのようなもので、その扱い方如何によって社会の成熟度というものが問われて来るところがある。前に触れたように、ゴミの集積場所である貝が遺跡として見られる縄文時代というのは当時の地形的状況のみならず、縄文人の暮らしぶりまでも想像させるところがある。この貝塚を見るに、縄文人が社会性を有した優れた能力の人間集団を形成していたことが物語られていることが言えるように思える。

 私は瀬戸内の田舎に育ったが、子供のころは集落ごとにゴミ捨て場が設けられ、そこにゴミが山積みにされていたのを覚えている。当時のゴミはほとんどが有機物で、化学製品によるゴミなどはほとんどなく、時が経つと自然に腐って土にかえっていたように思う。当然ながら不快な臭いがし、ハエなどが湧くので、対策に薬などを撒いたりしていた。

 戦後、近代化して生活が豊かになり、生産も消費も拡大し、当然のことゴミも増え、埋め立てでは間に合わなくなって焼却するようになった。加えて、化学用材によるゴミが出現し、その量も多くなり、始末に負えないところとなって、ゴミの分別が始まった。これが前回までの話で、縄文時代から見られたゴミを一箇所に集めて捨てるゴミ処分の方法は、現代のつい最近まで続いていたことが言える。

  そのゴミ捨て場の埋め立てから焼却、分別に至るわけであるが、後進国のゴミの様相に比べると、日本のゴミに関する事情は進展し、どこに行ってもほぼゴミの散らかりがない風景がうかがえる。公園のような公の場でもゴミ箱が撤去されて久しく。ゴミの散らかっていない光景が見られる。

                                                                      

  言わば、日本は経済発展のみならず、ゴミ問題においても先進国の仲間入りが出来ていると言ってよかろう。大挙して訪れるようになった中国人のマナ―の悪さが問題視され、ニュースにもなっているが、ゴミを何処にでも捨ててかかる中国人の来訪者を見ていると、日本人のマナーのよさが思われ、日本の社会が成熟しているという自負の気持ちが湧いて来たりする。

  ところがである。最近、廃棄物の冷凍食品を大量に横流しして、これを商品として売りに出すといういかさまが発覚し、問題になった。この冷凍食品は新しいものではあるが、異物混入の疑いがあり、廃棄物として扱われていたのであるから、つまり、これはゴミである。言わば、この横流しはゴミを商品として売る行為に当たる。単なるゴミではなく、人体に影響する食品たるゴミである。思うに、この騙しは犯罪であるが、こういうのがまだ金儲けのためにまかり通っている。これが日本という国なのである。最近、企業による倫理を逸脱した事件が続発しているが、この問題を思うにつけ、社会の成熟を言うに、日本人の倫理感の欠如が思えて来るのである。

  言うならば、ゴミの問題だけに止まらず、日本人の社会的成熟度もまだ低いと言わざるを得ない。この横流しの業者は賞味期限や消費期限が来て廃棄すべき食品についても、廃棄せず、横流しをして儲けていたという。理由について、「もったいないから」というが、秘密裏に横流ししている点をみれば、「もったいない」という理由は口実に過ぎず、金儲けを目的にやっていたことは明らかで、ひどい話だと言える。中国の不衛生な食品がよく問題にされるが、中国を笑ってばかりはいられない私たちの公序意識における成熟度のレベルが問われるところである。

  所謂、廃棄処分の冷凍食品を廃棄せず横流しして売った産廃業者のやり方は貧困地帯のゴミ集積場で金目になるゴミを拾い集めて売る貧困層のゴミ漁りの光景に同じであることが指摘出来る。それは、ゴミの認識の差から生じる話で、そこには自ずから識別が働き、人に格差をつけ、平等に扱わない、言わば、差別化するという問題が横たわっていることが言える。ということで、このゴミを横流しした産廃業者は社会的に二重の罪を犯していることになるのである。

  それでも、なお、この問題については処分が緩く、大目に見られるのは、ゴミというものが今も昔に変わらず、まことに扱い難い存在で、常に誰もが出し、大量に及ぶという厄介な代物としてあり、これからも課題として突きつけられ、その処理をして行かなければならないからだろう。 写真は、最近、大量に出るナイロンゴミ。我が家では生ゴミと同様一番多いゴミである。

 

 

 


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2016年01月29日 | 写詩・写歌・写俳

<1491> カイツブリ

         かいつぶり鳴き立て呼んでゐる春を 思へば春は待たるる季節

 カイツブリはカイツブリ科の水鳥で、体長三十センチ弱。カモのような体形であるが、カモ類ではない。世界に広く分布し、日本にも多く、池沼など水の上で棲息し、よく潜ることで知られる。一説にカイツブリの「カイ」は櫂のことで、「ツブリ」は小さい意のツブから来ていると言われる。つまり、櫂のような脚を持ち、これによって素早く泳いだり潜ったりする小さな水鳥を表しているという。別名は鳰(にお)。古名はにほどり、みおどり。で、「鳰」はよく水に潜る意によって作られた和製漢字(国字)で知られる。

 日本に棲息するカイツブリはほとんどが留鳥で、周年同じ池や沼などで過すが、北国の冬季に水面が凍るような厳寒地方では漂鳥として南に移る仲間もいる。前述したように、水に潜ることを得意とし、主に水中の小魚や貝類を漁り、ときに昆虫なども食べる。日本での繁殖期は春から夏で、繁殖の時期になると、ピリッ ピリッ ピリピリピリと甲高い独特の鳴き声を出して呼び合う。活動期には水面すれすれに飛ぶのが見られる。

                                                     

  日本列島は、まだ、立春前の寒中にあり、大和地方も寒い時期であるが、球春の声も聞かれる。溜池の傍を歩いているとカイツブリのあの独特の鳴き声が聞こえて来た。オスとメスが呼び合う声のようである。まだ、春には一息あるが、自然は確かに春への足取りを見せているということなのだろう。 写真は池に浮かぶペアと思しきカイツブリ。


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2016年01月28日 | 写詩・写歌・写俳

<1490> 光 と 影

      冬日差し 影が語らふ 築地塀

 影というのは光によって生じる。自然で言えば、光は概ね太陽光ということになる。ということで、自然に出来る影は太陽光によって出来る。月の光も太陽光の反射によるから月影にも言える。影の濃淡は光の強弱に相当するので、自然に出来る影は太陽光の加減によるということになる。太陽光は四季によって異なり、夏と冬では太陽の位置関係により、夏よりも太陽が南に低く位置して運行するため影はより長く、印象深いものになり、私たちの目につくことになる。

                                 

 このことをして言えば、影は光を表すとも言えるわけで、自然に出来る影は太陽光、即ち、日差しを表すものとも言える。で、冬に影の出来るところというのは、言わば、陽光の及ぶところで、こういう場所では、冬日でも溢れるほどの陽光と言ってよく、暖かさが感じられるということになる。

 今回はそういう太陽光とその影を求めて歩いた。影のおもしろさは光によって生じるもので、前述のごとく、光の強弱は影の濃淡に現われ、言わば、光と影は順じてある関係と言える。つまり、光は影の生みの親であり、影は光の申し子であるということが言える。

                                                                     

 冬日が差して濃い影が見られるような場所で、何故か暖かさが感じられるのは、冬日の日差しによる体感的な要素もさることながら、その光景自身にも暖かさが感じられるからである。 このように私には思える。写真上段は築地に影を落とす桜の裸木。写真下段は影を引いて模様になる枝折り戸(左)と民家の影がくっきりとした集落の道(右)。   ダンスかな鬼ごっこかな築地塀に 枯木の影が遊ぶ冬の日

 


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2016年01月27日 | 写詩・写歌・写俳

<1489> 法隆寺中門大規模修理へ

       法灯を守り伝へて今にある何とはなしに見ゆる堂塔

 ユネスコの世界文化遺産である奈良県・斑鳩町の法隆寺は、今春より傷みがひどくなり雨 漏りがする西院伽藍の入口に当たる中門と中門内の両脇に安置されている金剛力士立像(仁王像)の大々的な修理をするため、このほど準備作業に取りかかった。修理は二〇二一年の聖徳太子御遠忌一四〇〇年祭に向け、三年がかりの予定で行なわれるという。この間、中門は工事のため被いが被せられ見られなくなる。

 中門は金堂や五重塔とともに飛鳥時代に建てられた世界最古の木造建築物として名高く、国宝である。入母屋造、二階建、本瓦葺、二重門という門の構造は、左右が長い廻廊(奈良時代・国宝)と繋がっている。間口は十五メートル(正面柱間は四間二戸)、奥行きは八メートル五十五センチ(柱間は三間)である。

 主にエンタシスの丸い柱二十本で支えられ、天井部分は格子の木組みが施され、二階は勾欄が巡らしてあり、門というよりは仏堂の形をしていると言われる。また、この門は柱間が四間の偶数になっているのが特徴で、門の中央に柱が位置する構造の不可思議が指摘され、後世の物議になっている建築物であることも知られる。

                     

 中門の両脇に配置された金剛力士立像(阿形と吽形の二躯)は奈良時代初期の作で、日本最古の金剛力士像として知られる木の芯に粘土を重ねて作られた塑像である。長年外気に触れていたため傷みがはげしく、吽形像は室町時代に体部を木彫で補うなどしているため、国宝には認められず、国の重要文化財にとどまっている。

 中門は、南大門を入ると正面突き当たりの石段上に位置し、左後方の五重塔との組み合わせは絵になる法隆寺のシンボル的な構図の写角にあり、訪れる人たちはまずこの中門と五重塔をバックに記念写真を撮る。ということで、修理の工事期間中、中門は被われるので来訪者には辛抱が求められる。 写真は修理の準備工事が始まった法隆寺の中門と工事のためシートで包まれた金剛力士立像の阿形像。