大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年07月31日 | 植物

<1061> リョウブ(令法)

        令法(りょうぶ)咲く 大いに山を 賑はして

 大台ヶ原に出向く。咲き始めたリョウブがいたるところに見られた。大台ヶ原山の花は今まさにリョウブ一色の観がある。リョウブは一科一属、即ち、リョウブ科リョウブ属の落葉小高木で、日本にはこのリョウブしか存在しない仲間のいない孤独な木である。しかし、全国的に分布し、丘陵から亜高山帯の尾根筋まで、地形の高低にかかわらず、岩場にも低木状になって生え、繁殖している旺盛な木である。大和には純林化しているところも見受けられるほどで、大台ヶ原も多いところである。

 茶褐色の樹皮が不規則に薄く剥がれ、幹がまだら模様になる特徴があり、ナツツバキに似る。しかし、葉が異なるので判別出来、花のない時期でも案外それとわかる。花は枝先ごとに花序を数個出し、白い小さな五弁花を多数つける。七、八月に咲き、大台ヶ原山ではこれからが花のピークである。花盛りには甘い匂いもあり、蜂の類が来て飛び交っている。この花はこの時期の虫たちを養っているわけである。

             

 大坂から訪れたというグループの女性は「山ってこんなに花が多いんだ」とリョウブの白い花に染まる谷筋を見下ろしながら言っていた。見ればなかなかの花であるが、咲く時期がよくないからだろうか、その名を知る人は案外少ない。大台ヶ原にかかわらず、大和の山にはツツジの類が多く見られ、こちらの方はみなよく知られているのだが。

  こういうふうに思い巡らせながらリョウブの花を見ていると、やはり孤独な木かと思われるが、食料に乏しかった昔の人にはこの木の新葉を山菜として、天ぷらや混ぜ飯にして食べたという。また、材は割れ難いので床柱や器具材としての経歴がある。つまり、このリョウブという木は昔の人にとって実質的で有用な木だったのである。それはリョウブという名にも表わされている。

 即ち、リョウブは「救荒食料として採取と貯蔵を命じた令法が発せられたことから。リョウブは令法(リョウボウ)の転」(『花と樹の事典』・木村陽二郎監修)と言われている。この名が生まれたのは律令制の時代であろう。当時にあっては、それほど価値のある人々にはありがたい木だった。全国的に分布していることもあって、ハタツモリ、ショボナ、ビョウバなど別名、地方名の実に多い木であることも言える。

 花のとき以外は地味な木であるのはツツジ類と同様であるが、食に困らなくなった昨今においては、リョウブの新葉を天ぷらにするなどの話は聞かない。これを膳に載せるような店があったら今や珍味として珍重されるかも知れない。このように考えると、木の存在というのもいろいろである。食料の豊富な今の時代は、これだけの花を咲かせるのにその名を知る人が少ないのも時代のせいだと思えて来る。これは私たち人間の欲求に沿うところだろうが、この木の名を知らない現代の私たちの姿というのは、果して進化した結果か、それとも退化なのか。現代人は、知る必要もないものを知っていても何ら得にならないと言うかも知れない。

 まあ、それはともかく、木々にも様々あるということは言える。そして、いかなる事情にある木でも、無駄には存在していないということが思われる。花言葉は「あふれる思い」。溢れるほど咲く花だからだろう。 写真は花を咲かせるリョウブ(大台ヶ原山の大蛇付近で)。

 


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2014年07月30日 | 写詩・写歌・写俳

<1060> 水槽の金魚

            水槽の金魚も 壁の絵の中の少女も 黙しゐるなり真昼

 じりじりと照りつける真夏の太陽。それも無風。一歩たりとも外には出たくないほどの暑さ。梅雨明け以来、続く真夏日、この間は三十五℃を越す猛暑日が何日かあった。このところ少しましになったが、昼は相変わらずの暑さで、また、蒸し暑さが戻って来るとの予報もある。

  室内でも、居間よりは土間のようなところの方が涼しくて過ごしやすい。昔の家は蒸し暑い日本の風土に合わせて建てることを旨として来たが、最近の家は、そんなことに構わず、冷暖房を機器に任せるという発想の家が多く、こういうのが万事で、エネルギーの消費量が嵩み、それだけ自然への影響も大きくなり、結果、温暖化なども進み、住み難い状況を作っている。そして、もっと強力な機器に頼るという状況を生むことになる。

  で、私たちの生活の進化が、自然のバランスを崩し、自然の猛威を生ずるという次第で、これに収まりがつかない。昨今の気象の状況をみていると、このようなことが脳裡を過る。人間の行き過ぎによってバランスを崩した自然はその行き過ぎに相対して来るだろう。否、既にその兆しは見えていると言ってよいのではなかろうか。

                                                 

 こうした真夏の暑さのさ中に、昔、インドネシアを訪れたことがあった。このとき、ホテルに入ってベッドに就こうとした午前一時ごろになって、外が何となくざわついているように思われ、窓の外を見て驚いた。多くの人たちが、子供も混じってサッカーボールを蹴ったりして遊んでいた。「これは何だ」と、そのときは不思議に思えたが、直ぐにわかった。昼間が暑過ぎて、みんな夜に出て来て活動する。

  いわゆる、夏時間がインドネシアにはあり、これがこの国の流儀なのである。昼間に田舎の喫茶店に入ったら、閑散とした店内に店員が二人、一人はカウンターの中に、今一人は接待係としてカウンターの外にいた。二人とも、手持ち無沙汰だというふうに立っていた。店内には異国を感じさせるイスラムの宗教音楽が繰り返し流され、もの憂い気持にさせられた。これもインドネシアでの印象である。

 ところで、温帯に属する日本も、このところの夏の暑さは尋常でなく、熱帯とまではいかないまでも、亜熱帯の状況にある気分がする。あのインドネシアのもの憂いような真昼の喫茶店の状況が、日本の中にも生じ、私たちの感性にも触れて来ることが思われる。こう暑くては、日本も夏時間の導入が必要になって来そうである。水槽の金魚は涼しげであるが、連日の暑さには考えさせられるところがある。写真はイメージで、水槽の金魚。

 


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2014年07月29日 | 写詩・写歌・写俳

<1059> 父を詠む

         眩しくもあるよ 真夏の雲の峰

 父は明治生まれの人で、昭和六十二年十月十八日に亡くなった。享年七十九歳。この年に恩師の訃報にも接し、次のような句を詠んで、いつだったか、紹介した気がする。 恩師逝き 父逝き 独り晦日蕎麦  その一年二ヶ月ほど後に天皇の崩御があり、激動の昭和が幕を閉じた。父は戦前戦中戦後を生きた一人で、息子である私の印象では、寡黙、簡素、潔癖、節制、律義、勤勉、禁欲、忍耐、寛容等が身についた痩身にして気骨のある人だった。時代がこのような人間性を培ったとも言えようか。言わば、理性の勝った精神主義者の一面があった。

                                  

 こうした理性の持ち主は面白みに欠ける人物として評されがちである。確かにそうした一面もあったと思われるが、そこが父の父たるところで、息子の私には愛せる人間性だった。その性格をして言うならば、私もそれを引き継いでいるようなところがある。煎茶をやっていて、晩年は独りでその茶を立てて飲むのを楽しむ風があった。新聞によく目を通していたことも印象にある。ほかにも、次のような父に関わる句を作って来た。

         柿若葉 父の眼よ潤ふべし

           痩身の父が居ませり 麦の秋  

           石榴咲き 天に向かひて 父の炬火 

           父と母 その身この身の盛夏かな  

           稲の香や 月明を得て父帰る   

           茶の花や 父の寡黙と卓の冷え  

           父危篤 秋の播州路を急ぐ          

           額の父 人来て帰り 蝉の声

       月涼し 父の痩身 三回忌    

           寡黙よし 律義またよし 稔る秋

 


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2014年07月28日 | 万葉の花

<1058> 万葉の花 (133)  おほゐぐさ (於保為具左) = フトイ (太藺)

         青畳に 漱石読みし 夏休み

     上毛野伊奈良の沼の大藺草(おほゐぐさ)よそに見しよは今こそ勝れ         巻十四 (3417)  柿本人麻呂歌集

 おほゐぐさは平安時代はじめの『倭名類聚鈔』に「於保井」とあり、中国では「莞」と言われ、席(むしろ)に用いるとある。ほかの文献でも、「莞」は細い茎が丸く、席にする草であると言っている。冒頭にあげた3417番の歌とこれらの説明からおほゐぐさは水辺に生える藺(い)の類で、茎の太く大きいもの、即ち、フトイ(太藺)を指して言っていると知れる。

 イグサとフトイはイグサがイグサ科、フトイがカヤツリグサ科で、別種の植物であるが、ともに水辺に自生し、茎を刈り取って蓆(むしろ)にして来たことから、万葉の当時は同じ藺(い)の仲間と見られていたのだろう。イグサの方が上質で、現在でも畳表などに用いられているが、万葉当時はおほゐぐさのフトイも蓆に利用されていたと見られる。

  フトイは大きいもので高さが二メートルほどになる多年草で、丸い茎には白い髄が詰まっている。花期は夏から秋で、茎の先端部に小穂をつける。シダ植物のトクサに似るが、トクサには茎に節が見られる。フトイは全国的に分布し、トクサは中部以北に野生するが、ともに植えられる。

                                           

 『万葉集』におほゐぐさの登場する歌は、冒頭にあげた3417番の短歌一首のみで、前回の(132)で取りあげたはまゆふと同様、この歌がなかったらおほゐぐさは万葉植物にはなり得えなかった。では、これらのことを念頭に、この3417番の歌を見てみたいと思う。

 この歌は、東歌の相聞の項に見える上野国の歌二十二首中の一首で、おほゐぐさを女性に見立てて詠んでいるのがわかる。「伊奈良の沼」は「斑鳩の因可(よるか)の池」と同様、不明であるが、群馬県内の沼であろうと推察されている。で、歌の意は「上野(かみつけ)の伊奈良の沼の大藺草ではないが、生えているのを遠目に見たときに比べ、刈り取った今こそ勝ってあれ」というもので、恋して見ていたときよりも、妻に迎えたときの方が勝っている、いわゆる、この歌は、憧憬よりも実質をよしとする万葉歌らしい一面を持つ歌であることが言える。

 つまり、これはフトイのおほゐぐさが蓆に役立てられ、実際に用いた方が池沼に群生して生えているのを遠目に見たときよりも勝っているという思いがそこにはあるわけで、以後の勅撰集には見られない万葉歌の特徴の一面を示した歌と言ってよい。

 この歌の注に「柿本人麻呂歌集に出づ」とあるので、この歌集より見つけ出したか、それとも、後で調べたら人麻呂歌集にもあったということか、定かではないが、東歌の断りがあるので、人麻呂本人の歌ではない可能性が強い。言わば、柿本人麻呂歌集は人麻呂個人の家集ではなく、人麻呂が収集した歌も含まれ、その歌の中に東歌も見えるということで、人麻呂が歌を幅広く閲していたことが、この歌ではわかると言えそうである。

 これは、人麻呂歌集が人麻呂の私家集であるとともに、歌を幅広く集めることによって人麻呂が勉強した証の歌集とも受け止められる。人麻呂の歌は挽歌や悲歌に際立つが、頌歌、相聞、叙景歌と幅広く、多くの歌に枕詞等が駆使されて詠まれており、人麻呂の歌は、つまり、この冒頭の歌と同じく、幅広い勉強の成果によっていると思わせるところがある。

  どちらにしても、おほゐぐさの歌は人麻呂の歌でない可能性が強い。もし、人麻呂が東人になり切って詠んだ歌であるとするならば、それも人麻呂の勉強の賜物と言ってよかろうかと思われる。  写真はフトイの群生(左)、フトイの花穂(中)とフトイによく似たシダ植物のトクサ(右)。

 


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2014年07月27日 | 写詩・写歌・写俳

<1057> 熊蝉が鳴く猛暑日

        熊蝉のシャワー激しき目覚めかな

 梅雨明けがあり、夏祭りで名高い京都の祇園祭りがあり、次いで大阪の天神祭りが行なわれ、土用の丑の日は二十九日で近く、関西圏の夏は今まさに盛りである。気温は梅雨明け以後上昇を続け、大和の地もこのところ三十五℃を越える猛暑日が続いている。今日は正午過ぎに夕立があり、少し凌ぎよいが、昨日までは我が家の居間でも午後になると三十五℃を越えたのでクーラーを入れた。風があって湿度が低ければまだ過ごしやすいが、それが十分でない。

             

 このところ全国的に熱中症が多発し、連日ニュースになっているが、室内でも熱中症に罹るというので、我が家では、昼は三十五℃以上、夜の就寝時は三十℃を基準にし、これより気温が高くなるとクーラーを入れるようにしている。一晩中クーラーを入れると電気代のこともあるので、タイマー二、三時間ほどにして寝るが、タイマーが切れると、室内温度が上がり、汗をかいて目覚める。こういうのが三、四日続いている。

 青垣の山に囲まれた奈良盆地の底に当たる大和平野はフライパンのようで、炎天が続く盛夏のころは堪らないところがある。その青垣の山々の上空に夏雲が湧きあがると、その雲が広がって雨になって欲しいという気持ちになったりする。今日はそのようになったが、ほんのわずかだった。とにかく、太平洋高気圧が日本列島の上空に居座る盛夏のころは猛暑が続き、我慢が強いられる。

 今年の夏はエルニーニョ現象によって、冷夏になる予想だったが、エルニーニョ現象が見られるにもかかわらず、活発でなく、日本列島に太平洋高気圧が張り出して居座っているからだという。これに加え、チベット高気圧が列島の上空まで張り出し、暑さを増しているようである。これらの高気圧がどうなるかであるが、とにかく、立秋ころまでは我慢ということになるのであろう。クマゼミが連日、朝の一時烈しく鳴いている。写真はクマゼミ(左が雌、右が雄)。 熊蝉の烈しき声のシャワー降り大和は盛夏となりにけるかも