大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年06月30日 | 写詩・写歌・写俳

<2733> 余聞、余話 「過程と成就」

     濃緑(こみどり)の柚子の実太りゆけるなり雨の日晴の日日々なる過程

 我が家のユズは豊年の年周りに当たるからか、今年は香りのよい白い五弁花を沢山咲かせ、豊作を思わせた。花には頻りにチョウやカミキリムシの類が訪れ、にぎわった。花が散って木下を白く染めた後、ごく小さな実が樹冠いっぱいに点灯した。あれから一月半ほど。花から実への移行も順調だったので、大豊作だと思っていたが、その後の天候不順で、強風に揺さぶられる日が何日かあり、かなりの実が落ちることになった。

  落果の光景には少し惜しい気持ちになったが、思えば、これは自然摘果で、数量を減らすことにはなったけれど、ユズの木には実を育むに適当量になったということが出来るかも知れない。実はラムネ玉くらいから現在はピンポン玉を少し小さくしたくらいに大きくなり、葉とほぼ同色の濃い緑色をしているので上手く数え切れないが、百個前後は残っていると思われる。

           

  これからなお大きくなって、秋に入ると黄色く色づき、晩秋のころ収穫出来る。かなり太って来たユズの実には、なお四、五ヶ月、花から言えば、六、七ヶ月の過程の時が要る。つまり、ユズの成果、実の成就には六、七ヶ月の辛抱が要るということになる。もちろん、辛抱の時は期待と充実の時でもあり、これはまさしく生のダイナミズムであり。その精神性をも思わせる。

  辛抱と言えば、ユズには、「桃栗三年柿八年」に続いて「柚子は九年でなりかねる」とか「柚子の大馬鹿十三年」と囃され、ユズは辛抱の権化、象徴のように言われる。これは「面壁八年」の達磨大師の教えや「石の上にも三年」という諺にも通じるところ。もっとスケールの大きい諺で言えば、「ローマは一日にして成らず」というところ。生の道筋における教訓の言葉とも受け取れる。

  言わば、辛抱は成就への道程。「急がば回れ」というような言い方もされる。要は何を成すにも時が必要だということである。また、「待てば海路の日和あり」とか「急いては事を仕損じる」という言葉もある。という次第で、結論的に言えば、過程があって成果はあるということになる。過程を端折ることをこの世の仕組みは入れないように出来ている。人生などもこの仕組みの中に組み込まれてあると思える。冬至の柚子湯を楽しみにユズの実の育ち行くのを待とう。 写真はユズの花と若い実。


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2019年06月26日 | 植物

<2729> 大和の花 (830) ウチョウラン (羽蝶蘭)                                 ラン科 ウチョウラン属

               

 山地や渓谷などの岩場に生える多年草で、草丈は10センチから20センチほどになり、花茎は斜めに立つことが多い。葉は長さが3センチから10センチほどの広線形で、2個から3個つき、基部は鞘状になる。

  花期は6月から8月ごろで、茎の上部葉腋に直径1センチほどの花を数個総状につける。花弁は唇弁が大きく3深裂し、長さが1.5センチほどの長い距を有し、ラン科植物特有の花の形を見せる。花弁は紅紫色が普通であるが、白色や青みが勝ったものなど変異が見られる。

 本州の関東地方以西、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島に見られるという。大和(奈良県)では紀伊山地の一部に自生地があるが、園芸用採取のターゲットにされ、減少が著しく、2007年版のレッドデータブックでは絶滅危惧種にあげられていたのが、2016年の最新版では、最悪の絶滅寸前種にランク変更され、環境省でも絶滅危惧Ⅱ類にあげられ、自生の厳しさが訴えられている。

 写真は岩場に咲くウチョウラン(天川村)。なお、ラン科植物は見つかり次第根こそぎ採取されるので、この欄で扱うに当たっては奈良県版レッドデータブックの2016改訂版の『大切にしたい奈良県の野生動植物』に倣って、撮影場所を市町村名に止めるということで進めて行きたいと思う。  鳴き響(とよ)む生きゐる証ほととぎす

<2730> 大和の花 (831) オノエラン (尾上蘭)                                       ラン科 カモメラン属

                 

 寒温帯から冷温帯に当たる深山山岳の日当たりのよい岩場の草地に生える多年草で、草丈は10センチから15センチほどになる。葉は長さが5センチから10センチの長楕円形で、茎の基部に普通2個が斜め上向きに反るようにつき、先は尖る。

 花期は6月から8月ごろで、花茎の先に短い総状花序を出し、数個の白い花をつける。花は唇弁がくさび形で、唇弁の基部にw形(逆M字形)の黄色い斑紋がある。この斑紋がオノエランの特徴で、花を一見すればそれとわかる。オノエラン(尾上蘭)の名は尾根筋に生えるランの意。

 本州の東北から中部地方と紀伊半島の高所に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では大峰山脈の高所や大台ヶ原山の稜線部の岩場の草地に自生する。だが、個体数が極めて少なく、園芸用に採取されることもあって、奈良県のレッドデータブックは絶滅寸前種にあげている。写真は岩場に咲くオノエラン(唇弁にW字の黄斑がある。十津川村と上北山村)。 ほととぎすこの世は夢の在処なり

2731> 大和の花 (832) イワチドリ (岩千鳥)                                   ラン科 イワチドリ属

                    

 主に川や渓谷沿いの岩壁に生える多年草で、高さは10センチから20センチほどになり、茎の途中、中ほどより下のところに長楕円形で先の尖る葉をつける。花期は4月から6月ごろで、茎頂に淡紅紫色の花を数個つける。花は直径1センチから1.5センチほどで、花の直ぐ下に小さな苞葉がある。3深裂する唇弁が大きく、基部に濃い紅紫色の斑紋がある。

 本州の中部地方から近畿地方、四国に分布し、伊豆諸島にも見られる日本の固有種で、大和(奈良県)では十津川村と下北山村に見られるが、自生地も個体数も少ないうえ、観賞ブームもあって、採取され、激減したとのことで、奈良県版レッドデータブックでは絶滅寸前種にあげられ、環境省では絶滅危惧ⅠBにあげられている。

 イワチドリ(岩千鳥)とは美しい名であるが、岩場に群れ飛ぶチドリのイメージか、花を紋章の千鳥紋に見立てたことによるとも言われる。ということで、実物の花も魅力的で、その魅力が採取の嵐を誘引し、激減に繋がったようである。 写真は渓谷の岩壁のイワチドリ。ウチョウランに似るが、花期が異なり、イワチドリは春から初夏のころ見られる(十津川村)。 岩千鳥千年超の岩の花

<2732> 大和の花 (833) カキラン (柿蘭)                                           ラン科 カキラン属

                      

 日当たりのよい湿地などに生える多年草で、花茎の高さは30センチから70センチほど。長さが10センチ前後の広線形から狹卵形の葉が7、8個互生し、鞘状になって茎を抱く。花期は6月から8月ごろで、茎の上部に黄褐色の花を10個ほどつける。花は長さが1.5センチほどの広鐘形で、横向きに開く。唇弁は白色で、紅紫色の斑点が目立つ。カキラン(柿蘭)の名はこの花の色を柿色と見たことによる。

 北海道、本州、四国、九州、南西諸島に分布し、国外では朝鮮半島、中国東北部、ウスリー地方に見られるという。大和(奈良県)では北部や南部に自生地が見られるものの、「人里近い手近な所にあり、用地開発や農地の整備のため生育地が失われることが多く、園芸用に採取されることも多い」として、奈良県版レッドデータブックでは絶滅危惧種にあげられている。全国的にも希少種として絶滅の危険性が高いとされている野生ランの一つである。別名スズラン(鈴蘭)。 写真は柿色の花がかわいらしいカキラン(曽爾村)。  ほととぎす思ひの丈を吐く如し

 

 


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2019年06月25日 | 写詩・写歌・写俳

<2728> 余聞、余話 「万葉集のホトトギス考」

      一生(いちせい)の在処を告げて乞ふごとく深夜未明に鳴くほととぎす

 このほどカメラを手にして里山の辺りを歩いていて、ホトトギスに遭遇し、撮影した。かなり遠い常緑樹の上にいて鳴くのがかすかに望めた。十分な写真にはならないだろうと思いながらズームレンズを望遠側いっぱいにセットしてシャッターを切った。背景の空が明るく逆光になって、カラスのように写ってしまったが、カラスより一回り小さく、ホトトギスの声しかしていなかったので、極めて不十分な写真ではあるが、ホトトギスに違いないと確信し、掲載に至った次第である。

 ホトトギスはカッコウ科の渡り鳥で、全長三十センチ弱、夏場に日本の各地に飛来し、繁殖する古来より特異な鳴き声で知られる。『万葉集』以来、和歌によく詠まれ、夏の到来を告げる鳥として親しまれて来た。所謂、姿よりもその独特の鳴き声で名高く、近くで姿を見ることはなかなか難しい鳥である。

  私の場合、四十年ほど前、植物学者の牧野富太郎所縁の八幡高原(広島県)を訪れたとき、すぐ近くの梢に来て鳴くのを見たのと、十年ほど前、奈良・三重県境の倶留尊山に登ったとき、標高1000メートルほどの二本ボソ山の山頂付近で眼前を真横に飛ぶのを目撃したことくらいで、曲がりなりにもカメラに収めたのは初めてである。

 ホトトギスという鳥はそういう夏鳥であるが、昼夜を問わず鳴くその声によって印象深く、和歌にも詠まれて来た。という次第で、この写真撮影を機に、ここで、これまで思いを巡らせていた『万葉集』に登場するホトトギスについて少しく考察してみたいという気になった。以下は、その考察によるところである。

                                 

 『万葉集』には、巻二の弓削皇子の歌に返した額田王の相聞の歌(112番)に「古(いにしへ)に戀ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)けだしや鳴きしわが念(も)へるごと」とあるのをはじめとし、巻二十の大伴家持が興じて詠んだ(4464番)の「ほととぎすかけつつ君が松蔭に紐解き放(さ)くる月近づきぬ」という歌まで、集中にホトトギスの登場を見る歌は長短歌合わせて百五十三首に上る。歌の中にホトトギスの名が見えないものの詞書乃至は前後の歌の関係から明らかにホトトギスを詠んだ歌と見なせるものまで含めると百五十五首に及ぶ。

 中でも圧巻なのは巻十の「夏の雑歌」のはじめに収められている「鳥を詠む」項で、ほかに夏鳥はいないのかと言いたくなるほどの眺め、即ち、二十七首全部がホトトギスの歌で占められているという次第である。そして、なお言えることは、巻十二(3165番)の霍公鳥を序の枕詞に用いている「霍公鳥飛幡(とばた)の浦にしく波のしばしば君を見むよしもがも」という歌などほんのわずかな歌のほかはみな昼夜を問わず聞かれるあの独特の鳴き声に関して詠まれているということである。

  この鳴き声によるホトトギスの印象は後世にも引き継がれ、以後の勅撰和歌集などにも色濃く反映され、例えば、平安時代に編まれた第一勅撰集の『古今和歌集』では夏歌三十四首中二十八首までがホトトギスを詠んだ歌で占められているほどである。時代が下って鎌倉時代に出された八代集の『新古今和歌集』を見ても、夏歌の部で三十七首に見て取れるといった具合である。中世までのこれらの歌を概観するに、その特異な鳴き声に関して詠まれたホトトギスの歌は鳥の登場する歌の中では群を抜き、ホトトギスは別格であるということが出来る。

  西洋の鳥は姿の印象によって捉えられる傾向にあるのに対し、日本の鳥は鳴き声によって印象づけられていると言われる。『万葉集』以来のホトトギスをして言えば、まさにホトトギスはその典型例である。春のウグイスや秋のカリなども該当するが、ホトトギスの右に出る鳥はいない。

 西洋文明の影響を受けた近・現代の日本においては、例えば、次のような鳥を詠んだ歌が見て取れる。一読して『万葉集』等の鳥を詠んだ古歌と違いのあるのがわかる。これは鳥を自然観の中で捉えて来た日本の歌と鳥の姿をもって人との関わりにおいて捉えている西洋の歌の違いが現れているものと言える。もちろん、すべての歌というわけではないが、その傾向が見て取れる。これは明らかに文化(ものの見方、精神性)の違いから生じている現象で、西洋の影響を受けている以下の二首と古歌に詠まれた鳥の歌を比較してみるとその違いがよくわかる。

         のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳ねの母は死にたまふなり                                                  斎 藤 茂 吉

         かささぎの空巣に霙降りいると告げて透くエア・メール一枚                                                      小海 四夏夫

 少し話が逸れたが、本題に戻って『万葉集』のホトトギスについて原文の表記を見てみよう。まず、霍公鳥という表記でホトトギスの登場を見る。漢音ではカッコウチヨウであるが、これをホトトギスと読ませている。そして、これに加え、万葉仮名の保登等藝須、保等登藝須、保止ゝ支須の三例が見える。保止ゝ支須の例は巻十八(4116番)の長歌一首のみで、ほかに登場例はない。この一首は部下を慰労する酒宴において大伴家持が作ったもので、座興の勢いに任せて保止ゝ支須の万葉仮名を用いたのかも知れない。そんな感がある。

 では、まず、霍公鳥の表記から見てみよう。霍公鳥を漢音に合わせて読むと前述の通りカッコウチヨウで、どう考えてもホトトギスとは読めない。だが、原文を辿って歌を読み進めてみると、例えば、巻十七(3909番・3910番)には次のようにある。 

          詠霍公鳥歌二首

     (3909)  多知婆奈波 常花尒毛歟 保登等藝須 周無等来鳴者 伎可奴日奈家牟

     (3910)  珠尒奴久 安布知乎宅尒 宇惠多良婆 夜麻霍公鳥 可礼受許武可聞

 語訳では次のようになる。

         霍公鳥を詠む歌二首

    (3909)  橘は常花(とこはな)にもがほととぎす住むと来鳴かば聞かぬ日無けむ

    (3910)  珠に貫く楝(あふち)を家に植ゑたらば山ほととぎす離(か)れず来(こ)むかも

 つまり、詞書と歌の内容からして霍公鳥は保登等藝須(ほととぎす)に一致し、霍公鳥はホトトギスと読むことがわかる。ところで、ホトトギスは古来より関心が持たれ、親しまれていたこともあって多くの表記が見られる。あげてみると、時鳥をはじめ、杜鵑、不如帰、杜宇、杜魂、子規、蜀魂などと記され、更に田長鳥、沓手鳥、妹背鳥、卯月鳥などの名が見え、地方名も多い。だが、日本の文献上最初に登場する霍公鳥の表記は漢名を辿っても見当たらず、誰が最初に発したのか、謎めいてその名はある。そこで、万葉人がホトトギスと同類の夏の渡り鳥カッコウ(郭公)と混同していたのではないかとする見解なども見られる次第に至った。『万葉集』以後、霍公鳥の表記は消え、代わりに郭公をホトトギスと読ませ、これが主流になってこの混同説の裏付けとして働くようになったと思われる。

  という次第であるが、私には以下の三点の理由によってこの混同の見解には納得し難いところがある。その一点目は、霍公鳥の表記が音韻に影響されてあるものではなく、霍公の字義によってつけられたと考えるからである。霍は靃の略字で、本来は靃であって、その意は「雨に降られてぱっと羽を広げて飛びたつ鳥の羽音のあわただしさをあらわす」と言われる。また、霍霍は「わわっとあわてて叫ぶさま」とあるように、梅雨時に鋭く鳴いて聞く者の耳を驚かせるホトトギスにピッタリ来るところがある。公は広く知らしめる意であろう。姿が見えなくても、昼夜を問わずその独特な鳴き声によって存在を知らしめる意が込められている。言わば、明るく長閑な牧歌的鳴き声の印象にあるカッコウに霍の字は相応しくないと見る。

  二点目は『万葉集』の霍公鳥は次代の『古今和歌集』よりその表記を異にし、郭公の二字をもってホトトギスと読ませるようになったこと。これに関して言えば、郭公は霍公鳥の変容に違いないが、ホトトギスとカッコウを混同してのものではないと考える。郭公の表記によってホトトギスと読ませる慣わしは江戸時代まで続いている。松尾芭蕉の、例えば、「落ちくるや高久の宿の郭公」(真蹟懐紙)にも見える。つまり、混同と見るならば、江戸時代まで混同が続いていたということになり、このような見方はあまりにも先人に対し失礼な話と思えて来る。

  三点目は万葉人が自然において私たち現代人よりも豊富な経験の持主として自然に接していたと考えられること。この観点に立って言えば、万葉人がホトトギスとカッコウを混同していたとする見解はどうかということになる。例えば、巻九(1755番)の長歌とその反歌(1756番)にウグイスの巣にホトトギスが托卵する内容の歌が見える。つまり、万葉人はホトトギスがウグイスの巣に托卵する奇習を知っていた。これは万葉人が自然、即ち、野生と直に接していたと受け取れる。こうした自然との濃密な関りをもっていた万葉人がホトトギスとカッコウを混同するとは考え難い。

  ということで、ホトトギスとカッコウの混同説は採り難いということになる。それよりもホトトギスの読みの方が謎である。鳴き声がホトトギスと聞こえるからというのをどこかで聞いた気がするが、そういうことなのだろうか。不明である。名の語源にはさまざまあるが、ホトトギスの語源は謎と言える。万葉当時からそう呼ばれていたのだろう。それを文字にするとき霍公鳥の字義に及んだということではないか。そして、万葉仮名でも表記したということになる。このホトトギスの万葉仮名表記については、これにも謎めいたところがあるので、またの機会に述べてみたいと思う。 写真は繁る高木の高枝にあって鳴くホトトギス(斑鳩の里山)。


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2019年06月20日 | 植物

<2723> 大和の花 (825) ハスノハイチゴ (蓮の葉苺)                                        バラ科 キイチゴ属

          

 深山の冷温帯域から寒温帯域の明るい林下に自生する落葉低木で、高さは大きいもので1.5メートルほどになる。枝は粉白色を帯び、無毛で、まばらに刺がある。葉は長さが10センチから25センチほどの5角形で、3から5浅裂し、裂片の先は尖り、縁には不揃いの鋸歯がある。葉柄は8センチから10センチと長く、刺が生え、ハスのように楯状について互生する。ハスノハイチゴ(蓮の葉苺)の名はこのハスに似る葉による。ハスイチゴ(蓮苺)の別名の由来も同様である。托葉は長さが1センチほどの広卵形で、赤味を帯びる。

 花期は6月ごろで、枝先の葉腋に白い5弁花を1花下向きにつける。花弁は円形に近く、ほぼ平開する。集合果の実は長さが3、4センチの円柱形で、8月から9月ごろ白く熟し、一面に褐色の毛が生える。実は垂れ下がり、果期にも残る萼片が笠のように見える。

 本州の中部地方以西、四国、九州に分布し、国外では中国に見られるという。大和では紀伊山地の高所に自生地が限られ、奈良県のレッドデータブックには希少種、環境省でも準絶滅危惧植物としてあげられている。西大台、山上ヶ岳、稲村ヶ岳、八経ヶ岳の高所で見ているが、いずれも個体数が極めて少なく、シカの食害が影響しているのではないかと言われ、保護対策が施されているところも見られる。 写真はハスノハイチゴ。花(八経ヶ岳)と実(稲村ヶ岳)。  個を抱き生はあるなり花もまた はすのはいちごの花は下向き

<2724> 大和の花 (826) コジキイチゴ (乞食苺 )                  バラ科 キイチゴ属 

                                

 山野の日当たりのよいところに生える落葉低木で、高さは1、2メートルになる。幹や枝には腺毛が密生し、刺がまばらにある。葉は花のつかない若い枝では長さが10センチから20センチの奇数羽状複葉で、小葉が3個から9個つく。小葉は長さが4センチから8センチの長卵形乃至広披針形で、先が細く尖り、縁には不揃いの鋸歯が見られる。花のつく枝の葉は小形で、3小葉となる。

 花期は5月から6月ごろで、枝先に直径2センチほどの白い5弁花を横向きに開く。幹や枝と同じく萼や花柄にも長い腺毛が密生する。花弁は細身で萼片が花弁よりも長い。集合果の実は長さが1.5センチほどの弾丸形で、7月ごろに橙赤色に熟し、食べられる。コジキイチゴ(乞食苺)の名は実が甑(こしき)に似て、このこしきがコジキに転訛したとする説があるが、私には幹や枝に長い腺毛が密生するのを乞食が纏うぼろ切れと見立てたのではないかと想像される。

 本州の東海地方以西、四国、九州に分布し、朝鮮半島の南部、中国、台湾に見られるという。大和(奈良県)では北部地域の山野に点在的に見られ、個体数が少なく、案外出会えないキイチゴの仲間である。 写真はコジキイチゴ。花と若い実(左)、朱赤色に熟した実(中)、長い腺毛が密生し、鋭い刺がまばらに見られる茎(右)。  時に身を置く身過ぎ行く日月の間における生の身のほど

<2725> 大和の花 (827) フユイチゴ (冬苺)                                       バラ科 キイチゴ属

                   

 山野の林縁や道端などに生えるつる性の常緑小低木で、地を這うように広がり群落をつくることが多い。茎や枝には褐色の曲がった毛が密生する。ミヤマフユイチゴ(深山冬苺)によく似るが、ミヤマの方は毛がないか、短毛の違いがあり、褐色の毛の多少によって判別出来る。葉は長さ幅とも5センチから10センチほどの心形で、縁には歯牙状の鋸歯が見られ、裏面の脈上や葉柄に茎や枝と同じような短毛が密生し、互生する。

 花期は9月から10月ごろで、枝先や葉腋に白い5弁花を5個から10個つけて順次咲く。花弁は長さが7、8ミリで、萼片とほぼ同長。萼の外面や花柄には淡褐色の短毛が密生する。雄しべより雌しべの方が長いのでこの点でも判別出来る。集合果の実は直径1センチほどの球形で、11月以降に赤く熟し、食べられる。

 本州の関東地方南部、新潟県以西、四国、九州に分布し、朝鮮半島南部、中国、台湾に見られるという。大和(奈良県)ではほぼ全域で普通。 写真はフユイチゴ。赤く熟した実(矢田丘陵)と萼や葉柄に毛が多い。花は未撮影。

  実は成果艶やかなるは充実の証たとへば冬苺の実 

 

<2726> 大和の花 (828) ミヤマフユイチゴ (深山冬苺)                                  バラ科 キイチゴ属

                     

 山地の林下や林縁に生えるつる性の常緑小低木で、フユイチゴ(冬苺)に酷似し、混生することもあって紛らわしい。その名にミヤマ(深山)とあるが、深山に生えるわけではなく、暖温帯域にやや普通に見られる。葉は卵形または広卵形で、枝や葉柄にフユイチゴほど毛がなく、判別出来る。

 花期は9月から10月ごろで、枝先や葉腋に白い5弁花を数個つける。花弁は長さが数ミリの倒卵形で、萼片より短く、萼の外面にほとんど毛がないので、フユイチゴとの判別点になる。集合果の実は直径7、8ミリで、冬に赤く熟し、食べられる。実もフユイチゴに似るが、全体に小粒で、萼片等に毛がほとんどないので見分けられる。

 本州の関東地方以西、四国、九州に分布し、国外では中国に見られるという。大和(奈良県)では暖温帯域のほぼ全域的に見られるが、フユイチゴほどではないという報告がある。名については、ミヤマフユイチゴ(深山冬苺)よりケナシフユイチゴ(毛無冬苺)とでもした方がその特質から見てよいように思われる。  写真はミヤマフユイチゴ。葉の下に隠れるように花をつける花期の姿(左・金剛山)、花のアップ(中-鳥見山)、果期の姿(右・松尾山)。 生の身は生きるに知恵を働かす冬に色づく冬苺の実

<2727> 大和の花 (829) コバノフユイチゴ (木葉冬苺)                                  バラ科 キイチゴ属

           

 山地の冷温帯域から暖温帯域に生える匍匐性の常緑小低木で、地を這うように広がり群落をつくる。茎や枝には白い毛と上向きの刺が見られる。葉は長さが3センチから8センチほどの円形に近く、縁には鈍鋸歯が見られ、葉質に縮れた感じがあり、先は尖らず、全体的にまるいので、マルバフユイチゴ(丸葉冬苺)の別名を有する。コバノフユイチゴ(小葉冬苺)の名は、フユイチゴやミヤマフユイチゴより葉が小さいことによる。

 花期は5月から7月ごろで、枝先に直径2センチほどの白い5弁の1花を上向きに咲かせる。萼片は狹卵形で先が細く尖り、縁には細かい切れ込みがある。また、萼には外面に刺状の毛がある。集合果の実は直径1センチほどの球形で、8月から9月ごろ赤く熟す。

 本州、四国、九州に分布し、国外では台湾やフィリピンに見られるという。大和(奈良県)では金剛山の山頂付近と紀伊山地で見かける。垂直分布の幅は広いが、自生地は局所的で、フユイチゴやミヤマフユイチゴのように容易には出会えないところがある。 写真はコバノフユイチゴ(金剛山ほか)。花期の姿(左)、花のアップ(中)、赤く熟した集合果(右)。 

  夏至過ぎて思ふあれこれしかすがに歩むは勤め道の中ほど

 

 


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2019年06月19日 | 写詩・写歌・写俳

<2722> 余聞、余話 「田植えどきの斑鳩の里法起寺の辺りを歩く」

                            

      早苗田の塔を映せる広さかな

 田植えをほぼ終え早苗田が広がる斑鳩の里の法起寺周辺を歩いた。以前と変わらず、三重塔が水を張った早苗田に映り込み、逆さ塔を見せていた。農家では田植えを終え一息入れているのだろう。水田の辺りに人影はなく、広々とした風景の中、逆さ塔は静かに映っていた。

  その風景の中、よく見ると、畦には花期を迎えたアザミが紅紫色の花を咲かせ、その花にはチヨウがいて、田の水面にはトンボが飛び、ツバメが飛翔しているといった具合で、静かな中に結構にぎやかなところもうかがえた。早苗田の風景にはみんな思い思いに自由を謳歌しているそんな感じもあった。

                             

      あざみ咲き蝶一心に向かひけり

 早苗田と塔の風景からアザミの花に目を転じ、花に掴まって蜜を吸うチヨウにカメラを向けてみると、チョウはまさに長い管を花に差し込んでいるところ。夢中の感。で、小さいは小さいながらに生きていると思いながらシャッターボタンを押し、上掲の句を得た。休耕田上の空にはときおりヒバリが上がり、必死の囀り。集落の裏山では孤独を託つごとく、しかし、のどかさを穿つものではなく、ホトトギスがあの独特の鳴き声を響かせていた。農家の販売所ではイチゴが終わり、ウメの実を並べていた。

 上段の写真は法起寺の三重塔を映す早苗田。下段の写真はノアザミの花にとまり蜜を吸うモンシロチョウ。なお、ノアザミの花は雄性期の時期で、雄しべが白い花粉を出している。これは雄しべ先端の葯筒の中に集粉毛があり、チヨウなどの花粉媒介者が来て花に触れると、その刺激によって雄しべの花糸が縮んで葯筒が下がり、集粉毛が溜まった花粉をトコロテン式に押し出す仕組みによる。花粉を出し終わると、花は雌しべの花柱が伸び出し、雌性期に入る。という具合で、このアザミ類の花の仕組みは自家受粉の近親相関を避ける知恵と考えられている。 

      蝶ひらひら蜻蛉すいすい飛びゐたるみなそれぞれに生のただ中