大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年12月31日 | 写詩・写歌・写俳

<1828> 余聞・余話 「レクイエム 2016に寄せて」

        訃報とはあるは時代の終焉を思はしむるに今年の訃報

 例年、年の暮れになると、新聞は一頁を費やしてその一年に亡くなった著名人の訃報一覧を掲載する。どの程度の人物を基準にしているかは新聞社によって異なるのだろう。しかし、範囲が世界に及ぶとあれば、やはり、その人数からして一頁は費やすことになる。訃報というのは人事の一端で、人事に精通していなければならない新聞の公共性における自負の立場にあっては訃報というのは新聞社にとって実力を問われる一つのバロメーターのようなところがあるので、疎かには出来ないところがある。

  もちろんのこと、人の死というのは日々に起きるのが普通で、日々発行されている新聞にはほとんど毎日と言っていいほど訃報記事が扱われている。全てはそれなりの知名を有している人であるが、知名にも程度があり、地域的知名であれば、地域限定版において掲載されるという選択がなされる。これが訃報記事の通例であるが、新聞に訃報のお知らせ記事が載るか載らないかは新聞の実力に関わることであれば、疎かには出来ないわけである。A紙に載ってB紙に載っていないということは、訃報に対する載せる基準の違いによるか、B紙の不手際かどちらかであろうが、載ると載らないは亡くなった当事者もさることながら、新聞社の方の威信にもかかわり、問われることになったりする。

     

  それはさて置き、今年も各界の著名人が亡くなった。最高齢は元衆議院議員で法相の奥野誠亮氏(103)、最年少はジャーナリストの竹田圭吾氏(51)で、紙面一頁に二百人を越えて掲載された。あまりにも名高い人物ばかりなので、かえってその名をあげるのがはばかられ、ここでは敢えて氏名を控えるが、一世を風靡した人、時代の寵児のように言われた人、その道で能力を発揮し人々に感銘を与えた人、国を動かし、国を守って来た人等々さまざまな人物が一覧には見受けられる。その一覧を見渡していると、その九割方が七十歳以上の高齢にあることに気づく。その訃報年齢にもよるからだろう、その一覧のそこっこに一時代の終わりが垣間見られるような印象に至り、思いが巡るところとなった。

  沖縄や北方領土の現状を思うと、戦後七十年、オバマ大統領がヒロシマを訪れ、安倍首相が真珠湾に赴き、和解という癒しのセレモニーはそれなりに行なわれたが、戦後はまだ終わっていない実感を新たにする。だが、昭和を生き、活躍した名士の訃報の一覧は、いよいよ昭和の終わりを告げるがごとくにあって、感傷に似た気分にも捉われたといった次第ではある。

  しかし、終わりがあれば新しい時代の始まりがあるわけで、夢もあれば、課題もあり、解決されていないものについては継続して行かなくてはならない。そこには老いも若きも生き継ぐ者がそれらをひっくるめて新年に及ぶということになる。レクイエムの後に新年は来たる。では、また、次なる年に。諸兄諸氏には新しい年がよい年でありますように。 写真は訃報の一覧が掲載された新聞紙面の一部とシクラメンの花

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年12月30日 | 写詩・写歌・写俳

<1827> 余聞・余話 「権威と権力 (今年を振り返って思う)」

       権力はいつの時代も座にありて服(まつら)ふものとともにあるなり

 権威と権力を国語辞典で引いてみると、次のように説明している。権威は「すぐれた者として、他人を威圧して自分に従わせる威力。また、万人が認めて従わなければならないような価値の力」とある。では、権力はどうか。権力は「他人を支配し、服従させる力。支配者が(組織・富・武力などを背景として)被支配者に加える強制力」とある。こう見てみると、権威は評価によって成るものであり、権力は評価の如何に関わらず、強制力の行使によって成るということが言える。

  権威と権力を今少し考えてみると、権威は価値の評価に属し、敬われることによって成り立ち、言わば、神的な色合いの強い絶対的な立場における心理によって慕われてゆくところのものであることがわかる。これに対し、権力は強制力そのもので、人的な色合いの強い相対的な力量をもって従わせるところに成り立つものと言え、権威は一人でも権威たり得るが、権力は一人で権力にはなり得ない性質のものと言ってよい。強制力を発揮する方法は国語辞典もあげているように組織であったり、富であったり、武力であったり、これらの総合であったりするわけである。

 ここで思われるのが権威と権力が合体するところに最強の権力者が出来上がることである。このことは為政においては重要な意味を持つと言え、その色合いがうかがえるのが、独裁者で、独裁者はこの権威と権力の両権を有したものであると言える。だが、この独裁者が善政を行なっている間はよいかも知れないが、独裁者は単一である場合がほとんどで、単一にあっては偏りが生じ、問題が起きる。これは世の常で、独裁の場合、余程の人物でない限り、問題を引き起こすということになる。この弊害をなくするために民主主義の多数決の原理が近代になって導入されて来た。

          

 この多数決の原理による民主主義の法制が成り立っている世界では、選挙によって勝利した者が権力の座の権限を与えられ、与えられた者は、その法制のもとで権力を行使することが出来るようになっている。しかし、この権力は次の選挙が行なわれるまでの権限であって、その先までは保障されず、また多数決の原理による選挙に権力は托されるということになる。しかし、権力者が権威に与かるかどうかは評価によることになるから、権力イコール権威ということにはならない。この点が国家の運営には重要なところであると私などには考えられる。では、その考えの一端を以下に述べてみたいと思う。

  独裁国家では、独裁者の権限が強く、組織・富・武力などを背景にした膨大な権力によって権威をも独裁者のもの(実際にはそうでなくても)にし、被支配者に対する体制を構築するから、被支配者の評価が如何にあっても、独裁者には自分のやりたい放題にことを進めることが出来るということになる。この成り行きにおいて善政が施されている間は、国家の運営もまとまりゆくが、独裁では偏りが生じ、圧政や弾圧といった状況が国の中に生じて来ることになり、所謂、評価などは権力者の有利に働くように仕向け、権力者は権威を利用して権力の行使を有利に運び、国家においてはこれによって国民を従わせるということになる。

  もちろん、民主主義においても権威を権力者の都合に沿うべく誘導するということが行なわれる。評価が分かれるような政策課題などにおいては権力者である為政者の意に沿うべく諮問機関の専門家会議の立ち上げなどにおいては為政者に都合のよい人選がなされるといったことが起きる。そして、選挙人を納得させるべく宣伝を怠らず、世論誘導を図ったりすることになる。言わば、これは権力に権威を上乗せしてより強固な権力を発揮させようとする手法と言ってよい。

  選挙による多数決が基本の民主主義では、多数決によって選ばれる権力の側が選挙人の納得、つまり、世論の動向に気を遣い、世論に合せる政治を行なうということがある。これは評価、即ち、権威と強制力、即ち、権力の擦り合わせであり、これを評して衆愚政治などと呼ぶわけであるが、こうした衆愚政治の傾向は選挙によってその勝利者に権力を持たせる民主主義の宿命とも言える。

  衆愚政治はこの衆愚という言葉からも言えることであるが、マイナスイメージに捉えられがちである。しかし、選挙人が政治に無関心で為政者のやりたい放題の放漫政治が行なわれるよりましであることは、独裁者の政治を思えばわかることである。ここで思われるのが、天皇制を敷く我が国の政治体制と憲法改正の問題である。戦後七十年の我が国の状況は、平和憲法と呼ばれる現憲法のもとで、一度も戦争をせず、一人の戦死者も出すことなく、概ね穏やかな国の運営がなされて来た。この実績は現憲法に基づく為政者をはじめとする国民一人一人の制度への認識とそれに伴う知恵及び努力によることが言える。

  このことを踏まえて権威と権力について今少し考察するならば、我が国の現体制は、権威と権力のバランスが絶妙である点があげられる。天皇を権威の象徴とするならば、選挙で選ばれた首相は権力の最右翼にあると言える。この絶妙なバランスは権威が権力の上位にあることが暗黙の了解事としてあり、憲法にも「天皇は国民統合の象徴」と掲げられ、天皇が確固たる存在として国民に敬われ、親しまれているというところにある。所謂、権威が権力に上回って存在するところに我が国の国家体制の基軸がうかがえるのである。

  韓国では大統領を巻き込む大スキャンダルの嵐が吹き荒れているが、韓国の政治体制が常に不正に塗れ、最大権力の持ち主である大統領が糾弾されるのは、大統領一人に膨大な権力が権威をも飲み込むほどにして与えられていることに由来する。大統領になれば、何をしても許される仕組みが成り立っていて、その期間が五年に及ぶ長さにあるということが影響している。言わば、権力の暴走に対し、権威の抑制が利かない体制的不備がそこにはあるからである。これは一人に集中し過ぎる権限の負の一面と言ってよい。現朴政権のみならず、歴代の大統領に不正の事実が認められていることがこのことをよく立証している。

 このお隣韓国の情勢を思うとき、我が国で改正の動きが急な憲法のことが思われて来るのである。自民党の憲法改正案なるものを見ると、国家体制において権威と権力の合体的仕組みが透けて見えるところがある。権威が権力を制御出来ればよいのであるが、その働きが逆に向かい、戦前と同様、権威が権力に利用され、権威が権力に取り込まれ、国政を悪しき方向に向かわしめる懸念が改正案のそこには見られる。その案では、首相の権限をより強くし、天皇を政治の現実に近付けることがあげられている。という次第で、その懸念は権力が権威を取り込んで権威をも支配するような仕組みが出来上がることである。

  以上の点を総合して思うに、権威は権力の上位にあるべきで、権力に左右され、権威が権力の後方につくようなことになってはならないことが言える。今年はこのような権威と権力のことを考えさせる出来事が多かった。 写真はイメージ。昇り来る朝日(左)と朝日によって輝く彩雲の空(右)。この自然現象は、人間に与えられる権力ではなく、尊崇されるところの万民共通の思いに通じる権威的な風景ということが出来る。

 

 

 

 

 

 


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2016年12月27日 | 植物

<1824> 大和の花 (111) ホソバテンナンショウ (細葉天南星)     サトイモ科 テンナンショウ属

                  

  続いてテンナンショウ属の仲間の紹介。大和(奈良県)はテンナンショウ属の多い土地柄にあり、山道を歩いているといろんなテンナンショウ属の仲間に出会う。出会った場合、取りあえず撮影しておくようにしている。現場では微妙に判別がつかないものが多いからである。このホソバテンナンショウも細い葉が気になってカメラを向けた。本州の関東地方から近畿地方にかけて分布する日本の固有種で、山地の林内や林縁などに生える多年草である。

 葉は2個つき、葉柄の基部が偽茎に重なり、下の葉が上の葉よりも大きい。披針形から線状披針形の小葉は鳥趾状に10個から20個前後つく。雌雄異株で、花期は5月から6月ごろ。仏炎苞の開口部は広く、口辺部は耳状に張り出す。舷部は卵形で、筒部より短いのが特徴で、先は尖る。肉穂花序の付属体は細い棒状で、先端は緑色を帯びるが、ムロウテンナンショウほど濃くない。 写真は白い条の入った仏炎苞を開くホソバテンナンショウ(左)、仏炎苞のアップ(中)、赤い実をつけたホソバテンナンショウ。

 花は時 時を定めて訪ひ行くに 花は訪ひ行く数に関はる

 

<1825> 大和の花 (112) ヒロハテンナンショウ (広葉天南星)    サトイモ科 テンナンショウ属

               

 ブナ帯に生えると言われる多年草で、高さは大きい個体で50センチ前後とテンナンショウ属の中では小形の部類に入る。地中の球茎は多数の子球をつけ、子球からも偽茎が立ち上がるので群生することが多い。偽茎は葉柄と同長で、葉は普通1個、稀に2個つくものもある。小葉は狭卵形乃至は楕円形で、5個から7個が掌状につく。

 雌雄異株で、花期は5月から6月ごろ。仏炎苞は葉より下につき、黄緑色から緑色で、隆起する白い条が見られる。筒部は7センチほどで、口辺部は多少開出し、舷部は卵形で先が尖る。肉穂花序の付属体は黄緑色乃至緑色で棒状になる。ヒロハテンナンショウは北海道から本州の日本海側と九州北部に分布する日本の固有種であるが、ここで示す写真の個体は東吉野村の明神平(標高1320メートル)の草地で見かけたもの。葉が細く見えるのは展開が終わっていない状況によるものと思われる。 

 写真は群生して生えるヒロハテンナンショウ(左)と仲良く並んで仏炎苞を開くヒロハテンナンショウ(右)。花茎の基部に襟のような襞が見られるのもヒロハテンナンショウの特徴であると言われる。(いずれも東吉野村の明神平)

    花に会うにはねえ 花は歩いて来ないから こちらから出向くほかない

    それも花どきに 咲いていたら みんな拒むことなどなく 迎えてくれる

    花との出会いは 言わば これの繰り返しなんだ 四季を通していつも 

 

<1826> 大和の花 (113) コウライテンナンショウ (高麗天南星)    サトイモ科 テンナンショウ属

              

  丘陵地から山地の林縁や林内に生えるテンナンショウ属の多年草で、全国的に見られ、中国東北部、シベリア南東部、朝鮮半島にも分布するのでコウライ(高麗)の名がある。高さは70センチから80センチほど。葉は2個で、先が尖る長楕円形乃至は楕円形の小葉が鳥趾状に数個から10数個つく。

  雌雄異株で、花期は4月から6月ごろ。仏炎苞は普通緑色で、卵形の舷部は縦に白条が入り、先が細く尖って。白条のはっきりしない個体はマムシグサと判別が難しいところがある。肉穂花序の付属体は緑色を帯びた白色のやや棍棒状で、開口部はやや広く、口辺部は少し張り出す。 

 写真は緑色の仏炎苞をつけるコウライテンナンショウ(左)、背後から見た白い条の入ったコウライテンナンショウの仏炎苞(右)。白い縦の条は光に透けて花粉を運ぶ虫たちの興味を引き、仏炎苞の中にある花へ誘うようになっているのだろう。仏円苞の内部の奥にはトウモロコシ状に実を生らせるように小さな花が花序にびっしりついている(野迫川村の伯母子岳登山道)。

 天の時地の利に山野の草木も花を咲かせる恵みとはなし   

 

 


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2016年12月26日 | 写詩・写歌・写俳

<1823> 余聞・余話 「モズの速(早)贄」

       それぞれにこの世を背負ひ生きてゐる鳥獣虫魚も私(わたくし)たちも

 我が家の近辺には秋になるとモズ(百舌・鵙)がやって来る。けたたましい独特の鳴き声は「モズの高鳴き」と言われ、室内にいても聞こえ、その存在を知らしめるところがある。春のウグイスや夏のホトトギス、ほかにもホオジロ、ヨシキリ、ヒバリ、オオルリ、カッコウ等々、これらの鳥はみな季節の到来を告げて鳴くが、秋は何と言ってもモズである。

  よく高い木の頂や電線などに止まっているのを見かけるが、スリムな尾の長い体形に鋭い嘴、眼光炯然たる眼の持ち主、その精悍さに加え、あの独特の鳴き声が加わる。それはまさに鋭さを身に負う鳴き声である。このモズに、その鋭さ、精悍さを物語る今一つの特徴が見られる。それは捕えた獲物を木の枝先や棘などに刺し置くという習性である。

         

  餌の少なくなる冬場に備えて蓄えて置く備蓄の知恵の働きによるものか、それは定かではないようであるが、捕まえた昆虫のような小動物を直ぐには食べず、木の枝などに刺して置くという次第である。これを「鵙の速(早)贄(はやにえ)」といい、俳句では「鵙の贄」とか「鵙の贄刺」とも表現し、秋の季語である。モズ自身も秋の季語で、その鳴き声も同様である。

  このモズの速(早)贄がこの間収穫をした我が家の庭の柚子の木に見られた。柚子の木には枝ごとに堅くて鋭い大きい棘があり、モズの速(早)贄には絶好の枝で、鎌の肢と頭が失われたカマキリの腹の部分が棘に差し込まれ、ぶら下がっていた。モズはこの間から飛び回り、近くの電線なんかにも止まって辺りの様子をうかがう風が見られたが、多分、そのモズに違いない。

  いつまでカマキリは棘に刺さった状態でいるのか、観察してみたいが、モズの速(早)贄の賞味期限はどうなのだろう。また、刺された鎌の肢と頭のない無惨な姿のカマキリにはタマゴを産みつけた後かも知れない。近くの枝に淡褐色の麩のようなタマゴが見える。そうであれば、犠牲になったカマキリも浮かばれるというもの。こうでなくちゃあみんなが生きているこの世の中はうまく行くまいとも思われたりする。 

 写真は電線に止まって甲高い声で鳴くモズ(左)と柚子の棘に刺された鎌の肢と頭のないカマキリの速(早)贄(中)、柚子の枝に産みつけられたカマキリのタマゴ(右)。 

 


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2016年12月22日 | 植物

<1819> 大和の花 (107) マムシグサ(蝮草)                   サトイモ科 テンナンショウ属

                                                     

 今回から大和(奈良県)の地に見られるテンナンショウ属の仲間の中で私が出会ったものの幾種かにについて紹介したいと思う。この仲間は宿根性の多年草で、地下の球茎から伸び上がる筒状の葉鞘が重なった偽茎を有し、花は単性で、花被はなく仏炎苞で知られ、地中の球茎の大きさ(栄養状態)によって大きいものは雌株になると言われる雌雄異株で、変異が多く、地名や地域名がつけられた個体が多く見られる特徴がある。

 大和(奈良県)は紀伊山地をはじめとして山域が広く、テンナンショウ属の仲間の豊富な土地柄にあるうえ、有毒植物であるためシカの食害に遭うことがなく、多く見られるのだと思われる。大和(奈良県)においても名に地名の見える仲間が何種かあげられる。では、全国的に分布する最もポピュラーなマムシグサ(蝮草)から取り上げてみたいと思う。

  マムシグサは湿り気のある林内に生える多年草で、地下の球茎から紫褐色の斑が入った偽茎を真っ直ぐ上に向かって伸ばし、その上部に葉柄のある葉を二個つけ、多数の小葉を鳥趾状につける。花期は4月から6月ごろで、偽茎の先端から更に花茎を伸ばし、仏炎苞を一つ開く。仏炎苞は淡緑色から淡紫色と変化が見られ、普通白条が入る。花の屋根に当たる舷部はそれほど長くはないが、伸びて尖る。偽茎は花茎や葉柄より長い特徴が見られる。この斑入りの偽茎や花茎と仏炎苞の姿をマムシに見立てたことによりこの名がある。

 雌雄異株で、仏炎苞の内側に肉穂花序を有し、花序には付属体が見られ、付属体は上に伸びて仏炎苞の口から覗くが、マムシグサでは棒状から棍棒状に見える。花が終わると仏炎苞は枯れ、雌花では肉穂花序にびっしりとついた丸い実が露わになり、秋には光沢のある赤色に熟す。なお、マムシグサは有毒植物ではあるが、漢方では球茎を輪切りにして干したものを去痰、鎮痙薬に用いて来た。

 本州の関東地方以西、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島、ウスリー、アムール、サハリンなどに見られるという。 写真はマムシグサの花(左)と熟し始めたマムシグサの実(右)。金剛山ほか。    霜枯れてコスモス畑広がれり 時は果して移ろひゆける

<1820> 大和の花 (108) ムロウマムシグサ (室生蝮草)                   サトイモ科  テンナンショウ属

       

 本州の近畿地方とその隣接県に分布を限る日本の固有種。大和(奈良県)には多く見られるマムシグサの仲間の多年草で、山中の木陰や林縁などに生える。高さは6、70センチほど。葉は普通2個で、倒卵形または長楕円形の小葉が鳥趾状に5個から7個つく。葉には鋸歯のあるものとないものが見られる。花期は4、5月ごろで、8センチ前後の花茎の先に葉と同時くらいに仏炎苞を開く。仏炎苞は淡紫褐色で、濃淡の違いが見られ、縦に条が入る。

 仏炎苞の屋根の部分に当たる舷部は先が尾状から糸状に筒部より長く横に伸び、垂下するものが多く、他種との判別点になる。肉穂花序の付属体は濃い紫褐色の棒状乃至は棍棒状で上部は開口部から伸び出して見える。雌雄異株で、雌株では花茎が葉柄より短くなる特徴がある。

 ムロウマムシグサ(室生蝮草)の名は、奈良県宇陀地方の女人高野の室生寺で知られる室生の山中で見つかったことによる。キシダマムシグサ(岸田蝮草)とも呼ばれるが、これは最初に見つけて発表した明治時代の博物学者岸田若松氏を記念してつけられたもの。 写真は左から群生するムロウマムシグサ、舷部先端が垂下する雄株の仏炎苞、葉に鋸歯が明瞭なタイプ、葉に鋸歯がないタイプ。  底冷えや大和国中盆の底

<1821> 大和の花 (109) ムロウテンナンショウ (室生天南星)        サトイモ科 テンナンショウ属

                                                   

  地名の室生に因むテンナンショウ属の仲間に今一つムロウテンナンショウ(室生天南星)がある。やはり、宇陀地方の室生山中で発見され、この名がつけられた。山地の林内や林縁などに生える多年草で、近畿地方とその隣接地域に分布を限る日本の固有種として知られ、大和地方(奈良県下)では普通に見られる。高さは80センチ前後であるが、ときに1メートルを越す個体も見られる。葉は2個つき、楕円形乃至披針形の小葉を鳥趾状に5個から10数個つける。

  雌雄異株で、花期は4月から6月ごろ。仏炎苞のほとんどは緑色であるが、稀に紫色を帯びるものも見られる。仏炎苞の屋根に当たる舷部は筒部よりも短く、先端が鋭く尖って開口部がムロウマムシグサよりもよく見える。仏炎苞の内面に乳頭状の突起が密生するのが特徴。また、仏炎苞に包まれた肉穂花序の付属体は緑白色で、上部が前に傾くものが多く、先端が丸く膨らみ、濃い緑色になるのもこの種の特徴で、この濃緑色の膨らみを見れば、他種との見分けがつく。

  同じ地名のムロウ(室生)をその名に負うが、マムシグサ(蝮草)とテンナンショウ(天南星)ではイメージに違いがある。天南星は漢名で、語源は定かでないが、その姿に毒蛇のマムシを連想した写実的な命名と天南の星という宇宙を意識した浪漫的な命名の違いが、山歩きなどでよく見かけるムロウマムシグサとムロウテンナンショウには思われるところである。 写真は草丈の高いムロウテンナンショウ(左)と正面から見たムロウテンナンショウの開口部。肉穂花序の付属体が先端で丸く膨らみ、その部分が濃緑色であるのがわかる。  冬の月凛然と冴え奈良盆地

<1822> 大和の花 (110) ヤマトテンナンショウ (大和天南星)        サトイモ科 テンナンショウ属

            

  山地の林内や林縁に生える高さが1メートルほどになる多年草で、群馬県から紀伊半島にかけて点在して分布する日本の固有種で、主に三重県と奈良県に多く、大和(奈良県)では東部の一帯でよく見られ、この名がある。葉は普通2個つき、長楕円形から披針形の小葉が鳥趾状に7個から10数個つく。

  雌雄異株で、花期は5月から7月と他種に比べて遅く、仏炎苞は葉の展開後に見られ、葉よりも高く花茎を伸ばし、その茎頂に開出するのでよく目につく。筒部は5、6センチ。緑紫色を帯びる白色で、濃い条が入る。屋根に当たる舷部は長三角形で、全体が黒紫色に彩られ、花の盛りにはほぼ水平に長く伸び、その姿は力を振り絞ってその形を保っているように見え、みごとである。

  写真左は舷部がほぼ水平に伸ばたヤマトテンナンショウの仏炎苞。盛りが過ぎると垂れ下って枯れて行く。写真中は赤く熟したヤマトテンナンショウの実(いずれも奥宇陀の山中)。右の図は仏炎苞(テンナンショウ属)の模式図。一定の様式を持ち、極めて小さな花被が仏炎苞の中の太い肉穂花序の周りに多数密につく。花序の付属体や舷部の色合いなどは種や個体によって微妙に異なるが、仏炎苞の奥の花被群まで花粉の運び屋である虫たちを誘う仕組みになっている。  花に虫 虫に花なるつまりそのともにしてある待ち遠しき春