<394> 変 化
変化は時の流れによってなる
時に支配されているものは
いかなるものも すべて
変化を免れ得るものはない
言わば ここなる 私たちも
この間、墓参と見舞いを兼ねて岡山に赴いた。往路は車に乗せてもらい、復路は鉄道を利用し、久しぶりに新幹線に乗った。往路は大阪から神戸の市街地を抜けて山陽自動車道に入り、播州平野をひた走った。播州辺りは実りを迎えて色づく田園を背景に標高二、三百メートルの山が島か半島のように見えるところである。走る車の窓からその山を眺めていて、ふと気づくことがあった。それは山の様相に変化が感じられたことである。
この辺りは花崗岩の風化が進む岩山が多く、一昔前までは小松などの二次林的な低木に被われた山の様相があった。ところが、この日見て感じられたのは樹木がそれなりに成長して多く照葉樹林化しているのが目についたということである。
いつも見ている大和青垣の山々に比べると、一目瞭然、杉や檜などの植林がほとんど行なわれておらず、雑木の自然林に被われていることである。これらの山は春になると躑躅の花が彩りを見せるところであるが、この昔からの植生の特徴に変化が感じられたというわけである。
樹勢に旺盛さが感じられたのであるが、この旺盛さは雑木林が成長を進め、照葉樹林に変わりつつある光景だと思われたのであった。これは時の移り変わりを示すものにほかならないが、加えるに、山に立ち入る者が少なくなっていることと、温暖化の影響によって樹木の成長が速くなり、温暖地を適地とする照葉樹の成長に拍車がかかったということではないか。
この植生の遷移については、平地でも山地でも、裸地というのは、放置して置くと、最初は丈の低い雑草の類が生え出し、これに混じってイバラの仲間などが生え出す。そして、次には日当たりを好む陽樹の萩や松などが出現し、次に陽樹に変わり、年中葉を繁らせる照葉樹が生えて来て、末は照葉樹の極相林に及び、深い森林を形成することになる。
この辺りの山に変化がもたらされ、照葉樹林が増えていると見えることは、この辺りに一段階上の温暖化が進み、気象的な変化がもたらされて来た証ではないかと考えられることである。これはここ三、四十年ほどの間であるが、それが、最近、レベルアップしたということではないか。山が緑に被われ、豊かになることはよいことであるが、その気象的変化がほかの面にも現われるということで、懸念の生じて来ることにもなる。
最近、全国いたるところで集中豪雨があり、洪水や土砂崩れなどの被害が妙に多い。ときには竜巻をともない、その風による被害も見られるという次第である。この著しい気象異変の現象は、この播州路の山の変化に通じると言ってよいのではなかろうか。
最近の雨は、度外れて激しく降り、洪水をもたらすけれども、梅雨のような長雨にはならず、さっと止んで、川水なども直ぐに引いてもとの姿に戻るという特徴がある。これは明らかに温帯から暖帯への移行であって、地球温暖化の現われの一端と思われる。照葉樹林化はそれを証明するものと言えないだろうか。車の窓から播州路の山を見ながら思ったことではあった。
写真は照葉樹林(兵庫県の西部で)。走る車の窓から撮ったもので、樹種ははっきりしないが、樹林は明らかに照葉樹である。このような変化はその先端部で見るのがよいように思われるが、地球の温暖期(間氷期)にある今日ではこの照葉樹林が太平洋側では東北地方の南部、日本海側では新潟県付近まで北上していると見られ、これが更に北上するかどうかということで、この点、注目されるところ、調査の必要性があるのではないかということが思われる。